礼拝説教 桜井良一牧師   本文の転載・リンクをご希望の方は教会迄ご連絡ください。
2012年3月18日  「ステファノの逮捕」

聖書箇所:使徒言行録6章8〜15節(新P.223)
8 さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。
9 ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。
10 しかし、彼が知恵と"霊"とによって語るので、歯が立たなかった。
11 そこで、彼らは人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。
12 また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。
13 そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。
14 わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」
15 最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。

1.新役員ステファノの奉仕
(1)神の救いの歴史

 今日の聖書箇所ではステファノの逮捕と言う出来事が報告されています。そして次の7章ではこのステファノが最高法院で語った説教がかなり長い文章で報告されています。このステファノの説教については今日は直接には取り扱いません。しかし、このステファノがこの説教の中で語っている内容には旧約聖書の中に記された様々な出来事が取り上げられています。ご存じのようにこの旧約聖書には神の民であるイスラエルの歴史が記されています。しかし、旧約聖書が記す歴史は単なる一般の歴史書とは異なり、神様の救いの歴史、つまり「救済史」と言うものが記されているのです。
 私たちの信仰によればこの世界の歴史は無秩序な時間の流れではなく、一つの目的を持って進んでいます。最初に神様が創造された世界は必ず最後には完成に至ると言う流れです。神様は私たち人類を救うために歴史を導いてくださっています。なぜなら世界がすべて神様に救われるときこそが歴史の完成のときだからです。そしてその神様の救いの歴史が記されているのが旧約聖書なのです。この旧約聖書は救い主イエス・キリストがこの地上に来られるまでの歴史を取り上げています。そしてキリストの生涯とその後のキリスト教会の歩みもこの神様の救いの歴史を私たちに教えるものであり、それが新約聖書の中に記されているのです。
 ステファノは聖書に記されたこの神様による救いの歴史を大胆に説教の中で語っています。そして同時に、このステファノにまつわる出来事自体が神の救いの歴史の中で重要な役目を持っているのです。前回も語りましたように、この後、ステファノの殉教の死を経てキリスト教会に対するユダヤ人の宗教勢力からの迫害が始まります。そして、その迫害によってキリスト教徒はエルサレムやユダヤの地を脱出しなければならなくなります。その上で各地に散らされたキリスト者によって広く宣教活動が始まります。このような意味でステファノに起こった事件はキリスト教会がユダヤ地方にとどまることなく世界に拡大していく転換点となる歴史的出来事となったのです。
 私たちにとってはなぜこのような出来事が起こるのだろうかと疑問を感じざるを得ないことが人類の歴史には存在します。またそれは私たちの周りにも起こりうることなのです。しかし、聖書の信仰はこの歴史の中にも確かに神様の計画があり、世界の救いのために歴史は進んでいるのです。

(2)ステファノの任務と私たちの任務

 ところで前回も学びましたようにこの箇所の主人公のステファノは新たに教会で選ばれた七人の新役員の中の一人の人物でした。この役員について必ずしも現在の教会の「執事職」とは一致しない部分もあるのではないかと言うことを私は前回お話ししました。しかし、その前回のお話を振り返ってみても分かるようにこのステファノの大切な職務は「食事の世話」(6章2節)であって、ギリシャ語を話すユダヤ人の仲間のやもめたちが、不公平な取り扱いを受けないようにすることが彼に課せられた大切な任務だったのです。
 私たちの教会の憲法である政治基準には教会の執事にゆだねられている任務がいくつか紹介されています。その最初の二項だけをここで皆さんに紹介します。まず執事は第一に「貧困・病気・孤独・失意の中にある者を、み言葉とふさわしい助けをもって励ますこと」と記されています。また第二に「献金の祝福を教会員に勧め、教会活動の維持発展のため及び愛の業のためにささげられたものを管理し、目的にふさわしく分配すること」と語られています。おそらくステファノに委ねられた任務もこれと同じであると言ってよいかもしれません。その点を考えると、わたしたちはこのステファノの活動を通して、教会の執事職の働きについて学ぶことができるはずです。また教会に委ねられている執事的な勤めは、執事という役員だけにとどまるのではなく、そこに集うすべてのキリスト者にも求められているものだとも言えます。そのような意味で私たちはここでのステファノの働きから、私たちの奉仕の働きの模範を学ぶことができるのです。

