礼拝説教 桜井良一牧師   本文の転載・リンクをご希望の方は教会迄ご連絡ください。
2012年5月12日  皇帝に上訴するパウロ

聖書箇所:使徒言行録25章1〜27節(新P.263)一部抜粋
1 フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った。
2 -3祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。
4 ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、5 「だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか」と言った。
6 フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すように命令した。
7 パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった。
8 パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」と弁明した。
9 しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。」
10 パウロは言った。「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。
11 もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。」
12 そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」と答えた。

1.私たちを救う神のみ業
(1)三位一体のみ業による救い

 教会の暦では聖霊降臨主日の次の日曜日には「三位一体の主日」と言う名前が付けられています。主イエスの復活、そして約束された聖霊が地上に生きる信仰者達の群れに送られたことを通して神の救いのみ業が豊かにこの地上に示されたことを記念するのがこの祝日です。
 「三位一体」と言う言葉を私たちはいろいろなところで耳にしますが、この言葉は、元々はキリスト教会の教えを説く重要な教理用語の一つでした。父、子、聖霊なる神がお一人の神であると言う教会の信仰表明を表すのがこの「三位一体」と言う言葉です。教会はこれを「神秘」、つまり人間には隠されている神の真実と考え信じ、受け入れて来ました。ですからこの神秘を十分に説明できる言葉を私たち人間は持ち合わせていません。ですから、私たちも信仰の先輩達と同じようにこの真理を信仰を持って受け入れるのです。
 この三位一体について聖書を通して私たちに知らされていることは、父なる神のみ旨によって、私たち人間を救うために御子イエス・キリストが地上に遣わされたこと。その御子イエス・キリストは十字架と復活のみ業を通して救いのみ業を完全に実現してくだと言うことです。さらに、このイエスが天から送ってくださるのが聖霊なる神です。この聖霊は私たち一人一人に働き、信仰を与え、イエスが実現してくださった救いのみ業をそれぞれの信仰者の人生に具体的に実現してくださるのです。つまり、私たちの救いはこの三位一体の神のみ業によるものだと言えるのです。だから、教会はこの三位一体の教理を大切にしてきました。なぜならば、この三位一体の神のみ業によって私たちは今、完全なる救いにあずかることができると確信できるからです。

(2)ローマに福音が伝えられるために

 私たちはニュースでよくローマのバチカンにある教皇の話を耳にします。年老いた前の教皇が引退して、新しい教皇が任命されたことを皆さんも最近のニュースとして覚えておられると思います。私たちはこのイタリアのローマに本拠地を置く、カトリック教会から今から500年ほど前に袂を分かったプロテスタントの教会に属する者たちです。ですからあまりこれらのカトリック教会のニュースと私たちは直接には関係を持っていません。ただ、カトリック教会の中心がこのローマに置かれるようになった理由は、私たちの今、学んでいる使徒言行録の記事と深い関わりがあると考えてもよいのです。
 キリスト教会は元々ヨーロッパから生まれたものではなく、アジアの西にあるパレスチナ、現在のイスラエルの地で生まれた宗教です。そのキリスト教会がヨーロッパをはじめとして世界へ広がるきっかけとなったのは、この福音が使徒達によって当時のローマ帝国の都であったローマにまで伝えたれたことが大きな原因となったと言えるのです。
 私たちが今、学んでいる使徒言行録のパウロの物語は23章11節に登場するイエスの言葉、「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言う約束がどのように実現していったかを私たちに伝えています。つまり、私たちにイエスのなしてくださった救いを具体的に実現させるために働く聖霊は使徒パウロを用いて、福音をローマに伝え、さらには世界の人々に福音を伝えるようにされたのです。私たちは今日の聖書箇所を通して、さらにパウロのローマ行きがどのようにして実現していったのかを続けて学びたいと思います。

