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礼拝説教 桜井良一牧師
「キリストの復活」

(2008.3.23)

聖書箇所:ヨハネによる福音書20章1〜10節

1 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
2 そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
3 そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。
4 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。
5 身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。
6 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。
7 イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。
8 それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。
9 イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。
10 それから、この弟子たちは家に帰って行った。

1.イエスを見つけ出せないマリア
(1)イースターの歴史

 今朝はイエス・キリストが死者の中から甦ったことを記念する復活祭、イースターの礼拝です。キリスト教の祝祭日ではどちらかと言うと降誕祭、クリスマスが有名ですが、こちらのほうは紀元300年頃からローマなどで始まったお祭りとされています。つまり、クリスマスを祝うようになったのはキリスト教会が歴史で見るとずうっと後のことであったと言えるのです。それに対して、今日私たちが祝おうとしているイースターは違います。むしろ、キリスト教会の歴史はこのイースターから始まったと言って過言ではないのです。
 たとえば、私たちがこのように毎週日曜日の朝、教会に集まって礼拝を献げている習慣は、このイースターの朝、最初にキリストの復活を知った弟子たちの喜びから始まっていると言ってよいのです。ですからキリスト教会はこのキリストの復活の喜びを伝え続けるために毎週日曜日の礼拝を守っているとも言えるのです。言葉を換えて言えば、もし日曜日の朝にキリストが復活されていなかったとしたら、私たちはこのように毎週日曜日に教会に集まって礼拝を献げることはできなかったとも言えるのです。私たちは今朝のイースターの礼拝で、今から二千年近く前にキリストの復活に出会った弟子たちの喜びを追体験できればと思っています。

(2)イエスの墓に向かう婦人たち

 新約聖書の四つの福音書共に最初のイースターの朝、イエス・キリストの遺体が葬られた墓に向かった何人かの婦人たちの姿を記しています(マタイ28:1〜10、マルコ16:1〜8、ルカ24:1〜12)。ところがこのヨハネの福音書ではイエスの墓に向かったのはマグダラのマリアとだけ記しています。ただ、このヨハネの福音書でもこのマグダラのマリアの「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません」と言う言葉から、この日にイエスの墓に行ったのはマリアだけではなく、複数の人々がいたことが分かります。おそらくこの福音書がマグダラのマリアの名前だけをここ記しているのは、この後の11〜18節に記されているイエスとマグダラのマリアとのやりとりがどうして始まったのかを説明するためであったと思われます。つまりヨハネはこの福音書でその他の人々の存在を大幅に割愛してしまったと言えるのです。
 マリアたちがイエスの墓に日曜日の向かったのは、キリストが十字架で死なれてからすぐに安息日が始まってしまったためにできなかった葬りの支度をするためであったと他の福音書は説明しています。このとき、イエスの墓に向かう婦人たちを悩ましていたのはその墓、これは斜面に掘られた洞窟のような墓であったようですが、その入り口は誰も入れないように大きな石でふさがれていたようです。この入り口の石を取りのける力のある人が誰もいないと言うことが彼女たちの悩みの種であったようです(マルコ16:3)。しかし、マリアたちが墓に到着したとき、彼女たちがまず見つけたのはこの石がすでに取りのけられていると光景でした。ヨハネによればこの光景を目撃したマリアは大急ぎでイエスの弟子であったシモン・ペトロと「イエスが愛しておられた」もう一人の弟子のところに行きました。そして先ほども申しましたように次のような言葉を彼らに報告しています。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません」。

(3)見当違いの場所を探すマリア

 マグダラのマリアはこのときイエスの遺体がなくなったことを知っても、イエスが復活したと言うことにはまだ気づいていなかったようです。マリアはここでイエスが「どこに置かれているか分からない」と言っているように、彼女はこのときも必死になって死んだイエスの遺体を捜していたのです。聖書学者たちの見解によればこのヨハネの福音書ではここに使われている「どこに」と言う言葉が大切なキーワードのような役目を果たしていると言います。このときマリアは確かにイエスがどこにいるかを必死になって捜しています。しかし、彼女の捜索範囲は非常に限定されていました。イエスは死んだままであると思い込んでいる彼女は、「その遺体はどこに持っていかれたのだろうか。どこかに盗まれた遺体が隠されているはずだ」と考え、限られた自分の考えの範囲の中でイエスを捜そうとします。ですから彼女はイエスを見つけることができなかったのです。
 この後、マリアが復活されたイエスに出会う場面では大変印象的な言葉が記されます。「こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた」(14節)。マリアはイエスを見つけるために「後ろに振り向く」必要があったのです。彼女はこのとき回れ右をして全く逆の方向に自分の目を向ける必要があったと言うのです。
 私たちは自分の考えの範囲の中で神様を捜そうとする過ちを犯してはいないでしょうか。確かに私たちもこのときのマリアと同じように必死になって神様を、そしてイエス様を捜そうとしています。しかし、はじめから捜しているところが自分の考えの中と言う極めて限られたところだけに目を向けていますから、神様を見つけ出すことができないのです。だから私たちは神様を見つけ出せないまま失望し、また落胆してしまうのです。
 どうして神様がいるのに、世界の平和は一向に訪れず、戦火の中でたくさんの人々の命が奪われるのだろうか。どうして、自分の周りにはこんな不幸な事が起こるのだろうか。この世の現実を見ると神の存在を見いだすことができないと多くの人は考えます。そして、私たち自身もそのような人と出会うと必死になって神様の存在が確かであることを説得しようとします。しかし、そのいずれもマリアのように全く別の方向に私たちの目が向いているのなら、神様を見つけ出すことはできません。私たちに必要なのは、私たちの名前を呼んで、語りかけてくださるイエス様の方に私たちの向きを変えて振り向くことです。つまり、聖書の中で明らかにご自身を示してくださっているイエスに私たちの信仰の目を向けることが必要なのです。そうするなら、私たちはそこでイエスと出会うことができ、イエスを通して示された神様の姿に出会うことができるのです。

