2021.7.4 「知恵が必要とされるとき」


聖書箇所

ヨハネの黙示録13章10〜18節
11 わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。12 この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。13 そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた。14 更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人に命じた。15 第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。16 また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。17 そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。18 ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。


説教

1.もう一匹の獣の登場
①ローマ帝国のキリスト教会への迫害

 今まで何度もお話しているように、このヨハネの黙示録はローマ帝国による組織的なキリスト教迫害に会いながらも自分たちの信仰を固く守ろうとして生きた当時のキリスト者に向けて記された書物と考えられています。
 この黙示録の文章の中には旧約聖書のダニエル書の影響が強く表れていることは皆さんにも既に何回かお話したと思います。特にこのダニエル書は大国バビロニアによって国を滅ぼされたイスラエルの人々が「捕囚」と言って、遠い異国の地で捕虜としての生活を送っていたときのことを記しています。捕囚の地バビロニアという異教の地でこの物語に登場する主人公たちは命がけで自分たちの信仰を守ったことがダニエル書には語られているのです。実はこのダニエル書のメッセージはこの後の時代に起こったセレウコス朝シリアの支配のもとで迫害を受けて、苦しむ人々のために書かれたものだと今では考えられています。セレウコス朝と言うのは世界史を学ぶと登場するアレキサンダー大王の後継者によって作られたギリシャ人の国です。ダニエル書のメッセージはこのセレウコス朝の迫害の下で苦しむイスラエルの人々に希望と励ましを与えるために記されたと考えられているのです。
 現代の日本に住む私たちはこのような教会や信仰者に対する国家からの迫害と言う点では無縁な世界に生きていると考えられるかも知れません。私たちは自由に自分の信仰を選ぶことができますし、自分の決断で教会の礼拝に出席して、信仰生活を送ることができています。しかし、このような信仰の自由がいつの時代にも当たり前に存在し、保証されていたかと言えばそうではありません。私たちの住む日本でもキリスト教会は江戸時代の300年間に渡って迫害され続けて来た歴史を持っています。また、戦前の日本においても天皇崇拝の問題から教会は迫害を受けて、多くの人が苦しんだ経験を持っています。そして私たちの持つ信仰の自由は、国家権力と特定の宗教が結びつくときに大きな危機を迎えることが歴史の中で証明されているのです。
 私たちの学んでいるヨハネの黙示録では、これまで天の戦いに敗れて地上に落とされた竜、つまりサタンがキリスト教会を憎み、その教会に狙いを定めて、戦いを挑む姿を解き明かしてきました。さらにサタンは教会を弾圧するために、海から一匹の獣をこの地上に出現させました。その獣こそがこのヨハネの黙示録の読者たちを今、苦しめているローマ帝国であることを私たちは先週の礼拝でも学んだのです。この巨大な力をサタンから与えられたローマ帝国がキリスト教会を苦しめ続けているのです。地上の国家権力であるローマ帝国はサタンによって操られていると言うことをヨハネは自分の見た幻を通して、黙示録の読者たちに語ろうとしたのです。

②国家権力と結びつく偽りの宗教

 今日の物語にはさらにもう一匹の獣が登場しています。この獣は先に出現した獣が海から上って来たのに対して、「地中から上って来るのを見た」(11節)とヨハネはここで語っています。その上でこの獣が一匹目の獣と違う点はその姿です。「この獣は、小羊の角に似た二本の角があって…」(同節)。この獣には二本の角があったと言われていますが、その容姿は「小羊」であったと言われています。この「小羊」は私たちの救い主イエスを表す象徴的な動物として聖書の中で度々登場しています。つまり、二匹目に登場した獣は、見かけは救い主イエスに似ていると言う特徴を持っています。しかし、この獣は「竜のようにものを言った」と続けて語られていますから、この獣は救い主のような姿をしているが、その語るメッセージはサタンの言葉だと言うことが分かります。このことからこの二匹目の獣は「偽キリスト」とか「偽預言者」を表していると考える人も多いようです。偽キリストも偽預言者も神のメッセージに反する言葉を語り、人々を迷わし、滅びに誘う者たちだからです。
 先に現れた獣は巨大な国家権力を使って人々を支配しようとするサタンの働きを表しました。そしてその次に現れた獣はキリストのような姿をして、人々の心を操り、サタンの支配を実現させようとしていると言うのです。そのような意味でこの二匹の獣は国家権力と宗教が密接な形で結びつき、この地上にサタンの支配を実現し、特にキリスト教会を迫害し、滅ぼす役割を担っていると言うことを表しています。