2.エルサレム行きを拒否するパウロ
(1)フェストゥスの赴任と最高法院の対応

 前回、カイサリアに護送されたパウロを総督フェリクスがどのように取り扱ったかについて学びました。結局、彼はパウロの裁きを決着を遅らせ、二年間、パウロを未決の囚人としてカイサリアにあった牢に監禁しています(27節)。やがてフェリクスは別の問題でユダヤ人たちの不満を買い、彼らがその不満をローマ皇帝に上訴したために、総督としての役目を解任されてしまいます。今日のお話は、このフェリクスの解任後に新しく総督として赴任したフェストゥスのエルサレム訪問の出来事から始まっています。
 前任者フェリクスは後の歴史家からも酷評されているように、総督としてはあまり評判のよくない人物でした。そのフェリクスとは対照的に後任者フェストゥスはかなりまじめな役人であったことが今日の記事からも分かります。まず、彼は総督としてその役所があったカイサリアに着任すると、わざわざすぐにエルサレムに赴き、ユダヤ人の指導者たちと面談しています。ユダヤ人たちを治めるために彼らと意見を交換することがまず大切だと考えたからでしょう。
 その席で、ユダヤ人の指導者である祭司長やほかのおもだった人々はフェストゥスに早速、パウロのことを訴え出ています。二年もたっていても、彼らはパウロの存在を忘れてはいませんでした。むしろ今度こそパウロを亡き者にしようと陰謀を企み、それを実行できるときを待っていたと言うのです。
 彼らはパウロをエルサレムに送り返すようにとフェストゥスに頼みました。そしてフェストゥスの反応は彼自身の役人としてのまじめさを表しています。パウロはローマ法で裁かれるためにカイサリアに監禁されているのだから、彼を訴えたいなら自分と共にカイサリアに行って、彼を訴えればよいとユダヤ人たちに言い返したのです(4〜5節)。

(2)フェストゥスの意図とパウロの反応

 この言葉に従ってエルサレムからユダヤ人の代表者たちがカイサリアにやって来ます。フェストゥスはカイサリアに返った翌日に、早速パウロの裁判を始めます。これもまた前任者のフェリクスとは違って、機敏な反応を示すものです。ユダヤ人たちの訴えは以前にテルティロが前任者のフェリクスに訴えた内容と同じだったようです。彼らは前回と同じように、自分たちの訴えを裏付ける証拠を示すことがここでもできません。彼らにとってはローマの裁きは意味がなく、むしろ、パウロ暗殺の機会を作ることが大切であったからです。ですから、彼らの法廷準備はあまりにもおろそかなものだったのです。
 新総督フェストゥスはパウロの弁明を聞いた後、次のような提案を彼に語ります。

「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか」(9節)。

 フェストゥスがこのような提案を語った理由は、彼がパウロが訴えられているのはローマ法が裁くべき罪の問題ではなく、ユダヤ人の宗教を巡ってであると言うことを理解していたからです(18〜19節)。いったいパウロの信じる宗教の何が問題なのか、それを知るためにはエルサレムに行く必要がると考えたのです(20節)。また、フェストゥスはもう一方で、自分がユダヤ人たちを上手に治めていくためにパウロをユダヤ人立ちとの間の駆け引きの道具として用いることができると考えたのです(9節)。現代でも北朝鮮の指導者が日本人拉致被害者の問題を政治的な駆け引きの道具として用い、日本政府から何らかの譲歩を求めているのと同じようにフェストゥスはパウロを用いて、ユダヤ人との関係を自分に有利に導こうとしたのです。
 もちろんパウロはエルサレムに戻ることで正しい決着が付くとは考えてはいませんし、むしろ、自分に対する暗殺計画があることを知っていました。ですから彼はこのフェストゥスの提案をきっぱりと拒否して、ローマ皇帝への上訴を願い出るのです。ローマの市民権を持つパウロにはその権利がありました。そこでフェストゥスはこの申し出を受け、協議の結果、彼をローマの皇帝のもとに出頭させることを決定するのです。このような出来事の結果、イエスがパウロに語られた言葉である「ローマでも証ししなければならない」と言う約束がさらに現実のものとなっていくのです。

