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カルヴァン
キリスト教綱要
礼拝説教 桜井良一牧師
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同じ約束にあずかる者となり

(2011.01.02)

聖書箇所:エフェソの信徒への手紙3章2〜6節

2 あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。
3 初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。
4 あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。
5 この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や"霊"によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。
6 すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。

1.異邦人の救い
(1)公現日の意味

 今日は教会のカレンダーでは「公現日」と呼ばれる主日になっています。公現日は占星術の学者たちが幼子イエスに会い、礼拝したことを記念する日です。そしてマタイによる福音書がその物語を私たちに伝えています(2章1〜32節)。今朝の礼拝のテキストは教会暦がその福音書に記された物語とともに読むようにと指定されているパウロが記したエフェソ教会の信徒への手紙です。この手紙の箇所では特に、異邦人に福音が伝えられ、彼らが神様の救いを受けることが神様の計画であったことが明らかにされています。そしてその計画がイエス・キリストによって私たちにはっきりと示されたと語っているのです。
 公現日の登場人物である占星術の学者たちは「東の方から」(2章1節)やって来たと言われています。そこで彼らはおそらくペルシャやアラビアと言った他国からやってきた人々だろうと考えられているのです。つまり、ユダヤ人とは異なる人々、聖書が語るところの「異邦人」たちであったと言えるのです。ですから、その異邦人がイエス・キリストを礼拝するという出来事の意味がこのエフェソの信徒への手紙の文章で示されている神様の計画の実現であったことがこの主日の主題であると言ってもよいのです。

(2)キリスト教徒とユダヤ教

 先日、わかりやすいニュース解説をすることで有名なニュース・キャスターの池上彰さんはあるテレビ番組の中でキリスト教とユダヤ教の違いについて、聖書が約束している「救い主」をイエスと信じるか、それとも別の人物でその救い主が来ることをまだ待ち続けているのかで、キリスト教とユダヤ教は分かれたと言った説明をしていました。確かにキリスト教の中心的な教えはイエスこそ聖書に約束されたキリスト、つまり救い主と信じることにあると言うことには間違いないことだと思います。しかし、ユダヤ教とキリスト教の違いはイエスを救い主と受け入れるかどうかによって、聖書の解釈が大きく変わり、様々な点でさらに大きな違いが生まれたと言うことができるのです。
 今日の聖書本文の中でとりあげられているのは、神様の救いはユダヤ人以外の外国人にも与えられるかと言う問題です。当時のユダヤ人は神様の救いは自分たちの民族にだけ与えられると考えていました。つまり、神様の救いにあずかるためには、神様を信じるだけではなく、その人がユダヤ人になる必要があったのです。ところが、エフェソの信徒への手紙を記したパウロは神様の救いを受けるために外国人はわざわざユダヤ人なる必要はなく、イエス・キリストを信じるだけでよいと主張したのです。ですからパウロはユダヤ人と対立し、また彼らの憎しみを受けることになったのです。

(2)囚人パウロ

 今日の聖書箇所の直前には「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは……」(1節)と言う言葉が記されています。この「イエス・キリストの囚人」と言葉の意味は様々に解釈することができます。しかし一番、自然なのは「イエス・キリストのために囚人となっている」と読むことです。確かに聖書を読むとパウロは逮捕され、投獄されていたことがわかります。そしてこの手紙は投獄中のパウロが記したものと考えられているのです。ただ「イエス・キリストのために囚人となった」と言う言葉にはそのイエスの責任を責めるような意味は全くなく、むしろ自分が「イエス・キリストのために囚人となっている」と言うことが自分にとっての何よりも名誉であることが示されていると言えるのです。
 ここではパウロが囚人であったことを巡って、一つの問題が生まれていたことが想定されるのです。つまり、パウロの教えに反対する人々は、パウロが自由を奪われ犯罪人として裁かれ、投獄されていることを彼への攻撃の絶好の材料としたのです。そしてそれはパウロの教えが誤りであるとことを示すものだと主張し、パウロの伝道によってイエスを信じた人々の心を動揺させていたと考えることができるのです。ですからパウロはそのような攻撃によってエフェソの教会の人々が動揺することなく信仰生活を送るためにこの文章を書いていると言えるのです。

