礼拝説教 桜井良一牧師   本文の転載・リンクをご希望の方は教会迄ご連絡ください。
2013年9月29日  「信仰によって励まし合う」

聖書箇所:ローマの信徒への手紙1章8〜12節
8 まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
9 わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、
10 何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。
11 あなたがたにぜひ会いたいのは、"霊"の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。
12 あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。

1.パウロの感謝
(1)神自らが証明していくださる

 今週も使徒パウロの記したローマの信徒への手紙から学びます。既に私たちが学んだ使徒言行録の最後の部分では囚人としてローマの都に護送されたパウロが、その町に滞在し、ローマの町に住む信徒たちとも交わりを持ったことが記されています(使徒28章30節)。ところが、パウロがこのローマの信徒への手紙を記したのは、この使徒言行録の記事が起こるずっと前のことで、パウロとローマの信徒たちとの間にはまだ何の面識もなかったと考えられています。つまり、パウロはこのとき、同じキリストへの信仰を持っていると共通点はありますが、それでもほとんどパウロは何も知らない人たちに手紙を書いたと言うことになります。
 皆さんは、まだ一度も会ったことのない人に手紙を書くことがあるでしょうか。面識もあり、よく知っている人ならともかく、まだ会ったこともなく、どういう人かも分からない人に手紙を書くと言うのは難しいはずです。まずその相手にこちらの用件を伝わるためにも、またその用件を理解しもらって、快くその用件を引き引き受けてもらうためにも、その手紙の最初でまず相手の心を開き、相手の関心を自分の方に向けてもらう必要があります。このローマの信徒への手紙の最初で挨拶を書き記したパウロは、次の部分で手紙の相手を配慮する内容を書き始めています。
 もし手紙の受取人たちがパウロの伝道により信仰を得た人たちであり、また彼が設立した教会のメンバーであるならば、パウロのアドバスに心を傾けて聞くことが当然でしょう。しかしローマの信徒たちとパウロはそのような関係を持っていませんでした。今日の部分の9節で「わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることです」とパウロは述べています。パウロがこれからこの手紙に記そうとしている内容をローマの信徒たちに受け容れてもらうために、その正しさの根拠を主張しているのです。しかしそれは、パウロがエルサレム教会によって公認された正式な教師であるからその教えに耳を傾けてほしいと言っているのではありません。パウロは自分の正しさを「神が証ししてくださる」と言うのです。つまり、この手紙を読む人々に必ず聖霊が働きかけてくださり、ここに記されている内容が真実であることを神自らが証ししてくださると語っているのです。
 パウロがなぜ、こんな言葉をここで記すのかと言えば、やはりローマの信徒たちはまだパウロのことをよく知っていなかったからだったと考えられます。だからパウロは、自分の語ることばが正しいかどうか、まずこの手紙を読んで判断してほしい、そうすれば神自らがその正しさを証ししてくださると言う必要があったのです。

(1)ローマでの神のみ業に感謝する

 ところでパウロは自分の書いた手紙の内容をローマの信徒たちに受け容れてもらうために彼の主張の正しさを語る一方で、もう一つ、この手紙の受け取り手であるローマの信徒たちの心を開くための方法を採用しています。

「まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです」(8節)。

 相手の心を開くための一番の鍵はその相手が聞きたいような言葉を語ることです。たとえば、その相手のなしたとされる数々の功績をあげ、相手を褒め称えることも有効です。パウロはここでローマの信徒たちの信仰が「全世界に言い伝えられている」と語ります。つまり、ローマの信徒たちの信仰を高く評価する言葉をパウロはここで語っているのです。しかし、この言葉は相手を持ち上げて、その機嫌を良くするためにだけ語られているのではありません。なぜならば、この言葉は神に対する感謝として表現されているからです。つまり、パウロはこの言葉でローマの信徒たちの立場を持ち上げているのではなく、むしろ神の御名を高く挙げ、賛美しようとしているのです。
 ところでここでパウロは「あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられている」と語っている訳ですが、いったい彼はローマの信徒たちの信仰の何が全世界に言い伝えられていると言おうとしたのでしょうか。それはローマの信徒たちは、他の教会の人たちとは違った特別に優れた信仰を持っていたと言うことを表しているのでしょうか。この点に関しては、このローマの信徒への手紙を読んでも詳しい事情は何も語られていません。むしろ多くの聖書の解説者たちはパウロがここで記しているのは、ローマの都にいる人々がキリストへの信仰を得て、キリストの体である教会を形造ったことを言っているのであり、それを神に感謝しているのだと解説するのです。
 パウロはここでローマの信徒たちが何をしたのかと言うことではなくて、神がローマに住む人々に福音を伝え、彼らに信仰を与えるために聖霊を送ってくださったと言う事実に目を向けようとしているのです。その聖霊の確かな働きによってローマにキリストを信じる人々の群れが形成され、教会がつくられたという事実に注意を払い、その偉大なみ業を表してくださった神に感謝を献げていると言うのです。
 人がそれぞれキリストを信じて、信仰を得る過程には様々な理由があります。また新たに教会が建てられることにも様々な理由があるでしょう。しかし、私たちはそれらの背後に人の思いや計画ではなく、神の働きが確かにあると言うことに目を向ける必要があります。信仰者の熱意はときと共に代わります。また教会の状況も同じでように変わるものです。もし私たちがそのような変化にだけ目を奪われてしまうなら、私たちの信仰的確信も同じように変わり、また揺らぐことがあるでしょう。しかし、私たちはこれらの背後に確かな神のみ業を見ることができるのです。そして私たちがその神のみ業に関心を向けるとき、揺るぐことのない確かな確信もいただくことができるのです。
 つまりパウロはこの時代に「世界の中心」と考えられ、「すべての道はローマに通じる」とまで言われたローマの都に神が確かに働いて教会を作ってくださったことを知り、喜びを覚えつつ神に感謝を献げているのです。

2.パウロの願いと計画
(1)手紙を書いた理由

「わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています」(9〜10節)。

 パウロはここで自分の持っていたローマ行きの強い願いを表明しています。「あなたがたのところに行きたい」、「ローマに行ってみたい」と言うのが彼の持っていた願いだと言うのです。今は、パウロを取り巻く様々な事情があってそれが実現してはいませんが、そのために彼は祈り続けていると言うのです。「祈るときはいつもあなたがたのことを思い起こし」と言っていますから、このことがパウロの最も関心のある祈りの課題であったことが分かります。そしてパウロがこのようにローマの信徒たちに手紙を書いたのは、このパウロの願いが実現したときのための準備であると共に、自分が今はローマに行けない代わりに手紙を通じてローマの信徒たちと交流を持ちたいという思いがあったからだと想像することができるのです。

(2)ローマ行きの必要性

 それではパウロは何のためにローマに行きたいと考えたのでしょうか。一つの理由は先ほどふれましたようにローマが当時の世界の中心都市であったと言うことです。使徒言行録でパウロの伝道旅行の歩みを学びましたが、パウロの伝道はその地方の拠点都市に赴いて教会を建てると言う都市型伝道であったと言うことが分かります。限られた時間と労力の中で、広範囲にキリストの福音を宣べ伝えるためにはそれがよい方法だとパウロは考えたからでしょう。そのパウロにとってローマはおそらく最も魅力的な伝道の地であったと考えることができます。また、パウロはこのローマの信徒への手紙の15章で自分のローマ行きの計画の一部を紹介しています。それを読むとパウロは、このローマに立ち寄ってからイスパニアに行く予定であると言っています(24節)。この計画によればパウロはローマの信徒たちの支援を受けて、イスパニア伝道を実現したいと考えていたようなのです。このような意味でパウロのローマ行きは、伝道者としてどうしても果たさなければならないものであったことが分かってきます。

3."霊"の賜物を分け与えたい

 さて、パウロはこれほどまでにローマ行きを熱望していた訳ですが、それでは彼はローマに行って、いったい何をしたいと思っていたのでしょうか。

「あなたがたにぜひ会いたいのは、"霊"の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです」(10節)。

