Message 2012
礼拝説教 桜井良一牧師   本文の転載・リンクをご希望の方は教会迄ご連絡ください。
2012年7月22日  「キリスト者と呼ばれた人々」

聖書箇所:使徒言行録11章19〜30節(新P.236)
19 ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。
20 しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。
21 主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。
22 このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。
23 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。
24 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。
25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、
26 見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。
27 そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。
28 その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると"霊"によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。
29 そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。
30 そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。

1.アンティオキア教会の誕生
(1)キプロス島やキレネ出身の信者によって立てられた教会

 今日は使徒言行録の記事からアンティオキア教会の誕生とその活動について学びます。アンティオキアはシリアの北部にあった町で当時はかなり大きな都市であったとされています。このアンティオキア教会が特に重要になりますのはこの使徒言行録の13章から始まりますパウロの宣教活動の拠点であり、パウロを宣教師として海外に派遣した教会がこのアンティオキア教会であったからです。そのような意味でこのアンティオキア教会はキリスト教会の歴史の中で決して無視することができない存在と言ってよいでしょう。
 使徒言行録の著者はまずこのアンティオキア教会がどのような経緯で誕生することになったかを私たちに教えています。

「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた」(19〜20節)。

 まずこの教会の誕生には私たちがすでに学んだステファノの殉教物語が関係していました(6〜7章)。このステファノの殉教の後にエルサレムにあった教会にユダヤ人からの迫害の手が向けられます。その結果、たくさんの信者がエルサレムを脱出せざる得ない事態となりました(8章1〜4節)。その散らされた人々がこのアンティオキアの町まで至り、そこで福音を伝道したと言うのです。さらに特にこの地域で伝道を行ったのは「キプロス島やキレネ」出身の無名の信徒たちであったとされています。キプロス島はこの後すぐに登場するバルナバもその同じ島の出身者でした(4章36節)。今でもときどきニュースに登場する地中海に浮かぶ島国です。またキレネはエジプトの西にあった地域で、このキレネの出身者で有名なのはイエスが十字架にかけられる際に、その十字架をローマ兵の命令に従って負うことになった「キレネ人シモン」と言う人物です(23章26節)。教会の伝承によれば彼とその家族はこの出来事が縁となり信仰者の仲間に入ったと言われています。この「キプロス島やキレネ」の人々はいずれもユダヤ出身のヘブライ語を話すユダヤ人ではなく、海外からエルサレムに帰って来ていたギリシャ語を話すユダヤ人たちでした。

(2)異邦人のために立てられた最初の教会

 彼らの活動の驚くべき点は今まで信者たちは「ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」のに、ここアンティオキアでは「ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた」という点です。この「ギリシャ語を話す人々」とはギリシャ語を話すユダヤ人ではない他の異邦人たちを指していると考えることができます。彼らのアンティオキアでの伝道が、私たちが10章ですでに学んだカイサリアでの使徒ペトロのコルネリスたちへの伝道の後の出来事なのか、前の出来事なのか、それとも同時期の出来事であったのか詳しくはわかりません。ただ、今日の記事を読むと彼らはこの11章の前半に記されているエルサレム教会の異邦人伝道に対する判断とは直接関係なく、独自の判断で異邦人伝道を開始していたように見えます。
 このアンティオキアの教会を最初に建設した人々の名前はどこにも記されていません。しかし、オリンピックの聖火の炎の元をたどればギリシャのオリンポスの丘に至るように、私たちに継承されてきた信仰の炎は歴史をたどれば使徒パウロの伝道に至ります。そしてさらにそのパウロを送り出したアンティオキアの教会の人々に至るはずです。つまり、彼らの存在がなければ私たちの信仰もなかったということになるのです。アンティオキア教会を建設した無名の信者たちの存在は私たちにとっても大切な存在であったと言えるのです。
 神様は同じように私たちを用いてくださることを覚えたいと思います。やがて私たちの誰もがこの地上の歩みを終えて天に帰るときがやってきます。そして私たちの名前はこの地上の世界からはすぐに忘れ去れてしまうかもしれません。しかし、そのときにもこの地上には私たちの信仰の炎を受け継いだ信仰者が教会生活を続けているのです。私たち一人一人の存在はこの信仰の炎を後の人々に継承するために神に用いられる大切な存在であると言えるのです。

2.バルナバの派遣とその働き
(1)信仰者を励ます

 さてこのアンティオキア教会誕生のニュースはすぐにエルサレムの教会の人々に伝えられます。このような場合、今まではペトロやヨハネといった使徒たちがこの新たに生まれた信仰者の群れを指導するために派遣されていましたが、ここではバルナバが派遣されています。その理由ははっきりと断言することはできませんが、先ほども少し触れましたようにこのアンティオキア教会を作った人々がこのバルナバと同じキプロス島出身の人々であった言うことも考えられます。エルサレム教会は彼らとなるべく気心が通じ合うことが容易なバルナバをアンティオキアへの特使として派遣したのです。しかし、バルナバがこの使命を果たすために適任の人物であったことは出身地の問題だけにとどまることではなかったことが続けて語られる記述から分かります。

「バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた」(23〜24節)。

 「バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである」と言われています。バルナバの私心のない素直な信仰がこのアンティオキアで起こった出来事が神のみ業であると言うことをすぐに悟らせ、彼は「神の恵みが与えられた有様を見て喜び」ます。そして彼は新たに生まれた信仰者に対して「固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた」と言うのです。
 私たちの信仰は「主に従う」と言う私たちの決心と深く結びついていると言えます。もちろんこの私たちの決心を実現してくれるものは私たちの人間的な力ではなく、神の遣わしてくださる聖霊のみ業なのです。しかし、私たちがその聖霊の働きを受け入れるためには私たちの「固い決心」が必要となってくるのです。ですから私たちにはその信仰生活の中で絶えずこの決心が求められてきます。そのとき私たちは主イエスに従うことを選び取る必要があるのです。なぜならイエスは私たちに「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」(ヨハネ15章4節)と約束してくださっているからです。
 私たちが毎週のようにこの教会の礼拝にやってくるのは、ここで新たに今週一週間も主に従う決心をするためです。また、私たちが毎朝、聖書を学び祈りを捧げるのはその日一日を主に従うと言う新たな決心で出発するためです。そして聖霊はこの決心をする私たちに豊かに働きかけて、その決心を現実のものとしてくださるのです。

(2)パウロを同労者としての呼び戻す

 バルナバの私心のない行動はアンティオキア教会のためにサウロの助けを求めたことからも明らかです。かつて教会の迫害者だったサウロはダマスコの町に向かう途中、イエスと出会い、回心を遂げました。その後、バルナバはこのサウロをエルサレム教会のメンバーに取りなす働きをしています(9章26〜27節)。当初エルサレムの教会の人々はこのサウロがかつて自分たちを激しく迫害した人物であることを知っていましたから、彼を容易に受け入れることができませんでした。バルナバはそのサウロがエルサレムの教会のメンバーに受け入れられるために努力を惜しみませんでした。それは彼がサウロの存在を高く評価していたからだと考えることができます。ダマスコでのサウロの回心の際、神はダマスコにすむアナニアを通してサウロが今後どのような働きを教会で担うのかを預言されていました。

「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である」(9章19節)。

 聖書に対する十分な知識を身につけた上で、ギリシャ語に堪能で、ローマの市民権を持つサウロの賜物は異邦人への伝道にとって不可欠です。バルナバはこのアンティオキアの異邦人教会の牧会者としてのサウロがふさわしいと考え、そのためにわざわざタルソスの町に赴き、サウロをアンティオキアに連れ帰ったので。自分の名誉や評判だけを気にする者はそのためだけに働きます。かつての教会の迫害者サウロをアンティオキア教会に招聘することはバルナバにとってはかなりのリスクを伴うものであったかもしれません。しかし、教会のためにまた神のために何が一番大切なのかを考えるバルナバはすぐにサウロを招く決心をし、それを実現したのです。

