2017.3.26 説教 「終わりの時のために」


聖書箇所

ヤコブの手紙5章1〜6節
1 富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。2 あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、3 金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。4 御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。5 あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、屠られる日に備え、自分の心を太らせ、6 正しい人を罪に定めて、殺した。その人は、あなたがたに抵抗していません。


説 教

1.イエスの言葉
①マタイとルカの記述のちがい

 「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」(マタイ5章3節)。これは主イエスが山上の説教の中で語られた有名な言葉です。皆さんもよくご存知であろうと思います。この同じ言葉をルカによる福音書は「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである」(6章20)と紹介しています。ルカではマタイにあった「心の」と言う言葉が抜けています。おそらく、このイエスの言葉はルカが紹介したものの方がオリジナルに近いと考えられています。マタイはこのイエスの言葉を単に「貧しい」としてしまうと、多くの人が誤解するのではないかと言う心配を持って、わざわざ「心の」と言う言葉を付け足したのではないかと考えられているのです。なぜなら、ここに「心の」と言う言葉をつければ、現実の生活での貧富の差は関係なく、神を真剣に求める者なら天国の住人になりえるという解釈が成り立つからです。実際に金持ちが天国に入るのが困難なっている理由は神の側にあるのではありません。彼ら自らが天国に入ることを拒んでいることが理由なのです。なぜなら金持ちたちは神が与えてくださる天国の祝福について一切の関心を持たず、その結果天国に入る機会を自ら放棄しているからです。つまり問題は富やお金にあるのではなく、それを用いる人間にあると言えるのです。

②富んでいる者は慰めを受けている

 ところでルカの福音書6章はイエスが語られた「幸い」について言葉を収録した後に、マタイとは異なって主イエスが語った「不幸」についての言葉も同じように書き記しています。

 「しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、/あなたがたはもう慰めを受けている。今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、/あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、/あなたがたは悲しみ泣くようになる。すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである」(6章24〜26節)。

 ここにも「富んでいるあなたがたは、不幸である」という言葉が登場しています。イエスはどうして富んでいる者たちは不幸なのだと言うのでしょうか。たくさんの財産を持っていれば、毎日の生活で何不自由なく暮らすことができます。私たちは「そんな生活ができれば何と幸いだろう」と思っているはずです。それなのになぜイエスは「富んでいる者」を「不幸である」と言われたのでしょうか。続けてイエスはその理由を語っています。「あなたがたはもう慰めを受けている」。
 ここに「慰め」と言う言葉が記されています。改革派教会の会員であればこの「慰め」という言葉を聞くと、すぐに「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」と言うハイデルベルク信仰問答の第一問の言葉を思い出すかもしれません。この信仰問答は私たちのただ一つの慰めは「わたしがイエス・キリストのものとされていることだ」と答えています。私たちがイエス・キリストのものとなると言うことは、言葉を換えれば私たちがイエス・キリストの治めてくださっている天国の住人とされると言うことです。そう考えて見ると、富んでいる者はその財産によってすでに満足してしまって、ただ一つの慰めであるイエス・キリストを求めることができなくなっています。彼らは天国の住民になることを求めることができないのです。だから彼らは不幸なのだと主イエスが言っていると考えることができるのです。

2.ヤコブの言葉
①使われないままゴミとなってしまう宝

 主イエスが「富んでいる者」について不幸であると語られたように、ヤコブもまた今日の箇所で富んでいる者たちに対して厳しい警告を発しています。

 「富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい」(5章1節)。

 ヤコブの言葉は主イエスの言葉より一層辛辣であると言えます。富んでいる者たちに対して「自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい」とまで語っているからです。「自分は財産に恵まれ、何不自由なく暮らしている。なんて幸せなんだろう…」。「そう思っているのは大きな勘違いでしかない。あなたたちはこの世のだれよりも不幸な者たちであるのに、そのことに気づいていない」とヤコブは語っているのです。そして富んでいる者が不幸であると言える原因を続けて語るのです。

