2017.5.21 説教 「わたしより優れた方が、後から来られる」
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聖書箇所
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マルコによる福音書1章1〜8節
1 神の子イエス・キリストの福音の初め。2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。6 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。7 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
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説 教 |
1.マルコによる福音書について
①福音書とはどのような書物か
今日から新約聖書のマルコによる福音書を学んでいきたいと思います。ご存知のように新約聖書にはこのマルコを含めて、マタイ、ルカ、ヨハネと呼ばれている四つの福音書が収録されています。そしてこの福音書はイエス・キリストの言動を記録したものと多くの人には考えられています。しかし、そう考えると福音書の間での様々な記録の食い違いは、どうして存在するのかと言う疑問が生まれて来ます。つまり、四つの福音書のうちのどの記録がイエス・キリストについての正しい言動を伝えているのかと言った問題が生じるのです。そこで、昔ある人はこの四つの福音書の記録を丹念に調べ、よりオリジナルのイエスの生涯を表す福音書を作ろうと考えました。しかし、結局この人が作った新しい福音書は当時の人々の話題には上りましたが、それ以上の影響を与えることはありませんでした。結局そのような研究をしても、意味がないと考えられたからです。
古来から、歴史に名を残す人々の生涯を多くの人々は「伝記」と呼ばれる書物に書きとめました。伝記の記される目的は様々かもしれませんが、その多くの場合、やはりその人物の生涯を美化して、人々の称賛の対象にするために作られたと言えるかもしれません。かつて、アフリカで黄熱病の研究し、自らもその病気にかかって命を落とした野口英世は、その存命中に書かれた自分の「伝記」を読んで「うそばっかりだ」と言ったと言われています。伝記の内容の多くは読者の期待にそうように著者によって多くの脚色がなされています。野口英世はその脚色された自分の生涯の記録を読んで、気に入らなかったのだと思います。
それでは福音書は実際のイエスの生涯をそれぞれの福音書の著者が脚色を加えて記したものと言えるのでしょうか。もしそうなら、私たちはやはり、福音書記者の残した記録から彼らの考え出した脚色の部分を取り除いて、本当のイエス・キリストの実像に迫る必要が生まれるかもしれません。
これらの混乱を避けるために、私たちは福音書がイエス・キリストについての信仰を伝える書物であって単なる「伝記」ではないと言うことを覚えるべきかもしれません。つまり、福音書は単なるイエスのこの地上での言動を記した書物ではなく、そのイエスの姿に触れ、そのイエスとともに生きた人々が、そのイエスについてどのような信仰を抱き、また告白するようになったのかを記した信仰的文章だと言えるのです。もちろんこの信仰文書は誰かの脚色によって作られたものではありません。なぜなら、福音書記者たちが伝えようとする信仰の内容は人間の勝手な思いつきで生まれたものではないからです。この信仰はイエス・キリストをこの地上に遣わしてくださった神によって彼らに与えられたものなのです。聖書の本当の著者は聖霊であるとキリスト教会は信じてきました。そのような意味でこの福音書はイエス・キリストの生涯を記した伝記ではなく、イエス・キリストに対する信仰を伝える書物であると考えて読む必要があるのです。
②マルコとは誰か
