礼拝説教 桜井良一牧師   本文の転載・リンクをご希望の方は教会迄ご連絡ください。
2012年4月1日  「ステファノの説教(2)」

聖書箇所:使徒言行録7章17〜43節(新P.225)
17 神がアブラハムになさった約束の実現する時が近づくにつれ、民は増え、エジプト中に広がりました。
18 それは、ヨセフのことを知らない別の王が、エジプトの支配者となるまでのことでした。
19 この王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。
20 このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育てられ、
21 その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです。
22 そして、モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。
23 四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました。
24 それで、彼らの一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し、ひどい目に遭っていた人のあだを討ったのです。
25 モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした。
26 次の日、モーセはイスラエル人が互いに争っているところに来合わせたので、仲直りをさせようとして言いました。『君たち、兄弟どうしではないか。なぜ、傷つけ合うのだ。』
27 すると、仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばして言いました。『だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。
28 きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか。』
29 モーセはこの言葉を聞いて、逃げ出し、そして、ミディアン地方に身を寄せている間に、二人の男の子をもうけました。
30 四十年たったとき、シナイ山に近い荒れ野において、柴の燃える炎の中で、天使がモーセの前に現れました。
31 モーセは、この光景を見て驚きました。もっとよく見ようとして近づくと、主の声が聞こえました。
32 『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』と。モーセは恐れおののいて、それ以上見ようとはしませんでした。
33 そのとき、主はこう仰せになりました。『履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。
34 わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。』
35 人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです。
36 この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。
37 このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。』
38 この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。
39 けれども、先祖たちはこの人に従おうとせず、彼を退け、エジプトをなつかしく思い、
40 アロンに言いました。『わたしたちの先に立って導いてくれる神々を造ってください。エジプトの地から導き出してくれたあのモーセの身の上に、何が起こったのか分からないからです。』
41 彼らが若い雄牛の像を造ったのはそのころで、この偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造ったものをまつって楽しんでいました。
42 そこで神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれました。それは預言者の書にこう書いてあるとおりです。
『イスラエルの家よ、/お前たちは荒れ野にいた四十年の間、/わたしにいけにえと供え物を/献げたことがあったか。
43 お前たちは拝むために造った偶像、/モレクの御輿やお前たちの神ライファンの星を/担ぎ回ったのだ。だから、わたしはお前たちを/バビロンのかなたへ移住させる。』

1.キリストを証しするステファノ
(1)説教とは何か

 結構多くの人が教会で働く牧師の働きについて誤解しているところがあります。牧師は毎日曜日に、説教壇にたって自分の好き勝手なことを口に出して語っている。聖書を読んで、その聖書の箇所についての個人的な感想を言えばいいのだ。ですから、中には「自分もこの説教壇に立って話してみたい」と思われる方もいるのです。しかし、牧師が説教壇で語る説教は牧師の個人的な見解を述べるものではありません。もし、この説教が牧師の経験や知識から生み出される個人的な見解を述べる場所だとしたら、そのようなを聞いても誰も救われることはできません。まさにそれでは、聖書が語るように「盲人が盲人の手を引くようなもの」となり、教会に集ってくる人は救われるどころか、ますます混迷を深めるばかりの人生を送ることになりかねないのです。
 牧師はその説教で聖書に記されている真理を忠実に伝えると言う使命を持っています。そのため、牧師の説教準備のほとんどは聖書を読み、そこに書かれている内容を理解すること、そこに示されているキリストの福音の真理を見いだすことに重点がおかれています。この作業に説教準備のほとんどの時間を費やし、あとの残った時間で示された聖書の真理をどのように教会の礼拝に集める人々に伝えることがふさわしいかを考え、お話を組み立てて行くのです。