2.ステファノと敵対者たちとの衝突
(1)解放された奴隷の会堂とステファノとの接点

 さてそのような意味でステファノの働きを理解するために重要になるのは、彼と議論を交わすことになった人々がどのような人々であったかと言うことです。聖書はその彼らについて次のように説明しています。

「ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した」(9節)。

 ここに「解放された奴隷の会堂」という聞き慣れない名称が登場します。聖書の解説書によればローマ軍によって奴隷としてローマに連れて来られたユダヤ人たちが後に、ローマ皇帝の恩赦を受けて奴隷から自由人にされたことがありました。その人々が「解放された奴隷」と呼ばれていて、彼らの一部が後にエルサレムに戻って来て、自分たちの会堂を作ったと考えることができるのです。つまり、彼らはローマの文化や習慣を知っている外国帰りのユダヤ人たちでした。ここに「キリキア州とアジア州出身の人々」と言う言葉も登場します。これらの地名も当時のローマの海外植民地を示す名称です。ですから、この「解放された奴隷の会堂」には様々な外国の地からやって来たユダヤ人が集まっていたと考えることができます。そうなると彼らの会堂で使われていた言語は当然、当時の国際語だったギリシャ語であったと考えることができます。そしてここで先頃教会でギリシャ語を使うユダヤ人たちのために選ばれたステファノとの接点が生まれてくるのです。もちろん、ステファノが奉仕したのはキリスト教に改宗したギリシャ語を使うユダヤ人であったと思います。しかし、その人々の周りにはまだキリスト教を受け入れないたくさんの人々が存在していたはずです。ですからステファノの職務から考えて当然、外国から帰ってきたユダヤ人との接触が多くなって行ったと考えることができるのです。

(2)執事活動の本当の目的

 ところがこのステファノと外国帰りのユダヤ人の接触を通して問題が生じました。彼らの間で激しい議論が起こったのです。その議論とは神のみ言葉、聖書が教える内容を巡る議論でした。もし、ステファノが単に「食事の世話」と言った職務に専念していれば、彼らとの間に議論は生まれなかったのです。もちろん、私はステファノが自分の職務を逸脱していたと言うつもりは全くありません。むしろ、私たちはこのステファノの姿から、教会の執事的働きの本当の目的を学び取ることができるのだと思うのです。
 困っている人を助けると言う行為は教会に与えられている大切な勤めの一つです。むしろ、神様は私たちがそのような人々を助けることができるようにと私たちに様々な賜物を与えてくださているからです。もし、その勤めを疎かにして私たちが自分に与えられている賜物を自分だけに使ってしまったら、それは神様のみ心に反することになります。私たちに神様が与えてくださった賜物のすべてをふさわしい場所とふさわしい人のために使うことは私たち一人一人に神様が求めておられる執事的勤めの大切な任務と言えるのです。
 しかし、ここでのステファノの活動を通して学ぶことができる大切な真理は、教会における執事的活動の目的は単なる困っている人を助けるための慈善活動ではなく、究極的には人々の魂を救う救済活動であると言うことです。困っている人にお金や物を提供することはとても大切です。しかし、それだけではその人々は本当の意味で救われたことになりません。ですからもし執事的活動を徹底するならそれらの人々が神様に救われるために、福音を伝えることが大切になるのです。ステファノはその点で、自分に与えられた任務を忠実に努めようとしたのです。助けを必要としている人に、ふさわしい助けを与えると同時に彼らに福音を伝えたからです。そしてここで起こった議論はステファノが自分の職務に忠実であったからこそ起こったことだと考えることできるのです。

