2019.10.6 説教「恵みと平和」


聖書箇所

フィリピの信徒への手紙1章1〜2節
1 キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ。2 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。


説教

1.異邦人のための使徒として選ばれたパウロ
①旧約聖書もキリストの福音を語っている

 今日から皆さんと一緒にこの礼拝で新約聖書の中にあるフィリピの信徒への手紙を学びたいと思います。この手紙は伝道者であり、キリストの福音をユダヤ人以外の異邦人に伝えるために主イエスから選ばれた使徒パウロによって書かれたものであり、そのパウロから当時フィリピと言う所にあった教会のメンバーに宛てて送られた手紙です。
 私たちは先週まで新約聖書のマルコによる福音書をこの礼拝でずっと学んできました。新約聖書の順番で行くとこの福音書が前に来て、手紙と呼ばれる文書は新約聖書の後の方に収録されています。そこで多くの人はこの順番はその文書が書かれた順番を表していると誤解してしまうことがあります。実はこのフィリピの信徒への手紙は私たちが今まで学んできたマルコによる福音書や他の三つの福音書よりもずっと古い年代に記された文書なのです。つまり、この手紙の書かれた時代にはまだ私たちの知っている福音書は存在していなかったのです。
それでは当時のキリスト者たちは礼拝でいったいどんな文書を読んでいたのでしょうか。実は初代教会の時代のキリスト者たちは現在の私たちが旧約聖書と呼んでいる文書を読んで礼拝をささげていました。当時の教会の活動を記した使徒言行録などを読んでみますとそれが分かります。当時のキリスト者たちはキリストの福音を説明するために旧約聖書を引用して人々に語っているからです。旧約聖書の本当の主題もイエス・キリストの福音であって、私たちが読んでいる新約聖書とその点においては同じなのです。ですから、旧約聖書を正しく読み解くなら誰もがイエスへの信仰に導かれることができると言えるのです。
 パウロも伝道の際にこの旧約聖書の言葉を頻繁に用いていたことが分かっています。ただ、ご存知のようにこの時代に一番、旧約聖書の知識を身に着けていたユダヤ人たちの多くはキリストを信じることを拒否して、別の道を歩もうとしていました。それは彼らの聖書の読み方が全く間違っていたからです。ですからパウロはそのような人々に熱心に旧約聖書の正しい読み方を教え、そこに教えられているキリストの福音を明らかにし、このキリストを受け入れるようにと勧めたのです。
 生まれたばかりのキリスト教会は最初、旧約聖書をよく知っているユダヤ人たちがキリストの福音を知って、彼らが福音を受け入れることを願い、活動しました。ところが、この世界の歴史を治めておられる真の神はそのキリスト教会に新たな使命を与えられました。それはユダヤ人だけではなく、ユダヤ人以外の「異邦人」と呼ばれる人々にもキリストの福音を宣べ伝えて、彼らをキリスト者とさせると言う使命です。この手紙を記したパウロは先ほども触れましたように、この異邦人伝道のために特別な使命を受けて活動した人物であると言えるのです。

②パウロに与えられた使命と彼の持っていた賜物

 パウロの生涯と活動については新約聖書の使徒言行録という書物に詳しく記されています。彼は当時たいへん有名な律法学者であり、聖書学者であったガマリエルと言う人物の下で訓練を受けた経歴を持っていました。そして最初はキリストの福音に反対する熱心な活動家としても使徒言行録の物語の中に登場しています。当時のパウロはキリスト者を捕らえて、彼らを根絶やしにすることこそが、神から自分に与えられた重要な使命だと信じ、それを疑うことがありませんでした。しかし、彼の生涯は突然に変わってしまいました。彼はある日、ダマスコと言う町にいつものようにキリスト者を捕らえに行く途中で復活されたイエスに出会と言う体験をしてしまいます。目には見えませんでしたが、パウロはそこではっきりと自分に対して語りかけるイエスの声を聞いたのです。そしてこの事件をきっかけに彼はキリスト者を迫害する者から、キリストの福音を伝える伝道者へと変えられていったのです。
 パウロは神によって異邦人の使徒として特別に選ばれた人物です。イエスが地上におられるころに選ばれたペトロたち他の弟子たちは元々、この世の様々な職業に従事していました。しかしいずれのメンバーも聖書の専門家ではありませんでした。ところが、パウロは幼いころから聖書を学ぶための特別な訓練を受けて来た聖書の専門家のような人物であったのです。しかも彼は聖書の知識だけではなく、当時の様々な学問の知識も身につけていたようです。ですからコリントの信徒への手紙でパウロはキリストを伝えるために自分が身に着けてきた知識を用いることを封印して、十字架の言葉だけを人々に語ろうと決意したとまで語っています(コリント第一2章1〜2節)。その上で彼は当時の国際語と言えるギリシャ語にも堪能であったようです。さらに、彼はユダヤ人でありながらローマ帝国の市民権を持っていたと記されています。この市民権を持っていればローマ帝国の支配地域のどこにでも行って、その地でローマ政府の保護を受けることができました。ですから、まさにパウロの持っていた知識や身分は、彼が異邦人に福音を伝道するために役立てられたのです。
 この使徒パウロを用いてくださった神は、私たち一人一人の人生にも使命を与えてくださる方です。もし、私たちがこの神の使命に答えることができるなら、私たちが持っている知識や様々な条件は豊かに神によって用いられるのです。ですから私たちが本当に一度しかない自分の人生を充実して行きたいと願うなら、神に仕える人生を送ることが最も大切だと言えるのです。

