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カルヴァン
キリスト教綱要
礼拝説教 桜井良一牧師
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星のように輝く

(2011.03.06)

聖書箇所:フィリピの信徒への手紙2章12〜18節

12 だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。13 あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。14 何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。15 そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、16 命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。17 更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。18 同様に、あなたがたも喜びなさい。7わたしと一緒に喜びなさい。

1.神の恵みに対する従順
(1)私たちの「へりくだり」とイエスの「へりくだり」

 パウロの記したフィリピの信徒への手紙を続けて学んでいます。ローマの獄中に囚われの身となっていたパウロはフィリピの教会の人々にこの手紙を送ることで、自分と同じ信仰の戦いに加わるようにと促しています。その戦いは様々な試練を伴う厳しい戦いでしたが、キリストによって必ず勝利へと導かれものでした。しかも、その信仰の戦いを戦い抜く者にはパウロが神様からいただくことができた喜びが、同じように与えられると言うのです。
 戦いに勝利するためにはそれにふさわしい装備、あるいは戦力が必要となってきます。昨年末にNHKで放映された「坂の上の雲」と言うドラマでは、日本がロシアとの戦いに向かっていく時代の姿が描かれていました。その時代に欧米列強との戦いに勝利するために、日本は莫大な軍事費を捻出して近代兵器を買いそろえて戦いに備えました。そのため、日本国民全員が食うや食わずの貧困に陥っていたと言われています。
 戦いに勝利するためには相手よりもさらにたくさんの戦力、また優れた武器を持っていなければならないのがこの世の常識です。しかしそれに反して信仰の戦いはむしろ、私たちがもっているものを捨てることが大切であるとパウロは教えています。それがパウロの教えた「へりくだり」の道です。今まで自分にだけ向けられていた関心を他の人に向けること、しかも互いに相手を自分よりも優れた者として認め合うことが私たちにとっての「へりくだり」の道であることをパウロは教えたのです。そして、それが可能となるために神の子イエスが人となり十字架で命を捨てられました。このイエスのへりくだりによって私たちをすでに救いに入れられているとパウロは語ったのです。この救いがあるからこそ、私たちの「へりくだり」の道は可能となったのです。
 今日の箇所でパウロはこのキリストの御業によって実現した救いの出来事を受けて、さらにフィリピ教会の人々に語り続けています。

 「だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい」(12節)。

 パウロはここでフィリピの教会の人々が今までも従順であったように、これからも従順であり続けなさいと勧めているのです。

(2)何に対する従順か

 どんな戦いにおいても指揮系統が乱れて、兵士がそれぞれバラバラな行動をしたら大変なことになってしまいます。ですから兵士は彼らの指揮官に従順でなければなりません。それができなければ戦いに勝つどころか、自分の命も危うくしてしまうことになるのです。確かにそのような意味で「従順である」ことは大切なことです。とこでパウロはここでフィリピの教会の人々に何に対して「従順であれ」と語っているのでしょうか。通常考えるならば、これは彼らの指導者であるパウロ自身に対して「従順ありなさい」と言っていると考えることができます。しかし、この文章には「私に対して従順であれ」とは言っていません。信仰者にとってただ一人の指導者はイエス・キリストです、パウロはそのことをよく知っていましたから、この従順はイエス・キリストに対する従順、またはそのイエス・キリストを私たちのために遣わしてくださった神様に対する従順を勧めていると考えるべきでしょう。
 それではこのキリストに対する従順とは私たちの信仰生活でどのような形で実現するのでしょうか。通常私たちの世界では決められた規則や命令を守ることが従順であることの証しと考えられています。しかし、このパウロの語る従順はもっと具体的にキリストにあって示された神様の恵みへの従順、つまり、私たちを無償で救い出してくださる神様の恵みに対する従順が求められていると考えるべきだとある聖書学者は言っています。パウロは規則や命令に対してこの「従順」と言う言葉を使わなかったというのです。
 それでは神様の恵みに対して従順であると言うことは、どういうことなのでしょうか。それは私たち信仰者がどんなことがあっても揺り動かされることなく、キリストを信じ続けることであると言えるのです。
 「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい」とパウロはここで言っています。人間の愚かさはキリストの救いの完全さをいつも疑ってしまうことに現れます。「キリストをただ信じるだけでは足りない。だからもっと熱心になって特別なことをしなければならない」と考えてしまう傾向があるのです。キリスト教の異端と言われる人々はこの人間心理を巧妙に捕えます。そして「キリスト教会に行っているだけでは救われない、私たちのところに来て特別なことをしなさい。学びなさい」と誘惑するのです。
 しかし、パウロが言うように私たちの救いのためにキリストはすべてをなしてくださったのです。だから、私たちはこのキリストによって示された神様の恵みを信頼して、どんなことがあってもその恵みの座から離れてはいけないのです。そのように私たちにはキリストにあって示されたこの神様の御心に従順であることが求められているのです。

2.恐れとおののき
(1)何に対して「恐れとおののき」を抱くのか

 「恐れとおののき」と言う言葉がここには記されています。内容はすっかり忘れてしまいましたが、昔読んだキルケゴールの本に『恐れとおののき』と言う題名の本があったことを思い出します。「恐れ」は人間の心の中に起こるものであり、「おののき」はその「恐れ」の思いが身体の表面に現れて「ふるえあがる」そのような姿を現していると言えるでしょう。
 それでは私たちは普段、どんなときにこの「恐れとおののき」を感じるでしょうか。たとえば、私たちは自分の死と言う現実に向き合わざるを得ないとき、「恐れとおののき」を感じると言うことがあるのではないでしょうか。自分の命を滅ぼし、自分を闇の世界へと引きずり込むような力すべてに私たちは「恐れとおののき」を感じざるを得ないのです。しかし、パウロがここで語る「恐れとおののき」はそのような死や闇の力に対して抱く感情ではありません。この「恐れとおののき」は私たちをキリストの御業によって救うことがおできになる神様に向けられるべきものであると言えるのです。そしてこの恐れが私たちにとってどんなに大切かを教えるイエスの言葉が福音書には記されています。

