2018.12.24 説教 「暗闇の中で輝く光」


聖書箇所

ヨハネによる福音書1章1〜5節
1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。2 この言は、初めに神と共にあった。3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。


説 教

1.クリスマスは光の祭典

 クリスマスは光の祭りと言ってもよいかもしれません。この季節には様々なイルミネーションが町を飾るからです。教会の近所でも競うかのように華やかな光が家々に輝いています。それに比べて教会の飾りは少し地味なようにも思えます。もちろん、このような風景はLEDライトが発達して、電力の需要も安定している現代の社会が生み出したものであると言えます。きっとクリスマスの姿は時代と共に変化して来ているのでしょう。むしろ、昔のクリスマスの方が今よりももっと落ち着いた雰囲気で行われていたかもしれません。しかし、時代が変わってもクリスマスを「光の祭り」と呼んでよいのは、何よりもこの日の主役であるイエス・キリストと深く関係しています。なぜなら、聖書イエス・キリストを「光」と呼んでいるからです。
 実はクリスマスを祝う習慣は最初からキリスト教会に存在していたものではありません。キリスト教会が誕生のときから最も大切にしたのはキリストが復活された日、「イースター」の祭りです。聖書を読めばわかりますが、十字架にかけられて死んだはずのイエスが三日目に墓から甦られたと言う「復活」の出来事はそれを知った人々に大変な衝撃を与えました。そしてこのイエスの復活を証言する人々によってキリスト教会は始まったと言ってもよいのです。
 このイースターの出来事に対して、イエス・キリストの誕生の出来事は聖書の中でも控えめ取り上げられているような気がします。なぜなら、このクリスマスの出来事を最初に知って喜んだのは野原で羊の番をしていた羊飼いであったり、東の国からやって来た占星術の学者たちと言ったごく限られた人々だったからです。その上で、聖書には羊飼いたちがイエスの元にやって来た時に、その母マリアは「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」(ルカ2章19節)と記しています。クリスマスの出来事は長く、マリアやごく限られた人々の中で秘められていたものだったのかも知れません。
 クリスマスが教会で祝われるようになったのは4世紀ごろ、キリスト教会が誕生してから300年以上も経った後の出来事だと考えられています。キリスト教会はそれまで長い間、ローマ帝国下の弾圧の時代を経験していました。その弾圧の時代が終わり、キリスト教信仰が公に認められるようになった時代に始まったのがこのクリスマスです。ローマではもともとこの時期、太陽を神とあがめる信仰があり、その祭りが今まで行われていました。その太陽の祭りがイエス・キリストの誕生をお祝いする祭りに変わったと言い説が有力です。なぜ、この太陽の祭りがイエスの誕生を祝う祭りになったのかと言えば、イエス・キリストこそ真の「光」であると言う信仰が教会にはあったからです。私たちにとって空に輝く太陽は無限のエネルギー源のように思えるかもしれませんが、そうではありません。太陽も永遠に輝き続けることはできません。あの太陽にも必ず終わりはやって来るのです。しかし、真の光であるイエス・キリストは違います。神の御子であり、神ご自身であるイエス・キリストには終わりはありません。いつまでも、私たちの人生とこの世界を照らし続ける方なのです。だからクリスマスの喜びはこの光であるイエス・キリストの誕生を祝う光の祭りであると言えるのです。

2.闇を照らす光

 「光は暗闇の中で輝いている」(5節)とヨハネの福音書は私たちに語っています。東日本大震災のときに、電力不足が叫ばれて各地で計画停電が実施されました。私たちは灯りのない街並みを見つめながら、光がどんなに私たちの生活に大切な役目を果たしているかを痛感してのではないでしょうか。光のすばらしさが最も引き立つのは、暗闇の中に光が輝くときです。その暗闇が深ければ深いほど、光は輝きを放つのです。聖書はイエス・キリストは暗闇を照らすためにこの地上に来てくださったことを記しています。イエス・キリストがこの地上にやって来られたとき地上の闇はとても深かったのです。
 それでは聖書の言う暗闇とはいったいどのようなものなのでしょうか。それは神を見失い、神に背を向けていきる人々の人生、そしてその人々が生きているこの世界全体を指し示して語っていると言えます。つまり聖書が語る闇とは私たちの人生であり、また私たちが生きるこの世界の姿なのです。
 イエス・キリストはこの深い闇の中にある私たちと私たちの世界を救うためにやって来てくださったのです。だからこの光であるイエス・キリストを信じて生きる者は闇の世界から解放されます。クリスマスはイエス・キリストを信じて闇の世界から解放された人々が救われた喜びを分かち合うときであると言えるのです。

