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カルヴァン
キリスト教綱要
礼拝説教 桜井良一牧師
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神への信頼

(2010.01.24)

聖書箇所:ヨハネによる福音書14章1節

1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。
2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
8 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、
9 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。
10 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。
11 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
12 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。
13 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。
14 わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」

1.年間聖句と年間テーマは何を意味するか

 今年も会員総会のために年間聖句と年間テーマを選びました。しかし、ここで最初にこの聖句とテーマを説明する前に、そもそも教会の年間聖句とテーマとはどういう意味をもつものかについて少し考えて見ることにしましょう。
 何年か前のことCRCミッションの企画したビジョンツアーの一行が北朝鮮に行ったことがありました。そして厳しい監視下の元でなされたその旅行の報告を、スライドを見ながら聞いたことがありました。遠くに移された山は日本の風景とは全く違って、木も草も茂らないはげ山のような殺風景な姿が広がっています。そしてそこに遠くから一望できるように驚くほど大きな文字の看板が立てられているのが見えました。私は簡単なハングルならすぐ読めるので、そこに書いたある言葉の意味がすぐにわかりました。「21世紀の太陽。金正日将軍万歳」と言う言葉です。おそらく、この看板は北朝鮮の国民の心を操作して、独裁者への忠誠心を植え付けるために作られたものなのでしょう。北朝鮮では田舎でも都会でもこのような国民の心を操作する看板があふれていると聞いています。
 北朝鮮に限られることなく、このようなスローガンは資本主義の支配する私たちの住む日本でもあちらこちらに存在します。「安全第一」とかいろいろな看板が町にはあふれていますし、勉強部屋に「東大一直線」と書く受験生もいるはずです。このような場合、スローガンはそこに書かれた内容が実現されるよう努力し、そのために自分の心を誇負させる役目があります。そして確かにこのような性格が私たちの掲げる教会のテーマにもあることは否定できません。私たちは今年掲げられた教会の年間テーマに向かって心を一つにして、教会生活を歩もうとしているからです。
 しかし、この年間テーマの背景にある年間聖句は世の中で使い古されるスローガンとは全く違った性格を持っていることを私たちは忘れてはならないと思います。なぜなら、この聖句は神様の言葉そのものであるからです。そしてその言葉は神様が私たちに語られた約束であるからです。つまり、この聖句の内容を実現させるのは私たちの側の努力ではなく、神様の御業なのです。神様がこの聖句を通して必ずそれを実現してくださると私たちに約束してくださっているからこそ、私たちは今年一年間の教会のテーマに従って信仰生活を送ることができるのです。つまり、教会の年間聖句と年間テーマの背景にあるものは、必ずその聖句を私たちの上に実現してくださる神様の側の誠実な約束があることを私たちは決して忘れてはならないのです。なぜなら、ここに記された言葉はむなしく消えていく人間の言葉に根拠を持っているものではないからです

2.ローズンゲン
(1)不安の中で神の言葉を聞く

 ところでこの今年の年間聖句について、私がこの聖句を選ぶことになったきっかけを少しお話したいと思います。昨年の10月に大阪で改革派教会の大会がありました。昨年の大会の大きな議論は世界を揺るがしたリーマンショックの影響で起こった金融危機の問題でした。どうして、それが大会の大きな課題になったかと言えば、教会の資産の多額の部分がこのような金融商品に変わっていたからです。その財産をゆだねられた人たちが本来ならば資産を有効活用して、少しでも増やしたいという願いから購入した商品でしたが、それが今では全く価値がなくなってしまったりして、多額の資産を教会が失うことになったのです。その大会ではどうしてこのようなことが起こってしまったのかと言うことが議論の的となりました。しかし金融の専門家ではない議員たちですから、議論はなかなか前へと進みません。そんなとき、私は会場の入り口に出張してきていたキリスト教書店が陳列している本の中から、「日々の聖句」と言う小さな書物を購入したのです。そしてその表紙を開いた私の目に2010年の「年の聖句」としてこのヨハネによる福音書の14章1節の言葉が飛び込んできたのです。
 もちろん、私は大会の真剣な議論が無用なものだとは思っていません。ただ、そのような議論に耳を傾けながら教会の将来について不安を覚える私はこのイエスの「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」と言う言葉に深く慰められ、励まされたのです。なぜなら、そこには私たちの教会と私たち自身が立たなければならない約束の言葉がはっきりと語られていたからです。

