2018.4.15 説教 「洗礼者ヨハネの死」
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聖書箇所
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マルコによる福音書6章14〜29節
イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。
ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すとヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、23 更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。少女は「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。29 ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。
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説 教 |
1.キリストを証ししたヨハネの生涯
以前、ある本の中でこんな実話が紹介されていました。一人の牧師のところに突然、全く知らない人から連絡が届きました。その連絡は「是非、私の家に来て神さまのお話をしてほしい」と言う依頼でした。牧師がその連絡のあった家に行ってみると、そこには重い病気で寝たきりとなっている男性がいました。その男性は「自分は病気のためにこんな状態なのですが。できれば神さまを信じたいと思うのです」と牧師に言うのです。牧師が事情を詳しく尋ねて見るとこの男性はいままで聖書を読んだことも、教会に行ったこともないと言うことでした。「それなのになぜ、あなたは神さまを信じたいと思ったのですか」と牧師はその男性に聞いたと言うのです。するとその男性はその理由を次のように説明しました。以前から、自分の寝ている家の前を日曜日になると大きな声で歌を歌って通り過ぎる人がいたと言うのです。毎週同じ時間に聞こえるその歌声に、寝たきりの男性は興味を持ちました。どうやらそれは教会で歌われる讃美歌で、神さまのことを歌っていることが彼にも分かったと言うのです。寝たきりの男性は決してそれはうまい歌ではなかったけれども、楽しいそうに歌うその声に心が引かれて行ったと言います。やがて寝たきりの男性はその讃美歌の歌声を聞いているうちに、自分もその讃美歌に歌われている神さまを信じて見たいと思うようになったと言うのです。
牧師はその寝たきりの男性の話を聞いて、思い当たることがあったと言うのです。それは以前からその牧師が働いている教会に知恵遅れの男性が通って来ていました。うまく人とコミュニケーションを取られないその男性はときどき教会員とトラブルを起こして困ることもありましたが、不思議なことに日曜日になると必ず教会の礼拝にやって来るのです。寝たきりの男性が聞いた讃美歌はこの知恵遅れの男性が礼拝の帰りの道で、今日覚えた讃美歌を歌っていた、その歌声だったのです。その知恵遅れの青年はこの少し前に自分の家で起こったトラブルに巻き込まれて、行方知れずになってしまっていました。歌声の本人はいなくなっても、その歌声が一人の男性の心を捉えキリストに導いたと言うのです。その牧師は「神さまの御業は本当に不思議だね」と人々にその一部始終を語ったと言うのです。
今日の聖書箇所は洗礼者ヨハネついての物語を記しています。この洗礼者ヨハネは人々から「あなたはメシアなのか。それともエリアなのか。それとも他の預言者なのか」と尋ねられたときに、「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」(ヨハネ1章23節)と語ったと言います。ヨハネは自分をイエス・キリストを伝える声だと語り、その使命に自分の生涯をささげた人でした。たくさんの人々にイエスを伝える声となって生きたこのヨハネの物語を読みながらこの時間、私たちもこのヨハネの声に耳を傾け、ヨハネの宣べ伝えた悔い改めの意味について少し考えてみたいのです。
2.洗礼者ヨハネとヘロデ
①マルコなぜ洗礼者ヨハネの最後をここに記したのか
今日の聖書箇所の直前の箇所ではイエスによって十二人の弟子たちが二人一組に分けられて、村々を巡って福音を伝えるように派遣された出来事が紹介されています(6章6後半〜13節)。そして今日の物語の直後の部分には「さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した」(30節)と言う文章が記されています。このようにマルコによる福音書はイエスによる十二弟子の派遣と、その弟子たちが派遣された場所からイエスの元に帰って来て報告をした出来事の間にちょうど割り込ませるようにこの洗礼者ヨハネに関する出来事を記しているのです。どうしてマルコはそんなことをしたのでしょうか。その一つの理由は、今日の物語の最初に「イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った」(14節)と書かれていることから理解することができます。なぜ、イエスの名が広く人々に知れ渡ったのでしょうか。それはイエスの弟子たちがイエスの命令に従って町々、村々で懸命にキリストの福音を人々に伝えたからです。その弟子たちの活動の結果、イエスのうわさがヘロデの耳にまで届いたとマルコはここで言っているのです。
