2003.7.6「キリストのために満足している」
コリントの信徒への手紙二 12章7b~10節
7 それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。
8 この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。
9 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
10 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
1.悪い条件が成功の秘訣
有名な松下電器の創始者である松下幸之助さんを皆さんはご存知であると思います。だいぶ以前に亡くなられましたが、彼の事業家としての信条は残されたたくさんの著作を通して今でも広く知られています。この松下電器も現在は不況の影響でたいへん苦しい立場に立たされていると言います。松下氏が生きていたらどのような采配を振るったか興味津々です。私は以前、この松下氏がある本の中で事業に成功した理由を述べているところを読んだことがあります。はっきり覚えていないところもあるのですが、確か松下氏は自分が事業に成功した理由の第一に自分が天涯孤独の身の上で誰も頼りになる人がいなかったからだといっています。さらに第二に松下氏自身が病弱だったからだと語るのです。他にも何かの条件が挙げられていたような思い出が、そこに書かれていたのは普通私たちが考える「よい条件」とは違っています。むしろ、これらの条件は裁判所で犯罪者を弁護する弁護士が「彼がこのような犯罪を犯したかには情状酌量の余地がある、彼がこうなったのは次のような不幸な条件が重なったからだ」というときに用いられるような「悪い条件」です。しかしこの「悪い条件」が松下氏にとっては成功の条件になったと言うのです。このことは私たち人間が幸せになったり、不幸になるのはその人がどのような条件の中で育ったかではなく、その人がその条件をどのように受け止め、用いたのかによることを教えているのではないでしょうか。
今日は「弱さを誇る」という有名なパウロの言葉から学びます。彼は自分に与えられた「悪い条件」、つまり弱さをどうして誇ることができたのでしょうか。またパウロにとってこの弱さとはどのような意味を持っていたのかを今日の聖書の箇所から私たちは学びたいと思います。
2.誇りをかけた争い
①パウロに加えられた攻撃
このコリント教会の手紙は手紙の受取人であるコリント教会の人々とこの手紙の著者であるパウロとの間に起こった問題が背景となって書かれたと考えられています。ご存知のようにパウロはその生涯をキリストの福音を伝えるために用いた大伝道者でした。彼の働きの結果、さまざまなところに新しい教会が立てられました。もちろん、教会といっても建物を建てたというより、パウロは各地でキリストを信じる信仰者の群れを作ったと考えてよいと思います。パウロの関心は絶えず、キリストの福音をまだ知らされていな人々のところに行って知らせることにありました。彼はキリストの命令に従って「地の果てまで」伝道することが自分に与えられた任務だと考えていたからです。ですから、パウロによって作られたキリスト教会はすぐにパウロの手を離れて、自分たちで運営されるか、別の伝道者によって維持されなければならなかったのです。このコリント教会の例もそのひとつでした。もともと彼らもパウロの熱心な伝道によって回心し、キリスト者になった人々でした。しかし、ひとたびパウロがこの群れから離れていくと、すぐにコリント教会には自分たちには手におえないさまざまな問題が生じました。もちろん彼らはその問題をパウロに尋ねて解決を仰ぐこともしたようです。ところがこの第二の手紙で問題となるのはそのパウロ自身についてのことだったと言えるのです。
おそらくこの当時、コリント教会にエルサレムからやってきたユダヤ人クリスチャンが仲間入りしたと考えられています。彼らはこともあろうにこの教会の創設者であるパウロの権威を非難し、「彼の教えに耳を傾ける必要はない、むしろ自分たちの語ることのほうが正しい」といい始めたのです。そして彼らのパウロ攻撃のもっとも中心的な根拠は彼がエルサレム教会のメンバーではないこと、つまりイエスの選んだ使徒となんの繋がりもない人物だということだったのです。おそらく、攻撃者たちは「自分たちはエルサレム教会で生活し、使徒たちの教えを身近に聞いてよく知っている」といって、「パウロではなく自分たちに従うように」とコリント教会の人々をそそのかしたのだと思います。パウロはこの手紙の中でこのように自分を攻撃する人々と戦う必要に迫られていました。
実は今日の箇所を理解するために、パウロが受けていたもうひとつの攻撃理由を知っておく必要があると思います。それはユダヤ人キリスト者が問題にしたパウロの権威についてとは違い、むしろギリシャ人キリスト者の中で問題となったパウロの信仰体験についての問題でした。なぜなら当時、ギリシャ社会で尊敬されるべき宗教者は他の人とは違って特別な霊的な体験をしている者たちだと考えられていたからです。そして、コリント教会の中でパウロはこの霊的な体験にも乏しい宗教者であって、取るに足りない人物だという評判が広まりつつあったのです。そこでパウロはこのような攻撃にも同じように弁明をする必要があったと考えられるのです。
②パウロの弁証
第一のエルサレムからやってきたユダヤ人キリスト者たちからの攻撃に対して、パウロは自分が今までどれだけキリストの福音を宣べ伝えるために労苦してきたのかについて語っています。パウロの活動はエルサレムの使徒たちに比べても、決して見劣りすることがないものだと言っているのです。
以前、私はミッションの協力教師の仲間たちと「開拓伝道」についてのセミナーに参加したことがありました。ある講義で一人の牧師が持ち時間いっぱいに自分の教会はどれだけ伝道所を作り、どんなにたくさんの受洗者を出したかについて語っていました。同席していた長谷部牧師がこの講演を聞いて「自分はこんな自慢話を聞きにここまできたのではない」とひどく腹を立てていたことを思い出します。長谷部牧師は長い間、伝道困難な地でたくさんの苦労をしてきていましたのでそのような感想を持たれたのだと思います。そのときの講演者の意図がどこにあったのかわかりませんが、人は自分の成し遂げた業績を並べてはそれを誇ろうとする傾向があります。
