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礼拝説教 桜井良一牧師
さあ、ベツレヘムに

(2009.12.20)

説教箇所:ルカによる福音書2章1〜20節

1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

1.クリスマスは何の日か
(1)サンタクロースは登場しない

 毎年、私は幼稚園のクリスマス会の礼拝に奉仕しています。そのクリスマス会で最初に園児たちに私が必ず尋ねることがあります。それは「クリスマスって、何の日」と言う質問です。そのとき園児たちの多くは「イエス様の誕生日」と元気よく答えてくれます。でも「サンタクロースの日」と答える園児も中にはいるようです。おそらく、この幼稚園では普段から聖書を園児たちに教えているので、このように正しい回答が返ってくるのだと思います。おそらく同じ質問をしたら、一般の社会ではこの園児たちとは違って、クリスマスは「サンタクロースの日」とか「恋人たちのための日」などと答えが返ってくるほうが多いかもしれません。
 今はこのクリスマスを世界中の人々がお祝いするようになりました。しかし、このクリスマスは決してサンタクロースの日ではありません。なぜなら聖書をいくら読んでも「サンタクロース」という人物は登場して来ないからです。先ほど読んだ箇所はこのクリスマスの起源を知らせる貴重な物語が記されています。ここにはサンタクロースはもちろん登場することはありません。それだけではなく、今では世界中の人々が祝うクリスマスも、最初にそれを祝った人々はごくわずかの、そして特別な人であったことが語られているのです。

(2)約束された救い主

 このクリスマスの起源は聖書が伝えるように今から2000年以上前のユダヤ、それは私たちが現在、「中近東」と呼んでいる地域にあるイスラエルの国のベツレヘムと言う町から始まります。なぜこのベツレヘムの町が登場するかについて聖書はこう記しています。

 「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った」(4節)。

 ここにダビデと言う人物の名前が登場しています。このダビデはユダヤの国の歴史の中で最も偉大な王と考えられています。また彼は同時に真の神様を信じる熱心な信仰者でもありました。旧約聖書に「詩編」という神様を賛美する歌を集めた書物がありますが、この詩編の多くにはこのダビデの名前が記されています。昔からこの詩編はダビデが自分の信仰を詠んだ歌だと人々に考えられてきたのです。その信仰者ダビデに対して神様は約束を与えられました、彼の家系から真の王である救い主が誕生すると言う約束です。
 そしてここにはさらに「ヨセフ」と言う人物の名前が登場しています。このヨセフはマリアの夫で、イエスの養父となった人物です。聖書はこのヨセフがダビデの家系の出身だったと告げることで、そのヨセフの家の子として誕生したイエスがダビデと神様との約束に基づいて生まれた救い主であることを教えているのです。

2.羊飼いがどうして登場するのか
(1)真の羊飼いであるイエスの使命を表す

 救い主イエスはダビデの町と呼ばれるベツレヘムで誕生しました。ところで、聖書はそのイエスの誕生を最初に祝った特別な人々をここで紹介しています。

 「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」(8節)。

 神様がこの世界を救われるために送ってくださった救い主、その誕生を真っ先に知らされたのは夜通し野原で羊の群れの番をしていた羊飼いたちだったと言うのです。ここでどうして彼ら羊飼いがイエスの誕生を最初に祝う人々として神様によって選ばれたのかについては大きく分けて二つの理由があると考えられて来ました。その理由の一つは彼らの職業である「羊飼い」がイエスの誕生と深い関係があると考えられるからです。先ほども触れましたようにイエスはダビデの家系ヨセフの家に生まれました。実はこのダビデもイスラエルの王となる前に、少年時代の一時期は羊飼いとして働いていたのです。また、羊と羊飼いの関係は聖書の中で繰り返し、人間と神様との関係を説明するために用いられて来ました。このような意味で、羊飼いたちはダビデとの約束の関係を思い起こさせ、さらに救い主イエスが真の羊飼いとして私たちのところに来られたことを表す役目をしていると考えることができるのです。

(2)神様の祝福から漏れる人はいない

 しかし、もう一つの説明は、むしろ羊飼いという存在は当時の社会の中で差別され、また無視された存在であったことから考えられています。当時のユダヤでは神様を礼拝するために厳しい律法、つまり宗教的な規則が様々に教えられ、人々はそれを厳しく守るようにと教えられていました。たとえば安息日にはすべての業を休んで、必ず神様を礼拝するため使うことが求められました。そればかりではなく当時のユダヤの人々は日常的に様々な律法に従い厳格な宗教生活を送ることが求められたのです。そのため、24時間羊の番をしなければならない羊飼いたちは安息日はおろか細かい律法を守ることができませんでした。そこで当時、羊飼いたちは宗教的には汚れた存在、神様から見放された存在として考えられていたのです。
 その羊飼いたちを神様はイエスの誕生を最初に祝う人々として選ばれました。そしてそこには深い意味があると昔から考えられて来たのです。つまり、彼らの存在はこのクリスマスの祝福のメッセージから漏れてしまう人は誰一人いないということ示しているということです。クリスマスを前にして、自分にはそんなことは関係ないと考える人がたくさんいます。自分は誰からも顧みられない寂しい生活をしていると考える人は、町々がクリスマスムードに染まり華やいでいるほどに、その孤独感を深刻に感じるものです。しかし、神様が提供される真のクリスマスの祝福はそのように考える人にも提供されているのです。つまり神様はこの祝福から漏れる人は誰一人いないということを示すために、羊飼いを選ばれたのです。つまり羊飼いはいつも人々に忘れ去れてしまう存在の代表選手として登場し、その人々の存在を神様が決して忘れてはいないことを表す役目を担っているのです。

