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カルヴァン
キリスト教綱要
礼拝説教 桜井良一牧師
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祝福の前払い

(2011.05.15)

聖書箇所:エフェソの信徒への手紙1章3〜14節

3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。4 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。5 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。6 神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。7 わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。8 神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、9 秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。10 こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。11 キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。12 それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

1.計画の確かさ
(1)ぬか喜びにならないために

 今日はエフェソの信徒への手紙の冒頭に記されているパウロの賛美の言葉の最後の部分から学びます。神様が天地万物を造られる前からキリストにあって私たちを救いへと選んでくださったと言う素晴らしい計画についてパウロは語り続けています。そして、その素晴らしい計画の故に私たちは神様を賛美することができる者とされていると彼はここで語っているのです。
 このように素晴らしい神様の計画ですが、どんなに素晴らしくてもその計画が確かなものでなければ、私たちの喜びはぬか喜びに終わってしまいます。また、その計画がすばらしくても、肝心の自分と全く関わりのないものであるとしたら、やはりそれは私たちにとって何の喜びも与えない、意味ないものになってしまいます。たとえて言えば、どんなに素晴らしい家が設計され建築されていても、それが隣の人が住む家なら、私たちは喜ぶことができません。その家が確かに自分の家であって、実際にそこに住むことができなければその計画は意味がないのです。それではパウロがここで語っている神様の計画はどうでしょうか。何故それは確かなものだと言えるのでしょうか。またその計画と私との関係はどこで確認することができるのでしょうか。その二つの点について今日の箇所に記されているパウロの言葉から学びたいと思います。

(2)神の御心によるもの

パウロはこの素晴らしい神様の計画の確かさについて次のような言葉を語っています。

「キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました」(11節)。

 この計画は神様の「御心」から生まれたものであり、その他の一切の要因によって影響されているところはありません。それに反して、私たちが重要な計画を立てて、実行しようとするときは、必ず様々な影響をその考慮の中に入れなければなりません。自分一人の独断で行えば、後で様々なトラブルが生じる可能性があります。たとえ誰かに相談しなくても、あらかじめ未然にトラブルを防ぐ手段を賢明に考えるはずです。その点では私たちは純粋に自分一人の考えで計画を立てたり、それを行うことはありません。しかし、神様の計画はそうではないとパウロは言うのです。神様の御心だけがそのすべての計画の元になっているのです。もし、その計画の一部に神様以外の要因が入っているとしたらどうでしょうか。そのことによってこの計画のすべては不確かなものとなってしまいます。たとえば神様の御心にプラスして、そこには私たちの意志、つまり人間の同意がなればらないと考えたらどうでしょうか。私たちは自分の意志がどんなに頼りにならないかを知っています。その意志が神様の計画を生み出す一部であったなら、全体が不確かで頼りにならないものとなってしまうのです。
 私は大学生の時に教会で洗礼を受けました。そのすぐ後のことです。ある日、電車の中で高校時代に親しくしていた友人たちに会いました。そこで私は自分が教会で洗礼を受けてクリスチャンになったと言うことを彼らに告げたのです。そのとき、今でも私が忘れることができないのは、私のその話を聞いた途端、その友人たちがお互いに顔を見合わせて「今度はどのくらい続くのかな?」と言ったことです。私とのつきあいが長い彼らは、優柔不断ですぐに自分の意見を変える私のことをよく知っていました。だから「きっと今度も長続きしないだろ」と思って、彼らはそのことを口に出したのです。そのとき、その友人たちの言葉を聞いて何よりも不安になったのは私自身でした。しかし、幸いなことに私はこのとき教会で神様の選びがどんなに確かであるかを教えられていました。私が神様によって救われたのは私自身の弱い意志や決断によるものではなく、純粋に神様の御心によるものであると言うことをです。だから彼らの言葉に大きく心を揺り動かされることはなかったのです。

2.ユダヤ人であるパウロの喜び

 ところでパウロは次にこのように語っています。

「それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです」(12節)。

 ここでは「わたしたちが」と言う言葉が記されています。この言葉は次の13節の「あなたがたも」に対応する言葉です。この文章の流れから考えると前者の「わたしたち」と後者の「あなたがた」に間には何らかの違いがあることが前提とされています。そしてパウロはここで「以前からキリストに希望を置いていたわたしたち」と言っています。そこでこの「わたしたち」は旧約聖書のメッセージを通して救い主の到来を待ち望んでいたユダヤ人たちのことであり、パウロもその一人となる訳ですから「わたしたち」と言う言葉がここで使われていると考えることができるのです。そして次に登場する「あなたたちは」、この手紙を読んでいる小アジア地方に散らばったキリスト教会のメンバーたちであり、彼らの多くはパウロとは違って異邦人であったと考えることができます。その異邦人キリスト者が「あなたたち」と言われているのです。両者はキリストにあって一つとされた者たちです。そしてパウロはこのキリストの救いが成就することで、ユダヤ人である私たちも神の栄光をたたえることができるようになったと言っているのです。
 実は実際のユダヤ人たちの多くはイエス・キリストの救いを受け入れることがでませんでした。むしろ彼らは「異邦人が神の救いの対象とされるなどけしからん」と考えたのです。なぜなら彼らは神様の素晴らしい計画を理解できず、神様の救いについて誤解していたからです。彼らは何の努力もしていない異邦人が簡単に救われているのなら、自分たちの今までの努力はどうなってしまうのか、それは無意味になってしまうのではないかと考えたのです。だから彼らは異邦人の救いを簡単に受け入れることができませんでした。ましてや神をほめたたえるなどと言うことはできなかったのです。
 しかし、パウロは自分たちユダヤ人が信仰を守り続け、救い主への希望を語り続けてきたからこそ、異邦人が救いを受ける機会が生まれたのだとここで考えています。つまり自分たちの信仰への熱心がキリストにあって示された神様の計画の中で十分に用いられていたことを確信しているのです。そしてだからこそ私たちは神をほめたたえることができると語ったのです。

