1. ステファノの発言の意図
この二週ほど間が開いてしまいましたが、再び今日から使徒言行録の学びを続けます。初代教会では海外の出身でエルサレムに帰ってきていたユダヤ人のクリスチャンたちの世話をするために教会は新たな使徒たちとは別に役員を任命しました。今、私たちが聖書の学んでいる人物ステファノはその時に選ばれた新たな役員の一人です。このステファノは聖書の知識に長けた有能な伝道者でもあったようです。ところが、彼の熱心な伝道の結果、新たな問題が生じることとなりました。元々海外からこのエルサレムにやって来ていたユダヤ人はエルサレムを自分たちにとって特別な場所と考えていました。なぜなら、エルサレムには神を礼拝するために先祖たちが作った神殿があったからです。そこでステファノと彼らの間に起こった論争は、このエルサレム神殿に関するものだったのです。神を礼拝する場所はこのエルサレム神殿だけであると考える人々に対して、ステファノは今やイエス・キリストの成し遂げられた救いによって、どこにあっても誰もが聖霊を通して真の礼拝を捧げることができると言うキリストの福音を大胆に語ったのです。
この論争は圧倒的にステファノの優位で進んで行きました。それでこれに我慢ができない海外出身のユダヤ人たちは彼を最高法院の場に引き出し、ユダヤの宗教の専門家たちの手で彼の罪を裁かせようとしたのです。
使徒言行録はこの最高法院でのステファノの発言をかなりの部分を割いて収録しています。彼の発言は直接には彼が訴えられた罪状に対する反論の形を取っています。
「「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう』」(6章13〜14節)。
ステファノはここでエルサレム神殿とそこで行われている礼拝で守られているユダヤ人の慣習について自分はどう考えているのか、そしてキリストによって明らかにされた福音はそれらのことをどのように教えているのかをここで語ったのです。
2.神の証を通して行われた礼拝
(1)主導権は神にある
エルサレム神殿の中心は聖所と言われる部分で、そこには神殿に使える祭司たちしか入ることができませんでした。その聖所はさらに二つに分かれていて、奥の部屋が「至聖所」と呼ばれる特別な場所となっていて、ここには大祭司が一年に一回だけ入ることが許されているだけで、それ以外の者は誰も入ることが許されていなかったのです。そしてこの至聖所の中心に契約の箱がおかれていたのです。
実はこの聖所の構造はこのエルサレム神殿が作られるずっと前から決まっていました。その起源はエジプトを脱出して40年の間荒れ野をさまよったモーセの時代にまでさかのぼります。今日の聖書の箇所でステファノが語っている「証しの幕屋」とはこのモーセ時代に登場した幕屋のことを言っているのです。
当時の幕屋は神殿のような立派なものではなく、きわめて簡素なもので、簡単に分解できるものであったようです。なぜならこの幕屋は本来、一カ所に固定されるべきものではなく、旅を続けるイスラエルの民とともに移動できるように作られていたからです。つまり、イスラエルの民がどこに行っても、神が彼らとともにおられることをその幕屋の構造は表しているのです。
私たちは日本人がよく神社仏閣から「お守り」と称するものをもらい、持ち歩く習慣を持っていることを知っています。お守りを持っているなら、困ったとき神社仏閣に行かなくても、その場で神仏の助けを得ることができるからです。しかし、イスラエルの民にとってこの幕屋は私たちの考える「お守り」とは大きく違っています。幕屋はむしろイスラエルの民を神がいつも導いてくださることを象徴するものでした。「お守り」を作る人間の心理は神を自分の都合のいいように利用しようとする意図があります。しかし、幕屋はむしろ神がイスラエルの民を導いていることを表すものであって、その主導権がいつも神の側にあることを教えるものだったのです。
(2)神の指示に従う礼拝
この幕屋について重要な二つのことを覚えたいと思います。まず、44節でステファノは次のように語ります。
「わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした」。
