Message 2012
礼拝説教 桜井良一牧師   本文の転載・リンクをご希望の方は教会迄ご連絡ください。
2012年11月18日  「世界中を騒がせてきた人」

聖書箇所:使徒言行録17章1〜9節(新P.247)
1 パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。
2 パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、
3 「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。
4 それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。
5 しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。
6 しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。
7 ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」
8 これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。
9 当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した。

1.パウロとシラスの伝道方法
(1)ローマの支配とパウロの伝道

 使徒言行録からパウロによる第二次伝道旅行の過程を学んでいます。神の指示に従い自分たちの計画を変更してヨーロッパ大陸に入ったパウロたちは、まずフィリピの町で伝道しました。そこでパウロたちの伝道によってリディアやフィリピの牢獄の看守たちが最初のフィリピ教会のメンバーになったと言うことを私たちは学びました。結果的に、パウロとシラスは市の当局者たちの指示によりフィリピの町に留まることができなくなり、別の町に向かいます。

「パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった」(1節)。

 今日の箇所でパウロたちはテサロニケの町に到着し、そこで伝道を開始しています。今日の聖書箇所の最初に使徒言行録はパウロたちがテサロニケの町に至るまでの旅行の行程を紹介しています。パウロたちがなぜこのような行程をたどったかと言えば、ここにローマが作った道路が整備されていたからです。「すへての道はローマに通じる」と言う有名な言葉があります。ローマ帝国は地中海一帯の地域を征服し、その支配の下においていました。ローマは広大な大帝国を治めるために巨大な軍隊を維持し、そしてその軍隊を移動させるために道路網を整備したのです。パウロはこのローマが作った道を利用して伝道旅行を進めて行った訳です。
 実はパウロは道路だけではなく、ローマ帝国の支配をむしろ利用してキリスト教の伝道を進めていたことがわかります。彼にとって最も役に立ったのはローマの作った法律です。ローマの市民権を持つパウロはこのローマの法律を利用し、ローマの役人に自分の保護を求めました。パウロが敵対者たちの迫害に出会ったとき、必ずしも十分ではありませんでしたがローマの役人たちはパウロの生命を保護する役目を果たしたのです。つまりパウロがギリシャ、ローマに至るまで広大な伝道領域で奉仕することができたのは、このローマ帝国の支配が確立されていたからだとも言うことができます。

(2)変わることのない伝道方法

 このテサロニケの町でもパウロはまずユダヤの会堂を訪れ、そこに集る人々に福音を語ることから初めています。

「パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ…」(2節)。

 パウロは三回の安息日に渡ってこのユダヤの会堂で福音を説いたと言われています。おそらく、パウロのテサロニケ滞在は三週間以上のものであったと推測されていますが、その最初の三週間はまずユダヤの会堂での活動から始められたと考えることができます。ユダヤ人の会堂に行けば、聖書の知識を持ったユダヤ人や、ユダヤ人以外の異邦人の求道者たちと会うことができます。ですからパウロはそこで「聖書を引用して論じ合う」と言うことができました。
 使徒言行録を読むとパウロの伝道方法は意外と単純であったことが分かります。私たちは伝道についてどのような方法が有効であるのかを考え、様々な手段を考えます。教会によっては新手の手段を使って伝道して、人々の注目を集めているところもあります。しかし、パウロの伝道はユダヤ人の会堂に出向き、そこで聖書を論じると言うスタイルを変えることはありません。確かに今日の箇所でもそうですが、それによって新しい信仰者が与えられることがありました。しかし、同時にパウロたちはキリストを受入れないユダヤ人たちの反抗に会い、苦しめられる経験を度々しています。ユダヤの会堂に行けば必ず、キリストを受入れないユダヤ人たちの反抗に出会うことがその経験で分かっていながら、パウロはその方法を頑固に変えることがなかったのです。
 皆さんはこの教会の働きに深く関わったアーノルド・クレス宣教師とジョージ・ヤング宣教師をご存じだと思います。私がこの二人の宣教師と協力して感じたことはその働き方の大きな違いです。クレス宣教師はいつも新しいアイデアを持っていて、それをすぐ実行に移そうとします。しかし、効果が現れないと分かればすぐにまた方法を変えます。私は先生に「まだ始めたばかりですから、この方法を続けてみたらどうでしょうか」と助言することがよくありました。一方、ヤング宣教師は伝道に対しての新しい提案には非常に慎重です。ただ、一度始めたことはたとえすぐに効果が現れなくても、忠実に続けるのです。二人の宣教師はそれぞれ違った持ち味を持ってこの東川口教会の働きを助けてくださったことを私は感謝しています。
 しかし、このパウロの伝道方法を学ぶとき、私たちが覚えなければならないのは伝道において、そのときの伝道対象を考え、それに応じて柔軟に変えるべき方法と、またどこにおいても変えてはならない方法があると言うことです。そしてパウロが伝道方法で一貫して変わらないのは聖書を論じることです。どんな方法を使っても、必ず聖書の言葉に人々が耳を傾けることがなければ、伝道は本当の意味で成功することができません。なぜなら、フィリピの町でのリディアの回心でも学んだように、結果的に人を神に導くのは、神の霊である聖霊の働きだからです。聖霊がその人の心を開いてくださらなければ誰もキリストを受入れることができないのです。そしてその聖霊は聖書の言葉が語られる場所で豊かに働かれるのです。ですから、私たちは機会あるごとに、聖書を開き、その内容について考えることが伝道において大切であることを忘れてはならないのです。