(2)確かな慰めと励まし

 ところでこの「日々の聖句」と言う書物を皆さんは知っているでしょうか。ヨーロッパでキリスト教信者が毎日聖書を読むために作られた最も有名な聖書日課で「LOSUNGEN(ローズンゲン)」と呼ばれているものです。私が購入した本はその最初に「第280版」と記されていますから、今までこの書物が280年間出版され続けてきたことがわかります。この本の序の部分にこの聖句が選ばれた理由についての解説がつけられていました。少し長いですがここに引用してみます。
 『今年1年、365日、私達を支えてくれる御言葉は何と慰め深いことばでしょう。世界は恐怖で満ち、私達を骨の髄まで震え上がらせたりします。その中でイエスは言われるのです:私と父を信頼しなさい、頼りにしなさい、と。私のこの手の中からあなた方を奪い取るのは絶対に不可能だ、と。私はあなた方をしっかりと支え、気をつけていますよ、と。私が知らない事があなた方におきる事は無いのですよ、と。
 いわゆる安全性を放棄して御手にその身を委ねるのは多くの人々には難しいようです。何故かといえば、自分自身の影響や支配の能力を断念しなくてはならないからです。その一方、信仰による得難い経験をしている人もあります。人の世にはもうこれ以上どうにもならない、解決の道は無いと思う事が少なくありません。でもそういう時に、神は人やしるし、あるいは御言葉を通して、すぐ近くにおられる事を明らかにされました。それらが助けとなり、新しい道が示されました。後になってから、神が直接介入なさり、神は自ら造られた物をお忘れにはならなかったとわかるのです。
 2010年のこのローズンゲンが、私達の救い主イエス・キリストとその父とを信頼する勇気を皆様に与え、前述のような良き経験を重ねられますように。御言葉は何よりも私達の生き方を元気づけ、明るくし、恐れをとり去り、恐怖が決定的な力とならないようにしてくれるのです。(ヘルンフート兄弟団)』
「私と父を信頼しなさい、頼りにしなさい、と。私のこの手の中からあなた方を奪い取るのは絶対に不可能だ、と。私はあなた方をしっかりと支え、気をつけていますよ、と。私が知らない事があなた方におきる事は無いのですよ、と」。ここにこの聖句が示す私たちに対するイエスの約束がわかりやすく言い直されています。私たちを支えてくださる主イエスに信頼し、そのイエスを私たちのために遣わしてくださった父なる神の計画に私たちは信頼してこの一年の歩みを始めたいのです。