3.闇の世界

 もしかしたら今皆さんの中でも「わたしの人生は真っ暗闇の中にある」。「自分にはどこにも希望が見いだせない」と思っておられる方がおられるかもしれません。また、自分自身の人生だけではなく、この世界の未来を考えるとき「核戦争が起こったらどうなってしまうのだろう」と不安を思いに囚われている方もおられるかもしれません。そう考える方々は「私たちは闇の中に生きている」と言われても、それは満更嘘ではないと思われるのではないでしょうか。
 しかし聖書が私たちの人生をそしてこの世界を「暗闇」と表現する意味は私たちが考えるよりももっと深刻なものなのです。なぜなら、この暗闇は私たちこの世界を滅びへと向かわせるものだからです。
旧約聖書の創世記の最初でこう述べています。

 「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった」(創世記1章1〜3節)。

 聖書は私たちの世界が神の創造の業によって生まれたことを教えています。そしてこの神の創造は闇から光を作り出すことによって始まったと言われているのです。私たち人間もこの世界も初めからこの神の御業によって存在しているのです。ところがこの世界は、そしてそこにすむ人間はこの神を忘れてしまうと言う出来事が起こりました。これを聖書は「罪」と言う言葉で表現しています。聖書が言う「罪」は、私たちが普通考えるような犯罪行為のことを言っているのではなりません。私たちの存在の根拠である神から私たちが離れてしまうことが「罪」だと言うのです。この罪の結果、この世界とそこに住む人間は闇に支配され、そして滅びに向かうものとなったのです。
 古代教会の神学者たちは「闇」とは神の創造の力に逆行して、神に創造されたものが最初の混とんとした世界に帰ってしまうことだと説明しています。神に背を向けた世界は、そして私たち人間は神の創造の御業に反して、何もない虚無の暗闇に戻ろうとしているのです。これこそが、私たちと私たちを支配する深い闇であると聖書は言っているのです。

4.世界を完成させるために来られたイエス

 しかし神は、私たちが虚無の暗闇に向かうことをそのままにしておかれる方ではありません。「それはお前たちの問題だ、私の責任ではない」と冷たく私たちをあしらわれる方ではないのです。神はこの世界と私たち人間を変わることなく愛してくださっているのです。その証拠に神は私たちのために真の光であるイエス・キリストを遣わしてくださったのです。創造の時に「光あれ」と言われて神は、クリスマスの日に私たちを救うために「光」であるイエスを遣わしてくださったのです。

 すべての人に命を与え、この世界に希望を与えるためにやって来てくださった方がイエス・キリストです。神が創造された世界を回復させるのが光であるイエス・キリストに任された重要な任務だと言えるのです。だからイエス・キリストだけが暗闇の中にいる私たちとこの世界の唯一の希望であると言えるのです。
 ある日のこと一人の老人が町外れにあったとある農家の家を訪れました。老人は「旅の途中で今晩泊まるところを捜しています。こちらの敷地にある納屋でよいので一晩泊めていただけないでしょうか」と農家の主人に願い出ました。その農家の納屋は家でいらなくなったがらくたなどがたくさん納められていました。ですから「あんなところでよければ、どうぞ泊まってください」と主人は気軽に答えました。そして次の朝のことでした。その農家の主人はあの老人を泊まったはずの納屋の方から美しいバイオリンの音色が聞こえてくることに気づきました。主人が納屋に行ってみると案の定、あの老人がバイオリンを奏でています。その音色は今まで主人が聞いたどのバイオリンよりも美しいように聞こえました。その上で主人は老人が奏でているバイオリンを見て、気づいたのです。それは壊れてしまって、長い間この納屋に置かれていた自分のバイオリンだったからです。旅の老人は驚いている農家の主人を見て、自分が今奏でているバイオリンを指してこう語りました。
 「驚かしてしまってすみません。実は昨夜この納屋の中で、この壊れたバイオリンを見つけたのです。私は本当に驚きました。実はこのバイオリンは私がもう何十年も前に作ったものだったからです。だから、とてもなつかしくなって、壊れたところを修理して見たのです。」
 どんなに暗闇に支配された私たちの人生も、そしてこの世界も、それを造ってくださった方であるなら元通りにすることができます。イエス・キリストは私たちの人生をそしてこの世界を元通りに回復されるためにやってきてくださった方なのです。だから私たちもこの光なるイエス・キリストの誕生を心からお祝いして、喜ぶのです。


祈 祷

天の父なる神さま
 暗闇の支配するこの世界の中に、光である救い主イエスを遣わしてくださった大いなる御業に心からの感謝をささげます。私たちはこのキリストによって闇の中から救い出されました。この幸いを心から感謝します。どうか、このクリスマスの喜びがすべての人々に伝えられるように聖霊を遣わしてください。また私たちがキリストの福音を証言することができるようにしてください。
 救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。


聖書を読んで考えて見ましょう

1.あなたが今まで経験したクリスマスの思い出で、もっとも印象深く心に残っているものは何ですか。
2.もしあなたがお友達や友人から「どうしてクリスマスを教会ではお祝いするの?」と質問されたら、あなたはどのように答えますか。
3.神が私たちとこの世界を今でも愛してくださっていると言う証拠をあなたはどこで見出すことができますか。