つまり、神を礼拝するために建てられたこの幕屋は神の指示により、また神が示した形そのままに作られたと言うことです。そこには人間が何かを付け加える余地は全く許されていません。モーセと民には神が命じた通りに幕屋を作ることが求められたのです。このことは私たちの献げる礼拝について大切なことを教えています。神を礼拝する最善で唯一の方法は神が指示された内容に私たちが従うと言うことです。「それよりももっとよくなるから」と言って、そこに人間の脚色や、考えを加えてしまうならば、その礼拝は真の礼拝ではなくなってしまうのです。
このことに関してはキリスト教会も過去の歴史において大きな誤りを続けてきたと言えます。教会に祭壇を作って、そこに十字架にかけられたイエスの像を飾れとは聖書のどこにも指示されていないのです。しかしカトリック教会では今でもそれがあたりまえのように飾られています。その方が伝道しやすい、あるいは厳かな礼拝を献げることができると考えた人々がそのようなものを作り出したのです。そこで宗教改革者たちはカトリック教会の礼拝の中に聖書の教えには示されていない、人間が勝手に作り出した要素がたくさん存在していることを見つけ出しました。そして宗教改革者たちは聖書が教えている礼拝の方法に教会の礼拝を戻すことを心がけ、教会を改革したのです。
(3)神の自己証言を通して献げられる礼拝
宗教改革者たちは聖書に基づかず、人間が勝手に作り出したものを教会の礼拝から取り除きました。それではそこで改革者たちが礼拝においてもっとも大切にしようとしたものは何だったのでしょうか。実はこの荒れ野の証しの幕屋はそのことも私たちに教えています。この幕屋の至聖所におかれていたのは「契約の箱」でした。そしてその契約の箱の中にはモーセが神から受け取ったと言われる十戒の戒めが書かれた二枚の石板が納められていたと言うのです。
十戒には皆さんもご存じのように神が私たちに守るように命じられた戒めが記されています。しかし、この戒めは単なる守りごとと言うことを超えて、神が私たち人間にとってどのような方であるかを表す貴重な自己証言であるとも言えるのです。つまり、まことの礼拝の中心には神の自己証言がいつも位置づけられていたのです。神がどのような方であるか、私たちは神の像を作ってそれを拝む必要はありません。なぜなら神は十戒のような聖書のみ言葉を通してご自身の姿を私たちに示す自己証言を語り続けてくださるからです。つまり、私たちの礼拝の中心は今も、昔もこの神様の自己証言にあると言えるのです。
私たちの礼拝の中心は説教者の語る説教です。その説教は聖書に示された神の自己証言を礼拝に集う人々に伝える目的を持っているのです。宗教改革者はカトリック教会が長い歴史の中で作り出した聖書に基づかない、人間の作り出した礼拝の要素をすべて排除しました。そして、その上で聖書に語られる神の自己証言を語る説教を礼拝に不可欠なもっとも大切な要素と考え守り続けたのです。つまり宗教改革者たちの改革の原理はこの荒れ野の証しの幕屋の示す礼拝に基づいていたと言えるのです。
3.主導権は誰にあるのか
ステファノはこの荒れ野での証しの幕屋の礼拝に触れたのは、この幕屋とエルサレム神殿との関係を明らかにするためでした。つまり、この証しの幕屋の礼拝がどうしてエルサレム神殿の礼拝に変わったのか、そこに本当に神の御心が反映されていたのかと言うことを彼はあえてここで取り上げようしたのです。
ステファノはこの神殿について次のように語り出します。
「ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていました」(46節)。
このダビデの抱いた願いついては旧約聖書のサムエル記下7章に詳しく記されています。ダビデが神のための神殿は建てようとした動機は次のような言葉に表されています。
「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ」(2節)。
この言葉からわかるのはダビデは自分が住んでいる王宮の建物よりも幕屋があまりにも粗末なことを嘆き、この神殿建設の計画を思いついたのです。つまり、この神殿建設のきっかけは神の命令ではなく、ダビデの抱いた個人的な思いであったことがここからわかります。だからこのダビデに神は預言者ナタンを通して次のように語らせているのです。
「あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか」(5〜7節)。
この言葉からもわかるように神殿建設は神の意図するところから始まったものではなかったのです。ダビデは確かに自分を守り導いた神に仕えたいと言う熱心な信仰からこの神殿建設の願いを抱いたのかもしれません。しかし、この後に語られる神の言葉はむしろ神ご自身がダビデとダビデの子孫を守ると言う約束です。ダビデが神のために何かをすると言うのではなく、神がダビデたちのためにこれからも行動し続けると言う言葉だったのです。このように聖書に語られる神の姿は行動的であると言ってもいいように、いつもその民とともにおられる方として描かれています。神殿のような小さな建物に住んで、そこで人々が訪れることをじっと待っておられるような方ではないのです。
神殿建設はこの願いを抱いたダビデではなく、その息子ソロモンに受け継がれ、彼の元で完成を見ました。そのときソロモンはこの神殿建設のいきさつを次のように説明しているところがあります。列王記上8章17節から19節にこう語られています。
「父ダビデは、イスラエルの神、主の御名のために神殿を建てようと心掛けていたが、主は父ダビデにこう仰せになった。『あなたはわたしの名のために家を建てようと心掛けてきた。その心掛けは立派である。しかし、神殿を建てるのはあなたではなく、あなたの腰から出る息子がわたしの名のために神殿を建てる』と」。
先ほどのサムエル記下7章ではダビデの願いを神が「立派である」とほめているところはありません。むしろ、神はダビデの願いに積極的に答えているところはないのです。こう考えると神殿の建設の最初から神と人間の間にはその認識のずれがあったことがよくわかるのです。おそらく、この認識のずれこそがその子孫たちに大きな影響を与えたとも考えることができるのです。
4.神殿に神をとどめることの誤り
ステファノはこの後、神殿礼拝の問題点を預言者イザヤの言葉を引用して批判しています。
「けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。『主は言われる。「天はわたしの王座、/地はわたしの足台。お前たちは、わたしに/どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。これらはすべて、/わたしの手が造ったものではないか」』(48〜50節)。
この言葉はイザヤ書66章に登場します。このイザヤの言葉は外見だけの偽りの信仰を批判し、神が喜ばれるものは何かを教えているのです。
「わたしが顧みるのは/苦しむ人、霊の砕かれた人/わたしの言葉におののく人」(イザヤ書66章2節後半)。
神は私たちに対していつも行動的であり、私たちが形ばかりの外面的な礼拝を献げるのではなく、生き生きとした関係を望まれているのです。イエス・キリストを私たちのために遣わして、私たちを救われた神の姿こそが、まさにこの行動的な神の姿そのものなのです。ところがステファノに敵対する人々はこの神をエルサレム神殿と言う小さな器に閉じ込めてしまおうとしたのです。だから、彼らは神が遣わされたイエス・キリストを結局認めることができませんでした。神はエルサレム神殿を離れては何もできないと勘違いしていたからです。
現代の私たちにはこのエルサレム神殿の問題には直接には関係ない昔の出来事のように聞こえるかもせれません。しかし、ここでステファノの敵対者たちが犯した過ちは、私たち自身も犯しやすい誤りであると言えるかもしれません。
なぜなら、私たちもまた聖書の語られる神の自己証言から離れて、真の神を自分の勝手な解釈の中に閉じ込めてしまうことがあるからです。しかし、結局私たちの考える神は、エルサレム神殿から一歩も外に出られないような神でしかありません。その神には私たちを救う力は全くないのです。しかし、聖書の語る真の神は私たちの苦しみを見過ごしにすることができずに、進んで私たちのために御子をこの地上に遣わし、その命に代えてまで私たちの命を救おうとされる方なのです。私たちの信仰生活がまた、私たちの献げる礼拝が生き生きとした力のあるものとなるために必要なのは、私たちの想像力ではなく、聖書に語られる神の言葉に徹底的に耳を傾けることであることを私たちはここでもう一度覚えたいのです。
|