Message 2012
礼拝説教 桜井良一牧師   本文の転載・リンクをご希望の方は教会迄ご連絡ください。
2012年11月25日  「聖書を調べる」

聖書箇所:使徒言行録17章10〜15節(新P.247)
10 兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出した。二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った。
11 ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。
12 そこで、そのうちの多くの人が信じ、ギリシア人の上流婦人や男たちも少なからず信仰に入った。
13 ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、ベレアでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられていることを知ると、そこへも押しかけて来て、群衆を扇動し騒がせた。
14 それで、兄弟たちは直ちにパウロを送り出して、海岸の地方へ行かせたが、シラスとテモテはベレアに残った。
15 パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行った。そしてできるだけ早く来るようにという、シラスとテモテに対するパウロの指示を受けて帰って行った。

1.素直なユダヤ人
(1)ねたみを抱くテサロニケのユダヤ人

 先日の礼拝ではパウロのテサロニケ伝道についての一部始終を聖書から学びました。ユダヤ人の会堂を伝道の場所として選んだパウロの作戦は当初、成功したかのように思われました。しかしすぐにこのパウロの働きを「ねたむ」ユダヤ人たちが現れ、パウロの伝道を妨害するようになります。彼らユダヤ人たちは自分たちの会堂に出入りして、聖書の教えや、ユダヤ人の信じる信仰に熱心に耳を傾けていたギリシャ人や多くの婦人たちがパウロの話を聞き、彼に従って行く様子を見て「ねたみ」の心を抱いたのです。このユダヤ人たちが抱いた「ねたみ」、つまり「嫉妬」という感情は私たちの生活によく見られるものです。
「ねたみ」という感情には大変おもしろい特徴があります。なぜなら、私たちは自分と全く違った環境や境遇の人たちを見て「ねたみ」の心を抱くのではなく、より身近で自分とそんなに変わらない環境や境遇に生きる人を見て「ねたみ」の心を抱くからです。よくテレビで「億万長者」といわれるような人の生活が紹介されることがあります。あのテレビを見て、確かに私たちはその生活を「うらやましく」思うことはありますが、「ねたみ」の感情を抱くことはまずないと思います。つまり「ねたみ」と言う感情は自分と同じだと思っていた身近な人が、何らかの理由で自分よりも上であるかのような取り扱いをされたときに起こる感情であると言えるのです。
 また、自分がおかれている環境に満足している人はそんなに「ねたみ」という感情を抱くことはないとも言えるのです。むしろ、自分が今おかれている環境に満足できず、欲求不満で生きている人の心は「ねたみ」の心を抱き易いと言えます。もし、テサロニケの人々が自分たちが送っている信仰生活に満足しており、また自分たちの信仰生活に十分な確信があるならば彼らはそんなにも簡単にパウロたちに「ねたみ」の心を起こすことがなかったはずです。つまり、彼らのパウロに対する反応は、そのまま彼らの信仰生活の貧しさ、また不完全さを露見させるものであったとも考えることができるのです。

(2)ペレアのユダヤ人の特徴

 その点において注目すべきなのは私たちが今日の聖書の箇所で出会うことになるペレアという町に住んでいたユダヤ人たちです。使徒言行録の記者わざわざ彼らのことについて紹介するとき、先に登場したテサロニケの町に住んでいるユダヤ人と比べてこう語っています。

「ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直…」(10節)。

 ペレアの町に住むユダヤ人はテサロニケの人々よりも「素直」だったと言うのです。この「素直」という言葉は他の聖書では「良い人」とも訳されています。ギリシャ語のもとの意味から考えると「家柄が良い」とか、「育ちがいい」とも訳せる言葉だと言います。確かに家柄や育ちがよければ十分な教育を子供のときから受けることができるので、人格形成にも大きな影響が出るはずです。
 中国で起こった反日デモで日本車に乗っていた中国人を襲って大けがをさせた中国人青年は貧しい農村の出身者であったと報道されていました。マスコミでは彼が子供のときから十分な教育を受けることができず、テレビで見た反日映画に影響されて育てられたという彼の生い立ちが紹介されています。つまり彼の犯した過ちの背後には現代中国が抱える「貧富の格差」などの大きな問題が隠されていると言うのです。
 テサロニケの人々がどうしてパウロの語る福音を素直に受入れることができなかったのか。そしてパウロたちに「ねたみ」の心を抱かざるを得なかったのか、彼らのおかれていた背景を理解することは今の私たちには困難です。しかし、今日の箇所で登場する素直なペレアのユダヤ人ついて使徒言行録の記者はその素直さについて解説しています。私たちはこの聖書から彼ら「素直さ」、彼らの「育ちのよさ」について少し考えてみたいと思います。