2.パウロとフィリピ教会の人々
①フィリピ教会の創立に関わったパウロ

 何度も語りますようにこの手紙は異邦人の使徒として選ばれたパウロからフィリピの教会に集う人々に宛てられて、書かれた手紙です。聖書の巻末の地図で調べるとこのフィリピはマケドニア、現代のギリシャにあった町であることが分かります。「フィリピ」と言う町の名前は、このマケドニアを治めた有名なアレキサンダー大王の父の名前から取られていると考えられています。
 この手紙は「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ」と言う自己紹介の言葉から始まっています。
実は同じようにパウロによって記された手紙の内容の最初には、自分を「使徒」と言う役割を示す名称を使って紹介するケースが多いのです。ところがここではパウロは自分を「使徒」とは紹介せずに「僕」と言う名称を使って紹介しています。パウロが普段自分を使徒と人々に紹介することには訳があります。それはこれからこの手紙で語ろうとするメッセージに人々が聞き従うようにと促すためです。ですから「使徒」と言う名称は人々がパウロのメッセージに従う必要があることを示す大切な権威付けの言葉でもあったのです。
一方、「僕」は直訳すると「奴隷」と言う意味を持った言葉です。これは自分がイエス・キリストに仕え、そのイエスのために生きている存在であると言うことを表す言葉になっています。おそらくパウロがこの言葉を手紙の冒頭で使うのは、自分とフィリピの教会の人々が共にイエス・キリストに仕え、イエスのために生きていると言う同じ立場にあることを確認したかったからだとうと考えることができます。この言葉にはフィリピの教会の信徒たちとパウロが苦労を共にする信仰の仲間であると言うパウロの思いが隠されているのです。
 パウロがフィリピの教会の人々をそう思わずにおれないことには訳があります。なぜなら、この教会はパウロの伝道によって建てられたものだったからです。今年の夏もアメリカからジョージ・ヤング宣教師が来日され、この教会の礼拝で奉仕してくださいました。先生は来日されると必ずこの教会に来られて、私たちと時間を過ごします。日本に来られた時だけではなく先生はこの教会の人々のためにいつもアメリカで祈り続けてくださっています。それはこの教会が伝道を始めた時から続いているヤング宣教師とこの教会との特別な関係があるからです。パウロのフィリピ教会の人々に対する思いも、これと同じようなものだったと考えることができます。
 私たちはこの手紙を読み進める中でもこのパウロとフィリピの教会の人々との特別な関係を知ることができます。ただ今日はここでは使徒言行録の記した物語を読むことで、この関係の一部をさらに学びたいと思うのです(使徒言行録16章6〜40節)。

②紫布を商うリディアとの出会い

 使徒言行録を読むとパウロは当初、この町に行って伝道する計画を持っていませんでした。自分たちが立てた計画は別にありましたが、その計画がことごとく実現困難になるという試練に出会ってしまいます。そのときパウロはマケドニア人が「マケドニア州に来て、わたしたちを助けてください」と語る夢を見たと言うのです。そしてこの夢に心を動かされたパウロは計画を大幅に変更し、海を渡ってマケドニアに、つまりヨーロッパの地に初めて足を踏み入れて福音を伝え始めることになります。パウロがこのマケドニア州にあったフィリピの町にやって来た理由はそのような事情があったからです。
 パウロはいつも新しい町で伝道を開始するときはその町にあるユダヤ人の会堂を訪れて、そこに集う人々に福音を語りました。当時、ユダヤ人たちの多くは海外に移住し、自分の住むそれぞれの町に会堂を立てて礼拝を行っていたからです。ところがこのフィリピの町にはそのユダヤ人の会堂がありませんでした。おそらくこの町にはまだユダヤ人はそんなにたくさんは暮らしていなかったのかも知れません。しかし、パウロはこの町でも真の神を信じている人々が熱心に集まって祈りをささげている場所があると言うことを探り当てます。彼はその場所に赴いていつものようにキリストの福音を語りました。するとそのとき異邦人の商人で紫布を販売しているリディアと言う婦人に出会いました。そして神の働きによってこのリディアとその家族がイエスを救い主と信じてキリスト者になりました。このようにフィリピの教会の誕生はこのパウロとリディアとの出会いから始まりました。

