2022.9.18 「聖書の読み方」


聖書箇所

ヨハネによる福音書5章39〜40節(新P.173)
39 あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。40 それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。

ハイデルベルク信仰問答
問19 あなたはこのことを何によって知るのですか。
答 聖なる福音によってです。それを神は自ら、まず楽園で啓示し、その後、聖なる族長たちや預言者たちを通して宣べ伝え、律法による犠牲や他の儀式を通して予型し御自身の愛する御子を通してついに成就なさいました。


説教

1.福音とは何か

 今日も皆さんともに宗教改革の貴重な遺産の一つであるハイデルベルク信仰問答の文章から学びたいと思います。今日はこのハイデルベルク信仰問答の中から問19だけを学びます。この問19は「あなたはこのことを何によって知るのですか」と言う言葉で始まっています。ここで言われている「そのこと」とはこの直前まで論じられてきた「仲保者」に関する聖書の教えを指しています。私たちを罪と死の呪いから解放し、神の子として生きることができるようにと神は私たち人間とご自分の間に立って働いく「仲保者」を遣わしてくださいました。そしてこの「仲保者」は真の神であると同時に真の正しい人間である方でなければならないこと言うことを信仰問答は語って来たのです。ここで問19は「このこと」を私たちは何によって知れるのかと改めて問うているのです。つまり、ここで問題とされているのは、信仰問答が語っている内容が間違いではないことを示す確かな証拠です。そこで信仰問答はこの知識が神によって示されたものであること、つまり神が私たち人間に与えてくださった聖書の言葉によって教えられていると語るのです。
 信仰問答はここで「聖なる福音」と言う言葉を使って、この知識の確かさの根拠を私たちに教えようとしています。この「福音」はギリシャ語では「ユーアンゲリオン」と言う言葉になります。また、この言葉を英語に訳すと「ゴスペル」言う単語になります。日本で作られた映画に「エヴァンゲリオン」と言う作品がありますが、この題名の本来の意味は「福音」と言うことになる訳です。また、日本では歌のジャンルの一つとして「ゴスペル」と言う言葉がよく使われますが、これも本来は「福音」、つまり教会で歌われる讃美歌のことを言うのです。どうも、現代人はこの言葉を本来の意味とは違った言葉で理解し、使っているように思えます。
 「福音」は日本語では「よきおとずれ」とか「よき知らせ」と読み替えることのできる言葉です。古代社会では遠い戦場から届く戦いの勝利の知らせを「福音」と呼んだと言われています。なぜなら、この福音の内容はそれを聞く人々の運命を変えるような大切な知らせだったからです。この時代、もし戦いで自分の国の軍隊が敗れれば、その国は戦勝国の属国となり、住民はすべて奴隷とされる可能性がありました。ですから、遠い戦場から届けられる勝利の知らせは自分たちの安全と自由を保証する大切な情報であったと言えるのです。つまり「聖なる福音」とは私たちの安全と自由を保証することができる私たちにとって大切な「よき知らせ」であると言えるのです。そしてこの「聖なる福音」は神の言葉である聖書を通して私たちに明らかにされたと信仰問答は教えるのです。

