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2003.9.14「死に至るまで従順でした」

フィリピの信徒への手紙2章6~11節

6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、

7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、

8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。

10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、

11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。


1.賛美によって導かれる会衆

 今から50年近く前にアメリカではアフリカ系の住民が中心となった『公民権運動』が起こりました。彼らの先祖は昔、アメリカの農場の労働力として売られてきた奴隷たちでした。やがてアメリカでは有名な南北戦争が起こりアフリカ系の住民は自由な国民として生きる権利を得たのですが、彼らに対する社会の不公正はそのまま残ってしまいました。そこで自分たちの人間としての権利を獲得するために起こったのがこの『公民権運動』です。おそらく、皆さんもこの運動の中心的なリーダーだったマルチン・ルーサー・キング牧師の名前を知っておられると思います。キング牧師は「非暴力」という方法でこの運動をアメリカ全土に展開しました。

 ある日のこと彼らが集まっている教会の周りを彼らの運動を憎む暴徒たちが取り囲みました。中に集まっていた人々は自分たちがこれから暴徒たちによってどんなひどい目に会うのか、その不安のために半ばパニックに陥ってしまいました。そのときキング牧師はその不安におののく人々に「皆さん、神を賛美しましょう」と賛美歌を歌うことを勧めたのです。このとき彼らはあの有名な賛美歌「We shall overcome」(讃美歌第二編164番「勝利をのぞみ」)を歌い始めました。キング牧師はパニックに陥りそうな人々に「繰り返し、ゆっくり、この賛美歌の詩の意味を一言一言かみしめながら歌いましょう」と促したのです。その賛美の効果はすぐに現れました。「自分たちはどうしたらよいのか?」と行き詰っていた人々がこの賛美歌から神の与えてくださる勝利を確信し、冷静になることができたからです。もし彼らがパニックに陥ったままで彼らを取り囲む暴徒たちの挑発に乗って行動していたら大変なことになっていたかもしれませんでした。彼らは神への賛美を通して勇気が与えられ、問題に対処する正しい方法を見出すことができたのです。私たちは問題に取り囲まれて行き詰ってしまうとき、決して歌う気分になれないかもしれません。しかし、そのときこそ神への賛美は私たちに勇気と正しい問題の解決の方法を教えてくれることをこのお話は物語っているような気がします。


2.どうしてパウロは賛美歌を引用したのか

①「へりくだる」ことを勧めるパウロ

 今日の箇所では神の子でありながら、私たちに人間と同じ姿になられたイエス・キリストの姿が語られています。多くの聖書学者たちの主張によれば、この箇所の言葉や文体はこのフィリピの信徒への手紙を書いたと考えられているパウロのものとは異なる文体で記されていると説明されています。つまり、この部分はパウロが自ら考えたものではなく、おそらく当時の教会に広く伝えられていた賛美歌の歌詞がそのまま引用されていると考えることができるのです。

 それではどうしてパウロは教会で歌われていた賛美歌の詩をここに書き記したのでしょうか。今日の聖書の言葉を理解するために、そのことを探ることは非常に有益だと考えられます。この賛美歌がパウロによって引用された原因については今日の箇所の直前に記されているパウロの言葉を読んでみるとよく理解できるのです(1~5節)。ここを読むと「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(3~4節)というパウロの勧めの言葉が語られています。ここで「へりくだって」と語られている同じ言葉が今日の賛美歌の中に登場しているのです。ここからパウロはこの手紙の読者たちに「へりくだる」ことを勧めるためにキリストの「へりくだり」の姿を歌った賛美歌を引用し、教えようとしたと考えることができるのです。


②エボディアとシンティケの対立

 このフィリピの信徒への手紙を読むとこの教会が伝道者パウロを支える大切な働きをしていたことがわかります。当時、この手紙を記したパウロはおそらくローマの獄中で囚われの身になっていたと考えることができるのです。このパウロの獄中での窮乏を知ったフィリピの教会の人々は彼を慰めるために贈り物を送り(4章10節)、また彼を助けるためにエパフロディトという人物を教会からパウロのもとに派遣したのです(3章25節)。パウロはこのような愛に満ちたフィリピの教会の人々への感謝をこの手紙で表明しています。しかし、実はパウロがこの手紙を記した目的はほかにもあったのです。それはこのフィリピの教会の中に起こっている信徒同士の対立のことでした。パウロがそのことを大変に心配していたのはこの手紙の後半の部分にその問題を起こしている二人の人物の名前をわざわざ挙げていることからも推察できるのです。

「わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい」(2節)。

 この箇所の後のパウロの言葉を読むと二人ともフィリピ教会を最初から支え、パウロとともに苦難を負いながら伝道活動に携わった婦人たちだったということがわかります。二人の対立がどのようなものであったのかよくはわからないのですが、いずれにしても獄中のパウロがこの二人を心配して手紙を書かなければならなかったほどにこの問題は深刻なものであったのです。

 パウロはこの深刻な問題を解決する方法として「お互いがへりくだって謙遜になり、相手を自分よりも優れた者として取り扱い、尊敬をもって接しなさい」と勧めているのです。そして、そのことを考えるときに一番大切なのが主イエス・キリストが「へいくだって」生きられたことを思い起こすことだと教えているのです。このような意味からパウロはここでこの賛美歌を引用したことがわかるのです。


3.イエスの示された謙遜(へりくだり)

①神が人間として生きられる

 それではこの賛美歌が歌うキリストの「へりくだり」とはどのようなものであったのでしょうか。この賛美歌は大きく二つの部分から構成されているのが分かります。前半は6から8節の部分で、ここではキリストの「へりくだった」生き方が具体的に語らえています。後半の部分の9から11節では、この前半の部分に描かれた生き方をされたキリストを父なる神がどのように扱われたかということが記されているのです。

 前半の部分でまずこの賛美歌は最初にキリストが「神の身分であり、神と等しい者」であったことを確認しています。イエス・キリストはまことの神であられました。ですから、彼は神として人々から礼拝され、敬われる当然の資格を持っており、それを要求することができたお方なのです。しかし、彼はそのような当然の権利を捨てて、あるいはそれに固執することなく、私たち人間と同じ姿をとられてこの地上に来られ、その生涯を送られました。彼はこの地上で徹底的に人間として生きられ、人間の負っていた死をも経験されたのです。言葉を換えればキリストはこの生涯で本来もっている自分の資格とはまったく正反対の待遇を受けることを甘んじられたとこの賛美歌は歌っているのです。すべての人々に礼拝されるべき神が、人間の姿になり、人間に仕える生き方をされたこと、そのことがキリストの「へりくだり」の姿としてこの詩には描かれているのです。


②「へりくだる」キリストへの父なる神の評価

 興味深いことは、このキリストのへりくだりの姿に続く箇所でこの賛美歌の主語が入れ替わってしまうことです。前半と違い後半ではキリストが主人公ではなく、キリストの父なる神が主人公として登場します。つまり、キリストは徹底的に最後まで「へりくだる」ことだけに生きられて、それ以外の行動をされていないと語られているのです。テレビドラマに登場する水戸黄門は越後のちりめん問屋の主人の姿で旅をしますが、最後には助さんと角さんに「あれを見せてあげなさい」と言って印籠を出させ、自分が実は徳川光圀であることを示します。自分の正体を明らかにすることで人々をその権威の下に従わせようとするのです。ところがイエスは自分では最後までその自分の権威を明らかにしようとも、それを行使しようともされなかったのです。

 だからこそこの後半の部分では父なる神はこのキリストを高く引き上げ、すべてのものを支配する権威を与えられたのです。キリストは自分のためには何もされなかったのですが、父なる神は彼の「へりくだり」を正しく評価され、それにふさわしい地位を与えてくださったと教えるのがこの賛美歌の中心的な内容なのです。


4.私たちはどうしたら謙遜になれるのか

①キリストを模範にすることは可能か

 さて、このように歌われる賛美歌を読みながら私たちがもう一度考えなければならないことは果たして、このキリストの生き方と私たち生き方との関係はどのような意味をもつのかということです。最初に語ってように、パウロはこのフィリピの教会の会員の中に不幸な対立が起こっていることを心配していました。それを解決するために、その問題の当事者たちとそれを取り囲むすべての教会員に対して、「お互い謙遜になって、相手を尊敬し合いなさい」と勧めたのです。その上で彼はキリストも「へりくだって生きられた」と今日の賛美歌を引用したと考えました。その流れから言えば、パウロはキリストの「へりくだり」の姿を私たちの模範として示しているのではないかと考えることができるのです。