(2)優れた説教者ステファノ

 現在、私たちは使徒言行録の記事からステファノと言う人物がエルサレムの最高法院の場で語ったお話について学んでいます。先にも学びましたようにこのステファノのお話は教会で語られる説教と同じようなものだと言えます。ステファノは自分の個人的な関心をここで語っているのではなく、キリストの福音を聖書を通して解き明かしているのです。そう考えて見るとステファノと言う人がどんなに聖書の知識に優れており、またキリストの福音を解き明かすに際して非凡な才能を持っていた人物であったことがわかります。
 たとえば、私は毎週、ここで説教を皆さんに語るために準備した説教原稿を持ってきます。ここでステファノにはそのような準備の余裕があったとは到底、思えません。彼は突然逮捕されて、議会に引き出され、原稿なしに聖書の物語を語り、それを通してキリストの福音を人々に語っているからです。使徒言行録の記者がどれだけこのステファノの語った説教を忠実に再現して、ここに記録しているのかはわかりません。しかし、このように彼の語った説教が残されていると言うことは、多くの人の心にステファノの語った説教が印象深く残されていたことを物語っているのではないでしょうか。

2.民に受け入れられなかったモーセ
(1)モーセの教えとイエスの福音は矛盾するのか

 さて前回の聖書の部分でステファノは族長と呼ばれるアブラハムやヨセフと言った旧約聖書に登場する人物を通して、真の神がどのような方であり、キリストによる救いは私たちとこの神との間をどのように変えたのかについて学びました。キリストによる救いによって私たちは今や、どこにおいてもこの神を礼拝することができ、その神とともに生きることができるようになったのです。
 今日の部分でステファノは同じように旧約聖書に登場するモーセと言う人物にスポットを当てて話し始めています。それでは、どうしてステファノはここでモーセについて語り始めたのでしょうか。その理由はステファノが偽りの証人たちによって訴えられたその罪状の内容に基づいていると考えることができます。なぜなら彼らはステファノの犯した罪についてこう訴えているからです。

「わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう』」(6章14節)。

 この訴えの中でステファノはモーセがユダヤ人に伝えた慣習をイエスが変えるだろうと教えていると言っています。つまり、ユダヤ人たちはステファノが語るキリストの福音とモーセが伝えた教えは相反するものであると考えていたと言うことがわかるのです。このように考える人にとってはモーセを尊重し、モーセの教えを厳格に守る者にとってステファノの教えるイエス・キリストの福音は相容れないと言うことになります。そこで、ステファノはこのモーセについて聖書から解き明かしながら、モーセがキリストの出現を預言した人物であり、むしろ彼にまつわる物語はキリストの福音を受け入れることができない人々の誤りを指摘しているのだと語っているのです。

(2)イエスを証ししたモーセの生涯

 特にステファノはモーセの生涯とイエスの生涯をここで二重写しすることで両者の共通点を指摘して、このモーセとイエスとの関係を強調しようとしています。たとえば、モーセの誕生についてステファノはこう語ります。

「この王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました」(19節)。

 当時のエジプトの王ファラオはユダヤ人がエジプトの地で大きな力を持つことを恐れ、ユダヤ人の家庭に男の子が生まれた場合にはすぐに殺すようにと言う命令を下しました。モーセはこの殺害計画から奇跡的に逃れ、エジプトのファラオの娘の子としてエジプトの王宮で育てられることになります。
 一方イエスは、新しい王の誕生を恐れたヘロデ大王によってベツレヘム近郊で生まれた2歳以下の幼児虐殺事件を経験し、両親とともにエジプトに脱出することでその難から逃れています。両者の誕生の物語にはいずれも当時の権力者によって発せられた幼児虐殺と言う事件があったと言うのです。
 また彼らが受けた困難はその誕生のときだけではなく、その後も続きます。ステファノは次に成長したモーセが経験した出来事を語り出します。

