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カルヴァン
キリスト教綱要
礼拝説教 桜井良一牧師
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祝福で満たしてくださる神

(2011.05.01)

聖書箇所:エフェソの信徒への手紙1章1〜14節

1 神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信ずる人たちへ。
2 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。
4 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
5 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。
6 神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。
7 わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。
8 神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、
9 秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。
10 こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。
11 キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。
12 それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。
13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

1.使徒パウロ
(1)広範な読者を想定した手紙

 今日からしばらくパウロの記したエフェソの信徒への手紙を皆さんと学びたいと思います。この手紙はこの間までこの礼拝で学んできたフィリピの信徒への手紙と同じように、パウロの記した手紙の中では「獄中書簡」と言うグループに属する文書として取り扱われています。つまり、これもパウロがローマの獄中から書き送った手紙の一つであると考えられているのです。ただ、フィリピの信徒への手紙は実際にフィリピの教会の人々を想定して書いた手紙とされているのに対して、このエフェソの手紙はもっと広範囲に小アジアに点在するキリスト教会に宛てて書かれたものだと考えられています。つまり、この手紙は最初からエフェソの人々だけではなく、他の教会の人々も読むことを想定して書かれたと言えるのです。おそらくこの手紙は諸教会に回覧板のような形で順々に回されて、読まれていったとものだと考えることができるのです。

(2)使徒であるパウロ

 さて皆さんは手紙を書く際に最初にどのような出だしで文章を始めるでしょうか。相手がよく知った親しい間柄の人であるならば、そんなに気取る必要はありません。単刀直入に本論に入ってもいいかもしれません。しかし、あまり相手が親しい人ではなかったりした場合などはどのように書き出せばよいのか多少迷うこともあると思います。パウロの手紙では書き出しに、簡単な自己紹介や神様からの祝福を祈る言葉などを配置することがしばしば見られます。その中でも特に自己紹介の言葉は相手に自分を理解してもらうために重要なものです。そしてその相手に自分をどのように理解してもらいたいかによって、その言葉の内容は違ってくるのではないでしょうか。パウロはエフェソの信徒への手紙をこのような文章で始めています。

「神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから」(1節)。

 パウロはこの手紙の受け取り人たちに対して、何よりも自分を「使徒」として理解してほしいと願っています。「使徒」とはキリストの福音を伝えるために選ばれた者たちのことです。そのような意味で私たち一人一人も「使徒」と呼ぶことが可能なのかもしれません。しかし、この「使徒」と言う意味にはもう一つ特別な意味があると言えます。それはイエス・キリストによって選ばれた弟子、そして復活されたキリストに会ったパウロのような特定の人たちを「使徒」と呼ぶ場合です。これらの人々はキリスト教会が作られるための土台となった人たちです。新約聖書に収められている文書は、直接に使徒によって書かれたものもありまし、そうでないものでもすべてこの使徒たちの証言を元に書かれたものだと考えられています。また、私たちの教会が大切にしている信仰告白は「使徒信条」と呼ばれています。これも使徒たちの証言に基づいて告白された信仰の内容が記されている文章であると言うことを意味する名前です。言葉を換えていえばこの「使徒」たちは新約聖書が生み出されるために、またキリスト教会が作られるために特別にその使命を担った人々であったと言うことになります。ですから新約聖書が完成し、その信仰を受け継ぐキリスト教会がすでに存在する今はこの特別な使命を負った「使徒」は存在していないのです。
 パウロはここで自分を「使徒」と紹介しているのは、これから記す手紙の内容が使徒の権威に基づいて記されていることを明らかにするためです。つまりここに記された内容はパウロの個人的な思索や感想ではなく、神様から与えられた信仰の真理であることを読者に分かってほしいと彼は願っているのです。

(3)パウロの人生の秘密と福音

 パウロにとって「使徒」と言う言葉で自己紹介したことは、彼の記す言葉が信仰者にとってどのように大切かを表わすと言う一方で、彼の生涯の歩みを理解するためにもこの「使徒」と言う言葉が見逃せないものだと言えるのです。パウロは先に学んだフィリピの信徒への手紙の中でローマの獄中で自分の死を想定する言葉を語っています。