2.二匹目に現れた獣の活動とその目的
①しるしを使って人々を惑わす

 この二匹目に現れた獣は「致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた」(12節)とも語られています。前回学んだ箇所の3節では「この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった」と記されていました。この言葉はかつてキリスト教会を迫害したローマ皇帝ネロが再び復活したと言うことを語っていると考えらえています。ネロの生涯は彼が自殺すると言う最後で終わりを迎えました。しかし、そのネロが復活したのではないかと思わせるような新たな皇帝が登場し、ネロの迫害にも増して、キリスト教会を苦しめたことをこの言葉は説明しているのです。つまりこの時代にキリスト教会を迫害したドミティアヌス帝は死んだはずのネロが傷を治して、甦って来たような存在であることを黙示録は語っているのです。
 さてこのヨハネの黙示録の言葉からも分かるように、この二匹目の獣の活動の目的は、一匹目の獣を人々に拝ませること、つまり人々に「皇帝崇拝」を行われせることにありました。それではこの獣は自分に与えられた目的を実現するために何をしたと言うのでしょうか。
 黙示録は次のように語ります。この獣は「更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ(た)」(13節)と言うのです。この二匹目の獣は「しるし」を行う力が与えられています。つまり、この獣には人々が驚くような超自然的な奇跡を行うことができたと言うのです。科学文明の発達した現代社会でも「超能力」と言ったものに関心を持つ人は多くいます。そしてこの「超能力を行う」と言う人のほとんどは人間の目を錯覚させるトリックを用いています。しかし、私たちにとって大切なことはその超自然的出来事がトリックかどうかと言うことではなく、それが人々をどこに導こうとしていかと言うところにあります。もし、その出来事を通して人々が真の神以外の偽の宗教や偶像崇拝に導かれて行くとしたら、それはこの黙示録が明らかにしているように確かにサタンの業であると考えることができるのです。
 さらに私たちがここで正しく理解しておく必要があることは、神が示してくださる本当の「しるし」とは何かということです。その答えは簡単であると思います。人々がその御業を通して自分の罪を悔い改め、救い主イエスを信じることができるならば、それこそが神が与えてくださった真の「しるし」であり、本当の神の御業と考えてよいのです。ですから、私たちは目の前に起こった現象の不思議さを見るだけではなく、その現象の目的をしっかりとわきまえて、サタンの業に惑わされないように注意しなければならないのです。

②ものを語る偶像を作り出す

 そして第二の獣が続けて行う業は「剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人に命じた」(14節)と言うことです。つまり、ローマ皇帝を拝ませるために偶像を作ったと言っているのです。興味深いのは続けて語られる次の言葉です。「第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし(た)」(15節)。人間の作り出した偶像の最大の特徴は「ものを言うことができない」と言うところにありました。ところがここに登場する偶像は獣によって息を吹き込まれことで、まるで生きているかのようにものを言うことさえできるようになったと言うのです。サタンは驚くべき力をこの獣に与えたと言うことになります。これによって人々は偶像の語る言葉を、まるで生きた神が語る言葉のように勘違いして聞くと言うことが起こってしまったのです。
 私たちは神の言葉とそれ以外の者が語る言葉を正しく聞き分ける必要があります。以前、教会に知らない人から電話がかかって来ました。「この地球はもう滅ぼされるから、宇宙ロケットを作って宇宙に脱出しないさいと神さまが言っている」。そんな話を私はその人から聞きました。
 私たちにはそれが神の語られた言葉かそうでないかを見極める方法が与えられています。それは聖書の言葉です。なぜなら、神は私たちに語るべき言葉のすべてを聖書の中に記してくださっているからです。ですから私たちはこの聖書の言葉を通して、それが本当に神の語られた言葉かどうかを判断することができるのです。天路歴程と言う小説に登場する主人公は苦難の中で、「お前はもうだめだ。お前は救いようない罪人だ。神さまもお前を見放している」と言うような言葉を耳にします。実はその言葉は彼を惑わすために語ったサタンの言葉なのですが、主人公はそれが分からなくて、苦しむのです。
 私たちは聖書を通して、私たちを救おうとしてくださる神の言葉を正しく聞き分け、私たちを絶望させ、私たちを滅びに誘うサタンの言葉から守られる必要があります。そのためにも私たちに語りかけてくる様々な言葉を私たちが神の言葉だと勝手に思い込んでしまうのではなく、聖書の言葉を通して一つ一つ確かめて行く必要があるのです。