2.パウロは何を頼りとしたか
(1)獄中で賛美するパウロ

 第二日曜日の食事会の後に行われるグループ別聖書研究会はコリントの信徒への手紙一を終えて、次回からパウロの記したフィリピの信徒への手紙を学ぼうとしています。実はこのフィリピの信徒への手紙も今日読んでいるエフェソの信徒への手紙と同様にパウロの書いた手紙の中では「獄中書簡」と呼ばれるグループに分類されています。つまり、獄中にあったパウロが教会に書き送った手紙の一つなのです。そこで次回の聖書研究会のテキストの設問の中にはフィリピの町でとらえられたパウロとシラスの二人の物語を説明して、「あなたも同じように牢屋に閉じ込められていると想像してみなさい」と言うものが出てくるのです。身体の自由を奪われ、厳しい環境の場にとらわれたなら、私たちはいったいどうなってしまうのでしょうか。おそらく「どうして自分はこうなってしまったのだろうか」と自分の今、置かれている現実を嘆くことに時間を使い果たすことが普通の人の姿でしょう。ところが、パウロとシラスはこの獄中で現実を嘆くのではなく、むしろ神様を賛美したと言うのですから驚きです(使徒言行録16章)。
 彼らは獄中にあってなぜ神様を賛美することができたのでしょうか。その秘密がこの手紙の中に示されているといえるのです。なぜならパウロはこのとき異邦人への伝道という神様からいただいた大切な使命を果たすことによって、獄中にとらわれの身となっていたからです。パウロがエルサレムで捕らえられて、ローマに護送された出来事は使徒言行録に詳しく記されています。パウロの投獄の理由はまぎれもなく彼が異邦人のために働いていたことがユダヤ人の反感を買ったためだったのです。そしてパウロは自分が異邦人伝道を確信を持って行った理由と、その伝道をユダヤ人たちが理解できず、反感を持った理由を説明しているのです。

(2)キリストを通して示された神の計画

「この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や"霊"によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました」(5節)。

 神様の救いの計画は最初からユダヤ人ばかりではなく世界のすべての人を対象にしたものでした。それはキリストがこの地上に来られ前には人々に知らされることがありませんでした。もちろん、旧約聖書の中にはこのことを預言する言葉が数多く登場しています。しかし、その意味を私たちがはっきりと理解することができるのはキリストが現れた後にのみ可能となるのです。たとえば、私たちがこのクリスマスの礼拝にかけて何度も読んだ創世記3章の「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く」(15節)と言う神様の約束の言葉の本当の意味は、イエス・キリストの出現を通して初めて理解できるものなのです。イエス・キリストを知らない人にはこの言葉の本当の意味は理解できないのです。
 しかもパウロはここでその計画が「今や"霊"によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました」と語っています。今までは神様の隠された計画でしたが、今はイエスを救い主と信じ受け入れる人々に神様は聖霊を遣わして、その計画が真実であることを証してくださったのです。つまり、この秘められた計画はイエスをキリストと信じ受け入れることのできない人には到底理解することのできないものだとパウロは言っているのです。
 自分の人生はどうしてこうなってしまったのだろうかと私たちは考えることがあります。一生懸命に考えてもその意味を理解することができずに、悩み苦しみことが多い私たちです。しかし、パウロは獄中の中で自分の人生の意味を自分の知恵で理解しようとするのではなく、神様の隠された計画、イエス・キリストによって示された計画の中で理解しようとしたのです。そうすることでパウロは自分の今経験している苦しみが無意味なものではなく、神の計画の内に自分が用いられている証拠であることを確信し、神様に賛美の声を上げることができたのです。
 公現日の日に幼子イエスに出会った占星術の学者たちも、このイエスを通して自分の人生の意味を知ることができた人々だと思います。人間は意味のない行為を繰り返すことに耐えることができずに、そのままでは最後には精神に破綻を来してしまうと言われています。パウロが獄中という人間としてはきわめて厳しい環境に置かれながらも、神に賛美を捧げることができたのは、彼の精神が健康であったことを表しています。そしてその秘訣は彼が自分の人生の目的をイエス・キリストによって示された神様の救いの計画を通して理解しようとしたところにあったと言うことがここでは分かるのです。