 パウロがローマで行きたいと願ったのは、自分がローマの信徒たちを助ける「力になりたい」と考えていたからです。新たに出来たローマの教会、もちろんそれは何か大きな教会堂ができたと言うことではありません。キリストを信じる群れが起こされ、そこで何人かの人々によって神に礼拝が献げられている、それが真の教会の姿です。その教会を強め、成長するために力になりたいとパウロは願っているのです。
 ここに記されている「"霊"の賜物」と言う言葉は聖書のここにしか登場しない言葉だと言います。なぜならばもともと「賜物」と言う言葉の意味は、私たちが教会に仕え、神に仕えるために神からいただいたものを言っています。ですからこの賜物と言う言葉自体に既に「霊的」、つまり「神に属する」と言う意味が含まれているのです。パウロはその上でこの「賜物」と言う言葉にあえて「霊」と言う言葉を付けて、重ねて表現したと言うことになります。
 パウロはこの「"霊"の賜物」と言う言葉を使って、何をローマの信徒たちに分け与えようとしたのかは定かではありません。いずれにしても、パウロは自分が神から与えられた賜物を、ローマの信徒に分け与えて、彼らのためにそれを使いたいと願っていたことが分かるのです。また、パウロはこの「"霊"の賜物」をローマに行ってローマの信徒たちに会って分け与えたいと言っていますから、それは直接に会わないと与えることができないものであると言うことも分かるのです。
 先日の教師会で「神はインターネットのようなバーチャルな仮想空間でも働かれるのか?」と言う話題が議論になりました。なぜならば今や、インターネットを用いれば、信徒は教会堂に行かなくても礼拝を守ることができる時代になってきているからです。結論的に言えば、神はすべてのものを用いてご自身のみ業をこの地上に現すことが可能です。ですからインターネットも伝道に取って有力な武器となり得るのです。
 しかし、パウロもローマの信徒たちに手紙では分け与えることができない「"霊"の賜物」があるとここで言っている通り、信徒たちが一つの場所に集って、神に礼拝を献げ、信仰の交わりをもつときにのみに分かち合うことができる賜物が確かにあるのです。そのような意味で礼拝や教会の交わりにはインターネットでは代用できない大切な働きがあります。そして私たちは毎週このように一つの場所に集り、礼拝を献げることによって、お互いに与えられている「"霊"の賜物」を分け与え合っていると言えるのです

4.互いに持っている信仰によって、励まし合いたい

 さてパウロはローマの信徒たちと実際に会って彼らの力となりたいと言うことと同時にもう一つ、ローマに行ってしたいことがあると言っています。そのことについてパウロは続けてこう語ります。

「あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです」(11節)。

 パウロはここでローマの人々の力になりたい、助けになりたいと言うだけではなく、自分もローマの人々から励ましてもらいたい、そして信仰によってお互いに励まし合いたいと願っているのです。
 教会で神に奉仕し、また人に奉仕する者だけが味わうことができるものがあります。それはその奉仕を通して、自分自らが励まされると言うことです。確かに奉仕をする者は何らかの犠牲を払って、その奉仕をする必要があります。時間的にも、また金銭的も様々な負担がそこには伴うはずです。しかし、それでも私たちが疲れ果てて奉仕を止めてしまうことがないのは、私たちが奉仕することによって、むしろ自分が励まされることが多いからです。
 説教者は講壇から語る聖書の説き明かしの言葉に熱心に耳を傾ける聴衆の姿を通して励まされることが度々あります。また聖書を人々に教えるときにも、その話に対する兄弟姉妹の応答の言葉の中で、神の言葉の本当の意味を見つけ出して、励まされることがあります。また何よりも自分が伝えた神の言葉を信じて生きる兄弟姉妹を通して、確かに神がそこに働いてくださっていることを知り励まされることがあるのです。
 パウロは使徒としてキリストの福音を伝えるために熱心に働き、犠牲を払って奉仕をしました。しかし、彼がその奉仕にもかかわらず燃え尽きることなくさらに熱意を持って奉仕することができたのはなぜでしょうか。それは確かに彼がその奉仕を通じて、人々から豊かに励まされ、慰められていたからです。パウロが手紙を通じてだけではなく、実際にローマの信徒たちに会って、「"霊"の賜物」を分け与え、彼らを助けたいと願ったのは、その奉仕を通して自分も豊かに励まされることできるし、また何よりもその励ましを自分は受ける必要があると知っていたからです。
 神は手紙を通しても、ラジオ伝道を通しても、インターネット礼拝を通しても働いてくださるはずです。しかし、私たちが共に集り神に礼拝を献げる教会生活では、神は特別な恵みを私たちに与えてくださるのです。その恵みを与えてくださるために神が私たちにこのような教会での交わり与えてくださったことを感謝したいと思います。

【祈祷】
天の父なる神様
今日も私たちを教会に集め、あなたに礼拝を献げることができるようにして下さった恵みを心から感謝します。私たち一人一人もあなたと教会に奉仕するために霊的な賜物を与えられています。どうか私たちがその賜物を使って教会を建て挙げ、人々を励ますことができるようにしてください。また、私たちもその奉仕を通して、私たちの信仰生活を支える力と恵みを受けることができるようにしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。