3.アンティオキア教会の活動

 バルナバとサウロは丸一年の間、アンティオキア教会のために働き、この教会の基礎を固める働きに従事しました。彼らの働きの成果でしょうか。「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」(26節)と使徒言行録の著者は説明しています。今までエルサレム教会はユダヤ人だけを伝道の対象としてきました。またそのメンバーは、ユダヤ人の習慣に従って割礼を受け、神殿への礼拝も欠かさず守ってきました。その限りでは教会の外の人々にエルサレム教会のメンバーは他のユダヤ人の信仰とあまり変わらない、一つの分派であると考えられてきたのです。ところがここで初めて教会は「キリスト者」、あるいは「キリスト党」と呼ばれるようになったのです。それはユダヤ人の宗教とはキリスト教信仰が違うことが世間の人々に認められたと言うことを表していると言えます。
 そして使徒言行録はこのアンティオキア教会の初期の活動を紹介するために次に興味深い出来事を記しています。

「そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると"霊"によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた」(27〜30節)。

 エルサレムからやってきた預言者アガポの預言通りに大飢饉が起こります。ここで表現されている「全世界」とは当時の人々が考える「ローマ帝国」の支配圏を表していると考えることができます。大変広範囲にわたって深刻な飢饉が起こったのです。特にその飢饉の影響はユダヤに住む兄弟たちに深刻な影響を与えていました。そこでアンティオキア教会のメンバーはおそらく自分たちもこの飢饉の影響を受けていたにもかかわらず、「それぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた」と言うのです。この援助は上から勝手に決められ、各自の負担を頭割りして求められたものではありませんでした。アンティオキア教会のメンバーがそれぞれの力に応じて出し合った援助品だったと言うのです。
 昔こんな童話を聞いたことがあります。ある村の村長が村のお祭りに使うブドウ酒を村人から少しずつ集めることを決めました。村人は各自、同じ量のブドウ酒を持ってきて、村の中央に置かれている大樽に入れることになりました。そこで不心得な思いを持った村人が現れます。「あんな大きな大樽に集められたブドウ酒だ。自分一人ぐらいブドウ酒の代わりに水を入れても、そんなに味は変わるまい」。そう考えてこっそりブドウ酒の代わりに水を大樽に入れたのです。ところが村祭りの時がやってきて、村人が楽しみにその大樽からブドウ酒を飲もうとすると、なんと中から出てきたのはブドウ酒ではなく全くの真水だったと言うのです。なんと村人すべての人が「自分だけならわかるまい」とブドウ酒の代わりに水を入れていて、大樽の中身は全くの水になってしまったのです。
 アンティオキア教会の人々が集めてユダヤの兄弟たちに送った品物はこの水に変わってしまったブドウ酒のように味気のないものではありませんでした。彼らは心から思いを持って、犠牲を払いながらも自分にできる限りの贈り物を送ったのです。使徒言行録の著者はこの贈り物がユダヤの兄弟たちを励ますことができたことを知っていて、ここに特別に彼らの活動を記録に残したのかもしれません。
 アンティオキア教会の人々の愛の行動はこのユダヤの人々への援助でとどまるものではありませんでした。彼らはこの後、もっと大切な行動を起こすことになります。それはバルナバとサウロ、つまり後のパウロを世界宣教の活動へと派遣したことです。援助物資も困っている人の生活を当面支えることには役にたちます。しかし、すべての人にとってもっとも大切なのはイエス・キリストが提供してくださる救いを知ることです。だからアンティオキア教会の人々の神に対する熱意は、次に福音宣教の働きへと進んでいったことを使徒言行録の著者は記しているのです。
 バルナバとパウロの働きは教会の歴史の中で決して無視することのできない大きな働きです。しかし、この働きを生み出す母体となったアンティオキア教会の働きは無名の信徒たちの主イエスに従おうとする固い決心によって実現していたことを聖書は私たちに教えています。神は同じように、私たちのなす日ごとのまた、毎週の礼拝における決心を実現させ、私たちの働きをも同じように用いてくださることを覚えたいと思います。

【祈祷】
天の神様。
私たちに信仰を与えるために多くの信仰者たちを立ててくださったあなたのみ業に感謝します。私たちの信仰に受け継がれた信仰の炎をたどれば必ずバルナバやパウロに至り、またアンティオキア教会を作った無名の信徒たちに至るはずです。どうか私たちもまた、彼らと同じ固い決意をもって主イエスにとどまり続けることができるようにしてください。そうすれば私たちのうちに主イエスがとどまり続けてくださり、私たちは信仰の実を豊かに実らせることができます。そしてまた、私たちも信仰の炎を新たな人々に受け継ぐことができるようにしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。