2.二人の弟子の証言

 この聖書が記された時代、どんなにたくさんの婦人たちが自分たちの目撃したことを証言しても、婦人の証言は法廷では証拠として取り上げられなかったと言います。その証言が証拠として取り上げられるためには成人男性二人の存在が必要なのです。ですからここに二人の弟子が登場するのは、この証言が確かであることを示すためのものであったと解説する人がいます。イエスの墓の変化をマリアの話を通して聞いたシモン・ペトロともう一人の名前を記されない弟子は急いでイエスの遺体が葬られていた墓に向かいました。
 ここには大変おもしろい記述が登場します。二人の弟子は一斉にイエスの墓に向かって走り出したのですが、途中でシモン・ペトロはもう一人の弟子にぐんぐん引き離されて、結局先にイエスの墓に着いたのはもう一人の弟子の方であったと言うのです。しかも彼はそこで墓の中を外からのぞいただけで、最初に墓に入ったのは後からそこに到着したシモン・ペトロであったとわざわざ報告しているのです。シモン・ペトロは皆さんもご存知のように十二弟子の代表としての役割をいつも果たしています。その点でこの福音書もこのペトロの役割を認めているわけです。つまりイエスの遺体が墓にはなかったことを弟子の代表者ペトロがまず確かめたと言うことになります。しかし、この福音書はこの物語の中で特にもう一人の弟子の存在を強調する傾向があります。「イエスが愛された弟子」、名前は書かれていませんが、彼はこの福音書では特別な取り扱われ方をしているのです。実はこのもう一人の弟子こそ、この福音書を記したヨハネ自身であったと多くの人は考えています。だから、誰もが知ることができないような特別な情報がこの福音書にはたくさん収録されていると言うのです。そう考えてみると、このヨハネの福音書は『私は見た。イエスに愛された弟子の証言』と言った副題をつけてもいい書物なのかもしれません。
 このときイエスの墓に前後して入ったこの二人の弟子は、イエスの遺体に巻かれていた亜麻布が置かれていたこと、しかも頭の部分と胴体の部分を包んでいた亜麻布が離れたところにあり、頭の部分は巻き付けられた形そのままに丸めてそこに置かれていたことを確認しています。もしこのときイエスの遺体が何者かによって盗まれていたとしたら、盗人はわざわざ遺体に巻き付けられていた亜麻布を取り除く必要はありませんでした。そのままイエスの遺体を持っていくはずなのに、亜麻布だけが置かれていたということはおかしなことです。つまりこの情景は亜麻布の中身であったイエスの体が甦られてこの墓から出て行ったことを示すものだと考えられています。

3.見て、信じたもう一人の弟子
(1)不思議な言葉

 実はこの後、大変不思議な言葉がこの箇所に登場しています。

 「それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」(8〜9節)。

 9節の言葉から考えるとこのイエスの遺体がなくなってしまった墓の光景を確かに二人の弟子は目で確認することはできました。しかし彼らはまだ聖書の言葉を理解していなかったので、イエスが復活されたということに気づいていなかったと言うことになります。ところがここで問題になるのは8節の「それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた」と言う言葉です。前後関係から考えて、一番妥当な解釈は「もう一人の弟子も後から墓の中に入り、その光景を見て、マリアが言ったようにイエスの遺体が墓から取り去られたと言うことを信じた」と読む方法です。ところが聖書解釈者たちはここで福音書が用いている「信じる」と言う言葉はそんな簡単な事実を確認する場合には用いられないと言うのです。つまり、この「信じる」は確かにもう一人の弟子の信仰を表す言葉であると言えるのです。
 しかも、聖書解釈者たちはこの何気ない言葉がこの後に登場する弟子トマスと復活されたイエスとの間で交わされた会話で登場する言葉「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」(29節)に呼応するものだと主張しています。このヨハネの福音書に登場するたくさんの人々は絶えずイエスに自分が救い主であると言うことを裏付けるための「しるし」を示せ、そうすれば信じようと迫っています。しかし、イエスはこのトマスとの会話でも「しるし」を見ることなく、信じることができることは幸せ、すばらしいことなのだと言うのです。