2.メシアであるイエス

 それではパウロはその聖書を使って何を論じ、また人々に説き明かしたのでしょうか。

「「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した」(3節)。

 パウロが聖書を元に説明し、論証したことは二つのことです。一つは「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と言う点です。まず、パウロがここで論証に使っているのは私たちが知っている聖書の中でも、キリストの誕生以前に記された旧約聖書です。旧約聖書には様々な事柄が書かれています。しかし、その旧約聖書で最も大切な主題はメシア、つまり救い主についての預言です。パウロはこの旧約聖書を使い救い主がどのような方で、何をされるために、この地上に遣わされたのかについて説明しているのです。
 当時の時代でもそうですし、現代に生きる私たちも自分の救いについていろいろな見解を抱いています。「私を取り巻く世界が、あるいは私自身がこんなふうに変われば私は幸せになれる」。そんな期待を持って、人々はその期待を実現してくれる人を持ち焦がれています。福音書を読むと、イエスが活動された時代に生きたユダヤの人々は、自分たちをローマや他国の支配から解放してくれる「救い主」を待ち望んでいたことがわかります。
 しかし、パウロが聖書から説き明かす救い主は私たちのために「苦しみ」また「復活」された方です。ここには私たちに本当に必要な救いが何であるかが明確に示されています。ます、救い主は私たちのために「苦しむ」必要がありました。それは私たちの犯した罪を担い、私たちに変わって私たちが負うべき呪いと刑罰を代わって負うためです。そして、この救い主は私たちのために「復活」されました。それはご自分の命で勝ち取られた新しい命を私たちに与えるためです。これらの事柄を言葉を換えてもう一度説明すれば、神から離れてその命の源との関係が絶たれた私たち罪人をもう一度、この神の命に結び合わせて、私たちが命を得るために救い主はそのみ業を行われたと言うことです。
 そしてパウロはこの救い主こそ十字架にかけられて死に、三日目に甦られたイエスであると人々に語ったのです。この救い主イエスが私たちと神との関係を修復し、私たち自身を新しく変えてくださる方なのです。

3.二つの反応
(1)福音を受入れたギリシャ人と婦人たち

 このパウロの語った聖書による福音の説き明かしに対してここでも二つの反応が示されます。

「それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った」(4節)。

 先日のフレンドシップアワーでエルサレム神殿にあった異邦人の庭と場所についての話題がありました。エルサレムの神殿は幾重かの壁で区切られていて、一番外側に異邦人の庭というのがありました。つまり異邦人はその場所までしか入れなかったと言うことです。さらに次の壁で区切られた場所に入ると、そこには「婦人の庭」と言うのがありました。つまり、婦人はそれ以上中に入ってはいけないと言うことです。神殿の最深部に入って礼拝を献げ、神と交わることが許されるのはユダヤ人の男子だけで、婦人や異邦人は様々な理由でそこに入ることが許されなかったのです。
 パウロの説教を聞いて福音を受入れたのは「神をあがめる多くのギリシャ人」と「おもだった婦人たち」と語られています。つまり、ユダヤの習慣では神に近づき、神と交わることができないと考えられていた人々です。イエス・キリストの救いのみ業はすべての人々が神との関係を回復し、神との共に生きることができるようにしてくださったのです。ですから、このイエスを信じるなら異邦人であっても、婦人であっても誰でも神と共に生きることが可能なのです。そのような意味で今まで様々な理由でこの救いから遠ざけられて来たと思われていた異邦人や婦人たちがパウロの話を聞いて神を受けいれたと言うことは興味深い事実ですし、ある意味で当然の反応であったと言うことができます。

