礼拝説教 桜井良一牧師   本文の転載・リンクをご希望の方は教会迄ご連絡ください。
2013年11月24日  「無価値な思いに渡される」

聖書箇所:ローマの信徒への手紙1章24〜32節
24 そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。
25 神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。
26 それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、
27 同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。
28 彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。
29 あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、
30 人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、
31 無知、不誠実、無情、無慈悲です。
32 彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。

1.罪の本質
(1)異邦人たちも「弁解の余地はない」

 今日も続けてローマの信徒への手紙を学びたいと思います。パウロはキリストの福音の力を説明するために、人間がどのような悲惨な罪の状態にあるのかをまず語ろうとします。それを理解しなければ私たち人間をその罪から救い出すことができる福音の力のすばらしさを知ることができないからです。そこでパウロがこの1章の18節から語り始めているのは神を知らない異邦人たちがどのような罪の状態に置かれているのかと言うことでした。異邦人は聖書を知らないので、神の律法を知ることができない、だからその異邦人から律法違反の罪を問うことはおかしいのではないかと考える人たちに対して、パウロは異邦人たちも「弁解の余地がない」とここで語ります(20節)。なぜなら神は御自身が造られた被造物を通して、「目に見えない神の性質」を異邦人たちにも知らせてくださっていたからです。だから問題なのはその知識を蔑ろにして、むしろ真の神に変えて「人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像」を造ってそれに仕えようとする異邦人たちの側にあることは明らかだとパウロは言うのです。

(2)現わされた神の怒り

 パウロは18節でまず、「神は天から怒りを現わされます」と語っています。つまり、これまで学んだ箇所は、その神の怒りが理不尽なものではなく、当然なものであることをパウロは説明したと言うことになります。そして今日学びます24節以下はそのような神の怒りが罪を犯した異邦人たちにどのように現わされたのかを説明する箇所になっていると言えるのです。

 「そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました」(24節)。

 パウロはここで罪を犯した異邦人たちがやがていつかは神の裁きに会う、神の怒りが彼らの上にくだされるだろうと言っているのではありません。彼はすでに、神の裁きが異邦人たちの上に下っている、神の怒りは現実のものとなっていると語っているのです。それが「するにまかせる」(24節)と言う言葉で説明されていることです。このあとパウロは続けて「彼らを恥ずべき情欲にまかせられる」(26節)、また「神は彼らを無価値な思いに渡される」(28節)と語りますが、このすべての意味は「そのままにしておく」、「ほうっておく」と言うことなのです。
 JR北海道が自らの管理する鉄道の線路に異常があり、事故が起こる可能性があるのを知りながら、それをそのままにしていたり、ましてやそのデーターを改ざんして、異常がないように報告していたことが今問題になっています。もし、JRが線路の異常を知りながら、そこで重大な事故が起こり、死者が出たらなら、JRの責任者は殺人罪にも等しい罪の責任を負わなければならないでしょう。ほうっておいたらたくさんの人々の命が奪われる可能性があったのです。ところが神はほうっておけば、滅びに一直線に進もうとする人々を「そのままにされる」と言うのです。なぜなら、それが重大な罪を犯した人々に対する神の罰、つまり神の怒りそのものだからだとパウロは説明するのです。
 パウロのここでの論法は私たちに対して一刻の猶予もないことを語り、今、私たちが何をすべきなのかを問おうとするのです。なぜなら、今、私たちはすでに神の厳しい怒りの元にあり、その厳しい罰を受けているからです。

2.創造の秩序の破壊
(1)人間の尊厳を傷つける罪

 ところが人間は、自分がこのような神の厳しい怒りの元にありながらも、それに気づくことはなく、むしろ、自分の意志で滅びへの結末に一直線に進もうとしているのです。パウロはこの手紙をエルサレムに異邦人教会から集めた献金を持って行く前に、コリントの町において記したと考えられています。このコリントはギリシャの中で当時最も栄えていた商業都市であったと言います。物流の要所であったこのコリントには莫大な富が集まり、それを目当てに世界中から様々な人々が流入していまいした。パウロは人々の欲望が渦巻くこの町コリントで、このローマの信徒への手紙を書きながら、異邦人がどのように悲惨な状態にあるかを目の当たりにして語ったのです。

「それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています」(26〜27節)。

 パウロがここで語っている人間の罪の状態は、そのまま当時のコリントの町の人々の姿を語っているのです。「性同一性障害」と言う言葉が現代では語られています。同性愛を倫理的な問題ではなく、医学的な問題で考えることが大切であると言うものです。ですから、私たちはこのパウロの言及が現代の性同一性障害の問題と直接に結びつけることには慎重にならなければなりません。しかし、ここに登場する問題は32節で「自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています」と語られているように、喜んで進んで、積極的に行なおうとしていると言うもので、病気とは違う問題だと考える必要があります。
 パウロはユダヤ人として生まれ、かつてはファリサイ派に属する者として神の律法を学び、熱心にそれを守っていました。ですから、このような神を知らない異邦人たちが行なっている人間の関係が神の創造の御業に反するものであることをよく理解することができたのです。神は人間を男と女に造り、性の関係もその男女の交わりの最も大切な部分として神が与えてくださっていることをパウロは知っていたのです。ですから、ここに語られている同性愛の問題は、神に造られた人間の尊厳を傷つけるものだと言ってもよいのです。

(2)人間の罪の本質

 私たちはこの異邦人の罪の問題を語る前にパウロが次のような言葉を語っていることに注意を向けたいと思います。

「(彼らは)神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン」(25節)。

 パウロはここで創造主である神を褒め称え、人間がその創造主の御業に反した罪を行なっていることを語っています。つまり、この創造主なる神を敬うパウロは、その創造主が造られた秩序を蔑ろにすることが重大な罪であることを告白しようとしているのです。
 それではどうして人間は創造主である神を蔑ろにし、その造られた世界の秩序を破壊することを自ら好んでしようとするのでしょうか。聖書を読むと、実はそこに私たちに人間の罪の本質が隠されていることが分かります。
 旧約聖書の創世記はこの創造主である神の御業がどのようにこの地上に実現したのかを説明しています。神は世界を調和のとれた「よき」ものとして創造されました。そして神は人間をその造られた世界を調和させる「要」として創造されたのです。そしてその創造の調和が破壊されてしまうのが人間の罪の出来事です。創世記はこの罪の出来事がどのように生じたかを次のように語ります。

「蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」」(創世記3章4節)。

 このとき最初の人間であるアダムとエバは蛇の語る「神のようになる」と言う言葉にそそのかされ、食べてはいけないと神に命じられていた「善悪の知識を知る木の実」を食べてしまいます。つまり、創世記は人間の罪の本質は、人間が神に造られた状態をそのままでよしとせず、むしろ自らが神のようになろうとしたところにあると言っているのです。パウロはここで「神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです」(25節)と言っていますが、「造られた物を拝む」とは人間が神のようになろうとしたことと同じことであり、人間は最初の人間の罪以来、ずっと繰り返して同じ罪を行なって来ていることがわかります。
 パウロはこの罪が神の創造の秩序を破壊しようとする様々な異邦人たちの行いに現わされていると述べているのです。ですから、まず同性愛の関係を問題にしたパウロは、さらに続けて罪の状況を詳細に語ります。

「あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です」(29〜31節)。

 ここに登場する人間の悪行のリストは聖書の中でも最も詳細なものだと言われています。ただ、どの聖書解説者も、このリストはパウロが思いつくままにここで記したことがらであり、人間の悪行すべてを完璧に現わしているものではないと言います。また書かれた言葉の中には重複するような意味の言葉も登場すると考えられているのです。ですから、私たちはここでこの悪行のリストの言葉一つ一つを詳しく学ぶのではなく、むしろこのような人間の悪行が神に代わって自分を神としようとする人間の罪の性質から生まれているということを覚える必要があります。
 また、多くの人は「同性愛の問題は自分とは関係ない」と言うことが出来るかもしれませんが、この悪行のリストを読むとき、私たちはここに記された悪行とは全く関係ないとは言うことはできません。むしろ、確かに自分も神の怒りの対象であり、神の「なすがままにさせる」と言う厳しい裁きの中に置かれている一人なのだと言うことを確認することができるのです。