2.熱心に聞く
(1)受けた教育の成果

 今も言いましたように使徒言行録の著者はペレアのユダヤ人について次のように語っています。

「ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」(11節)。

 ここでは素直なペレアのユダヤ人の特徴が二つ取り上げられています。第一に彼らはパウロが語る福音の言葉、つまり聖書の言葉を聞いて、「非常に熱心にみ言葉を受け入れた」という点です。もう一つは彼らがパウロの語った福音の言葉が「そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」という点です。
 さきほどペレアの人々の「素直」さという言葉には「育ちがいい」という意味が含まれているということを学びました。つまり、ペレアの人々の「素直」さは昨日今日、形成されたものではなく、彼らが今まで長い間受け来た教育によって培われていたと言ってもよいのです。つまり彼らが受けた教育の結果、彼らは第一に「非常に熱心にみ言葉を受け入れる」者として育てられていたと言えるのです。

(2)よく聞く者は説得される

 最近、何度か朝日新聞で昔から『行動派右翼』と呼ばれていた思想家鈴木邦夫氏の文章や対談が紹介されていて興味深く読みました。彼は右翼と左翼の違いはどこで人間を線引きするかで違っているだけだと言っていました。左翼は資本家階級と労働者階級と言うように横の線引きで人間を区別しますが、右翼は日本人と外国人と言うように縦の線引きで人を区別すると言うのです。彼は結局、人間をそのように区別する両方の思想に問題があると指摘しています。そんな彼が数日前の朝日新聞で「あなたは右翼から左翼に変わってしまったのではないか」と言う新聞記者の質問に答えて、自分の特徴は「人の話をよく聞くことである」と答え、その点で「自分の弱点は人に説得されやすいところだ」と言っているところがありました。
 ペレアの人々はパウロの語る福音の言葉に耳を傾け、「非常に熱心にみ言葉を受け入れる」ことができたのです。言葉を換えればパウロに彼らは見事に説得されてしまったとも言えるかもしれません。しかし、彼らがパウロの語る福音の言葉を受け入れることができたのは、彼らが人の語る言葉を「よく聞くことができた」からではないでしょうか。ペレアの人々は神の言葉に忠実であろうと心がけていました。だから、パウロの語る言葉に神が示される真実があるならば決して聞き逃してはならないと考え彼の言葉に熱心に耳を傾けたのです。
「人の話に耳を傾ける」、「人の話をよく聞く」ことが大切であることは私たちもよく知っています。しかし、そう言いながらも人の話に耳を傾けることがついおろそかになり、自分の主張ばかりを語ることが多いのが私たちの日常の生活なのかもしれません。いくら語っても相手に正しく自分を理解してもらっているようには思えないので、また同じことを繰り返し話さざるを得ない、その繰り返しで結局私たちは自分のことばかりを語ることになってしまっています。しかし、立場を変えて考えれば、私たちは相手の語る言葉に耳を傾けず、十分に相手を理解としないために、この悪循環が繰り返されているとも言えるのです。

