Message 2012
礼拝説教 桜井良一牧師   本文の転載・リンクをご希望の方は教会迄ご連絡ください。
2012年12月16日  「恐れるな、語り続けよ」

聖書箇所:使徒言行録18章1〜17節(新P.249)
1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。
2 ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、
3 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。
4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。
5 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。
6 しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」
7 パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。
8 会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。
9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。
10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
11 パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。
12 ガリオンがアカイア州の地方総督であったときのことである。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、
13 「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」と言った。
14 パウロが話し始めようとしたとき、ガリオンはユダヤ人に向かって言った。「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、
15 問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」
16 そして、彼らを法廷から追い出した。
17 すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。しかし、ガリオンはそれに全く心を留めなかった。

1.主の言葉に励まされて
(1)アテネを去るパウロ

 パウロによるアテネ伝道の報告を記した後に、使徒言行録はパウロがこのアテネを去り、アカイア州の都であるコリントの町に赴いたことを記しています(1節)。アテネではユダヤ人の会堂、また町の広場、そしてアレオパゴスの評議所で積極的に福音を語ったパウロでしたが、福音を受け入れて信仰者の仲間に入った者たちはそんなに多くはなかったようです(34節)。アテネの町の人々は知的な探求心の旺盛な人々でしたが、自分の知恵や世の知恵を誇る一方でパウロの語る福音の言葉を愚かな戯言としてしか考えず、信仰に入ることができなかったからです。パウロの伝道旅行は今までユダヤ人やそのほかの福音に対する反対者の策謀により仕方なく町を出て行くことが大半でした。しかし、このアテネの町ではそのような迫害もなかったにもかかわらず、パウロは自ら決断してアテネを去り、コリントの町に向かっています。
 福音に対して敵対する人々の存在はパウロの伝道生活を苦しめましたが、アテネの町の人々の福音に対する無関心がここではパウロがその町を離れる原因となったのです

(2)コリントの町での長期間の滞在

 たくさんの哲学者たちを生み出したアテネの町はこの当時、かつての隆盛を失い「古都」としての威厳を保つ町であったのに対して、今回、パウロが訪れた町コリントはこの当時もっとも栄えた都市の一つでした。地理的にも交通の要所に位置するコリントの町は商業が盛んであり、そのため各地からこの町の繁栄に与りたいと多くの人々が移り住んで来ていました。パウロがこのコリントにあった教会に向けて送ったと考えられる手紙が新約聖書には納められていますが、この手紙を読むとこのコリント教会にはたくさんの問題があったことがわかります。そのいずれの問題もこの大都会コリントの町自身が抱えていた様々な問題がその背景にあると考えられています。
 パウロはこのコリントの町で意外にも約一年半にわたって滞在し福音を宣べ伝えたと使徒言行録の著者は記しています(11節)。パウロがどうしてこのコリントの町にそんなにも長く滞在することになったのか…、その理由もいくつか考えられると思います。しかし、彼のコリントの町での長期間の活動を可能にした直接の原因は、この町でパウロ自身に語られた主の言葉であったと考えることができます。

「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」(9〜10節)。

 私は神学校を卒業してもしばらく任地が与えられず母教会での研修を続けていましたが、あるときミッションの都合で青森の三沢に行くことになりました。三沢には立派な教会堂は建っていましたが、一人の信徒もいないという大変不思議な場所でした。そこで私は三年半の伝道者生活を送りました。そんな生活の中で私はこの使徒言行録に記されているパウロの聞いた主からの言葉を自分が常時持って歩いていたスケッチブックの表紙に書き写しました。これからどうなっていくのか分からないような時にこの言葉がいつも伝道者としての私を励ましてくれたことを思い出します。