(2)ヨハネは何を見たか

 この部分でのもう一人の弟子はどうでしょうか。確かに彼は「見て、信じた」と語られています。しかし、彼が見たのはイエスの遺体がない空になった墓だけでした。この空虚な墓はイエスの復活を信じる者には客観的な証明となりますが、それを信じない者には「遺体は誰かに運び去られた」と言ったくらの事実を示すことにしかなりません。つまり、この出来事は人々が求めた「しるし」ではないと言えるのです。するともう一人の弟子は「しるしを見ないで、イエスを信じることができた」と言うことになるのです。
 どうして、もう一人の弟子であるヨハネは見ないでイエスを信じることができたのでしょうか。私たちは最後にこのことを考えて見たいと思います。そしてこのことを知るために重要となってくる言葉は、先ほどから何度もヨハネが自分について語っている「イエスが愛しておられた弟子」と言う言葉ではなかと思うのです。
 自分のことをこんなふうに言えたヨハネを私はとても尊敬しているのです。でもみなさんの中には「こんなことを言って、自分だけがイエスに特別扱されているなんて、何と厚かましい事を言う人だろう」と考える人があるかもしれません。おそらくそう考える人は私たち人間の関係の中で起こる、お気に入りと、そうでない人との関係をこのイエスとヨハネの関係に読み取ろうとするからではないでしょうか。
 私たち人間は不完全な存在です。誰でも平等に取り扱わなければならならいと口先では言いながら、必ずしも人を公平に取り扱うことはできません。会社でも、学校でも、家庭の中でも、愛される人がいれば、当然その一方で愛されない人が生まれることになります。そして、人は自分が愛される者になるために、意識的に、また無意識にでも一生懸命努力しているのです。何とか相手のお気に入りになって、愛されたいと願うのです。ところがその努力は必ずしも実を結ぶものではありません。困難に努力したのに愛してもらえないと言う不満が私たちには残り、自分は公平に取り扱われていないと感じるのです。

(3)空の墓でイエスの愛を確認する

 それではこのヨハネの場合はどうだったでしょうか。ヨハネも確かに最初はイエスのお気に入りとなるために努力した姿が聖書のあちらこちらに記されています。ヨハネはイエスに愛されるためには自分は一定の条件をクリアしないといけないと考えていたのです。しかし、ヨハネやがてこのイエスの元で、自分はイエスに愛される条件を何一つ持ち得ないものだと言うことを理解していったのです。おそらく、そのことを最もよく彼に分からせるきっかけになったのは、イエスの十字架の出来事であったと思います。なぜなら、彼らはイエスの弟子として当然、イエスを最後まで守る必要があったのにそれをしないで逃げ出してしまったからです。ヨハネは弟子として失格と言われてよかったのです。
 ヨハネが自分のことを「イエスに愛された弟子」と呼ぶことができたのは、いつからのことであったのかはよく分かりません。イエスが復活された後、彼ははじめて「自分はイエスから愛されていた」と知ったのでしょうか。私はそうではなかったように思えてなりません。彼はイエスの弟子として生きようとすればするほど、自分がイエスの愛の対象としてはふさわしくない存在であることを知らされていきました。しかし、その一方でイエスの自分への愛は変わることがなかったことを痛感させられたのです。だからこそ、彼はいつの間にか「こんな私が不思議なことにイエスに愛されていた」と言う確信を抱くようになったのではないでしょうか。そう考えるとヨハネはイエスに特別に愛されていた「イエスのお気に入り」と言うよりは、人一倍、このイエスの愛に敏感な感覚を持った人であったと言えるのではないでしょうか。イエスの行動を見るにつけ、イエスの言葉を聞くにつけ、ヨハネは「ああ、この人は本当にこの私を愛してくれているのだ」と言う確信を抱くようになったのです。ですから「イエスに愛された弟子」と言う言葉は彼のこのような確信を表す言葉だったのです。
 もしかしたら、このイエスの愛に敏感になっていたヨハネだけが、イエスの遺体がなくなっている墓に入って行ったとき、「ああ、イエスの愛は終わっていない。イエスは甦って今も私を愛してくださっている」と感じたのではないでしょうか。だから彼は「しるし」を見なくてもイエスの復活を信じることができたのです。
 確かに、イエスの復活は驚くべき奇跡であったことに変わりはありません。しかしこの出来事を通して私たちが知り得るのは、イエスと私たちとの愛の関係がむしろ、この人間の死と言う現実を超えても変わることがないと言うことではないでしょうか。イエスは私たちを愛するためにこの朝、甦ってくださったのです。このイエスは今どこにおられるのでしょうか。私たちと共におられます。この礼拝に集う私たちと共にいてくださり、私たちを愛し続けてくださるのです。そしてイエスは私たちに永遠の命を与えてくださることで、私たちといつまでも一緒にいてくださるのです。

***
天の父なる神様。
 キリストの復活をお祝いする礼拝に今年もあずかることができたことを感謝いたします。私たちへの愛を貫ぬくために、この朝、死より甦られたイエス・キリストを覚えます。あなたの愛には限りがありません。そしてあなたの与えてくださる命にも限りがないことを信じます。この希望に生かされて、あなたと共に歩む信仰生活を続けさせてください。
主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

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