3.神様の計画を私たちの上に実現させる聖霊
(1)聖霊の保証

 さてパウロはこの手紙の読者たちに神様の計画が直接にどのような形で実現するのかを次に語っています。天地が造られる前の事柄から始まった賛美が、私たちの今の生活にどのように結びついているかと言う結論部分に至るのです。

 「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです」(13節)。

 私たちはみな「約束された聖霊で証印を押された」とパウロは語っています。たとえばこの時代、王が自分の命令を記した勅令を出す場合、その文書が確かに王の命令が記された本物の文書であることを示すために王の証印、つまりはんこが押されました。ですから、はんこが押されると言うことはそれが偽物ではないと言うことを表わす大切な印なのです。つまり、聖霊で証印された者は確かに神様の救いに選ばれた者であり、神の子として神様から与えられる相続財産を受け継ぐ権利を持っていると言うことが分かるのです。言葉を換えて言えば、どんなに優れた人だとしてもこのはんこが押してもらっていない人は「偽物」であり、神様からの相続財産を受け取る権利をもっていない訳なのです。
 それではこの「約束された聖霊の証印」を私たちはどのように受けたと言うのでしょうか。パウロは語ります。あなたたちは「キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じ」たと…。私たちは真理の言葉、救いをもたらす福音を聖書を通して、またその聖書のメッセージを伝える人々の働きを通して聞くことができました。それは当たり前の事実ではなく、神様の計画によるものであり、聖霊が豊かに働いた結果なのです。さらに、私たちは耳にしたメッセージを聞くだけではなく、そのメッセージの内容を信じることができました。それもまた、私たちの心の内に聖霊が働いてくださった結果起こった出来事なのです。このように確かに神様の計画は私たちのために働いてくださる聖霊によって私たちの上に実現しているのです。だから、私たちはこの聖霊の証印によって本物の相続人とされていると言えるのです。

(2)神様の前払い金

 パウロは私たちの上に働くこの聖霊の働きについてさらに語り続けています。

「この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです」(14節)。

 ここで興味深いのは「御国を受け継ぐ」と訳された動詞の言葉です。この言葉を直訳すると「くじ引きされた」、「あるいはくじに当たった」と言う意味になります。私たちはキリストの福音を聞き、またそれを信じることができることが何か当たり前のように思えたり、もしかしたら自分の努力の結果だと考えてしまうことがないでしょうか。そうなると、私たちの心には神様への豊かな感謝も賛美も生まれてこないのです。しかし、パウロは、それは当たり前のことではないし、ましてや自分たちの努力でそうなったと言うのでもないと語っているのです。それはまさに神様から私たちに与えられた素晴らしいチャンスなのです。しかもそれは偶然のチャンスではなく、神様の確かな計画の内に実現したすばらしいチャンスなのです。ですからこの事実を知る人は喜びに満たされるはずなのです。
 そしてさらに重要なのは「聖霊は御国を受け継ぐための保証」と言われるところの「保証」と言う言葉です。この「保証」と言う言葉は「前払い金」と言う意味を持っています。たとえば誰かが何か高額なものを購入しようとします。そのとき、今はそのお金を全額払えないが、必ず後で払うので、その商品を他の人に売ることはしないでほしいと願う場合があります。そのとき「手付け金」とか「前払い金」と言うものをその人は支払うことになります。つまり、この前払い金は「約束は必ず守る」と言う意志を表わすために払われるものなのです。ですから何らかの理由で約束が反故にされた場合にはペンルティとしてその「前払い金」は没収されてしまうのです。
 神様が私たちのへの約束を反故にされることは決してありません。しかし、それでも神様は私たちを安心させるためにこの「前払い金」である聖霊を私たちに与えてくださったのです。私たちは神様が私たちのために準備してくださったすべての祝福をまだこの地上では完全には受け取っていません。しかし、そのすべてを私たちがやがて受けとることができる証拠を神様は私たちに与え与えてくださったのです。そして私たちがこの地上の生活の中で不安になることなく、神様の約束を信じて生きることができるようにしてくださったのです。
 私たちがこの礼拝に集まり、聖書の言葉に耳を傾け、その言葉に示された神様の約束を信じることができるのはこの聖霊の働きの結果です。そしてこの事実を通して神様の素晴らしい計画は確かに私たちのものであることが分かるようにされているのです。

【祈祷】
天の父なる神様。
 キリストにあって示されたあなたの素晴らしい計画を覚え、あなたのみ業を賛美します。私たちが聖書に耳を傾け、福音のメッセージを聞くことができるのはあなたの計画の故であることを覚えます。あなたはそのために聖霊を遣わし、私たちを信仰へと導いてくださいました。この恵みを深く覚え、あなたをますますほめたたえることができるようにしてください。パウロのように自らを誇ることなく、あなたの御業を褒め称えて生きた人々と同じように、あなたの確かな計画と約束に希望を持つことができるようにしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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