 この新共同訳ではこの賛美歌を引用する前のパウロの言葉を「互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです」(5節)と訳しています。この読み方に従えば、「キリストの示された模範のように生きなさい」とパウロは教えていると考えることができるのです。実はここの部分を口語訳聖書は「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい」と訳しています。同じ翻訳なのにだいぶ内容が変わっているのです。その理由はギリシャ語本文でこの箇所は「互いに同じ思いを抱きなさい、キリスト・イエスにおいて」という言葉だけで、私たちが抱くべき同じ思いとは何かがはっきりとは書かれていないのです。そこで新共同訳では私たちが抱くべき同じ思いとはキリストが示された模範と解釈され、一方の口語訳はむしろキリストに救われた事実を思い起こすことが語られていると解釈されているのです。いずれの解釈も文法上では可能なのです。

 しかし、私たちがここで考える必要があるのは「果たして私たちは本当にキリストが示された模範のように生きることができる存在なのだろうか」ということです。キリストは本来、神と等しい身分を持っておられたからこそ、人間として生きられたことで「へりくだった」生き方をされたと言うことができるのです。しかし、始めから人間である私たちが人間のように生きたとしてもそれは本来の生き方に戻っただけで、決して「へりくだった」生き方をしたということにはならないのです。ですからこの部分を単なるキリストの示した模範に従うことだと読むとは問題が生まれてきます。


②与えられた「神の子」としての身分

 むしろここで大切になってくるのはこの讃美歌の中に示されたキリストの「へりくだり」は私たちにどのような影響をもたらしたのかということです。つまり、このキリストの御業によって私たちはいまどのような者とされているのかということです。実はここに語られているキリストのへりくだりによって私たちの存在は大きく変わってしまったのです。それは本来、神に背き、神の厳しい裁きを受けるしかなかった罪人であった私たちが、このキリストによってその罪が許され、「神の子」としての身分を受けたということです。

 心理学では人間関係において私たちに最も大切なことは自分が自分に対してもっている「自己像」、「自己評価」だと考えられています。この「自己評価」が低い人は自分に対しても、また他人に対してもよい関係を持つことがでないというのです。自己評価が低く、自分を卑下して生きている人は、他人を大切にすることができません。また、低い自己評価を何とか上げるために他人の足を引っ張って、自分と同じレベルにしようとするというのです。

 フィリピ教会で問題の渦中にある人々が果たしてどのような評価を自分に下していたのかは定かではありません。しかし、パウロのこの手紙はこれを読む読者たちにこのイエス・キリストの「へりくだり」によって私たちはすでに「神の子」とされていることを教えています。そして神の救いのみ業によって私たちにもたらされたこの「神の子」としての身分は何者にも奪われることも、揺り動かされることもありません。だからこそ私たちは自分のことで心配する必要はないと言えるのです。そしてパウロは「だからあなたたちは自分のことではなく相手を大切にし、お互いに「神の子」としてふさわしい取り扱いして、尊敬し合いなさい」と勧めているのです。

 確かにキリストのへりくだった生き方は、私たちにクリスチャンの行き方のもっとも大切な模範と言っていいかもしれません。しかし、それが模範となりえるために大切なのは、私たちがこのキリストのへりくだりによってすでに救いを受け、「神の子」としての身分を与えられたという事実です。この事実を見失ってしまうなら、どんなに私たちが謙遜を装おうとしても、それは不可能であり、むしろ相手を支配し、また利用するための形ばかりの「謙遜」にしかなりえません。ですから本当に私たちがお互いを尊敬し合い、仕え合うためには私たちがイエス・キリストのみ業によってどんなにすばらしい身分を与えられているかを知り、確信する必要があるのです。この賛美歌はこのような意味でフィリピの教会に起こった対立を癒す適切な助けを与えるものとしてパウロによって引用されていると考えてよいのです。


2003.9.14「死に至るまで従順でした」