3.本当の神殿とは何か
(1)ステファノの逮捕

 議論の中で福音を大胆に語るステファノに彼の敵対者たちは「歯が立たなかった」と語られています(10節)。その理由はステファノが「知恵と"霊"とによって語った」からです。召された勤めに忠実に励もうとするステファノに神様が聖霊を送って、その働きを助けたのです。いえ、むしろ聖霊なる神がステファノを通して豊に働かれたからこそ、その働きに対して人間には全く歯が立たなかったのです。
 この後、使徒言行録はステファノがどうして最高法院に立って、そこに集まる人々に説教することになったか、その成り行きを説明していきます。
 ステファノの敵対者は自分たちでは到底この議論では勝つことができないと考えると、今度は他の人々を唆します。ステファノはそんなことをしていないのに「モーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言ううわさを人々を通して流したのです。そしてこの無責任な噂によってステファノは捕らえられ、最高法院に連れて行かれることになります。
 この最高法院は以前、二度も使徒たちを捕らえた当時のユダヤの宗教者たちの最高会議です。彼らは使徒たちに「イエスの名によって教えてならない」と宣教禁止命令を出し、その命令に従わない使徒たちにむち打った人々でした。そのときには民衆を恐れて使徒たちにそれ以上のことができなかった最高法院でした。しかし今回はそのときとすこし事情が違っています。こんどはその民衆がステファノを訴える側に変わっているのです。これはエルサレムに入場したイエスを大歓迎した後、その数日後、「十字架につけよ」と叫ぶことになったあの民衆の態度と全く同じものです。

(2)礼拝が世界に広がる礎

 そしてこの後の最高法院のステファノに対する態度はイエスの裁判と大変に似たものとなっています。偽証人が立てられて、ステファノはやってもいない罪を犯した者として裁かれているからです。

「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう』」(13〜14節)。

 彼らの訴えはステファノが「聖なる場所と律法」つまりエルサレム神殿とモーセの律法に定められている神殿での儀式を冒涜していると言うものでした。なぜなら、ステファノが伝えるイエスが神殿を破壊すると語り、モーセ律法を否定していたからだと彼らは言うのです。
 ですから、この後に語られるステファノの説教にはこのエルサレム神殿が大きなテーマの一つとなっています。実際はステファノもイエスもこの神殿を破壊する者でも、モーセの律法の意味を否定する者でもなかったことは確かです。むしろ、ステファノはその神殿や神殿で献げられている儀式が何を示しているかを明らかにしようとしたのです。このことについてはこの後のステファノの説教の解き明かしの中で考えていきます。
 しかし歴史はこの地上のエルサレム神殿とそこで献げられる儀式に固執する人々が、エルサレム神殿の崩壊とともに消滅してしまったことを教えています。一方、この神殿はイエス・キリストを指し示しており、イエス・キリストを通して今や誰でも、どこででも神様を礼拝できることが可能となったと言う福音の内容を受け入れた者たちは、この後、エルサレムを脱出し、世界の各地で神様を礼拝することになっていきます。
 イエス・キリストが私たちの神殿となられ、そのイエス・キリストを通して私たちが神様に自由に礼拝を献げることができるようになったこの真理はとても大切です。そしてこの真理があるからこそキリスト教がエルサレムやイスラエルと言う地域を離れて世界に広がる礎となったことを私たちはこの物語を通しても学ぶことができるのです

【祈祷】
天の父なる神様
あなたから与えられた賜物を使って、困っている人を助け、彼らに向けられたあなたの愛を示し、またその福音の真理を伝えたステファノの姿を学びました。私たちにも聖霊を送り、あなたに委ねられている使命を私たちが全うすることができるようにしてください。教会の愛の業を通して、また福音伝道を通して多くの人々を神の救いへと導いてください。また私たちがこの世界に対するあなたの救いの歴史を理解し、様々な出来事の中でもあなたを信頼し、希望を持って救いの完成を待つことができるようにしてください。
主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。