「更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます」(2章17節)。

 キリストの福音を伝えるために自分の命をも厭わなかったパウロの生涯は、彼が神によって「使徒」とされたことを証明するものです。そのパウロが自分の人生を福音伝道のために献げる理由となったのは、彼の語るキリストの福音の内容であったと言えるのです。だから私たちはパウロの語る福音の内容を正しく理解しなければ、パウロのこの生き方を正しく理解することができなくなってしまうのです。
 私は神学校に入る前に短い間、町の印刷会社の社員として働いた経験があります。50人ぐらいの社員しかいない小さな会社でしたが、私はそこではじめて社会人としての訓練を受けました。あるとき、私は教会の集会のために会社に休暇届をだしたことがあります。私が正直に休暇の理由のところに「教会の集会に出席するため」と書いたところ、私の直接の上司が「こんな理由では休暇は許可できない」と言ったことを思い出します。その後、私はその上司から社会人として「信仰よりも会社の方が大切である」と言うルールをこんこんと説教されたのです。
 そのとき私は信仰の内容を理解していない自分の上司に自分の行動の意味を説明することは困難であることを感じました。私は確かに会社からもらう給料で生活をしています。しかし、それ以前に神様に救われていなければ、自分は今ここで生きていることもできなかったのです。その意味で私は会社よりも神様を大切にすべきだと考えたのです。私と神様とのこの関係を理解しえない上司にとって、私の行動は到底理解することができなかったのです。
 パウロはどうして使徒として神様に命を捧げるような生き方をしたのでしょうか。パウロはどうして自分の人生の一部ではなく、そのすべてを信仰のために使おうとしたのでしょうか。彼の語るキリストの福音はその秘密を明らかにしているのです。

2.天地創造の前に
(1)天のあらゆる祝福

 「神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました」(3節)と語られています。

 神様はパウロの人生に最上のものを与えてくださいました。神様はパウロを「天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださった」のです。ここで「霊的な祝福」と言われています。ですから、それは私たちが普段考え、また求めている地上の一時的な祝福とは異なります。そのため、この「地上の祝福」だけを追い求めて生きる者はパウロの生き方を理解することができないのです。
 韓国で毎日何千人もの人が集まって礼拝を献げる教会があります。早朝から数え切れない人が大きな教会堂に集まって礼拝を献げます。一回では会堂に収容しきれないので第一、第二、第三と時間を変えて毎日何度も礼拝が献げられています。その教会に集まる人々は毎朝、早起きをしてまず礼拝に出席して、それから会社や学校に向かうのです。どうして朝早くからこんなにたくさんの人がその教会に集まるのか私には不思議でなりませんでした。そこで私は韓国からわざわざその教会の牧師の説教集を送ってもらって読んでみました。その説教で語られている内容は聖書のみ言葉を素朴に語るものでした。しかし、その牧師が朝の礼拝に出席することがどんなに祝福されるのかを語っている文章を読んで私は「なるほど」と思わされました。「朝の礼拝の祝福は、その礼拝に参加している人にしかわからない」とその牧師は語るのです。
 パウロが語る「天のあらゆる祝福」の内容を言葉で言い表すことは困難です。しかし、パウロと同じようにキリストの福音に生きる人にはこの祝福の内容が十分に理解できます。そしてパウロにとってはこの霊的な祝福は地上のいかなる祝福にも優っているものなのです。だから彼は苦難をも甘んじて受けながらも、使徒として大胆に福音を宣べ伝える生涯を過ごしたのです