「四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました」(23節)。

 ここで起こった事件はこの後のモーセの生涯を大きく変えるものでした。モーセは同胞であるユダヤ人がエジプト人によって虐待されている姿を目撃し、同胞を救うためにこのエジプト人を殺害してしまいます。この事件は若いモーセが無謀にも起こした事件でしたが、この結果、彼は自分が救おうとしたユダヤ人の同胞から非難され、その罪を告白されてしまいます。モーセは自分が善意を持って助け出した相手から非難されることになったのです。しかし、神はこのモーセを新たにご自身がイスラエルの民を救うためのリーダーとしてお選びになったのです。このことについてステファノはこのように語ります。

「人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです」(36節)。

 これもまたイエス・キリストの生涯にも共通する事柄だと言えるのです。彼もまた同胞であるユダヤ人のためにたくさんのよき業を行いました。モーセの場合には殺人と言う違法行為を犯したのですが、イエスは一切そのような違法行為を犯すことはありませんでした。それなのに彼もまた自分が一生懸命に助けたユダヤ人から訴えられて、十字架につけられると言うことになったのです。しかし、神はその十字架につけられたイエスを人々を救うメシアとして選ばれたのです。
ステファノを訴えたユダヤ人たちはモーセを偉大な人物であると考えていたはずです。しかし、そのモーセも地上に人生においては人々から理解されるのではなく、誤解されたり、非難されるという出来事を経験しました。そしてそのモーセの生涯こそが、キリストの生涯を身をもって証しするものであったと言うことをステファノは語っているのです。

3.キリストの出現を預言したモーセ

 さてモーセはその生涯を通してだけではなく、その言葉によってもキリストについての預言を残しているとステファノは語ります。

「このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる』」(37節)。

 モーセという人物は旧約聖書の中では特別な存在であったと考えることができます。何よりも彼はエジプトで奴隷として苦しめられていたイスラエルの民を救い出すために神から使わされた人物でした。しかも、彼の役目は単に奴隷解放運動のリーダーに止まるのではなく、神とその民の間を仲立ちする役目を果たし、神の言葉をその民に伝える働きをしたのです。イスラエルの民はこのモーセの語る言葉を通して神を知り、また神を正しく礼拝することができました。ところが興味深いことに、この使命はモーセの子孫たちに自動的に受け継がれると言うことはありませんでした。モーセの兄アロンの子孫が代々に渡って祭司として働いたのとは違い、預言者モーセの使命はその子孫とは別の人たちによって受け継がれていったのです。
 旧約聖書の時代、神はこのモーセに続いて何人もの預言者をその民に遣わされました。しかし、このモーセの預言はこの後現れた数々の預言者たちのことを語ると言うよりは、特別な一人の人物の出現を語っているように読むことができます。その特別な人物とはイエス・キリストです。イエスは神が遣わされた最高の預言者であり、彼を通して神のみ旨が私たちに完全に示されることになったからです。ですからこのモーセの言葉はイエスの出現を預言していたと言えるのです。

4.金の子牛の失敗と真の礼拝
(1)アロンと民が考え出した勝手な礼拝方法

 私たちが正しく神を礼拝し、神とともに生きるためには何が必要なのでしょうか。そのためには私たちは自分で勝手な方法を考えたりするのではなく、神ご自身からその正しい方法を教えていたくだ必要があります。預言者の勤めはその正しい礼拝の方法を神から教えていただき、それを民に知らせる役目を持っています。モーセが神から受け取り、民に伝えた十戒に代表される戒めの数々は、そのような意味で私たちが神を正しく礼拝する方法を教えるために与えられたものだと言えるのです。
 ところが人間の歴史はこのモーセの時代からその教えを無視し、愚かな過ちを犯し続けていたことをステファノは続けて語っています。そして彼はその代表例としてアロンの作った金の子牛の事件を語っているのです(出エジプト記32章参照)。

 神からその戒めを受け取るべくシナイ山に登って行ったモーセの帰りが遅くなり、民は不安を抱き始めました。このままモーセがいなくなってしまったら、自分たちと神との間を取り次ぐ者がいなくなり、自分たちは神の導きを失い路頭に迷ってしまうと考えたのです。それこそ荒れ野でのたれ死にしてしまうに違いないと思ったのです。そこで彼らはモーセの兄アロンに次のような願いを語ります。