「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイによる福音書10章28節)。

 イエスはここで「人々を恐れててはならない」(26節)と言う言葉から始めて、私たちが本当に恐れなければならない方は真の神様お一人だけであると教えられたのです。

(2)神を畏れ敬う

 「恐れやおののき」と聞くこと私たちは自分たちの人生には役に立たないマイナスな感情であるように考えてしまいます。しかし、イエスはそう教えていないのです。むしろ、私たちが様々なものを恐れ、またおののいてしまうのは、肝心な方を恐れていないからだと言っているのです。先ほどのイエスの言葉は次のように続いています。

「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(29〜31節)。

 私たちが私たちを取り囲む様々な問題、闇の力に支配されることなく、またそれらのものに「恐れ、おののく」ことなく生きるためには、この本当に私たちが「恐れ、おののか」なければならない方を信頼して生きる必要があるとイエスは教えておられるのです。

「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい」。

 ですからこの言葉はただ神様お一人に信頼すること、キリストにあって示された神様の恵みを受け入れて生きていくことが私たちにとって唯一の救いの道であることを教えているのです。

3.キリストの日に明らかにされる誇り
(1)神の恵みを忘れるな

「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい」(13〜14節)。

 このパウロの言葉は旧約聖書に登場する出エジプト記の出来事を読者に思い出させるようにしています。なぜならそこに登場する人々の大部分が神様の約束の地に入ることができないで、荒れ野で死んでしまうことになった原因は、彼らが神様に対する「不平や理屈」を繰り返すような愚かな行動を取ったことにあったからです。確かに彼らは神様の救いの御業を豊かに体験した人々でした。しかし、彼らは目の前に様々な困難な出来事が現れると、そのすべての恵みを忘れて、神様に対して不平や理屈を申し立てたのです。パウロは私たちが同じような過ちを犯すことがないように、「神様がどのように私たちの人生に働いてくださったかを思い起こしなさい」とここで言っているのです。
 本当だったら神様を信じることも、その救いに預かることもできないような私たちに神様は聖霊を遣わして、神様を求める心を与えてくださいました。そして、さらに私たちに様々な人々、また手段を通して福音を示し、キリストを信じる信仰を与えてくださったのです。神様が私たちのためにどんなに心を砕き、熱心に働かれて来たかがそれだけでも十分に分かるのです。そしてそれを知る私たちは、目の前に起こる困難な出来事よりも、この神様の恵みのすばらしさを覚えることができるのです。さらにその神様がこの困難な出来事を通して私たちを約束の地、救いの勝利へと導いてくださることを確信することができるのです。

(2)すべてのベールが取り払われる日

 このように私たちを救いの完成へと導いてくださるのは神様だけなのです。そしてその神様はすでに私たちに信仰を与え、ここまで導いてくださったのです。しかし、キリストが私たちのために十字架の犠牲を通して勝ち取ってくださった恵みはこれだけではありません。神様は私たちにもっと素晴らしい恵みをさらに与えようとしてくださっているのです。

「こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう」(16節)。

 出エジプトの民を導いた指導者モーセは自らも神様がイスラエルの民のために約束してくださった地、カナンに足を踏み入れることができませんでした。しかし、神様はモーセの死に際して、彼を約束の地が一望できるピスガの丘に導きました。そして彼にその約束の地の全貌を見せてくださったのです。ですからモーセの死は無念の死でも、絶望の死でもありませんでした。なぜなら神様の確かな救いの事実をピスガの丘で確認することできたモーセは、自分がなしたすべての働きが無駄ではなかったことを知ることができたからです。モーセはそこで喜びと満足に満たされて、天に帰ったのです。
 私たちに対して示されたキリストの福音はこのピスガの丘のようなものです。その福音を見つめるときに、神様がキリストを通して与えようとしてくださる恵みの全貌が明らかになるからです。そしてその全貌を示された者は自分たちの神様への従順が、そしてその信仰生活が決して無意味ではないこと、無駄ではないことが分かるのです。そればかりではなく、私たちはキリストの日、つまり、キリストが再びこの地上に目に見える形でやってこられるときに、福音によって示されていた祝福のすべてを目の当たりにすることができるのです。
 そのとき私たちは自分の人生に起こったすべての事柄が、私たちの救いのために神様がなしてくださったことを知ります。はっきりとその意味を知ることができるのです。そして、私たちはその神様に心からの感謝を献げ、その栄光をたたえることができるようにされるのです。

「更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい(17〜18節)。

 このパウロの言葉は獄中にあってもキリストが遣わしてくださった聖霊の力によって、神様が与えてようとしてくださるすべての恵みを示されたパウロが喜びを持って語った言葉です。キリストに信頼し、信じ続ける者すべてを神様は同じようにピスガの丘に導き、その祝福のすべてを教え、喜びで満たしてくださるのです。

【祈祷】
天の父なる神様
 信仰の戦いの中で、イエス・キリストを信頼し、そのキリストを私たちのために遣わしてくださった父なる神を信頼して生きたパウロのように、私たちも生きることができるように聖霊を遣わしていください。あなたを恐れ敬い、信頼することで私たちはすべての恐れから解放されることができます。私たちに対するあなたの愛の御業を私たちが思い出し、確信することを通して、その信頼を強めることができるようにしてください。また、キリストの日に示される救いの勝利に私たちの希望を置くことができるようにしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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