2.孤独と欠乏からの救い

 この主からパウロに語られた言葉を読むとき、私たちの目に真っ先に飛び込んでくるのは「恐れるな」と言う言葉です。主はこのときパウロに向かって「恐れるな」と語られました。つまり、この言葉はこのときパウロが激しい恐れにとらわれていたということを前提としていることが分かります。伝道者として厳しい「修羅場」を何度もくぐり抜けてきたパウロの姿を想像するとき、私たちは「恐れ」と言う言葉は彼の生活に縁遠いように誤解してしまうことがあります。しかし、実際のパウロはいつも様々な問題の中で恐れに捕らわれ、また不安に満ちた生活を送っていたようです。そして主は不安と恐れに支配される一人の人間でしかなかったパウロをご自身のための働き人として用いたのです。
 実際のところパウロがこのときどんなことを恐れていたのか。使徒言行録の著者はそれを明らかには記していません。ただ、これまでの物語から考えるときこのときのパウロの抱えていた問題の一つに「孤独」があったことが想像されます。パウロは常に伝道旅行を複数の協力者と共に行って来ました。ところがこの第二次伝道旅行の際、彼が自分の協力者として選んだシラスとテモテはこのときまだマケドニア州に留まっていました(17章15節、本章5節)。それはその地域で新たに生まれた教会の群れを訓練し、信者たちを励ますためだったと考えられます。しかし、パウロはユダヤ人たちからの迫害から逃れるために一人でアテネに留まり、そこで彼らの到着を待っていました(17章16節)。ところがパウロは彼らの到着を待たずして新たにこのコリントの町に一人でやって来ていたのです。このとき伝道者としての苦労を分かち合い、祈り合うべき仲間がいないパウロは孤独を感じていたに違いありません。それだけではありません。パウロが旅を続け、福音伝道をするためには、当然その生活を送るための費用が必要になります。使徒言行録はパウロが金持ちであったとは一言も言っていませんから、彼は生活費の欠乏にも悩んでいたはずです。
 そこで使徒言行録はこのパウロの抱えていた孤独と欠乏の問題がどのように解決したのかを真っ先にここで記しています。

「ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った」(2節)。

 アキラとプリスキラという一組の夫婦がここでパウロの協力者として与えられています。彼らはローマ皇帝クラウディウスが発したユダヤ人追放の命令に従って、イタリアを出てこのコリントにやってきていた者たちで、おそらくローマの町でパウロ以外の他の伝道者たちの導きによりキリスト者になっていたと考えられています。彼らはパウロがいるから彼を助けるためにこのコリントにやってきたと言うよりも、偶然この町に流れ着き、パウロに出会ったと考えることができます。しかも、彼らはパウロと同じ職業、つまりテント作りを生業とする同業者でした。そこでパウロはこの町にあったアキラとプリスキラの住居に共に住み込み、テント作りをして金銭的欠乏を補うことができたのです。
 アキラとプリスキラにとってクラウディウス帝のユダヤ人迫害は決して好ましい出来事ではなかったはずです。彼らはこのために自分たちの慣れ親しんでいた住居を捨て、コリントという異境にまで流れ着いたのです。しかし、その結果、彼らは伝道者パウロの協力者となって主に用いられることになります。後にパウロが記したローマの信徒への手紙を読むと、この二人が再びローマに帰り、そこで主への奉仕を続けていたことが分かります(16章3〜4節)。パウロはこの手紙の中でこの二人を「命がけでわたしの命を守ってくれた」人たちと賞賛しています。
 私たちがこの礼拝の場所にやってきた理由は様々です。しかし、神は私たちを今ここに集め、そのご用のために用いようとしてくださっていることを私たちは覚えたいと思います。