(2)真の王の支配

 一方、今まで自分たちこそ神に最も愛されていると考えていたユダヤ人たちは、「異邦人であっても婦人であっても神と共に生きることができる」と言うキリストの福音を聞いたとき、自分たちの特権が奪われたかのように思い、「ねたみ」の心を抱いたと言われています(5節)。そして彼らは「ねたみ」の思いを心に抱くだけではなく、実際にパウロとシラスを陥れるために行動を起こします。「広場にたむろしているならず者」を抱き込んで暴動を起こさせたと言うのです。
 ここで突然に「ヤソン」と言う人物の名前が登場します。彼はテサロニケの住民でありながら、パウロから福音を聞いて、信仰に入った人々の中の一人であると考えられます。きっとパウロとシラスは彼の家に滞在していたのでしょう。だからユダヤ人たちはこのヤソンをまず標的に選んだのです。ヤソンたちはならず者たちに捕らえられ、当局者に引き渡されています。ローマの法律に背く犯罪者としてヤソンたちは告発されたのです。もちろんこの告発状にあげられた罪状はユダヤ人やならず者が考えた偽の罪状書きです。

「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」(6〜7節)。

 ユダヤ人たちの情報網によってパウロが他の町で起こした騒動が既に知らされていたのかもしれません。もちろん、それらの騒動もパウロに敵対する人々が起こした出来事だったのですが、ここではその責任がパウロに科せられています。そしてパウロは『イエスという別の王がいる』と教えて、ローマの皇帝の権威を否定しようとしていると訴えたのです。これはイエスが十字架につけられる際に、ピラトによって裁かれたときに問題とされた罪状と同じ主張です。ユダヤ人はイエスが自分を王だと主張し、ローマの皇帝に反旗を翻す反逆者だと訴えたのです。
 日本でも第二次世界大戦の際に多くの牧師やキリスト者が逮捕され、投獄されると言う事件が起こりました。その際に彼らを逮捕した特高警察が問題にしたのは、「イエスを真の王と信じるなら、天皇の権威はどうなるのか。キリスト者は天皇の権威を否定するのか」と言うものでした。また、キリスト教の終末思想は当時の権力者に「千代に八千代に続く」天皇の支配を否定するものだと考えられ、激しく弾圧されたのです。
 もちろん、キリストの権威とその王権はこの世のものではありません。ですから、その権威は決して地上の権力と対立するものではないのです。しかし、すべての地上の権威は、天と地を支配されるキリストの下にあることも確かです。戦前の日本が犯した過ちは天皇の権威を絶対と考え、天皇の名のもとに下される命令は何であっても正しいと主張した点です。つまり、その天皇の名の下に下される命令の善悪を裁く基準が存在しなかったのです。独裁者の支配する国々では独裁者の判断が今でも絶対化され、その判断を裁くものは何もありません。しかし、すべての地上の権威はキリストの権威の名の下にその善悪が判断されなければならないのです。
 キリストの王権が地上の権力と異なる点は他にもあります。それはこの真の王が私たちを支配してくださる方法です。イエス・キリストは私たちに命を与え、また私たちのために仕える謙遜な王として私たちを支配されます。だから、私たちもこの王を愛し、心からこの王に従いたいと思うのです。
 パウロたちの行った伝道は決して簡単なものではありませんでした。伝道をすれば多くの人々がキリスト者になりますが、一方で必ずその活動を妨害する人々が現れ、パウロたちに迫害の手を伸ばします。しかし、それでもパウロが伝道を続けることができたのは、この真の王であるイエス・キリストの愛と謙遜の支配を知っていたからです。パウロたちはその愛に動かされて、伝道の業を続けることができたことを最後に私たちはもう一度覚えたいのです。

【祈祷】
天の父なる神様
私たちのために十字架にかかり、三日目に甦られた私たちの救い主イエス・キリストを心から褒め称えます。主は私たちをその命を持ってあがない、新しい命を与え、神との豊かに交わりに回復させてくださいました。王であるあなたはわたしたちを愛し、私たちに仕えることでその支配を全うしてくださいました。この主の愛を覚え、その主を人々の間で証しすることができるように私たちを導いてください。私たちが聖書を学び、また分かち合うときに聖霊を遣わしてくださり、私たちの心を開いて福音を受入れることができるようにしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。