3.責任者は神様
(1)あなたを絶対に忘れない

 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」。この言葉について説教する説教者は、この小さな聖句の中に汲み尽くすことのできない主イエスの恵みが隠されていることに驚かされます。そして、この言葉をどのように解説すべきかに戸惑うのです。なぜなら、説教者は皆このイエスの恵みの言葉を損なうような解説をしてはならないと恐れるからです。しかし、あえて語るならばこのイエスの言葉の本当の意味を解説することは私たち人間には不可能です。しかし、だからと言って私たちはこの言葉の意味が全く理解できないと言うのではありません。むしろ、ここでイエスが約束されているように実際に「神を信じ、イエスを信じる」者には必ずこの言葉の意味する恵みが聖霊によって示されるからです。
 この聖句はイエスが十字架にかけられる前に弟子たちに語った言葉の中に記されています。この後を読むと弟子のトマスが語った「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」(5節)と言う言葉が登場します。またもう一人の弟子フィリポの語った「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」(8節)と言う言葉が語られています。どちらの言葉にもこのとき弟子たちが抱えていた大きな不安が隠されています。弟子たちは今まで主イエスだけを頼りに生きて来ました。ですからその主イエスが自分から離れてどこかに言ってしまうとことを聞いたとき、驚きを覚え、不安を感じたのです。イエスは「父なる神を信じなさい」と言うが、その神様を自分は今まで見たことがない、本当にそれで大丈夫なのだろうかと不安を抱いたのです。そして彼らはその不安を自分の力では解決することができなかったのです。
 人はどんな立派な真理を聞くことができても、それで満足し、また慰められることはできません。なぜなら、それだけではその語られている真理と自分自身との関係が分からないからです。しかし、主イエスは私たちに次のように語られるのです。「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」(2〜3節)。「私は決してあなたを忘れない、今から私がすることはすべてあなたのためだ」とイエスは言ってくださっているのです。そしてイエスは語ります。「わたしを見た者は、父を見たのだ」(9節)。目に見えない神様の御心を、しかも私たちに対する神様の御心をイエスは私たちのためにはっきりしまされるために来られた方です。そのイエスが、私たちを忘れない、あなたのために私はこれからのことをすると言ってくださっているのです。ですから私たちはこの真理を忘れないことにしましょう。

(2)神様に期待を寄せる

 今年、私たちの南越谷コイノニア教会は新しい伝道者を教会の牧師として迎えようとしています。そして私たちはこのこともイエスが私たちのために準備されたことであると受け止めたいのです。神様は私たちの教会を決して忘れることはありませんでした。そしてそこに集う私たち一人一人を忘れることはなかったのです。神様はこのようにして私たちのために語られた約束の言葉を実現させようとしています。ですから私たちはこの主イエスに期待を寄せながら、教会に赴任する新しい伝道者とともに教会の歩みを続けたいのです。
 しかし、そのとき私たちが忘れてはならないことがあります。このイエスの言葉は私たちの教会の歩みが順風満帆な航海のようであると約束している訳ではないからです。それはこの言葉をイエスから実際に語られた弟子たちのその後の歩みを見ても明らかです。この後、キリストの教会は何度も危機に直面しながら歩み続けました。その中でどうしてこんなことが起こるのだろうと言う体験を弟子たちはしたのです。しかし、歴史の事実はキリストの教会がむしろこのような危機を通して、世界に広がり、また成熟していったことを教えています。危機に直面するとき私たちは不安を抱きます。なぜなら自分の力ではそれを解決することができないと思えるからです。しかし、神様はそのような危機を通してむしろご自身の御業を豊かに表してくださるのです。
 こんな話を聞いてことがあります。「学校教育の危機をどうするか」、そんなテーマを取り上げて話し合うと必ず教師の集まりでは「最近の家庭、子供たちの親がなってない」と結論づけます。また子供たちの親の集まりでは、「教育現場に派遣された未熟な教師たちが問題だ」と言う意見で一致します。それでは親と教師がともに集まるところではどうなるのでしょうか。「このような教育制度を作り出した政府に責任がある」となると言うのです。皆、問題が起こると責任者捜しをし、そしてその責任から逃れるために一生懸命になります。
 しかし、私たちの教会の責任者は、そしてこの世界の責任者は主イエスとその父なる神にあることを私たちは知っています。だから私たちは、この神様にどこまでも信頼を寄せて歩みたいと考えるのです。そして神様はその信頼を寄せる私たちに聖書の約束が真実であることを教えてくださるのです。ですから年間聖句と年間テーマによって私たちは自分自身にではなく、神様に期待を寄せる者であることを確認したいのです。

【祈祷】
天の父なる神様。
 新しい年を始めるにあたり、私たちのあなたに対する信仰をもう一度奮い立たせてください。あなたの約束の言葉は人間の作ったスローガンとは全く違うことを覚えさせてください。私たちの抱える不安をあなたにゆだね、この教会と私たちの信仰生活の上に実現しようとしている主イエスの御業に私たちが期待することができるようにしていください。
主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
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