 「あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、金銀もさびてしまいます」(2〜3節)。

 私の実家の家には私の両親がため込んだたくさんの品物が今でもたくさん仕舞い込まれています。それでも今までいろいろな品物を処分したのですが、それはまだ一部に過ぎません。両親が残した衣服や品物の大半は使い古したものが多いのですが、中にはまだ誰も使っていないようなものも数多く残されています。しかし、それらの品物は実家の家が長く空き屋となり、締め切った風通してのない部屋に仕舞われていましたから、未使用の物であっても黄ばんでしまったり、カビがはえてしまって使い物にならなくなっているのです。ヤコブの言葉はまさにこのようなことを語っていると言えるのです。集めた財産や衣服は本人が使うことなく、残されて、最後には使い物にはならないままゴミとなるだけだと言っているのです。

②残された品物は罪の証拠となる

 しかし、ヤコブがここで富んでいる物たちは「不幸」だと言う理由は自分が集めたものが何の役にも立たないままゴミとなってしまうということだけを言っているのではありません。なぜなら彼は続けてこう語っているからです。

 「このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした」(3〜4節)。

 集めたものがゴミになってしまうだけならまだよいのです。しかし、ヤコブは彼らが必死に集めたものは彼らの犯した「罪の証拠」となると語るのです。そしてそれらの品物が神の厳しい裁きを自分に招く原因となっていると言うのです。ここで「あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう」とヤコブは語っています。イエスは「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ10章28節)と語られたことがあります。ヤコブはここで富んでいる者たちが地獄の責め苦を受けることになると言っているのです。だからヤコブは富んでいる者たちに「泣きわめきなさい」と言っているのです。

3.農園主の犯した過ち
①財産さえあれば自分の人生は安泰

 ヤコブはここで富んでいる者たちに厳しい皮肉の言葉を投げかけています。「あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした」と。彼らが「自分が将来困ることがないように」と懸命になって集めた財産が、自分の役に立たないばかりか、自分への厳しい神の裁きを招く原因となってしまっているのです。いったい彼らはどこで誤ってしまったのでしょうか。
 今日のお話は前回私たちが学びました4章13〜17節の物語と対をなしている物語だと考えられています。先の箇所では「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と考える商人たちが登場していました。この商人に対して、今日の箇所では自分の畑で何人もの労働者を雇っている農園主が主人公となって語られているのです。どちらの話でも共通するのは商人も農園主も彼らの最大の関心事はお金を儲けること、自分の財産を殖やすことにあったと言えます。彼らは自分のために財産を集めることで自分の人生は安泰になると考えているのです。しかし、彼らは自分の地上での命がやがて終わり、自分が神の厳しい裁きの前に立つときが近づいていることに全く気づいていないのです。彼らが道を踏み外してしまったのは、そこに原因があると言えるのです。
 この箇所を読んで、誤解しはならないのは、聖書は私たちが老後のためにいくばくかの蓄えをすることを禁じていると言うことではないことです。私たちも自分のために将来に対する生活設計を立てることがあるはずです。「ありとキリギリス」の童話に登場するキリギリスのようなその日暮らしをするような生き方をすることは決して得策ではありません。しかし、聖書は私たちが備えなければならないもっと大切なものがあり、それを忘れてはならないと教えているのです。それは私たちの命が終わる時のための準備、ヤコブがここで語っている「終わりの時」のための備えです。そしてヤコブは私たちに「この終わりの時の備えのために地上の財産をため込んだとしてもそれは何の役に立たない」と語っているのです。

②不当に労働者を搾取する農園主の罪

 先に学んだ商人の話では「誇り高ぶり」ことが、私たちが神から恵みを受ける機会を奪っていると言うことが教えられていました。神の恵みを受けて生きようとする者にとって「誇り高ぶり」はもっとも気をつけなければならないことなのです。しかし、今日の箇所に登場する農園主の場合にはさらに、自分が将来のための備えた宝が、返って彼の罪を証明するものとなっていると言う問題点が指摘されています。どうしてその宝が罪の証拠となるのでしょうか。ヤコブは続けてその理由を語っています。

 「御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、屠られる日に備え、自分の心を太らせ、正しい人を罪に定めて、殺した。その人は、あなたがたに抵抗していません」(4〜6節)。