3.羊飼いの行動

 ところで、どんなにすばらしい神様の祝福が提供されていても、それだけでは意味がありません。肝心なことはその祝福を私たちが喜んで受け入れるかどうかというとこにかかってくるのです。聖書はこのイエス・キリストの誕生の出来事の伝えながら「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(7節)という言葉を記しています。このようにイエス・キリストは家畜小屋の中で生まれ、その家畜の餌を入れる飼い葉桶の中に寝かされました。なぜなら、宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからだと言うのです。つまり、私たちすべての人間のために生まれた救い主を人間の世界は拒否してしまったと言うことを語っているのです。だから幼子イエスは家畜小屋で生まれることになったのです。
 しかし、人々が拒否してしまったその祝福を喜んで受け入れた人々が存在しました。それがこの物語に登場する羊飼いたちです。このとき野原で羊の群れのために寝ずの番をしていた彼らは天使や天の大軍の姿を目撃することになります。そして天使は救い主の誕生を彼らに告げたのです。さらに羊飼いはその天使のみ告げを受け入れてすぐにベツレヘムの町へ向かいます。つまり羊飼いたちは天使を通して語られた神様のメッセージに従って、行動したのです。この点においてこの羊飼いは私たち信仰者の模範となっていると言えます。なぜなら、私たちは神様のメッセージを、聖書を通して今も礼拝ごとに聞かされているからです。そして私たちの信仰生活はこの神様のメッセージに応答して、私たちのために神様が提供されている祝福を受け入れることが求められているのです。
 聖書の語るメッセージを聞くだけでは私たちは神様の祝福を自分のものにしたことにはなりません。肝心なのはそこで語られメッセージを神様が今、自分に語られたものとして受け取り、その言葉を信じて信仰生活を始めることです。羊飼いたちはこの天使の言葉に従うことで、「飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子」に出会うことができたのです。そこで彼らは神様の言葉が真実であったことを実際に体験することができたのです。私たちもまた神様の言葉に従って生活するとき、この神様の言葉が真実であることを知ることができます。つまり、神様の祝福を自分のものとするためには、私たちは信仰生活を送ること、神様のみ言葉に従う生活を始めることが求められているのです

4.羊飼いの帰還

 さて、この最初のクリスマスの出来事はさらに私たちに与えられる神様の祝福がどのようなものであるかを示していると言えます。

 「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(20節)。

 羊飼いたちはこの出来事を体験して神をあがめ、賛美しながら帰って行きました。彼らはもと居た場所に戻って行ったのです。彼らが出会った幼子イエスは、羊飼いたちの生活をがらりと変えてしまったわけではありません。また、その幼子に出会った羊飼いたちは、「もう、今までのような退屈で惨めな生活は御免だ。もっと人間らしい生活がしたい」と言って、飼っていた羊たちを置き去りにして、新しい生活を始めた訳でもないのです。彼らは元の生活に戻って行ったのです。
 しかし、確かに彼らの生活は全く変わってしまっています。なぜなら、彼らは神をあがめ、賛美しながら自分たちの居るべき場所に帰って行ったからです。それは今まで、自分たちとは全く無関係が思っていた神様のみ業を彼らは自分たちのものとして確信することができたからです。彼らは神様の救いにあずかったのです。そして、そこに彼らの人生の決定的な変化が起こったのです。
 毎週、夜の祈祷会で宗教改革者カルヴァンが記した「キリスト教綱要」と言う本に記された祈りについての文章を読んでいます。先日、その中で興味深い話題が取り上げられていました。先日の箇所では、聖書を読むと明らかに神様のみ心にそわないような祈りを捧げた人物がいて、しかも彼らのその祈りを神様が聞いてくださっているような記事が記されています。だからどんな祈りを捧げるべきかを、そんなに真剣に、また難しく考える必要はないのではないかと主張する人がいると言うのです。しかし、キリスト教綱要でカルヴァンはこの疑問に対して、こう簡単に答えています。神様はときには御心に添わない祈りに答えてくださることがある。しかし、だからといって、神様に自分たちの祈りが聞かれた人々が救われている訳ではないと言うのです。
 私たちは普段自分の都合のいいように人生が進むことを願い、それを祈り求めています。またそれが私たちの人生にとっての祝福だと考えているところがあるのです。しかし、神様が私たちに与えてくださる祝福はそのようなものではありません。むしろ、私たちがどのような状況に立たされても、神様が支えてくださること、そしてその人生が神様の準備してくださった永遠の命に導かれていくことが祝福だと教えているのです。
 羊飼いたちはまさにその神様の祝福と救いにあずかることができたのです。確かに彼らはもとの居た場所に戻っていきました。しかし、彼らの人生はここで全く変わってしまっているのです。救い主イエスによって神とともに歩み、また神の準備された永遠の命の祝福へと向かう人生が彼らに与えられたのです。クリスマスの祝福は私たちの人生にこの祝福を提供しています。そして、その祝福を私たちが受けるためには、聖書を通して示される神様のメッセージを受け入れ、それに従う信仰生活の歩みを始めることが大切なのです。

【祈祷】
天の父なる神様。
 今年もクリスマスを祝う礼拝に私たちを導いてくださりありがとうございました。最初のクリスマスを祝うために選ばれた羊飼いと同じように、私たちがあなたのみ言葉に、信仰を持って答え、従うことができるようにしてください。そしてイエス・キリストを通して与えられる救いの祝福を喜び、神様をあがめ、賛美する信仰生活を続けることができるようにしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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