3.恵みと平和への招待状
①フィリピの町で囚人にされたパウロ

 実はこのフィリピでのパウロの伝道ではもう一つ、大変に驚くべきことが起こったことが使徒言行録の中に報告されています。それはパウロの伝道を邪魔する占いの霊に取りつかれた一人の女奴隷と出会いから始まりました。パウロの力によってこの女奴隷に取りついていた悪霊が追い出されます。すると彼女の占いによって金儲けをしていた人々が騒ぎだして、パウロたちを役人に訴え、彼らを牢獄に入れさせてしまうのです。パウロと彼の協力者シラスは不当な冤罪によって囚人にされてしまったのです。
 不思議な出来事はその晩に起こりました。パウロたちはその時、役人たちから何度も鞭打たれた上に足かせをはめられて牢に閉じ込められました。ひどい仕打ちを受けて傷つけられたパウロたちでしたが、その晩彼らは牢獄の中で神を賛美する歌を歌い、神に祈ったと言うのです。そして他の囚人たちがパウロたちの賛美に聞き入っていると突然、大地震が起こります。すると牢の扉がすべて開き、囚人たちをつないでいた鎖も外れてしまうと言う不思議な出来事が起こりました。
そのとき、囚人たちが全員逃げてしまったと勘違いした、牢獄の番人は責任を取って自害しようとしました。すると暗闇の中からパウロたちの声が聞こえます。「自害してはならない。わたしたちは皆ここにいる」と。この出来事を経験した牢獄の番人はパウロたちに真剣になって問いました。「先生方、救われるためにはどうしたらよいのでしょうか」と。パウロは即座に「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と彼に答えました。この言葉を聞いて牢獄の番人はその家族と一緒にパウロから洗礼を受けてキリスト者になります。彼らもまたフィリピ教会の創立メンバーの一員になったのです。

②神を賛美しつづける囚人パウロ

 実はこのフィリピの信徒への手紙を書いたときのパウロもこのときと同じように囚人の身であったことがこの手紙を読み進めると分かって来ます。パウロはこのとき、ローマに囚人として送られ、その町で不自由や監禁生活を送っていたのです。囚人の生活には自由がありません。さらにパウロは、これからどうなってしまうか分からないような不安な状態にもおかれていたのです。しかし、このフィリピの信徒への手紙の中には彼が自分の不自由を嘆く言葉や、不安を訴える言葉は少しも記されていません。むしろパウロこの手紙の中でフィリピの信徒たちに「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(4章4節)と語っています。また、自らは囚人の身でありながらも、キリストの福音によって自分が誰よりも自由にされていることを証ししているのです。
 かつてフィリピの町の牢獄の中で、何度も鞭打たれ、鎖につながれて、牢にいれられとき、それにも関わらず心からも喜びをもってパウロは神を賛美しました。そのときと同じようにパウロはローマの町の牢獄の中からも神に対する賛美の歌声を上げています。これから私たちが学ぶフィリピの信徒への手紙の内容は、パウロの喜びに満ちた賛美の歌声であると言ってもよいと思います。

「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」(2節)。

獄中に繋がれたパウロに喜びを与え、また自由を与えたのは「主イエス・キリストからの恵みであり平和」であると言えます。そしてパウロはこの「恵みと平和」に私たちもあずかることができるようにとこの手紙を書いているのです。そのような意味でこのフィリピの信徒への手紙は私たちをキリストが与えてくださる「恵みと平和」に招くための招待状であると言うことができるのです。


祈祷

天の父なる神さま
 使徒パウロが記したフィリピの信徒への手紙をこれから学び始めます。どうか私たちがこの手紙を学ぶことで、パウロの抱くことのできた喜びに、また福音による自由に生きることができるように導いてください。そのために私たちをキリストによる恵みと平和にあずかることができるようにしてください。
主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。


聖書を読んで考えて見ましょう

1.あなたも聖書巻末に収められている聖書地図を開いてフィリピの町がどこにあったのかを確認してみましょう。またこの町でかつてパウロたち身にどのようなことが起こったのかを知るために使徒言行録16章6〜40節の物語を読んでみましょう。
2.あなたがもし信仰の仲間に対して自分を紹介するなら、どんな言葉を用いると思いますか。パウロはフィリピ教会の信徒たちにどんな言葉を使って自分を紹介していますか(1節)。
3.パウロはこの手紙の冒頭でフィリピの信徒たちのために何を願っていますか(2節)。