礼拝説教 桜井良一牧師   本文の転載・リンクをご希望の方は教会迄ご連絡ください。
2012年1月20日   「主イエスの御名をあがめる」

聖書箇所:使徒言行録19編11〜20節(新P.251)
11 神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。
12 彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった。
13 ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たちの中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言う者があった。
14 ユダヤ人の祭司長スケワという者の七人の息子たちがこんなことをしていた。
15 悪霊は彼らに言い返した。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」
16 そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した。
17 このことがエフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになった。
18 信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した。
19 また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨五万枚にもなった。
20 このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。

1.パウロのエフェソでの宣教活動

 エフェソでのパウロの宣教活動から続けて学んでいます。エフェソの町に再びやって来たパウロは前回の訪問では短期間しかこの町に留まらなかったのですが、今回はかなり長期間にわたってこの町に滞在しています。使徒言行録によれば、最初の三ヶ月間、パウロはユダヤ人の会堂で宣教活動に従事しました(8節)。しかし、その聴衆の中で福音を受け入れないばかりか、パウロを非難する人々が現われるとパウロはすぐにティラノと言う人の会堂に移っています(9節)。そこでパウロは二年間に渡って毎日聖書を論じ、キリストの福音を宣べ伝えたのです。この結果、アジア州に住むギリシャ人やユダヤ人がパウロの福音を耳にすることになりました(10節)。
 当時、エフェソの町は交通の要所に位置し商業的にも政治的にもアジア州の中心都市であったと言われています。その上でこの後の物語の後に登場する事件(21〜40節)にも深く関わるのですが、この町にはアルテミスと言う女神を奉った神殿がありました。そしてその神殿を目指して各地から参拝客がこの町に集まっていたのです。つまり、ティラノの会堂に集まった人々はエフェソの住民だけではなく、広くアジア州の各地からこの町にやって来た人たちで、彼らはここでパウロの語る福音を聞き、その福音を受け入れた彼らが元の場所に帰っていくことで、間接的にアジア州全体にわたっての福音伝道が進められたと言うことができるのです。
 パウロはその伝道旅行の中で長期間にわたって一つの町に留まることは珍しいことでした。しかしむしろ、パウロがこの町に留まり、毎日ティラノの会堂でエフェソにやってくる人々に福音を宣べ伝えた結果、パウロ自身が自分で旅をして宣教活動を行うよりも、もっと効果的に広範囲の人々に福音が伝えることができたのです。ですからこのティラノの会堂はパウロによる伝道者養成学校であったとも言えるのです。
 この伝道者養成学校の働きの結果、今日の箇所の最後のところに「このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった」(19節)と語られています。これによってパウロの伝道活動が大いに祝福されたのです。ただ、このパウロの宣教活動が祝福されるためには、パウロのティラノの会堂での伝道者養成学校の働きと共に、もう一つ大切なものが必要であったことが今日の物語で教えられているのです。

2.目覚ましい奇跡に対する誤った反応
(1)パウロの福音宣教と奇跡

 エフェソでのパウロの宣教活動を特徴づける出来事はもう一つありました。「神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた」(11節)と言うのです。ある説教家はこの「目覚ましい奇跡」と言う言葉を「滅多に起こらないような奇跡」と言い直して説明しています。確かにパウロの伝道活動を記した使徒言行録の記事を読むと、パウロの宣教活動には様々な奇跡が起こっていたことが分かります。しかし、パウロの宣教活動には奇跡が絶対に必要であったと言うことではありません。パウロの宣教活動において最も重要なのは十字架の言葉、神の言葉です。むしろ、奇跡はこの神の言葉が語られるところに起こった出来事であると言えるのです。
 この「奇跡」とはパウロを用いて宣教活動をされる神の御業が直接目に見える形で示された行為と言うことができます。つまり、パウロは自分の宣教活動にどうしても必要だからこれらの奇跡を行ったと言うのではないのです。むしろ、神が必要なときにご自身の御業を奇跡と言う形を通して人々に示されたと言うことなのです。それではなぜ、神はこのときパウロを通して滅多に起こることのないような奇跡を示される必要があったのでしょうか。このことについて、更に聖書を読みながら考えて見ましょう。

