ヘブライ人への手紙9章25〜28節(新P.412)
25 また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。26 もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。27 また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、28 キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。
ハイデルベルク信仰問答
問13 しかし、わたしたちは自分自身で償いをすることができるのですか。
答 決してできません。それどころか、わたしたちは日ごとにその負債を増し加えています。
問14 しかし、単なる被造物である何かがわたしたちのために償えるのですか。
答 いいえ、できません。なぜなら、第一に、神は人間が犯した罪の罰を他の被造物に加えようとはなさらないからです。第二に、単なる被造物では、罪に対する神の永遠の怒りの重荷を担い、かつ他のものをそこから救うことなどできないからです。
問15 それでは、わたしたちはどのような仲保者または救い主を求めるべきなのですか。
答 まことのただしい人間あると同時に、あらゆる被造物にまさって力ある方、すなわちまことの神でもあられるお方です。
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