さらに、マルコが洗礼者ヨハネに関する出来事をこの箇所に記した理由は、もちろんこのヘロデとヨハネとの関係を説明すると言う意味もありますが、それ以上に、この洗礼者ヨハネもイエスの元から派遣された十二弟子たちと同じようにキリストの福音を証し続けた証人の一人と考えているからだと思います。確かにこの聖書箇所には洗礼者ヨハネの悲惨な死の出来事が記されています。しかし、この福音書を書いたマルコはヨハネの死の悲惨さを伝えたかったと言うよりは、ヨハネが自分の生涯を通してイエス・キリストを証し続けた人物であったことを紹介しようとしているのです。そして洗礼者ヨハネの死は無意味な死ではなく、自分に与えられた使命を全うした人生であったことを読者に教えようとしているのです。
②洗礼者ヨハネを投獄したヘロデ
このマルコは洗礼者ヨハネの活動を自分の記した福音書の冒頭から取り上げています(1章1〜8節)。ヨハネは当時のユダヤでは大変評判の高い人物であったようです。主にヨルダン川の周辺で活動していたヨハネの元にはユダヤ全土から人々が集まりました。人々に悔い改めを求めるヨハネのメッセージに多くの人が耳を傾けました。そして進んで自分の罪を告白し、ヨハネはそのような人々に洗礼を授けたと言うのです。このヨハネはやがてヘロデに逮捕され牢に入れてしまいました。なぜなら、ヨハネは自分の兄弟の妻を自分の妻としていたヘロデの行為を律法違反と非難したからです。権力者の犯した罪を大胆に指摘したヨハネの行為は首尾一貫していたと言うことができます。なぜならば彼は立場の弱い一般民衆にだけ悔い改めを求めたのではなく、権力者にまで同じように悔い改めを求めたからです。しかし、ヘロデはヨハネのこの指摘によって悔い改めを示すことはありませんでした。むしろ、ヨハネは自分の律法違反の罪を指摘したヨハネを捕らえて、牢に入れてしまったのです。
14節に「ヘロデ王」という言葉が記されていますが、これは実は正しい呼び方ではありません。正確にはこのヘロデは「領主ヘロデ」と呼ぶ方が正しいと考えられています。このヘロデの父親はクリスマス物語に登場するヘロデ王(このヘロデと区別して「ヘロデ大王」と呼ぶこともある)です。父親はローマ皇帝からユダヤの王と言う称号を正式に受けていました。しかし、ユダヤはこのヘロデ王の死後に、その領土はいくつかに分割されることになり、ここに登場する息子ヘロデはその父親の領土の一部を受け継ぐことしか許されませんでした。それだけではなく、ローマ皇帝は彼に父親と同じ王という称号を与えることはしないで、彼の称号はランクの低い「領主」としたのです。だからもし、ヘロデは民衆がヨハネに扇動されて騒ぎを起こすことになれば、自分の「領主」と言う地位さえ奪われかねないと心配したのです。だからヘロデは洗礼者ヨハネを牢に閉じ込めたのです。それは何とかしてヨハネと民衆との関係を分断しようとしたからです。
②自分を守り続けることで失敗を犯したヘロデ
一方、このヘロデとは違ってヘロデの妻であったへロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうとしたとマルコは語っています(19節)。しかし、彼女の願いはこの後も簡単には実現しませんでした。「なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである」(20節)とその理由を説明しています。ヘロデはヨハネの力を恐れる一方で、彼の語る教えに関心を抱き、当惑しながらも、その教えに喜んで耳を傾けていたと言うのです。この聖書の記述はイエスに死刑判決を下したローマの役人総督ピラトの事情とよく似ています。ピラト自身はイエスが無実であることを知っていました。だから彼はイエスを殺したくないと思っていたのです。しかし、彼は自分の地位を守るためにどうしてもイエスに死刑判決を下し、彼を十字架に付けなければなりませんでした。ピラトは民衆が暴動を起こすことを恐れたのです。今日の物語に登場するヘロデもピラトと同じ役回りを演じています。彼はヨハネを殺したいと考える妻へロディアの策略にまんまと陥ってしまったのです。宴会の席で舞を踊ってみせたへロディアの娘にヘロデは「ほしいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と大言壮語までしてみせたのです。だから娘に「洗礼者ヨハネの首を」と言われても、自分が発言した手前、それを断ることができなくなってしまったのです。
このようにヘロデの行動の特徴は最後まで自分を守ることに徹して生きたと言うことです。もちろん、誰でも自分を守りたいと思って生きています。それは人間の生存本能に基づくものと言ってよいでしょう。しかし、ヘロデは自分を守るためにかえって自分を追い詰めることとなりました。そして最後には自分でも不本意な人生の結末を迎えなければならなくなりました。歴史の記録ではヘロデはやがてローマ皇帝から「領主」としての地位も奪われて失脚してしまい、最後にはローマで死を遂げたと言われています。
3.悔い改めの意味
①洗礼者ヨハネの教えを勘違いしたヘロデ