(2)祈祷師たちのよる御名の悪用

「彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった」(12節)。

 パウロの行った奇跡は驚くべきものでした、通常は病人や、悪霊に取り付かれている人に使徒たちが手を置いて祈ると言うような行為を通して病人の病気が癒されたり、悪霊が追い出されると言う奇跡が起こるというようなことを私たちは連想します。しかし、ここではパウロの身につけていた手ぬぐいや前掛けが病人を癒し、悪霊を追い出したと言うのです。もちろん、先程も言いましたようにパウロの手ぬぐいや前掛けそれ自体が不思議な力を持っていたと言う訳ではありません。むしろ神がこのような品物を用いてご自身の力を表したと言う方がふさわしいでしょう。とにかく、このことによってパウロの評判があっと言う間にエフェソの町中に広まります。こんなときその評判を通してパウロの語っている福音に関心を持って、信仰に入ることが正しい反応と言えますが、むしろこの出来事を通して別の関心を抱いた人々がいたことがここで紹介されています。

「ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たちの中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言う者があった」(13節)。

 ここにいかがわしい祈祷師たちが登場します。いえ、当時の世界ではこの祈祷師たちの存在はむしろ当たり前であり、社会的にもその存在価値が認められていたと言うことができます。人々は何か困ったことがあると真っ先にこの祈祷師たちの元を訪問し、彼らの手を借りようとしたからです。当時、祈祷師たちは、様々な神々の名を知っていて、その中から問題を解決するのにふさわしい神を選んで、その名を呼びながら祈祷を捧げたと言います。
 たとえば、私たちは体の具合が悪くなるとその症状に見合った薬を処方してもらったり、買って来たりします。それと同じように祈祷師たちはたくさんの神々の名前を持っていて、その問題の種類に応じてその神々の名前を使い分けていたのです。そして、彼らはその神々の名前のリストの中に最近、評判の高い「パウロが宣べ伝えているイエスと言う神」を付け加えたと言うのです。

3. スケワの七人の息子たちの失敗
(1)神の力を自分の願望実現の道具とする

 中学生のときに高校受験の会場に神社やお寺でもらって来たたくさんの守り札を持っていったことを思い出します。当時の私はそのままでは高校受験に合格できるか自信がありませんでした。そこでその自分の自信のなさを補うためにたくさんの守り札が必要となったのです。あのときの私は自分の実力のなさをカバーするためにそれらの守り札を通して神や仏の力が働くことを期待したと言えるのです。
 守り札に頼る人も、またこの聖書に登場する祈祷師たちも同じように、神の力を自分の願望を実現するための道具として用いると言うところに共通点があります。ですから、このときのユダヤ人の祈祷師たちも自分たちの願望を実現する便利な力としてイエスの力を利用しようとしたのです。しかし、このような神と人間との関係はパウロの語ったキリストの福音とは全く相容れないものです。だから結局、彼らは自らの過ちによって大きな災いを受けることになったのです。

(2)悪霊からのしっぺ返しに会ったスケワの七人の息子

「ユダヤ人の祭司長スケワという者の七人の息子たちがこんなことをしていた。悪霊は彼らに言い返した。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した」(14〜16節)。

 記録によればユダヤ人の歴史の中でスケワと言う祭司長、つまり「大祭司」はいなかったと言われています。つまり、スケワなる人物は自分の評判を高めるために自らを「大祭司」と名乗っていた人物であったとも考えられています。ですからこのスケワ自身がまず怪しい人物であったとも言えるのです。そんなスケワの七人の息子たちが「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と悪霊にたちに語ると大変なことが起こりました。悪霊たちは「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ」と言ってたと言うのです。その上で悪霊は彼らに悪霊に取り付かれた男を飛びかからせて酷い目に合わせたのです。彼らはここで悪霊たちから大変なしっぺ返しを受けることになったと言うのです。
 神の力を自分の願望実現の道具として用いようとするものは、このような裁きを自ら招くことになるのです。なぜなら、キリストの福音はこのような人々の信仰とは全く違った救いを私たちに提供するからです。キリストの力は私たちの願望が実現するために働くのではなく、罪と死に運命づけられていた私たち自身を変え、神の子とするために働かれるからです。そしてむしろこの神の力は、イエスを主と拝み、その主に従って生きようとする人々の上に豊かに表されるのです。