私たちが今日から読むマルコによる福音書は表題には「マルコ」と言う人物の名前がつけられています。しかしこの福音書の本文の中にはどこにもこのマルコと言う人物についての紹介文は記されていません。実はこの福音書の著者がマルコであると教えるのは教会の中に伝わった古い伝承によるものです。その伝承によれば、この福音書を記したマルコは十二使徒の代表とも呼ばれるシモン・ペトロの協力者として働いた人物とされています。さらにこのマルコはパウロの協力者として知られるバルナバのいとこであったことも聖書の記録に残されています(コロサイ4:10)。実は最初は緊密な関係にあったパウロとバルナバの協力関係が壊れてしまった原因もこのマルコにあったことが使徒言行録の記録に残されています(15章36〜40節)。パウロはこのときマルコを信用できない人物と考え、自分たちの伝道旅行に連れていくことを拒みました。しかし、この後に記されたパウロの手紙の中にはこのマルコがパウロの伝道を支えるよき協力者でると紹介されていますから、このパウロとマルコの関係は後になって修復されていたことが分かるのです。
マルコは初代教会の働き人として有名だったバルナバやパウロと深い関係にあった人物であり、その上でイエスの地上の生涯を最も近くで目撃して、知ることができたペトロからも情報を得ることができた人物と考えられるのです(ペトロ一5章13節)。そのような意味で神はこのマルコを福音書を記すために適切な人物として選ばれたと考えることができます。
2. 福音とは
①良い知らせ
「神の子イエス・キリストの福音の初め」(1節)。
マルコはイエス・キリストの福音を私たちに告げるためにこの書物を書き記しました。それではイエス・キリストの福音とは何なのでしょうか。それは私たちがこのマルコによる福音書を読んでいく中で理解されていくものであると言えます。私たちはこれから時間をかけて少しずつこのイエス・キリストの福音を理解していけばよいと思っています。ここではまず、私たちがこのイエス・キリストの福音を理解する際に起こる問題について少し考えて見たいのです。
今では「福音」と言う言葉は主に教会の中で用いられる教会用語の一つになっています。しかし、聖書が書かれた時代には「福音」は教会用語ではなく、一般の人々が用いた言葉の一つであったようです。「福音」と言う言葉は簡単に言って「よい知らせ」と言う意味を持っています。古代社会では特にこの良い知らせは戦いの勝利を知らせるニュースと考えられていました。当時、国民ははるか遠くの戦場で行われている戦いの知らせを心待ちにしていました。戦いの勝敗が国民のこれからの運命を決める可能性があったからです。また、ローマの時代にはこの「福音」は当時の皇帝崇拝と結びついて用いられていたとも考えられています。当時、国民の安寧はやはりこのローマ皇帝の手に握られていたからです。ですから悪政を行う皇帝が誕生すれば国民は苦しまなければなりません。また、その逆に知恵のある善い皇帝が即位すれば、国民もまたその支配のもとで繁栄を得ることができるのです。この点では、福音書はローマ皇帝にとは全く違った真の王としてイエス・キリストがやって来て下さったことを告げる福音の知らせてであるとも言えるのです。
②勝手な期待は福音ではない
聖書はこのイエス・キリストこそが私たちにとっての福音であると教えます。とこが、私たちは聖書が教えるイエス・キリストの福音ではなく、勝手に違った福音を考えていないでしょうか。その上で、イエス・キリストは自分が考えた福音を実現すべきだと思っていないでしょうか。おそらく、私たちはみな、自分にとって「良い知らせ」とは何か、自分なりの答えを持って生きています。自分の人生を実際に苦しめている問題が解決されることを私たちはまず「福音」と考えるはずです。病気で長い間苦しみ続けている者、その病気の癒しこそが福音です。また貧しい生活を強いられている人は、豊かな財産に恵まれることが福音であるかもしれません。孤独に苦しむ者は、自分の気持ちを理解し、受け入れてくれる友が与えられることを福音だと考えるのです。そして、そのような福音をイエス・キリストが実現してくれることを心待ちにしているのです。
しかし、私たちが福音についてこのように考え、期待することは、聖書の教える真の福音を理解するために大きな障害となる可能性があります。実際に、イエスの弟子やイエスの周りに集まった人々も同じような誤りを犯していたと言われています。福音書によれば弟子たちをはじめとする多くの人々はイエスを地上の国を治める王としようとしました。当時のユダヤはローマ帝国の支配下に置かれていましたから、彼らにとっての福音はユダヤの国がローマのような異民族の支配から解放され、再建されることだと考えられたからです。だから、彼らはイエスがその自分たちの期待に答えることができる人物だと信じていたのです。
