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カルヴァン
キリスト教綱要
礼拝説教 桜井良一牧師
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「神の計画と苦難の現実」

(2011.07.03)

聖書箇所:エフェソの信徒への手紙3章1〜13節(新P.354)

1 こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは。
2 あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。
3 初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。
4 あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。
5 この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や"霊"によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。
6 すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。
7 神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。
8 この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、
9 すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。
10 こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、
11 これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。
12 わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。
13 だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです。

1.キリスト・イエスの囚人
(1)投獄されていたパウロ

 今日も続けてパウロが記したエフェソの信徒への手紙を学びます。このエフェソの信徒への手紙ではパウロが自分のことについて語ることはあまりありません。その点でこの3章の前半部分は例外的にパウロの個人的な事情が記されている箇所であると言えます。パウロはこの3章の冒頭から「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは……」(1節)と自分が今、囚人として捕らわれ身であることを語っています。
 信仰生活について個人の証し、つまり経験談を信徒が語ることを重要視する教会があります。しかし、わたしたちが所属する改革派教会ではこのような証しをする習慣があまりありません。これは人の証しは、神の栄光を示すより、その人個人の業績をたたえると言う危険があると改革派教会の先輩たちが考えたからのようです。ですから人の体験を語るより、聖書に記された神の福音を語ることが大切だと私も教会で教わってきたのです。
 ところでここでパウロが個人的な話を手紙の中に書き入れたのはどうしても、このことに触れて置かなければならない理由があったからだと言えます。なぜなら、この文章の結びの部分に「だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです」(13節)と語られているように、パウロの投獄と言う事実がこの手紙の読者たちを「落胆」させる原因になる可能性があったからです。
 たぶん礼拝でパウロの記したフィリピの手紙を学んだときにもこの問題に触れたことがあったと思います。当時、教会の中にパウロの教えに反対するグループが存在し、パウロの教えは偽物であると批判していました。そこで彼らがパウロ攻撃の材料として利用したのが、パウロが囚人となって牢屋に捕らわれていると言う事実でした。おそらく彼らはパウロの人生に起こったこの苦難を、神からの罰のように主張し、彼を徹底的に攻撃したのだと思います。
 ですから、パウロはこの攻撃に対して正しい弁明を述べる必要がありました。少なくともパウロを攻撃した人々の話を聞いて動揺している人々がいたのです。実際に彼らはパウロから福音の善き知らせを聞き、そこに希望を見出して、イエスを信じキリスト者となりました。ですからもし、パウロが誤っていたとしたら、自分たちの信仰も誤ったものであると思い込んでしまう危険性があったのです。

(2)キリストの囚人

 そこでパウロはこの3章の最初に「あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロ」と自分の事情を書き記したのです。そしてこの言葉には彼がどうして囚人となっているのかというその理由が記されています。まず「異邦人のために」とパウロは語っています。この手紙を受け取っている人々はかつて聖書や神とは全く無関係の世界に生きていた「異邦人」たちでした。その彼らがパウロの伝える福音によって、キリストへの信仰に導かれたのです。そして、パウロが今、囚人として囚われの身となっているのは、この「異邦人」であるキリスト者のためであると彼はここで行っているのです。言葉を換えていえば、パウロが熱心に異邦人たちにキリストの福音を伝えたからこそ、彼は囚人となったのです。逆に、パウロが異邦人に福音を伝えていなかったら、彼は囚人になる必要はなかったのです。だから、パウロが囚人として今、受けている苦難はこの手紙の読者である異邦人キリスト者のためであるとここで説明しているのです。
 その上でパウロは自分を「キリスト・イエスの囚人」とも言っています。この言葉を文字通りに解釈すればパウロを捕えて、獄に入れて、その苦難を与えているのはイエス・キリストになってしまいます。しかし、実際にパウロを捕え、裁いたのは地上の権力者であって、イエス・キリストではありませんでした。それではパウロはこの言葉で何を言おうとしているのでしょうか。第一に彼は確かにイエス・キリストに捕えられた人物であったと言えます。キリストの恵みを知り、キリストの愛を知ったパウロは、どうしてもこのキリストから離れることができない、キリストの「虜」のような状態になっていたのです。それは決して悪い意味ではありません。キリストなしには生きられない、そしてキリストのために生きたいとパウロはいつも願っていたからです。つまり「キリスト・イエスの囚人」と言う言葉はパウロとイエス・キリストとの親密な関係を語っていると言うことができます。
 もう一つ考えられることは、彼が「囚人」となったのは、キリスト・イエスのためであったと言うことができます。つまり、パウロは異邦人のためにであったと同時に、キリスト・イエスのために囚人としての境遇を経験する必要があったのです。それではパウロが囚われの身となったことと、イエス・キリストとはいったいどのような関わりがあるのでしょうか。どうしてパウロは異邦人たちのために囚人にならなければならなかったのでしょうか。そのことについてさらに続けて本文から考えて見ましょう。