ヘロデは牢に捕らわれていたヨハネの教えに当惑を感じながらも、喜んで耳を傾けたと聖書は語っています。しかし、この物語の中のヘロデの生き方を見るとき、彼はヨハネの語ることに好奇心を覚えながらも、肝心のところでそのメッセージに耳を傾けてはいなかったと言うことが分かります。
福音書によれば洗礼者ヨハネは人々に「悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」と記されています(マルコ1章4節)。ヨハネのメッセージの中心はこのように悔い改めにありました。しかしこの悔い改めの意味をヘロデは肝心のところで理解することができなかったのです。
この「悔い改め」と言う言葉を一般の人が聞くとまずどう考えるでしょうか。今までのでたらめな生き方を悔いて、生活を正しく改善することを意味していると考える人が多いはずです。しかし、聖書の語る悔い改めは私たちに生活改善を求めるものではありません。聖書の語る悔い改めとは今までの生き方から180度人生の方向を回転させて全く、違った方向に向かわせることを意味しています。それでは私たちはどこからどこに方向を180度回転するのでしょうか。それは自分自身を神とし、自分自身の力を頼りにして生きていた古い生き方から離れて、真の神を神として、その神の力により頼む生活に進むことを意味しているのです。
おそらくヘロデはこの悔い改めの意味が分からなかったのだと思います。むしろ、ヘロデはヨハネの言葉から自分に役立つ言葉だけを選び取ろうとしたのではないでしょうか。ヘロデは自分の今までの生き方を改めることなく、その生き方を強化するためにだけヨハネの教えに耳を傾けようとしたのです。そしてヘロデの人生の失敗の原因は実はここにあったのです。
②イエスによって新しくされる人生
この悔い改めによって生まれる信仰生活は神の力を借りて自分の思った通りの人生を実現させていくものではありません。それでは自分が自分の人生の神となったままで、神はその自分に仕える存在となってしまうからです。これではヘロデと同じように不幸な人生の結末を迎えるしかありません。洗礼者ヨハネは人々に悔い改めを訴えることで人々が自分自身を神とする生き方を辞めて、真の神を神としてあがめ、その神に自分の人生を委ねる生き方を教えようとしたのです。
そしてマルコは洗礼者ヨハネ自身がその教えの通りに生きた人物であることをこの物語を通して伝えています。ここでヨハネはヘロデに対しても恐れることなく、神の律法に従う道を語りました。実はこの言葉はヘロデの罪を指摘するだけではなく、彼を新しい人生に導く福音の言葉でもあったのです。なぜならば、ヘロデに対して律法を語ると言うことは、ヘロデが勝手に自分のために描いた人生設計を棄てて、神が彼のために準備している人生設計図の通りに生きることを促したからです。
最近はリホームと言って古くなった家を改造して、新しい家に甦らせるということが流行になっています。古い家を無駄にすることなく再利用することはよいことだと思います。しかし、聖書が教える悔い改めは決してリホームと言う意味を持つものではありません。なぜなら、私たちの古い生き方は土台から不完全なものなのでリホームでは通用しないのです。聖書の勧める悔い改めは古い家をすべて取り壊して、その敷地に新しい家を建てるようなものだと言えます。だから悔い改めには必ず苦しみが伴います。まず自分が住み慣れた家を壊さなければならないからです。しかし、主イエスは悔い改めた私たちの人生を全く新たにしてくださる方なのです。マルコはこのように洗礼者ヨハネの死を、このイエス・キリストの素晴らしい福音を最後まで宣べ伝えた人物として私たちに伝えようとしたのです。
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祈 祷 |
天の父なる神さま
「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」、「見よ、神の小羊だ」。「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」その生涯を通して主イエスを証しすることに徹した洗礼者ヨハネの声に私たちも正しく耳を傾けることができるようにしてください。そして私たちが日々悔い改めることで、祝福された新しい人生を歩むことができるようにしてください。
主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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聖書を読んで考えて見ましょう |
1.イエスの名が知れ渡り、このことがヘロデの耳にも入ったとき、ヘロデはこれを聞いてどう思いましたか(16節)。なぜ、ヘロデはそのように思ったのでしょうか。
2.ヨハネはどうしてヘロデによって牢に入れられることになったのですか(17節)。
3.ヘロデの妻ヘロディアがヨハネを恨み、彼を殺そうと思っても、それができなかったのはなぜですか(20節)
4.ヘロデは宴会で踊りをおどったヘロディアの娘に何と言いましたか(22〜23節)
5.ヘロディアの娘はヘロデに何を欲しいと願いましたか(25節)。彼女がそう願った理由はどこにありますか(24節)。
6.ヨハネを殺したくはないと思っていたヘロデがこの娘の願いを聞き入れて、ヨハネを処刑させたのはなぜですか(26節)
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