『わたしたちの先に立って導いてくれる神々を造ってください。エジプトの地から導き出してくれたあのモーセの身の上に、何が起こったのか分からないからです』(40節)。

 この言葉ではイスラエルの民が最初から真の神ではない別の「神々」を求めていたと言う気配はありません。彼らが金の子牛を作った当初の目的は、モーセがいなくても自分たちが神と接触することができる方法を手に入れたかったと言うところにあったのです。それが結果的には真の神ではない「偶像」を作り出すと言うことになったのです。なぜなら、アロンが民に示した方法、つまり金の子牛を作ってこれを礼拝する方法は自分たちが勝手に考え出した方法に過ぎなかったからです。正しい礼拝の方法は神が預言者を通して明らかにする方法以外にはないのです。
 もちろん、ステファノの時代に守られていたエルサレム神殿とそこで行われていた礼拝は、かつての金の子牛を作ったイスラエルの民とは違い、神がその民に明らかにした方法に基づいていたのかもしれません。しかし、神が示してくださる方法は歴史とともに変わることがありうるのです。その証拠にモーセの時代の幕屋はエルサレム神殿のような立派な場所ではありません。エルサレム神殿はダビデの願いによって始まり、神の示された細かな指図に従ってソロモンが建設したものでした。そして神は今、神を礼拝する正しい方法を最高の預言者であるイエス・キリストを通して明らかにされたのです。

(2)語られる神の言葉を通して臨在される神

 昔読んだ一人の牧師の体験談の中で、近所から教会学校に通ってきていた子供のおばあさんが教会にやって来て、畑を採れた野菜を出して「ご本尊さんに、備えてください」と言われて応対に困ったという話がありました。ご存じのように教会には「ご本尊さま」はありません。神々を礼拝する祭壇はこの礼拝堂にはないのです。この講壇の後ろに掲げられている十字架は礼拝の対象ではありません。だからいつでも取り外しができるようになっています。それでは私たちはどのようにして神を礼拝することができるのでしょうか。私たちの教会の礼拝堂の配置はそのことをよく表しています。この礼拝堂の中心は私が今、立っている講壇であり、その前にある聖餐台です。私たちは神が礼拝で語られる神の言葉を通してそこにご臨在してくださると信じているのです。そして信仰を持って聖餐式に与る私たちとともにいてくださると信じているのです。だから、私たちには金の子牛も、エルサレム神殿も、またそれに代わる祭壇も必要はないのです。
 どうなにすばらしい建物があっても、そこで神の言葉が語られないならば、その場所は神を礼拝するところとはではありません。「何とかチャペル」と名がついた立派な結婚式場がいろいろなところにたてられています。しかし、それは神を礼拝する場所ではないのです。その反対に、そこで神の言葉が正しく語られているならば、私たちの神はどこであっても私たちの礼拝を喜んで受けてくださるのです。
 説教者が礼拝において正しく聖書のみ言葉を伝えることが大切なのは、その集会が真の礼拝となるために肝心なことなのです。ステファノはモーセの生涯とそのメッセージを通して、私たちの献げる礼拝の本質を語ります。どんなに立派な神殿で、どんなに厳格な方法を用いて神を礼拝しようとしても、神が私たちに遣わしてくださった最高の預言者であるイエス・キリストを拒み、そのイエス・キリストを通して示された神の言葉を受け入れないならば、それは本当の礼拝ではないことを私たちはこのステファノの説教から学びたいのです。

【祈祷】
天の父なる神様
私たちの献げる礼拝をイエス・キリストによって喜んで受けてくださるあなたの恵みに感謝いたします。どうか、私たちにみ言葉を与え、聖なるあなたが私たちとともにこの礼拝の場所におられることを悟らせてください。そして私たちがあなたへの畏れを持って仕え、喜びをもってあなたを賛美することができるようにしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。