2.明らかにされた神の秘められた計画
(1)預言者や使徒によって伝えられた福音

 まず、パウロがこの部分で何度も語っている「秘められた計画」と言う言葉に注意しましょう。パウロが囚人として囚われの身となった、本当の原因はこの「秘められた計画」によるものだとパウロは言っているからです。
 この計画がわざわざ「秘められた」とパウロが言った訳は5節に記されています。「この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や"霊"によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました」。パウロに従えばこの計画はキリストが出現されることによって明らかになったものであり、それ以前は「人の子」つまり人間たちに隠されていたと言うことになります。そしてそれと同時にこの計画を本当に理解するためには、キリスト・イエスを受け入れる必要があると言うことをも語っているのです。つまり逆に言えば、この「秘められた計画」を理解できないのは、その人がキリストを受け入れていないからだと言うことになります。
 それではその「秘められた計画」とはいったい何でしょうか。パウロは6節で語ります。「すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです」。つまり、異邦人がキリストによって救われると言う出来事が、その秘められた計画の大切な内容であったと言うことができるのです。もちろん、神の計画は異邦人のためだかではなく、ユダヤ人のためでもありました。ですからこの計画はすべての人がイエス・キリストを信じることによって神の救いを受けると言うものであったのです。神の計画には異邦人も、ユダヤ人も平等に取り扱われているのです。
 ユダヤ人は自分たちがアブラハムの子孫であることが、神の救いを受ける条件と考えていました。しかし、秘められた計画はイエス・キリストを信じることでアブラハムの子孫であるユダヤ人も、また異邦人も救いを受けると言う広大なものであったのです。

(1)約束が実現されるために使徒とされたパウロ

 それではこの神の秘められた計画はどのように異邦人の上に実現していくのでしょうか。ユダヤ人は確かに旧約聖書を通してこの救い主についての約束をはっきりではありませんでしたが、知らされていました。しかし、異邦人はこの約束をまだ知らずにいます。ですから誰かが、この救いの約束を異邦人に伝える必要がありました。そこでパウロはこう語ります。

「神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています」(7〜9節)。

 つまり、この神の秘められた計画が実際に異邦人の上に実現するために、パウロがその働き手として選ばれ、彼らにキリストの福音を伝えることになったと言うのです。つまりパウロの行動はキリストによって明らかになった神の秘められた計画に基づくものであったのです。
 そしてパウロが囚人として捕らわれの身となったのは、彼がこの計画に従って異邦人に福音を伝えたためだったからです。聖書によればイエス・キリストを受け入れない人々が、このパウロの活動の意味を理解できず、返って彼に敵対し、パウロを攻撃したのです。それが原因となって彼は囚人となっていったことが分かります。

3.信仰によって神に近づくことができる
(2)キリストを信じる信仰によって神に近づく

 確かにイエス・キリストを救い主として受け入れることができない人には、この神の計画は依然として「秘められた」ままでしかありません。だから、その計画に基づいて囚人となったパウロについても、神の裁きを受けているとしか考えることができなかったのです。しかし、イエス・キリストを受け入れ、この秘められた計画を示された者にとっては、パウロの身に起こったことは神の計画の確かな成就の証しであることが分かるのです。

「こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます」(10〜12節)。

 イエス・キリストを救い主として受け入れた者が集められる教会にはこの秘められた計画が、明らかにされています。そして、その計画が自分たちを通して今実現していることを確信することができるのです。さらにパウロはこの計画の目的がすべての人がキリストを信じる信仰によって「神に近づく」ためであったとも語っています。

(2)不都合だが意味がある出来事

 神の秘められた計画は確かにわたしたちキリストを信じ者の上に必ず実現します。しかし、ここで誤解してはならないのは、その計画の中でわたしたちもまた自分たちに不都合な出来事、つまり苦難を受けることもあると言うことです。パウロの人生の上に起こったこともそうでした。彼は異邦人の使徒として働いために、自由を奪われ囚われの身となりました。 しかし、誤解してはならないのはわたしたちの人生に起こる不都合な出来事には必ず意味があると言うことです。なぜならすべてのことは神の計画に基づいて起こっているからです。
 先日、祈祷会のテキストでゲッセマネの園で祈りを献げたイエスの物語の部分を学びました。その中で「イエスほど死を恐れた人はいない」と言うルターの言葉が紹介されていました。わたしたちにとって死も、死の恐怖も自分の人生にとって不都合な出来事と考えられています。だから、わたしたちはできるだけそれを避けて通りたいと思うのです。しかし、イエスが死を恐れたことには確かな意味がありました。なぜなら、彼は死の恐怖に捕らわれているわたしたち罪人に代って、その恐怖を引き受ける必要あったからです。
 わたしたちの人生にもわたしたちにとって不都合な出来事が起こります。しかし、そこには確かに意味があるのです。なぜならわたしたちを救ってくださる神の計画はわたしたちを通して必ず実現するからです。
 旧約聖書に登場するヨブは家族や財産を災害ですべて失った上に、自らも不治の病に罹って苦しみます。しかも彼の心を苦しめたのは「自分はどうしてこのような苦しみに会うのか。その意味が分からない」と言う疑問でした。ヨブ記はこの苦しみの意味を問うヨブの叫びに満ちた書物だと言えるのです。ところがこの苦しむヨブの姿を克明に記したヨブ記は不思議な書物であると言えます。なぜならこのヨブ記が苦しむ者を慰める役目を果たしているからです。ヨブは誰かを慰めるために何かよい言葉を語っている訳ではありません。彼はただ苦しんでいるのです。しかし、多くの信仰者はこの苦しむヨブの姿から返って大きな慰めを受けることができたと言います。
 たとえ、わたしたちに自身にもその意味が分からなくても、神はその出来事に意味を与え、神の計画の内で豊かに用いてくださるのです。パウロはフィリピの信徒への手紙の中で、「この世を離れて早くキリストの元に行きたい」と言う望みがあることを語っています(1章23節)。おそらくパウロはキリストに会うことによって自分の人生に隠された本当の意味を知りたかったのではないでしょうか。なぜならわたしたちもやがてキリストの前に立つとき神の計画に基づいてわたしたちの人生の上に起こった出来事のすべての意味を教えていただくことができるからです。

【祈祷】
天の父なる神様
あなたの秘められた計画をキリストにあってわたしたちに示してくださったことを感謝します。わたしたちの人生はその計画の内に用いられていることを覚えます。どうか、わたしたちが困難の中でもこのことを覚えて生きることができるようにしてください。
主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。


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