4.人々に起こった主への恐れと信頼
(1)キリストを信じた人々

 神の力を自分の願望の実現のために用いようとしたり、自分の実力が足りないので、その力を少し借りたいなどと考えるような人の上には決して神の力は働くことがありません。実は今日の出来事の本当の意味は次に起こった人々の反応の上に現われたと考えることができるのです。

「このことがエフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになった」(17節)。

 この出来事を通してまず、ユダヤ人やギリシャ人の間に主イエスに対する正しい恐れが生じます。この正しい恐れは、「怖いから近づかない」と反応ではなく、むしろ、人々の関心をこの奇跡を通して働かれた主に向けるものとなりました。そしてこのことによってまた新たにキリストを信じる者たちが教会に与えられたのです。

(2)信仰者たちに起こった変化

それだけではありません。興味深いのは次に続けて記されている使徒言行録の記述です。

「信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した」(18節)。

 ここに登場するのは未信者ではありません。既に信仰に入っていた人々の上に新たな変化が起こったことがここで語られているのです。主に対する正しい恐れを抱いた信者たちは「自分たちの悪行を告白した」からです。彼らは誰かに自分の犯している悪行を指摘されてここにしぶしぶやってきたのではなく、自ら進んで主の前に自分の過ちを告白したと言うのです。
 その「悪行」、あるいは「過ち」とは何だったのでしょうか。その代表的な悪行がすぐ後に示されています。

また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨五万枚にもなった」(19節)。

 キリストを信じていると言いながらも彼らの多くはなおたくさんの魔術に関する書物を隠し持っていたと言うのです。その価値は銀貨五万枚と言いますから大変な金額です。彼らはキリストを信じていると言いながら、スケワの七人の息子と同じように、キリストの力を自分の願望実現の道具として用いようと考えていたのです。しかも、彼らはキリストの名前が効き目がないような場合の備えとしてわざわざ他の神々の名が記された魔術の書物を隠し持っていたのです。つまり、ここで起こった不思議な出来事は多くの未信者を信仰に導いただけではなく、既にキリストを信じていると告白していた信者たちの心にも働きかけ、その心を変え、真の信仰に導くきっかけになったのです。
 パウロによって進められた福音宣教は未信者に信仰を与えるだけではなく、既に信者となっていた人々を正しい信仰に導くことにも力が注がれていたことがこの出来事で分かります。いえむしろ「主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった」と言う福音宣教拡大の結論に至るためには、むしろまず主を信じていると告白している者たちの信仰が、主に対する正しい恐れと、信頼に変らなければならないことをこの物語は教えているのです。

(3)キリストに対する正し恐れと信頼

 クリスマスの物語に登場する東の方からやって来た占星術の学者たちも、正しくは「魔術師」と呼ばれてよい人々でした。そして彼らが幼子イエスに巡りあって、その幼子に献げた贈り物であった「黄金、乳香、没薬」は彼らが生業とする魔術に用いる道具であったとも考えられているのです。つまり、彼らは幼子イエスに出会うことによって、もはや自分たちの人生に魔術など必要がないと悟り、それらの道具をそこに置いていったとも考えることができるのです。彼らは自分たちの人生を導き、完全な救いへと導いてくださる主イエスと出会うことによって、魔術の助けなど必要がないほどに、自分たちの人生が主によって守られていることを知ったのです。主の力に対する正しい恐れは、その主に対する確かな信頼を私たちに与えるのです。そしてこの確かな信頼を持って、自分も人生を主に委ね、主のために生きようとする者の上に主の力は豊かに働かれるのです。
 このようにパウロのアジア州での伝道が大いに祝福された秘密は、パウロの長期にわたるティラノでの聖書の解き明かしと共に、人々の間に生まれた主に対する正しい恐れと信頼であったことを私たちはこの物語から学ぶことができるのです。

【祈祷】
天の父なる神様。
あなたは私たちの人生を導き、私たちの教会を導いてくださるかたであることを覚え感謝いたします。どうか私たちにあなたへの正しい恐れと信頼の心を与え、あなたの力によって私たちを主に従う者とさせてください。そして私たちがあなたの福音に耳を傾けることと同時に、その福音を多くの人々に伝えることが出来るようにしてください。あなたの言葉は人間の語る空しい言葉とは違い、人を変え、人を救う力があることを確信して、その言葉を語り伝えることができるようにしてください。
主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。