しかし、彼らのイエスに対する期待は、真の救い主として来られたイエスを理解する上で大きな障害となりました。なぜなら、彼らはイエスがやがて十字架にかかり死なれることを何度も預言されても、それに耳を傾けようとも、受け入れようともせず、理解しようともしなかったからです。ですから実際に彼らはイエスが自分たちの期待に反して、逮捕され、十字架に架けられたときにパニックになって逃げ出すしかありませんでした。彼らはイエスを通して実現するはずの真の福音の意味を知ろうとはしなかったからです。彼らが実際にイエスの福音を理解したのは、イエスが復活された後しばらくのことであったと考えられます。そのとき彼らはイエスの福音が自分たち期待した福音とは全く違った、本当の祝福を私たちに提供するためにやって来てくだささった方であることを知ったのです。ですから、私たちがイエスの示される本当の福音を理解するために、まず、自分の勝手な期待からその福音を考えるのではなく、聖書の示すイエスの福音に徹底的に耳を傾ける必要があるのです
3.荒野の預言者ヨハネ
「預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」(2〜4節)。
マルコはこのイエスの福音を私たちに伝えるために、まず洗礼者ヨハネと言う人物を紹介し、この福音書の読者に対してヨハネの語るメッセージに耳を傾けるようにと促しています。このヨハネはルカの福音書によればエルサレム神殿で働く祭司ザカリアとその妻エリザベトの間に生まれた人物で、彼の母エリザベトとイエスの母マリアは親類であったとされています(ルカ1章参照)。彼は当時の大多数の宗教家たちが立派な神殿が建てられているエルサレムで活動していたのとは違い、人里離れた荒れ野で活動し、その姿や講堂は「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた」と語られています。
このヨハネの活動は救い主であるメシアの到来を人々に告げ知らせると言うことに徹底されていました。その点でも人々が通常抱く、宗教家の姿とは大きくかけ離れたイメージを彼は持っていました。なぜなら、多くの人は宗教家が様々な知識を持ち、その知識から自分たちの抱える問題に適切な答えを与えてくれることを期待していたからです。エルサレムの宗教家たちは神の律法に対する様々な知識を持ち、その知識に基づいて当時の人々の生活の様々な部分にまで立ち入って指示や助言を行っていました。おそらく、この時荒れ野のヨハネの元に集まった人々もそのような答えをヨハネから期待していたのかもしれません。しかし、彼は人々に向かって「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」(7〜8節)と語るだけでした。彼はそれ以外の知識を示すことなく、徹底して人々に「優れた方が、後から来る」とだけ語ったのです。
このヨハネは私たちに模範的な伝道者の姿を示していると言えます。私たちはたくさんの知識を得て、求道者を納得させようと考えることがあります。ところが多くの場合、そこで私たちは自分の知識のなさを暴露され、大きな失敗を犯してしまうのです。しかし、伝道者がすべきことはイエス・キリストを指し示すことだけなのです。なぜなら、私たちの抱く疑問に対する本当の答えはこのイエス・キリストが与えてくださるからです。
4.悔い改めの意味するもの
最後に私たちはヨハネが人々に勧めた「悔い改め」についてもう一度考えて見たいと思います。何度も申しますように、聖書が言う「悔い改め」とは私たちの心の向きを180度方向転換することを意味しています。今まで、自分や神以外の方向に向けられていた私たちの心を神に向けることが「悔い改め」であると言えるのです。その点で「悔い改め」とは「自己反省」とは全く違う性格を持っています。「自己反省」確かに自分を省みて、自分の犯した失敗がどのような意味を持ち、その原因がどこにあるのかを考えます。しかし、自己反省は最後まで自己に、つまり自分にだけ関心が向けられていますから、そこには何の希望も生まれませんし、かえって私たちを絶望に陥れるだけなのです。