3.キリストにあって明らかにされた計画
(1)神の計画に従って起こった出来事

 パウロは続けて語ります。「すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです」(6節)。
 イエス・キリストによって示された神様の救いの計画に従えば、異邦人の救いは偶然や、あるいはユダヤ人を救うための付録といったものではなく、神様の最初からの計画に基づくものであったことが分かります。
 確かに、歴史の出来事をたどると異邦人に対する伝道は思いがけない出来事の連続の上に起こったようにも見えるのです。ユダヤ人によるキリスト教徒への迫害によってエルサレムから脱出した多くの人々が、散らされて行った逃亡先の外国で福音を告げ知らせると言うことが起こりました。しかも、その迫害の中で当初、この手紙を記したパウロはキリスト教徒を弾圧したユダヤ人の一人として行動したのです。
 後に復活されたイエスによってキリストを信じる者とされたパウロは、最初は海外にあったユダヤ人の会堂で伝道を開始したのですが、ユダヤ人の拒否に出会い、その伝道の対象を異邦人に変えていきます。そしてついにパウロは異邦人のための使徒として働くことになったのです。これらの出来事は人間の立てた計画によって起こったことではありません。人間の目から見れば偶然の連続のように思える出来事なのです。しかし、パウロによればこれらのことは神様の隠れた計画が実現するために起こるべくして起こった出来事であったと言うのです。そしてこれらの出来事を考える時、私たちは人を救う神様の業に偶然は何一つないと言うことがわかるのです。すべては私たちを救うという目的のために神様が導いてくださったことだと言えるのです。

(2)神様の計画の中に入れられている私たち

 私たちがイエスを救い主として受け入れて、今このようにして共にこの教会堂で神様を礼拝することができていることも、この神様の計画に基づくものなのです。私たち一人一人は偶然にここに集まったのでも、ついでにここに導かれたと言うのでもないのです。神様の計画に従ってここに召された者たちなのです。
 これはどんなに素晴らしことではないでしょうか。確かにこの世には様々な人間の作った計画が存在します。しかし、その中に私たちの存在を明確に理解して、その計画の重要な一部分として私たちを入れているものがあるでしょうか。むしろ、私たちのような小さな存在は多くの場合に忘れ去れ、また無視されてしまうことがあるのです。しかし、神様の計画はそうではありません。そして私たちのような小さな存在にその神様の大いなる計画の中で重要な位置が与えられているのです。
 パウロに喜びと確信が与えられのは、この神様の計画の中に自分の存在を見いだすことができたからだと言えます。そして、その喜びと確信を私たちも受けることができるとパウロは私たちに教えるのです。そのためには私たちはいつも、イエス・キリストを信じ、そのイエスを通して示された神様の計画の中に自分の存在を見いだすことが大切なのです。これは難しいようですが、決してそうではありません。なぜなら、神様は私たちをも伝道のための貴重な働き手としてこの教会に召してくださっているからです。私たちがこの与えられた場所で神様のために働くことを通して、神様は私たちに喜びと確信を与えてくださるのです。このことを覚えて、今年一年の新しい信仰の歩みを始めて行きましょう。

【祈祷】
天の父なる神様。
 今年の一年の歩みをこのように始めることができたことを感謝します。神様の救いの計画の内に、私たち一人一人を召してくださり、この教会に集めてくださったことを感謝します。私たちもまたパウロと同じようにあなたに使えることができるようにしてください。困難や苦しみの中にあってもあなたの与えてくださっているその出来事の本当の意味を知り、喜ぶことができるようにしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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