(2)予定による救い

「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」(4節)。

 この言葉は私たちの改革派教会で最も重要とされる「予定論」の教理の根拠となる聖句の一つです。パウロは私たちがキリストにおいて救いに選ばれたことについて「天地の創造の前」と書いています。それでは天地の創造の前に私たちはどこにいたのでしょうか。まだどこにも私たちは存在していませんでした。この言葉から私たちがまず一番に理解できるのは、私たちの存在は偶然の産物ではなく、天地を造られる前からの神様の計画によっているのです。そして神様の天地創造の御業は私たち一人一人の存在を最初から想定に入れて行われた御業であることが分かるのです。
 会社は経営が悪化するれば、直ちに余計な人員を解雇する方針を決めます。人間の立てた計画に従えば私たちはあるときは必要とされますが、一転して不必要とされることもたびたびです。しかし、私たちの存在は天地が創造される前より神様の御心の内にありました。そして私たちの存在は他の誰かに代わってもらうことが到底にでんきない重要なものとして取り扱われているのです。
 パウロが自分に与えられて使命に対してどこまでも忠実であろうとした点には、この神様のパウロに対する関わり方が大きく影響しているはずです。パウロは神様が自分に与えられた使命が重要であり、自分にしかその使命を果たすことができないことをよく知っていました。だから彼は神様が許す限りその使命を達成しようと願い、またそのために人生を使ったのです。
 「天地創造の前より」と言う言葉がここに語られているのは、カルヴァンの説教によれば私たちの救いに私たちの地上での功績が一切関わっていないことを示すためだと言っています。なぜなら私たちが生まれる前から私たちの救いは神様によって決められていたからです。そこには私たちが持っている素質やよい業が救いの根拠となるような余地は全くありません。
 カルヴァンはこの予定について、神様は彼らが予めどのような人間となるかを「予知」していて、御心に適う生き方する人を選ぶと言う「予知説」を唱える人々を非難しています。なぜなら人はキリストなしには何の善き業をもなしえない無力な人間だからです。つまり、キリストなしに私たち人間の姿を神様が予知したとしたら、そこには死と滅びを免れ得る者は一人もないのです。
 パウロはこのような神様の素晴らしい救いに喜び、感謝することでその生涯を送りました。それが使徒としてのパウロの生涯を支えるものとなったのです。

3.キリストにあって

「イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです」(5節)。

 私たちが「天のあらゆる霊的な祝福」を受けることができるのは、私たちが神の子とされ、神の祝福の相続人とされているからです。放蕩息子のたとえの中で、弟の帰りを喜ぶことのできない兄に対してこの父親は次のように語りかけています。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」(ルカによる福音書15章31節)。私たちはわずかなものを神様に願いるかもしれませえん。しかし、神様は私たちの願いに答えてあらゆる天から祝福を私たちに与えてくださるのです。
 「ここにキリストによって」と語られています。この言葉に注意しましょう。確かに私たちは神様の祝福を無条件で受けることができます。救われた私たちには神様から何の請求書も送られてこないのです。しかし、その祝福はただではありません。むしろ、その祝福のためには高価な代価が支払われたのです。それがイエス・キリストの命です。つまりこれらの霊的な祝福の代価は神の御子イエス・キリストの命なのです。パウロは自分が祝福を受けるためにキリストが命を捧げてくださったことを知っていました。だからパウロは自分のために命まで捧げてくださった、キリストのために生きたい、救われた人生をキリストのために使いたいと願い、その結果使徒として生涯を歩むことになったのです。
 私たち救われていると言う根拠は私たちの内側に見いだすことはできません。しかし、私たちが信仰の目を持ってキリストを見つめるとき、私たちの救いがどんなに確かで、揺らぐことが無いことが分かるのです。なぜなら、イエス・キリストが私たちのために救いの代価を払ってくださったからです。私たちはそのイエスによって神の子とされ、神様の祝福を受け継ぐための相続人とされているのです。
 パウロが使徒として命をかけて歩んだその人生の秘訣は、パウロがここで証言している福音の内容と関係しています。私たちも今、パウロと同じようにキリストの福音によって生かされています。だから、私たちの人生にもパウロと同じように生きる希望が与えられているのです。

【祈祷】
天の父なる神様
 天地創造の前から私たちをキリストによって救いへと選んでくださったあなたの恵みに心から感謝します。あなたの計画なしに私たちの存在も、またその人生の本当の意味や価値は理解することができません。どうか私たちに聖霊を遣わして、キリストにあって示された救いの確かな保証を確信し、心から喜びを持ってあなたに仕える者としてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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