3.敵の攻撃から守られる

 さて、パウロは当初このコリントの町で週日の間、アキラとプリスキラと共にテント作りの仕事をして、安息日にはユダヤ人の集る会堂で福音を語っていたようです(4節)。ところが、この生活はマケドニアからやって来たシラスとテモテの到着によって一変します。パウロはそれ以後、み言葉を語ることに専念することができたのです。その理由はマケドニアの教会から送られた献金がシラスとテモテたちの手を通してパウロに届けられたためだと考えられています。このような助けが加わることによってパウロはますますユダヤ人たちに対して「メシアはイエスである」と力強く証しすることができたのです。
 ところがその変化によって起こったのはユダヤ人たちのパウロに対する迫害です(6節)。そこで仕方なくパウロはユダヤの会堂での活動を止め、会堂の隣にあったティティオ・ユストと言う人の家を借り、そこで伝道を続けました(7節)。パウロのこの伝道の結果、会堂長クリスポの一家をはじめとするコリントの町の多くの人が新たに洗礼を受け、キリスト教徒となります(8節)。しかし、これによってユダヤ人たちのパウロの活動に対する反感はさらに深まったのでしょう。使徒言行録の著者はこのとき、先ほど私たちが読んだパウロに対する主の言葉が幻の中で伝えられたと記しています(9節)。
 主はこのみ言葉をもってパウロを励まし、コリントにさらに留まって福音を語り続けるようにと促しています。そしてその理由は「この町には、わたしの民が大勢いるからだ」と語られるのです。この町には主がご自身の民として選んだ人々が大勢いる。その人々はパウロたちの口を通して福音が語られることを待っていると言うのです。パウロたちが恐れず、福音を語り続けなければ彼らはその福音に出会うことができません。主に選ばれた人々が福音を聞くためにパウロたちの活動はどうしても必要だとこの言葉は言っているのです。
 このときパウロたちの意識の中には彼らの活動を妨害する人々の姿が強く印象づけられていたはずです。しかし、主はパウロにその人々ではなく、主が選んでくださった人々の姿を思い浮かべて、彼らにために働くようにとパウロたちを促しているのです。私たちも目の前の問題だけに心奪われることなく、主が選ばれた民が私たちの活動を通して福音が伝えられることを待っている姿を心に浮かべながら、伝道に励みたいと考えます。

4.主が共にいてくださる

 主はこの言葉の中でパウロに「わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない」と約束してくださっています。使徒言行録はこの主の約束の言葉がどのように実現したかをここで詳しく記しています。それが12節から17節に記されるローマのアカイヤ州の総督であったガリオンとユダヤ人たちの間に起こったやりとりです。ガリオンは有名なストア派の哲学者セネカの兄弟であり、知恵に満ちた指導者であったと伝えられています。
 パウロに対する敵対心に燃えるユダヤ人たちはパウロを捕らえこのガリオンの法廷に連れていきます(12節)。ところがユダヤ人の「パウロは律法に違反する神をあがめるようにと民を先導している」と言う訴えにたいして、ガリオンはこのユダヤ人の訴えはローマ法が定める犯罪や不正にはあたらないと語って、その訴えを退けたのです。このユダヤ人とパウロの間に起こった問題に対するガリオンの不介入の姿勢が、パウロの一年半にわたるコリントの町での自由な伝道活動を保証したと考えることができます。
 使徒言行録の著者はこのようにしてパウロたちのコリントでの長期にわたる伝道活動がアキラとプリスキラ、さらには総督ガリオンなどの存在を通して可能となったことを説明しています。そしてそれらの出来事のすべてが、主がパウロと共にいて、彼を守り続けた証拠であると私たちに教えているのです。
 旧約聖書の士師記に登場するギデオンはイスラエルのリーダーとして神に選ばれ、イスラエルの敵と戦うようにと命じられました。このときイスラエルに攻め上ってきた敵兵の数は十二万人の大軍であったのに対して、ギデオンが集めたイスラエル兵の数は三万二千人でした。しかし、神は意外にもギデオンに「兵隊が多すぎる、もっと減らしなさい」と命じて、最後にはその兵士を三百人だけにしてしまいます。三百人で十二万の大軍と戦って勝利するなど不可能としか思えません。ところが神は「兵を減らしたのは、この戦いを勝利させるのは人間の力ではなく、神のみ業であることを分からせるためだ」と説明されたのです。
 コリントの町のパウロの伝道は当初、孤独と欠乏によって始まったたいへん不安なものでした。しかし、主はそのパウロの孤独と欠乏を不思議なみ業で補ってくださいました。またそれに続くユダヤ人たち敵対者の働きに対しても、主はその御手を持ってパウロたちを守ってくださったのです。
「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
 私たちがこの主の言葉を信じて、伝道活動を続けるとき、私たちの抱える恐れが、主が共にいてくださると言う確信につながっていくことを私たちはこの使徒言行録の物語から知ることができるのです。

【祈祷】
天の父なる神様
人間的な弱さや欠乏の中で恐れと不安を感じたパウロをあなたが励まし、助けを豊かに与えてくださったことを学びました。私たちもあなたに用いられるために今ここに集められています。「この町には、わたしの民が大勢いるからだ」。このあなたの言葉を信じて、私たちが福音を証しし続けることができるようにしてください。様々な困難や問題を通してむしろ、あなたがいつも共にいてくださることを私たちに教えてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。