3.毎日、聖書を読んだ

 さて、私たちが人の話に耳を傾けるのが苦手な原因は「人に説得されたくない」、「自分の主張を変えられたくない」と言う思い込みが前提にあるからかもしれません。だから私たちは「うまい話にだまされてはならない」とばかりに身構えて、自分の両耳を閉ざそうとするのです。しかし、ペレアの人々は人の話をよく聞くことができたからといって、決してその話を鵜呑みにした訳ではないと言うことが聖書に記されています。
 素直なペレアのユダヤ人たちはもう一つパウロが教える言葉が「そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」と言う特徴を持っていました。キリスト教会は「文句を言わず、ただ私たちの教えた通りに信じなさい」と信徒に教えるマインドコントロールをする宗教ではありません。教会に集る私たちは自由に聖書を読み、自分でその真理を確かめことが許されているのです。そして教会も牧師が語る言葉だけを聞くのではなく、皆が自分で聖書を読むことが大切であると教えるのです。
 この部分の聖書箇所を解説しているある説教者は自由に聖書を読むことができると言うことは、各自が好き勝手に聖書を解釈することではないと語っています。そうなれば、聖書を読む人それぞれに違った信仰が成立してしまうことになり、キリスト教信仰は成り立たなくなるからです。しかし、その説教者は聖書を正しく読むならば人は必ず、聖書を通して神が教えようとされる真理を知ることができるとも言っています。なぜならば、私たちに聖書を正しく理解させてくれるのは聖霊の力だからです。ですから、私たちが自分の思い込みや、誤った前提を捨てて、正しい方法で聖書を読むならば、神は私たち一人一人に聖霊を遣わしてその真理を私たちに教えてくれると言うのです。ペレアの人々は聖書を読み、聖霊の助けを受けて、聖書の語る真理を確かめることができたのです。パウロが語る福音の言葉が神から出たものであることを確かに理解することができたのです。ですから私たちもまた、正しい方法を持って聖書を熱心に読むならば聖霊が働いて、同じように聖霊の働きで聖書の真理を理解して来た教会の伝統的な教理を正しいものと理解することができるのです。

4.人を通して信仰を受け継ぐ

 先ほどの鈴木邦夫氏の対談で「あなたはどうして右翼になったのか」と言う新聞記者の質問に答えて、彼は右翼の思想に最初から自分が説得されたから、そうなったのではないと言っているところがあります。むしろ、彼は自分の母親や自分を大切に扱ってくれた大人たちがたまたまそういう思想を持っていたから自分もそれを信じるようになったと言うことを言っています。
 人は最初から論理で説得されるわけではありません。作家の井上ひさし氏は自分が教会で洗礼を受けたのは最初から神を信じることができたからではないと語っていることを何かの本で読んだことがあります。彼が信じたのは、ぼろぼろになった修道服を作り直すようにと本国から送られて来たお金で、自分が面倒を見ている施設の子供たちの食べ物を買ってしまって、自分は相変わらずぼろぼろの修道服を着ているフランス人神父たちの姿を見て信じたからだと言っているのです。
 人の話をよく聞き、語られた内容をそのとおりであるかどうかを聖書を毎日読んで確かめたペレアの人々は、自分で自然にそうなっていった訳ではありません。むしろ彼らを育てた人々の影響があったからこそ、彼らはそのようなったと言えるのです。つまり、彼らを育てた両親が、また彼らを教えた教育者たちがまず「人の話をよく聞き」、「聖書を毎日確かめる」人だったからなのです。このようにペレアのユダヤ人の「育ちのよさ」とは家柄や地位の問題ではなく、彼らを育てて生きた人々がどのように正しい信仰を持って生きてきたかにあったと言えるのです。
 教会では若者たちへの信仰の継承がいつも問題になります。若者たちを教会に導くためにどんなプログラムが必要かいろいろと思案していますが、どの教会にも通用するような万能のプラグラムは無いようにも思えます。しかし、私たちがこのペレアのユダヤ人の話から学ぶことが出来る点は、私たちが次世代に信仰を伝えたいと考えるならば、私たち自身の信仰を確かなものとする必要があると言う点ではないでしょうか。私たちがまず人の話に耳を傾けていないなら、若者は私たちの語る話に耳を傾けてくれることはありません。私たちが聖書を熱心に読んでいなければ、若者にいくら聖書を読むことを薦めても、その心を動かすことはできないのです。
 そもそも今の私たちがこのように信仰者になれたのは、私たちの話に耳を傾け、私たちの悩みを理解し、自ら熱心に聖書を読んで、私たちに聖書を読むことが大切であることを教えてくれた信仰の先輩たちの存在があったからではないでしょうか。私たちはここでもう一度、私たちを育ててくれた信仰者たちの姿を思い出し、その先輩たちと同じように信仰を継承することができるように神に祈り求めたいと思うのです。そのようにして私たちもペレアのユダヤ人と同じようにその「素直」さを継承したいと思うのです。

【祈祷】
天の父なる神様
パウロの語る福音の言葉を熱心に受け入れたペレアの人々、その言葉の正しさを理解するため毎日聖書を読んだ彼らの姿から私たちも学ぶことができるようにしてください。私たちもまたペレアの人々が示して「素直さ」を継承し、私たちに示してくれた信仰の仲間たちと同じように、その姿勢を受け継ぎ、伝えることができるようにしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。