かつてイギリスの有名な説教家の一人にチャールズ・スポルジョンと言う牧師がいました。彼の伝記によれば彼は幼いころから聖書のメッセージに親しんでいたのですが、聖書を読めば読むほど、自分の弱さや罪を示され、苦しんだと言われています。「どうしたら、自分はこの惨めな罪人の状態から救われるのだろか」と悩んだ彼は、当時、名を馳せた数々の牧師たちの元を訪ねてはその説教に耳を傾けました。しかし彼を納得させる答えを聞きだすことはできませんでした。ある日曜日の朝、スポルジョンは前日から降り続いた大雪のために予定していた大教会の礼拝に出席するのを断念し、近くの街角にあるいつもは通り過ぎてしまうような小さな教会の礼拝に出席しました。ところがその教会の礼拝も雪のせいで予定していた説教者が到着できず、臨時に説教などほとんどしたことがない一人の教会の長老が説教壇に立ってメッセージを語っていたのです。何しろ、その長老の説教は何の準備もないままにはじめられた即席説教でしたから、すぐに話のネタは尽きてしまいます。するとその長老はその日の聖書テキストの言葉を繰り返して聴衆に訴え始めたと言うのです。「地の果てのすべての人々よ/わたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない」(イザヤ45章22節)。雪のせいでその日の聴衆も少なかったせいもあるようです。その長老は最後にはスポルジョンを講壇から指さして「そこの青年よ。主を仰いで、救いを得よ。そうすれば救われる」と語りだしたと言うのです。しかし、スポルジョンはこのイザヤ書の言葉を自分に向けられた神の言葉としてこのとき受け取ることができました。そして「自分はいままで、どうしたらよいのかを懸命に考え、自分が救われる方法を見出そうと努力してきた。しかし、自分の誤りは自分だけを見つめていたところにある。救いを得るにはまず自分に向けられていた心を、神に向けることが必要なのだ」と気付き、悔い改めることができたと言うのです。
私たちの心は今どこに向けられているのでしょうか。その心が自分に向けられている限り、私たちの行う自己反省には希望はありません。しかし、私たちが私たちの心を神に向け、その神に自分の問題を委ねるとき、本当の救いが私たちの上に実現するのです。そのために洗礼者ヨハネは徹底して人々に悔い改めを求めました。そして彼らの心をイエス・キリストに向けようとしたのです。すべての希望はこのキリストの福音に向けられるときに私たちに明らかとなるからです。
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祈 祷 |
天の父なる神さま
私たちのためにキリストの福音を示してくださったことに心から感謝いたします。今まで私たちの関心のすべては自分自身に向けられていました。だから、私たちは自分の人生に絶望して歩むしかありませんでした。しかし、今はあなたは私たちに御子イエス・キリストを遣わすことにより、その方を通して実現した救いの出来事に私たちの心を向けるようにと教えてくださいました。どうか私たちが今日も悔い改めて、このイエスに心を向け、そのイエスによって明らかにされた福音の内容を信じ従うことができるようにしてください。そして願わくは、私たちもまた私たちの同胞に洗礼者ヨハネと同じように、救い主イエス・キリストを指し示して生きることができるように私たちを導いてください。
主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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聖書を読んで考えて見ましょう |
1.マルコは洗礼者ヨハネの活動を紹介するために旧約聖書からどのような言葉を引用して説明していますか(2〜3節)
2.このヨハネはどこで何をしましたか(4〜8節)。当時の人々はこのヨハネの活動にどのように応答しましたか。
3.ヨハネは自分の後からやって来られる方(救い主)についてどのように紹介していますか(7〜8節)。
4.ヨハネがヨルダン川にやって来た人々に授けた「悔い改めの洗礼」にはどのような意味がありましたか。この洗礼は私たちが教会で受ける洗礼とどう違っているのでしょうか(4節)。
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