3.罪状書きが書けない
(1)皇帝に罪状書きを書く必要がある

 さて使徒言行録はこの後、ヘロデ・アグリッパ王とその妹であるベルニカと言う人物を登場させています。このヘロデ・アグリッパは前回、少しお話ししたヨハネの兄弟ヤコブを殺害し、ペトロを牢に捕らえて教会を弾圧したヘロデ・アグリッパ1世の息子です。ですから前任総督フェリクスの妻として24章に登場したドルシラ(24節)の彼は兄と言うことになります。彼はローマの宮廷育ちで、このときのローマ皇帝であったネロとも親しい友人であったと言われています。また、ここに登場するベルニカは彼の妹ですから、ドルシラとも姉妹であったことになります。
 アグリッパとベルニカは新任総督フェストゥスに敬意を表すためにやってきます。フェストゥスも皇帝ネロの親しい友人であるアグリッパを丁重にもてなしています。この後の記事はこのアグリッパとフェストゥスの間で交わされた会話の内容になるわけですが、この会話を使徒言行録の記者ルカがどうして知り得たのかが疑問となっています。おそらく、この記事は次の26章に記されているアグリッパやフェストゥスの前でなされたパウロの弁明がどうして行われるようになったのかを読者に説明する役目を果たしているものと言えます。
 フェストゥスがアグリッパの手を借りたかったのは、パウロを皇帝に上訴させるためには、それにふさわしい罪状書きを皇帝の元に書き送らなければならなかったからです。しかし、フェストゥスが判断するところでは、先ほども申したようにパウロの問題はユダヤ人の宗教に関することであり、この件に関しては自分には知識がありません。そこでユダヤの宗教や神殿の事情に詳しいアグリッパ王の助けが必要となったのです。もちろん、アグリッパ王はローマの法律に関しても十分な知識を持っていますし、先ほどもふれましたようにローマ皇帝とも親しい間柄です。フェストゥスはローマ皇帝の仲立ちをアグリッパに頼みたかったのかもしれません。また、アグリッパもかねてからパウロやキリスト教について関心を持っていたようで、パウロに会いたいと答えています(22節)。

(2)イエスの復活など理解できない

 さて、このような意味でこの25章の内容は私たち読者の関心を26章に展開されるパウロの弁明とヘロデ・アグリッパとのやりとりに向けさせるための役目を果たしているように思えます。ですから、この25章の記事をあまりくどくと説明する必要はないのかもしれません。ただ、最後にフェストゥスがパウロの裁きのことで悩んだ問題の中に「イエスの復活」があったと言うことがこの25章の19節に記されていることについて少し考えて見ましょう。

「告発者たちは立ち上がりましたが、彼について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした。パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです」(18〜19節)。

 今までのパウロの弁明では自分が裁かれている理由は「死者の復活」についての信仰によるものだと語ってきました(23章6節、24章15節)。しかし、パウロはここではイエス・キリストの復活を主張しているとフェストゥスは語ります。「死者の復活」はファリサイ派をはじめとするユダヤ人たちも信じていました。しかし、その信仰がパウロにとって確かな希望となり得たのは、彼がイエスの復活を知っていたからです。そして彼はその復活されたイエスに実際に出会って変えられた者だったのです。ですからパウロの信仰の中心はこの復活したキリストにあったと言っても過言ではありません。しかし、フェストゥスにとってはこれこそ信じられない、不可思議な話だとしか考えられなかったのです。それはそのはずです。イエスの復活の事実は人間の経験では考えることのできない神の神秘に属するからです。そして、その神秘を私たちに理解させるのが聖霊の働きであると言えるのです。私たちが今、イエス・キリストへの信仰を持ち、このイエスの復活を受け入れ、私たちの自身の復活の希望を抱くことができるのは、確かに私たちの内に聖霊が働いてくださっている証拠なのです。三位一体の主日に私たちはこの神の神秘が私たちの信仰を導いてくださっていることをもう一度覚えたいと思います。

【祈祷】
天の父なる神様
 人間の言葉では表現すうことが不可能なあなたの神秘、「三位一体」のあなたのみ業によって今日、私たちも確かな救いのみ業の中に生かされていることを覚え心から感謝いたします。人間の知恵と力に頼るものはあなたについての正し知識を知りうることは不可能です。私たちに聖書に示された真理を理解できるようにしてくださる聖霊のみ業に心から感謝します。この聖霊の働きによってキリストを証しする生涯を送ったパウロのように、私たちの人生をも用いて、私たちが福音を証しすることができるようにしてください。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。