礼拝説教 桜井良一牧師   本文の転載・リンクをご希望の方は教会迄ご連絡ください。
2013年8月4日  「パウロとイエス・キリスト」

聖書箇所:使徒言行録28章30〜31節(新P.271)
30 パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、
31 全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。

1.パウロの自宅軟禁生活と裁判の行方
(1)パウロはどうなったのか

 私たちが学んできた使徒言行録も今日の箇所で終わりを迎えます。前回も触れましたようにこの使徒言行録の終わり方には多くの人が疑問を抱きます。この最後の箇所ではローマでの二年間のパウロの生活が簡単に記されています。しかし、その二年間の後、パウロはどうなったのかと言う説明が一切なされないまま、文章は終わってしまいます。皆さんは、この文章を読んでパウロのこの後の生涯についてどのような想像をされるでしょうか。案外、多くの人はパウロの二年間のローマでの生活の後、パウロは死んでしまったと考えるかもしれません。しかし、教会に残された古い資料の中にはパウロはこの後、自由の身になりスペインにまで伝道したと言うものもあります。そして、前回も触れましたようにパウロの死はローマの皇帝ネロが起こしたキリスト教迫害が原因であると言う説が有力だとされているのです。

(2)「二年間」の意味

 ここで聖書はパウロのローマでの生活を「二年間」と紹介しています。実はこの二年間と言う期間は、パウロがこのローマにやって来た理由であった皇帝の前での裁判に関係してくると考えられています。ご存知のように裁判は被告人の罪を訴える人、つまり告訴人がいて始めて成立します。「この人物は、法律を破るこのような行為を行ったので、裁いてほしい」と裁判所に訴え出る人が必要なのです。パウロの裁判の場合、この告訴人はエルサレムにあった最高法院、当時のユダヤ人の宗教的指導者たちでした。ところが彼らが登場するのはカイサリアでのローマ総督のパウロに対する裁判の場面までで、この後パウロがローマの皇帝に上訴してしまうと、彼らの姿は登場しません。そして前回に読んだ箇所のローマのユダヤ人たちの発言から考えると、このエルサレムのユダヤ人はパウロの裁判に関して何の指示もローマに送っていません。どうやら、彼らはもはやパウロとローマの裁判で争うという意志を持っていなかったようです。そこで、当時の法律に従えば18ヶ月間、告訴人が裁判所に出頭しない場合には、その裁判は無効になるという決まりがあったのです。おそらくパウロの二年はこの裁判についての決着を待つ時間であったと考えることができます。18ヶ月プラス6ヶ月で丸二年ですから、いろいろな手続きを経て、パウロはこの二年後に晴れて裁判から解放されて自由の身となったと考えることができます。

(3)軟禁生活の中でのパウロの活動

 そして聖書はこのパウロが裁判の決着を待つ二年間も、自分に与えられた使命である福音伝道の勤めを忠実に行っていたと報告しています。この間、彼は自分の家をローマに借りてそこを訪れる人々に福音を伝えたようです。パウロは裁判を待つ未決囚でしたから、自由に外出することができませんでした。しかし自分の家を訪れる人とは自由に面会できたようです。その機会を使って彼は福音を人々に伝えたのです。パウロのこのローマでの自宅軟禁の生活の中でエフェソの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、ピレモンへの手紙などいわゆる「獄中書簡」と呼ばれる文書は書き上げたと考えられています。この中のフィリピの信徒への手紙では彼の家を警備していたローマの親衛隊の中にも福音が伝えられていたと言う記録が残されています(1章12節以下)。ここで「訪問する者はだれかれとなく」と記されていますが、パウロは来客だけではなく、命令でこの家を警備していたローマ兵とも親しくなって彼らに福音を伝えていたのでしょう。

2.神の国と福音
(1)神の国を宣べ伝えた

 さて、前回のパウロとローマに住むユダヤ人たちとの会話の中で、パウロは福音に応答する姿勢を示さないユダヤ人に対して「救いは異邦人に向けられた」と宣言したことを学びました(28節)。ローマでの二年間のパウロの生活の中で、どんな人が彼の家を訪ねたのかははっきりとはここに書かれていません。しかし、先に語られたパウロの言葉から考えると、彼の家を訪れたのはユダヤ人だけではなく、むしろたくさんの異邦人がやってきていたと考えることが自然かもしれません。
 パウロはその人々に「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」(31節)のです。この言葉は神の国とイエス・キリストの二つのことをパウロが伝えたと言っているのではなく、むしろ「神の国、すなわち主イエス・キリストについて教え続けた」と読むほうが適切であると思います。つまり、イエス・キリストの救いの出来事はこの「神の国」と言うテーマと深く結びついていると考えることができるのです。
 ある説教者はこの「神の国」と言うテーマはユダヤ人にとっては身近でわかりやすい言葉だったが、異邦人にはそうではなかったのではないかと言っています。確かに、私たちに日本人も「神の国」と言うテーマを普段考えるような習慣を持っていません。それではいったなぜ私たちにとって福音の中心テーマである神の国は大切なのでしょうか。
 ご存知かもしれませんが福音書の中でマタイによる福音書だけは「神の国」と言う言葉を使わず「天の国」と言う言葉を代わりに使っています。なぜならば、ユダヤ人の読者を対象として書かれたマタイによる福音書はユダヤ人が「神の御名をみだりに唱えてはならない」と言う戒めに忠実に従って、普段「神」と言う言葉を使うことを避けたことを知っていました。だからマタイはこのユダヤ人たちを配慮して「神」を「天」と言う言葉で呼び変えたからです。ですから聖書において「天」とは地球上空に広がるところにある空間を意味する言葉ではありません。聖書は神がおられるところを「天」と呼んでいるのです。ですから皆さんも「天国とはどこにあるのですか」と質問されたら、「神様がおられるところはどこでも天国と言えるのです」と答えてくださればよいと思います。