2.聖書は福音を伝える書物

 聖書はこの「聖なる福音」を私たちに伝える大切な書物です。最近、日本中を騒がせている韓国生まれの新興宗教団体、日本で反社会的な活動を繰り返し続けているカルト集団はこの聖書を使って、「イエス・キリストは救い主としての使命を全うすることができず十字架に掛けられ死んだ」と教えているそうです。そして自分たちが教祖として敬う人物こそ真の救い主であると主張していると言います。つまり、この集団にとって聖書は「イエス・キリストの失敗を教える書物」でしかなく、「聖なる福音」を伝える書物ではないと言うことになるのです。
 実はこのような聖書の読み間違いは彼らだけではなく、イエスの時代にも存在していたようです。それを伝えるのがこの礼拝で最初に読まれたヨハネによる福音書の箇所の言葉です。当時、ユダヤ人は毎日熱心に聖書を読んで研究していました。ユダヤ人の生活から聖書が無くなってしまったら、ユダヤ人の存在もなくなってしまうような、彼らにとって聖書は最も大切な書物であったと言えます。それではなぜ彼らはそれほどまでに聖書を大切にしたのでしょうか。それは彼らがこの聖書の言葉を通して救いを得ることができると信じていたからです。聖書の言葉によって自分たちは滅びを免れ、神から命を受けることができるとユダヤ人たちは考えていたのです。しかし、彼らはその聖書の肝心な読み方において重大な過ちを犯してしまいます。なぜなら、聖書は神の元から遣わされた「仲保者」、主イエス・キリストを私たちに示し、そのイエスを信じるために書かれたものだからです。しかしユダヤ人たちはその大切な聖書の主題を読み取ることができなかったからです。
 このように聖書の主題は主イエス・キリストです。聖書は神が私たちのために遣わして下さった主イエス・キリストは、まことの神であり真の正し人である「仲保者」だと教え、私たちがその方を信じて、救われるために神が与えてくださった書物と言えるのです。ですからどんなに聖書を熱心に研究していても、私たちがこの主題である主イエス・キリストを見逃したり、またその方を信じることができないならば、その聖書の読み方には重大な誤りがあると言ってよいのです。

3.旧約聖書も福音を語る

 ところで皆さんは「聖なる福音」、つまり「福音」と言う言葉を聞くと聖書のどの部分を連想されるでしょうか。おそらく新約聖書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと言う四人の福音書記者の名前が付けられている「福音書」と言う書物を思い浮かべる人が多いはずです。福音書は主イエス・キリストの御業とその言葉を私たちに伝える大切な書物です。この書物はイエス・キリストを私たちに伝える書物として確かに「福音書」と呼ばれてよいものだと言えます。しかし、福音はこの四つの書物の中だけで教えられているものではありません。なぜなら、新約聖書の中にはこの福音書以外にも様々な書物が納められていますが、そのすべての書物もまた私たちに主イエス・キリストを伝える書物でとして「聖なる福音」を取り扱っていると言えるからです。
 しかし、今日の信仰問答を読んでみると「聖なる福音」はむしろ旧約聖書の内容を通して明らかにされたと説明しているように読めるのです。残念ながら旧約聖書の中には「イエス・キリスト」と言う名前はどこにも記されていません。しかし、このイエス・キリストの存在はすでに旧約聖書の中ではっきりと伝えられていたと信仰問答は教えるのです。いえ、この旧約聖書の主題も「聖なる福音」、イエス・キリストを伝えるものだとまで語るので。
 私たちは案外勘違いをしている可能性があるのですが、新約聖書の中の登場人物、たとえばペトロやパウロと言った人々が「聖書はこう言っている」と言うように語る場合、その聖書とはいったい何のことを指しているのでしょうか。実はこの当時、私たちが「新約聖書」と呼んでいる書物はまだ存在していませんでした。ですから、彼らが「聖書」と呼んでいるものはすべて「旧約聖書」のことを言っていると言えるのです。そして初代教会の人々はペトロやパウロたちが教える「旧約聖書」の言葉を通して主イエス・キリストを示され、その信仰へと導かれたのです。このような意味で私たちは「旧約聖書」も私たちに救い主イエスを示す書物であり、「聖なる福音」を伝えるために書かれたものであるということが分かるのです。

4.聖書の正しい読み方

 今日のハイデルベルク信仰問答の答えは特にこの旧約聖書の正しい読み方を私たちに教えていると考えることができます。たとえばここで「それを神は自ら、まず楽園で啓示し」と言う言葉が記されています。この「楽園」とは神によって創造された人間が最初に住んでいた場所を指していて、人間はここで神の言葉に背き罪を犯して堕落することになります。そして聖なる福音はこのときからすでに人間に伝えられていたと信仰問答は教えているのです。このとき神は人間をそそのかし、罪に陥れた張本人であるへびの姿をした悪魔に対して次のような言葉を語っています。