3.罪を知ることも神の恵み

 先日もお話したように、私たちは今、私たちの信仰を確かにするための基礎工事の部分であるところをこのローマの信徒への手紙から学んでいます。基礎工事の部分と言うのは建物が完成するとあまり外からは見ることができません。ですから、信用できない業者であるなら手抜きをすることもできる部分です。しかし、この基礎部分を確かにしておかないと、後々になってその建物が地震で傾いてしまったり、危険な状態になってしまいます。この教会堂も建設時の調査で30メートルほどの杭を打たないとだめだと言うことがわかりました。もし、30メートルの杭を打たなければ建物はその重さで沈んでしまい、傾く可能性がありました。目には見えない基礎工事ですが、確かな基礎は建物を支え続けることができます。同じように私たちの信仰生活を確かなものとするために、人間の罪の状態の究明は避けることができません。
 最後に二つのことを覚えたいと思います。一つは私たちが福音を受け入れるかどうかには、時間の猶予がないということです。神の裁き、神の怒りが将来いつの日か私たちに訪れるものだとしたら、私たちはそれまでに時間をかけて準備すればよいかもしれません。しかし、パウロはこの部分で私たちは既に神の怒りの元にあり、厳しい裁きの元に置かれているのだと語っています。そして、この状態は益々私たちを深刻な状態に導いているのです。神に背を向けた人間は、世界の調和を破壊するだけではなく、自らの調和も失おうとしています。人間の魂と身体はバランスを失い、様々な障害を私たちの人生にもたらしています。ですから私たちがこの危機から救われ、神に造られた物としての本来の調和した存在となるためには、キリストの福音を受け入れ、この罪から救い出される必要があります。そして私たちは信仰生活を通して私たちの人生を神に造られた本来の姿へと回復させてくださる聖霊の助けを受け必要があるのです。そのためには明日ではなく、今、キリストの福音を受け入れて救われる必要があるのです。
 第二に私たちが今、自分にキリストの福音が必要だと思えるなら、そしてその救いを受けなければならないと考えているなら、まぎれもなく、神が今、私たちを捉えてくださっているということに気づく必要があります。神は「そのままにされる」と「ほおっておかれる」と言う言葉が今日の箇所に何度も出てきました。しかし、本当に「ほおっておかれる」者は悲惨な罪の状態を一切疑問に思うことはありません。しかもパウロが今日の箇所の最後で言っているように、私たちは「自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています」と言うことになります。つまり、自分も自分のためにこれはよいのだと考え罪を犯して、また人にもそれを勧めると言うことです。自分がどんなに神の創造の秩序からはずれてしまって、滅びの道に一直線に進もうとしてもそれを疑問に思わず、むしろ喜んでいると言うことです。
 小説『天路歴程』の主人公であるクリスチャンはあるとき、聖書を読んで自分の罪を悟り、自分が厳しい神の怒りの元にあることを知ります。すると、今まで楽しいと思っていた毎日の生活がそうではなくなってしまいます。ノイローゼのようになって苦しむ主人公に家族や周りの人は「ひとときの気の迷いだ。寝れば治る」と言いますが、彼は寝床に着けばさらに苦しくなり、一睡もできない状態となります。やがてクリスチャンはこの状態から逃れるために、救いを求めて信仰の旅に出るのです。
 自分の罪と向き合うことは私たちにとって決して気持ちのよいものではありません。しかし、このことを通して、私たちが救いに至る道が開かれるのです。私たちはこの救いの道に入り口に入れられていることを信じ、続けて信仰の旅路を続けて行きたいと思います。

【祈祷】
天の父なる神様
あなたはすべてのものを創造し、私たち人間も「よき」ものとして創造してくださいました。あなたの造られた世界は調和のとれたものであったのに、人間は自らが神のようになろうとする罪を犯し、世界の秩序を破壊し、自らも魂と体の調和を失ってしまったのです。その罪の故にあなたの厳しい裁きが私たち人間の上にくだされました。しかし、あなたはそのままでほろんでしまってもよいはずの私たちをほうっておくことはされませんでした。私たちのために救い主イエスを遣わし、私たちをこの罪の状態から救い出してくださいました。どうか私たちが自らの罪を悟り、キリストの福音を心から受け入れる者としてください。聖霊の支配をもって私たちの世界の失われた調和を回復し、私たちの生活の中に平安を与えてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。