 この農園主の残した財産がそのまま彼の罪の証拠となっている原因がここに語られています。彼は自分の畑で働く労働者に支払わなければならない賃金を払っていないのです。それをそのまま自分の懐にいれて財産を築いていたのです。最近は「ブラック企業」と言って労働者を不当に搾取する雇用主が問題となり、世間を騒がせています。彼らの行為は明らかに労働基準法違反であり、彼らは罰を受けなければなりません。しかし、労働基準法などない聖書の時代の労働者はどうだったのでしょうか。実はこの農園主の行為は明らかに聖書に記されている律法に違反しているのです。律法にははっきりと労働者を不当に搾取してはならず、その労働者が働いた分の賃金はその日の内に支払わなければならないと定めているからです(レビ記19章13節、申命記24章15節)。彼らが厳しい裁きを免れ得ないと言われているのはこの明らかな律法違反に原因があったのです。そして神は決してこのような不正を見逃しにされることはないのです。

4.終わりの時のための備え
①富の魔力に支配される生き方

 ここに登場する農園主は自分が死ななければならない者であることを、自分の人生に最後の時が近づいていることを知りません。だから、自分一人ではとても使い切ることのできない財産を持ちながらも、なお他人を犠牲にしてまでもその富を増やそうとしたのです。
 私たちも自分の働きによっていくばくかの富を得て、それを自分や家族のために使っています。もちろん、それを将来のために貯金することもあるはずです。何度も言いますように聖書はこのような行為を禁止してはいません。
 ヤコブがここで語っているのは、自分では使い切ることのできない財産を持っていても、さらにその財産を殖やそうと考え、そのためには他人を苦しめてもよいと考えている者の生き方です。どうも、富みにはそのような魔力が潜んでいると言ってよいのかもしれません。その結果、多くの人はたくさんの富を手にすることで自由になるのではなく、ますますその富みに支配されて、自分で自分の欲望をコントロールできなくなってしまうのです。

②キリストによって自由にされる生き方

 それではどうしたら私たちはこの富の魔力から解放され、自由に生きることができるのでしょうか。ヤコブはそのためにも、私たちが最後の時を正しく知り、そのための正しい備えをすべきであると教えているのです。なぜなら、人が富の魔力にとりつかれ、その力に支配されてしまう原因は、その備えを忘れているからです。最後の時への備えができていなからこそ、その人は不安を感じて仕方がないのです。そしてその不安から逃れようとこの世の富や財産にすがりつこうとするのです。富の魔力はこのような不安を抱く者の心を見いだしては、その人の心を支配していくのです。
 それでは最後の時への本当の備えとは何でしょうか。それは私たちが私たちの主イエス・キリストの恵みにあずかって生きると言うことです。なぜなら主イエスは私たちの罪のために十字架にかかり、私たちのすべての罪が赦されるようにしてくださったからです。その主イエスの赦しの恵みを受ける者は、神の厳しい裁きを恐れる必要はありません。むしろ最後の時に永遠の命の祝福をいただくことができることを喜びを持って待ち望むことができるのです。だから私たちがイエスを信じる信仰生活を送ることは、最後の時のための正しい備えであると言えるのです。この主イエスのくださる恵みを持って生きる者はもはや自分のために富を際限なく集め続けることは必要ないのです。むしろ、主イエスを信じる者は自分のために、また隣人のために与えられた富を自由に用いることができるようにされるのです。


祈 祷

天の父なる神さま
 イエス・キリストの与えてくださる罪の赦しの恵みの故に、神の厳しい裁きから免れるだけでなく、永遠の命の祝福を覚えながら生きることができる幸いを心から感謝します。この世の恵みに生きる私たちが富の魔力に捉えられて生きるのではなく、あなたから与えられる財産を含めたすべての賜物を、有効に用いて、生きることができるようにしてください。
 主イエス・キリストの御名によって祈ります。


聖書を読んで考えて見ましょう

1.ヤコブは富んでいる者たちにここで何を聞きなさいと言っていますか(1節)。
2.ヤコブは富んでいる者の富や衣服、金銀はやがてどうなると言っていますか(2〜3節)。それはどういう意味ですか。
3.ヤコブは富んでいる者たちが自分のために集めた金銀が役に立たないでさび付くだけではなく、それが彼らの何の証拠となっていると言っていますか(3節)。
4.ヤコブの言葉よるとこの金持ちが集めた財産はどのような性質のものであったことが分かりますか(4 節)。
5.富んでいる者は自分のために不正に富を蓄財し、ぜいたくに暮らすことで、屠られる日のためにどんな準備をしていると言われていますか(5節)。
6.私たちは終わりの時のためにこの世の富のような宝を蓄えるのではなく、どのような備えをすべきだと思いますか。