でも、不思議なことにここでパウロは今までの自分の働きを紹介しながら「自分がいくつ教会を立て、受洗者を何人出したか」ということを語ってはいないのです。むしろ、パウロは今までの自分の伝道の働きの中でどれだけの困難にぶつかったのかを語ったのです。
「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか」(11:23b~29)。
パウロは自分の輝かしい業績ではなく、自分が受けてきたたくさんの苦労を語ります。普通、苦労話を語る人は「今の若い者はなっていない。自分はそうではなかった。こんなにがんばったぞ」と、やはりその苦労を跳ね除けてきた自分の力を誇ろうとします。しかし、パウロはこの文章の結びのような部分で次のように語るのです。「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」(30節)。この言葉によれば第一にパウロは自分が経験した今までの苦労は自分の強さではなく、自分の弱さを表すものだと考えていることが分かります。第二に、パウロはそのような弱い自分を助けて、今日まで伝道の働きを導いてくださっている主イエスを誇ろうとしたことが分かるのです。つまり、これまでの自分の歩みは困難の連続だったが、その困難を乗り越えて今日まで自分が来れたのは、主イエスが自分を助けてくださった証拠なのだとパウロは語っているのです。パウロはこのような主の助けを豊かに受けているので自分も他の使徒たちと同じように主イエスから選ばれ使徒のひとりなのだと語ったのです。
③神秘的体験
使徒の権威についてこのように弁明したパウロは次に今度はギリシャ人キリスト者の考えていた神秘的宗教体験についての弁明に入ります。ですから今日の箇所が記されている12章の冒頭には次のようなパウロの体験が語られているのです。「その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです」(2~4節)。
ここでパウロは自分自身の身の上に起こった不思議な体験を語っています。このことについてある聖書学者はパウロがリストラという町でユダヤ人たちの石打に会い、意識不明の仮死状態に陥ったときの話(使徒14:19~20)ではないかと解説しています。つまりここで語られているのはパウロの経験した「臨死体験」だったというのです。科学万能の現代社会でもこの「臨死体験」を体験したり、科学で証明しようとする人がいます。そしてこの体験をした人間はむしろ「死を恐れるのではなく」、「死んだらあんなところに行けるのだ」と思うようになるというのです。ただしここでパウロの語る体験は一般的な「臨死体験」とは大きく違うところがあるのも事実です。それは彼が「第三の天」に引き上げられたと言っているところです。この当時の表現方法で「第三の天」とは神のおられる特別な場所を指していると考えられるからです。つまり、パウロはこの体験の中で神のおられるところ、キリストがおられるところに行ったといっているのです。そして彼は危機的な死の淵でキリストに出会い、キリストから直接に慰めを受けたと考えることができるのです。これはどんなに素晴らしい体験だったでしょうか。ところが彼はこの話の結論でも先ほどと同様に「しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません」(5b節)と語っているのです。つまり、パウロは自分を弁明するためにこのような体験を語りましたが、これとて自分の誇りとするものではなく、自分の誇りは別のところにあると言っているのです。
3.誇りの転換
パウロは今日の部分で具体的に自分の肉体的な障害を語っていると思われます。彼がどのような障害を負っていたのかは分かりませんが。彼はこの障害が取り除かれるために「三度主に願った」と言っています。聖書では三とか、七とか、十二といった数字には特別な意味が込められています。この場合も簡単に「三度」だけ祈ったというのではなく、むしろ彼が必死になって願ったというような意味を持った言葉だと考えることができます。そしてパウロはその必死な祈りの中で主イエスからの答えを聞くのです。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(9節)。「十分に発揮される」という言葉は「完成される」と読むことができるものです。ですからこのキリストの言葉は「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ完成する」と読むことができるのです。
不思議な主の言葉です。パウロは今までどうしてこんなに切実に祈ったのでしょうか。それは「自分が抱えている問題が伝道者として歩む人生には不必要なばかりか、邪魔なものでしかない」と思っていたからです。ところがイエスの答えは意外にも「あなたのその弱さがとても大切だ、それはあなたの人生を完成させるためなくてはならないものだ」というものだったというのです。そしてこのキリストの言葉を聞いたパウロは今まで恥と思っていたような自分の弱さを誇りに思うようになりました。なぜなら、「キリストの力はこの弱さの中にこそ宿る」ということを彼は悟ったからです。
アメリカのファニー・クロスビーは私たちの歌っている賛美歌や聖歌にも残されている詩を書いた有名な詩人です。しかし、彼女は生まれたときからまったく目の見えない視覚障害者でもありました。彼女の伝記映画を見たことがあります。目の見えない彼女が歩いている姿に目をとめたあるカップルが「何かお手伝いすることはありませんか」と語りかけます。すると彼女は「それでは私に夕日の素晴らしさを教えてくれませんか」と答えてそのカップルを困らせてしまいます。いつも当たり前のように眺めている夕日を彼らはどう説明していいかわからないのです。ところが、盲目の詩人ファニー・クロスビーには目の見える人以上に、夕日の素晴らしさ、そしてその背後で大自然を支配される神様の御手の素晴らしさが見えるのです。彼女の目は見えませんでしたが、私たちの見えないものをその心の目で見て、また信仰の目で見て美しい詩をたくさん作り出したのです。私たちは実際にパウロの言葉が正しいと証しする人々の例をたくさん知らされています。
パウロはどうして自分の弱さを誇りえたのか。それはパウロの人生を用いる方が主イエスであることを知っていたからです。そしてそのイエスは私たちにも「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ完成する」と言ってくださるのです。このイエスの素晴らしい約束の言葉を信じて、信仰生活を歩んで行きたいと思います。