(2)罪からの解放と聖霊の支配

 イエスが活動された時代のユダヤ人はこの神の国が訪れることを長い間、待ち望んでいました。彼らは異邦人たちによって奪われた自分たちの国を回復させるために、神がこの歴史に直接介入されて、イスラエルの国を回復させてくださると考えていたのです。そしてそのことを神の国が実現することだと考えていたのです。この神の国を実現するために救い主が自分たちのところに遣わされると彼らは信じていたのです。つまり、彼らにとって神の国は地上の諸々の支配者たちが滅びるときに自分たちの上に実現すると考えたのです。
 ところが、実際に神の国を実現するためにやって来て下さったイエス・キリストは地上の支配者たちに反旗を翻すような活動を一切されることはありませんでした。だから、期待を裏切られたと感じたユダヤ人たちはこのイエスを十字架にかけ殺してしまったのです。ところが、聖書は神の国はこのイエス・キリストによって私たちの上に実現したと教えているのです。それはどうしてでしょうか。
 「神の国」とは言葉を換えれば「神の支配」と言えるものです。この神の支配が私たちの上に実現するためにそれを邪魔している者をユダヤ人は異邦人の支配者たちだと考えたのですが、実際にはそうではありませんでした。神の支配を邪魔しているのは私たち一人一人の中に深く根を下ろしていた罪の支配、悪の支配だったのです。ですから、イエスは私たちがこの罪と悪の支配から解放されるために、救いのみ業を実現してくださったのです。そのために十字架にかかり、私たちの罪を贖い取ってくださったのです。
 そして、この罪と悪の支配から解放された私たちにイエス・キリストは聖霊を送り、私たちの一人一人の上に神の支配、つまり「神の国」を実現してくださったのです。イエスによって天から私たちの元に送られる聖霊は神ご自身です。神が住むところはすなわちそこが「天国」です。つまり、私たちの人生はこの聖霊によってすでに天国とされていると言ってよいのです。
 教会学校の小さい子供たちに「天国は死んだ人が行くところでしょう」と質問されたら皆さんは何と答えるでしょうか。イエス・キリストによって罪の支配から解放され、聖霊をいただいている私たちはすでにこの天国に住んでいるのです。そしてパウロが人々に語った福音の内容はこの神の国についてでした。つまりイエス・キリストにみ業によって私たちは神の国、天の国の住人と既にされているのです。

3.神のみ業である伝道

 私たちは使徒言行録の学びを通して、この聖霊の働きがどのように世界に広まって行ったのかを追跡し、学ぶことができました。弟子達を地上に置いて天に昇っていったイエスは弟子達に「エルサレムを離れるな」と命じ、彼らの上に「聖霊」が訪れることを約束されました(4〜5節)。そしてその聖霊がイエスを信じる弟子達の上にペンテコステの日に降り、キリスト教会の歩みが始まります(2章)。ですからこのキリスト教会の歩みは、イエスが天から送ってくださる聖霊の歩みでもあったのです。
 ユダヤ人たちは神の国は自分たち以外には関係しないと考えていました。ですから異邦人たちが福音を信じて、聖霊を受けたと言う出来事を聞いたときに、教会の指導者たちは驚いたのです。エルサレムの使徒会議(15章)は聖霊が異邦人たちの上にも下ったことを確認し、神の国の支配がユダヤだけではなく、全世界に実現しようとしていることを明らかにしたのです。
 私たちはパウロの伝道の歩みを使徒言行録の後半から学び続けました。不思議なことに「異邦人のための使徒」として選ばれたはずだったパウロもおとずれた町々で最初に福音を伝えようとしたのはユダヤ人でした。しかし、彼の伝道の結果、かえって異邦人たちが回心し、イエスを信じ、聖霊を受けて、神の国の住人とされていったのです。
 この使徒言行録は28章で最後を迎えます。しかし、聖霊の働きはここで終わってはいません。むしろ聖霊はこの後の教会の歴史でも多くの信仰者たちの働きを通して福音が伝えられることによって全世界に広がっていきました。そして、聖霊の働きが世界に広がっていくのと同時に、神の国の支配も世界に広がっていったのです。
 福音を受け入れた私たちの一人一人にもこの聖霊の働きがあり、その聖霊は私たちの信仰生活を導いてくださっています。そして、神の国はこの聖霊の導きに従う私たちの信仰生活に既に実現しているのです。
 キリストの救いを通して、私たちを罪から解放し、聖霊の導きによって私たちを神の国に生きる者としてくださった神に感謝したいと思います。

天の父なる神様
私たちに使徒言行録の学びを通して教会を通して働く聖霊のみ業を教えて下さったことを感謝します。救い主イエスの救いのみ業の故に、私たちは罪の支配から解放され、私たちが聖霊の導きによって神の国の支配の中に生きるにしてくださったことを感謝します。時代も場所も違う私たちの教会にも同じ聖霊をイエスは送ってくださり、豊かなみ業を表してくださることを感謝します。私たちがこの聖霊の働きに従い、神の国の住民としてあなたに仕える続けることができるようにしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン