礼拝説教 桜井良一牧師   本文の転載・リンクをご希望の方は教会迄ご連絡ください。
2012年5月12日  もの言えない者を弁護せよ

聖書箇所:箴言31章8節(旧P.857)
1 マサの王レムエルが母から受けた諭しの言葉。
2 ああ、わが子よ/ああ、わが腹の子よ/ああ、わが誓いの子よ。
3 あなたの力を女たちに費やすな。王さえも抹殺する女たちに/あなたの歩みを向けるな。
4 レムエルよ/王たるものにふさわしくない。酒を飲むことは、王たるものにふさわしくない。強い酒を求めることは/君たるものにふさわしくない。
5 飲めば義務を忘れ/貧しい者の訴えを曲げるであろう。
6 強い酒は没落した者に/酒は苦い思いを抱く者に与えよ。
7 飲めば貧乏を忘れ/労苦を思い出すこともない。
8 あなたの口を開いて弁護せよ/ものを言えない人を/犠牲になっている人の訴えを。
9 あなたの口を開いて正しく裁け/貧しく乏しい人の訴えを。

1.箴言とは
(1)聖書各書の分類

 聖書をごらんになられると分かりますが、聖書の中には様々な種類の文書が納められています。新約聖書なら福音書と呼ばれるイエス・キリストの生涯と言動を記録した文書があり、私たちが今、礼拝で学び続けている使徒言行録はイエスの昇天後にキリスト教会がどのように歩んでいったかについての記録が記されています。これらの文書とは違い、新約聖書の大半は「書簡」と言って、特定の人物が教会や信仰者たちに宛てた手紙が収録されています。ただ、ヨハネの黙示録だけはこれらのいずれの分類にも含まれない独特な文書と言ってよいでしょう。
 それでは旧約聖書はどうでしょうか。様々な意見がありますが、創世記や出エジプト記など人類やイスラエルの民の歴史を記した書物は「歴史書」と呼ばれています。また、旧約聖書に多いのは神のメッセージを民に取り次ぐために預言者たちが記したとされる「預言書」と言うものです。このいずれにも属さないのは詩編のような信仰者が書いたとされる信仰の詩などを記した書物です。これらの書物は「文学書」と呼ばれることがあります。私たちが今日の礼拝でテキストに選んでいる箴言はこの分類に入ると言えます。ただ、この箴言は私たちが礼拝でよく読む詩編とはかなりちがった種類の書物とも言えます。ですから、この箴言を含めて、「コヘレトの言葉」や「ヨブ記」などを特に「知恵文学」と詩編とは区別することもあります。

(2)貴重な教訓

 特にこの箴言は専門の聖書の解説者がいなくてもよく分かるような古代人の格言が記されていると言えるものです。たしかに、ここには私たちが聖書以外でもよく耳にするような話がのっていますから、特別な解説なしでもその内容を理解することができるのです。
 たとえば今日の箴言31章の前半は「マサの王レムエルが母から受けた諭しの言葉」と言う表題が付けられています。この「マサの王レムエル」と言う人がどのような人物であったのかは今はよくわかりません。この文章はそのレムエルと言う王が自分の母から教えられた「諭し」の内容が記されていると言う訳です。

「あなたの力を女たちに費やすな。王さえも抹殺する女たちに/あなたの歩みを向けるな」(3節)。
「レムエルよ/王たるものにふさわしくない。酒を飲むことは、王たるものにふさわしくない。強い酒を求めることは/君たるものにふさわしくない」(4節)。

 「女性に気をつけよ」、「酒に気をつけろ」と言う王の母の教えが語られています。私が卒業した改革派神学校では毎年夏に神学生が各地の教会に派遣される夏期伝道と言うものがあります。この夏期伝道に出発する前に神学校の先生たちは神学生に同様なアドバイスを送ります。それはこの問題で失敗してしまった神学生や牧師の仲間の経験をよく知っているからです。そのような意味で箴言の言葉は人間の経験から学ぶことができた貴重な教訓が記されていると言ってもいいのだと思います。

2.信仰者の言葉

 私の父方の亡くなった祖母は私が幼い頃、「人生は坂に車を押すごとし…って言うだろう」と私に教えてくれたことがあります。苦しくてもそこで立ち止まってしまったら、車はせっかく上って来た坂道を下っていって元に戻ってしまうと言う意味で、この言葉を通して「がんばり続けなさい」と私に教えたのです。しかし、必ずしも年長者の助言やアドバイス、あるいは世の様々の格言が私たちの人生を成功に導くわけではありません。聖書に収められている箴言は私たちの生活を成功に導く万能薬では決してないのです。そのような意味でこの箴言は私たちの周りにも沢山あふれている格言の類とどこが違うのかを押さえておく必要があるのです。
 「箴言」には「長老たちの知恵」と言う別名が付けられていると言われています。イスラエルの長老たちは預言者たちによって示された神の言葉を、民に教え、彼らを導く勤めがありました。つまり、彼らは伝えられた神の言葉をどのように自分たちの現実の生活に生かすかを考え、それを民に教えたのです。そのような意味で箴言の背後には預言者を通して民に語られた神のメッセージがあり、そのメッセージに耳を傾け、神を信頼して生きていくための生活の知恵が箴言には記されているのです。