3.苦難の中で必要とされる知恵
①多くの人の右手と額に押された刻印

 さて二匹目の獣はこのようにして巧妙に人々を一匹目の獣である「皇帝」を崇拝するようにとさせます。そしてこの獣は皇帝を崇拝しないものには容赦ない攻撃を加え、彼らの命さえ奪うようなことをするのです(15節)。その結果、どのようなことが起こったのでしょうか。

 「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた」(16節)。

 獣はたくさんの人々の右手と額に刻印を押しました。この刻印は、それを押された者が誰のものであるかを示すものです。この黙示録の7章には天使たちが神の僕たちの額に刻印を押すと言う出来事が記されています(1〜8節)。明らかにこの13章が語る刻印を押さえた者は、この神の僕たちとは違う人々のことを語っていることが分かります。つまり、彼らに押された刻印はローマ皇帝の刻印であり、さらにはそのローマ皇帝に権威を与えたサタンの刻印でもあるのです。誰ものそんな刻印を好んで押しえてほしいと願う人はいないはずです。しかし、この刻印には大きな意味があります。

 「そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった」(17節)。

 この刻印が押された者以外は物の売り買いすることが許されなかったと言われているのです。物の売り買いができなかったら人は生活することができません。つまり、生存権が脅かされることになります。だから人は生きて行くためにこの刻印を額に押す必要がありました。ここには当時のキリスト者たちが味わった困難が記されています。彼らは信仰のゆえに、生存の権利が脅かされて、命を失うような危機に襲われていたのです。

②私たちの「知恵」であるイエス・キリスト

 ヨハネはここで「知恵が必要である」と教えています。

 「賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である」(18節)。

 当時の人々は仲間内でだけ分かるように人の名前を数字に置き換えて呼ぶ習慣がありました。ですから「六百六十六」は誰か特定の人物を指しているものだと考えることができます。残念ながら現在の私たちにはこの「六百六十六」が実際に当時の誰を表していたかを知る材料は与えられていません。しかし、この「六百六十六」と言う数字はすべて桁で完全数である七からは一つ足りないと言うことが分かります。このことからこの名前を持つ者は神によって必ず滅ぼされるべき存在であることが分かるのです。ですから私たちはやがては必ず滅ぼされてしまう存在ではなく、決して滅びることのない神に従って生きる必要があるのです。ヨハネはそのために私たちに「知恵が必要だ」と言っているのです。
 それではここで言われている「知恵」とは何なのでしょうか。そこで私たちが忘れてはならないことは、聖書は私たちの救い主イエスを「知恵」と呼んでいる点です(コリント第一1章30節)。ですから私たちにとって必要な知恵とはイエス・キリストであると言うことが分かるのです。そして厳しい迫害の中で生きた人々はこのイエス・キリストから知恵を受けて生きることができました。彼らは困難な生活の中でも絶望することなく、イエス・キリストのために生きる道を選ぶことができたからです。たくさんの人々がこの知恵によって信仰を貫いて殉教の死を遂げました。しかし、その一方でこの知恵によってその危険を避けて逃げ出す者もたくさんいました。誤解をしてはいけない点は彼らも信仰を捨てて逃げ出したのではないと言うことです。なぜなら、彼らは逃亡した地で、キリストの福音を証することを止めなかったからです。
 使徒言行録を読むと、ユダヤ人によってエルサレム教会が迫害されたときたくさんの人々がエルサレムから逃れて各地に散っていったことが記されています。そしてこの後、キリスト教会が各地に立てられていったのは、このとき散らされた人々の伝道の結果であったと言うことも報告されています。このことは神の計画の素晴らしさを私たちに教えているのではないでしょうか。確かに神の計画に挫折はありません。だからこそ、私たちには知恵が必要なのです。どんな困難の中でも、私たちがイエス・キリストに従う道を選ぶならば、神は御業が私たちを通して実現するからです。だから黙示録の著者であるヨハネも困難の中で、真の知恵であるキリストに従うことこそが私たちに希望を与える道であることを教えていると言えるのです。


聖書を読んで考えて見ましょう

1.ヨハネが幻の中で見た「もう一匹の獣」はどのような姿をしていましたか。またこの獣が語った言葉はどのようなものでしたか(11節)。
2.この獣は「地とそこに住む人」に対して、何をさせましたか(12節)。さらにこの獣はその目的を実現するためにどのようなことを行いましたか(12〜15節)。
3.この獣が人々の右手と額に押した刻印は、どのような意味を持つものでしたか。実際に、この刻印が押されていない人たちはどのようなことで苦しむことになりましたか(16〜17節)。
4.ヨハネは何のためにこの黙示録の読者たちに「知恵が必要である」と教えたのですか。実際に、今の私たちにはどのような知恵が必要だと思いますか(18節)。