 「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く」(創世記3章15節)。

 教会はこの言葉が救い主イエスと悪魔の間に起こる戦いを示し、イエスが悪魔に勝利することを示す福音であると理解して来たのです。また、信仰問答は続けて「その後、聖なる族長たちや預言者たちを通して宣べ伝え、律法による犠牲や他の儀式を通して予型し御自身の愛する御子を通してついに成就なさいました」と記しています。
 ここにはアブラハムやヤコブと呼ばれる旧約聖書に登場する「族長」たちが取り上げられています。彼らと神との間で結ばれた約束、またイスラエルの預言者たちが民に伝えたメッセージ、さらには旧約聖書で詳しく取り上げられている律法や犠牲、そしてその他の儀式のすべてが私たちに主イエス・キリストを示すものだと信仰問答は言っているのです。ここに「予型」と言うあまり聞き慣れない言葉が記されていますが、これはこれから訪れる者を予め示すために使われるものと言った意味の言葉です。
 もし、映画館で放映される次の映画の予告編を見て、その予告編だけで満足して、本編を見ないお客がいたとしら、それは映画製作者たちの意図に反する反応だと言えます。つまり、神は私たちに旧約聖書と言う予告編を示し、その本編であるイエス・キリストの福音に私たちを導こうとされるのです。だから、旧約聖書を読むだけで満足してしまう聖書の読み方は神の御心を無視した、大変な間違いであると言えるのです。
 アメリカで作られた映画にインディー・ジョーンズと言う作品があります。シリーズ物でその最初に制作された映画の題名が「失われたアーク」と言うものであったと記憶しています。この「アーク」は聖書の中で「契約の箱」と呼ばれているものです。この箱の中にはイスラエルの民が荒れ野で食べたマナを収めた壺と、モーセの兄であったアロンの使った杖、そしてモーセが神から授かった十戒の書かれた石板が納められていたと言われています。この「アーク」はイスラエルの人々にとって最も大切なものでした。しかし残念ながらエルサレム神殿がバビロニア帝国の侵略によって破壊された際に、この「アーク」の行方も分からなくなってしまいました。映画はこの失われたアークを探し出す冒険を描く興味深い内容になっています。この映画で私が今でも覚えているのは世界支配のために「アーク」を手に入れようとしたナチスの秘密工作員が、見つけ出されたアークの蓋を開ける場面です。何とそのとき、このアークの蓋を開けて中身を直視した人々はたちどころに不思議な力によって跡形もなくその場で消し去れてしまうのです。
 人は誰も神が居られるならその神を知りたい…、またその神の力を自分のものにして、使いたいと考えています。しかし、罪人である私たち人間がイエス・キリストを通さずに直接、神を知ろうとするなら、またその力を利用しようとするなら、このナチスの工作員と同じように悲惨な運命をたどる外ありません。だからこそ、私たちは旧約聖書の言葉も福音の主人公であるイエス・キリストを通して読む必要があるのです。そのとき聖書の言葉は私たちを滅ぼすものではなく、私たちを罪と死の呪いから救い出す福音、神の力となるのです。


聖書を読んで考えて見ましょう

1.あなたを罪と死の呪いから救い出す「仲保者」が主イエス・キリストであることを、あなたは何によって知ることが出来ます。
2.聖書の言葉はどうして私たちにとって「聖なる福音」と呼べるのでしょうか。
3.初代教会の人々は神が人間を救うために遣わされた方がイエス・キリストであると言う「聖なる福音」を、何を使って人々に教えましたか。
4.あなたは旧約聖書を読むときに、新約聖書の内容との違いを感じことがありますか。
5.あなたが疑問に感じている旧約聖書の箇所をキリスト教会が今までどのように理解してきたのかを知るために聖書を解説する参考書などを使って調べて見ましょう。もし、それでも分からない場合は教会の牧師に質問してみましょう。