3.声なき声を聴け

 さて、今日の箴言の箇所ではマサの王レムエルの母はその子に「女性に気をつけなさい」、「酒に気をつけなさい」と言うどちらかと言うと王が遠ざかるべき禁止事項がまず語られています。その上でこんどは真の王が積極的に心がけなければならない事項が次のように記されています。

「あなたの口を開いて弁護せよ/ものを言えない人を/犠牲になっている人の訴えを。
あなたの口を開いて正しく裁け/貧しく乏しい人の訴えを」(8〜9節)。

 「ものを言えない人」、「犠牲になっている人」、「貧しく乏しい人」。真の王となるためには彼らを弁護し、彼らのために正しい裁きを行いなさいと勧めます。そのためにあなたの口、あなたの持っている力を使いなさいと王レムエルの母は彼に教えたと言うのです。
 民を導く王は「ものを言えない人」、「犠牲になっている人」、「貧しく乏しい人」の存在を決して忘れてはならないと言う教えです。それではどうしてこれらの教えが王には大切なのでしょうか。確かにこれらの勧めは私たちの上に立つ政治家達にも心がけてほしい事柄です。しかし、箴言の言葉が特別にこのように王に語ることには特別の意味があります。それは神の民を導く王は、神に代わってその民を導くのであって、その政治には神の意志をいつも反映していなければならい義務を負っているからです。つまり、「ものを言えない人」、「犠牲になっている人」、「貧しく乏しい人」にいつも目を向け、関心を持っておられるのは神ご自身なのです。だからその神に仕える王は、同じようにその神の意志を忠実に実行すべき責任を持っていると教えるのです。

4.まことの王なるキリスト
(1)誰が真の王として民を治めるのか

 イスラエルの歴史の中でこの神のご意志を王としての統治を通して実現した人はそんなに多くはなかったようです。有名なところではソロモン王の存在があります。彼は民を正しく裁く知恵を神に願い、その願いが聞き入れられて、神のご意志を反映させる政治を行いました。一人の赤ん坊を巡って、「自分の子供だ」と言い張った二人の女性から、どちらが実の母親であるのかをとっさに判断する知恵を披露したソロモンの話は教会学校でもよく語られる有名なお話です(列王記上3章16〜27節)。しかし、このソロモンも晩年にはこのレムエルの母の最初の諭しに登場する「女性問題」で躓いてしまいました(列王記上11章)。
 誰が神のご意志をその民に示すことができる真の王なのでしょうか。私たちはその真の王こそが私たちの主イエス・キリストであると信じているのです。なぜならば、私たちの主イエスこそ「ものを言えない人」、「犠牲になっている人」、「貧しく乏しい人」に心を向け、その人々に助けの御手をさしのべることができた方だからです。まさに主イエスこそ、「物言えない者を弁護する」ことの出来る方なのです。なぜなら彼は「物言えない者」の心の叫びを本当に理解して、助けることができる力を持っておられる唯一の方だからです。

(2)声なき声を聞き分けて、助けを与える

 むかし、イエスがその弟子達と伝道活動をされていたとき、ゲラサと言うとこで悪霊にとりつかれて暴れ狂い、手の施しようもなく墓場で暮らしていた一人の男性に出会いました(マルコ5章1〜20節、マタイ8章28〜34節、ルカ8章26〜39節)。「彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた」(マルコ5章5節)と言われるように、この世にいながら地獄のような生活を送っていたのです。ところがこの男がイエスに会ったときに彼が語った言葉は意外なものでした。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい」(同7節)。これほどの苦しみの中にある男はイエスに「助けてほしい」と叫ぶのではなく、「かまわないでくれ」と語ったと言うのです。どうして彼がそう叫んだのかと言えば、彼の心身はすべにたくさんの悪霊たちに支配されていたからです(9節)。つまり、彼の口を通して発せられた言葉は彼自身の言葉ではなく、彼の心身を支配する悪霊たちの言葉だったのです。
 しかし、イエスはこのあとすぐに「汚れた霊、この人から出て行け」とこの男に向けて言われています。それはイエスがこの男の発する言葉とは違って、彼の心の叫びを聞き分けることができたからです。そしてイエスはこの男の心の叫びに確かに答えて、悪霊を追い出し、彼をその悪霊から解放し、その人生を彼自身のために取り戻してくださったのです。

(3)私たちの心の叫びを聞き分けられる方

 私たちの主イエスは私たちの真の王として今も生きておられます。そして私たちの心の叫びに耳を傾け、ただしく裁き、私たちを救うことが出来る方なのです。この地上の生活の中で混乱する私たちは自分で、自分の人生に何が必要であるかを分からなくなっています。本当は助けが必要なのに、正直に助けを求めることができなくなっているのです。しかし、そんな私たちを主イエスは必ず助けてくださるのです。このような主イエスが私たちの王として、私たちの信仰生活を今日も導いてくださることに感謝したいと思います。

【祈祷】
天の父なる神様。
 私たちのような貧しく小さな存在を大切し、その御子イエス・キリストをこの地上に遣わしてくださったみ業に心から感謝いたします。地上の毎日の生活の中で混乱し、迷っている私たちは自分に何が必要であり、またあなたに助けを求めるべきなのにそれさえできないような存在です。しかし、私たちの主イエスはその私たちの心の叫びを聞き分けて、私たちに最もふさわしい助けを与え、私たちの人生を導いてくださる方です。私たちの真の王である主イエスに信頼して今日も歩んで行くことができるようにしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。