1. ホーム
  2. 礼拝説教集
  3. 2003
  4. 9月21日「平和を実現する人」

2003.9.21「平和を実現する人」

ヤコブの手紙3章16~4章3節

16 ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。

17 上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的ででもありません。

18 義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。

1 何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。

2 あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、

3 願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。


1.豊かな信仰生活を送るための知恵

 先日、川口駅近くのリリアホールで開かれた『聖句書道展』に家内と一緒に行ってきました。小さなギャラリーに大小さまざまな作品が展示されていました。私は書道に関しては素人ですから作品の良し悪しを判定する力を持っていませんので、「この表装は高そうだ」などと変なところで関心したりしていました。その上で私が気づいたところはそれぞれの作品に記されている聖書の箇所のことでした。「思い煩うな」とか「恐れるな」とか、選ばれている聖句のほとんどは神様の豊かな慰めと愛を表す箇所なのです。決して「何々してはならない…」といった厳しい神様の律法の条文は選ばれてはいないのです。「やはり、自分が好きな聖句となるとこういう箇所が選ばれるのだな…」と思いつつ、片隅に飾られた小さな色紙に私は目を止めました。そこには「だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい」というヤコブの手紙の1章19節の言葉が記されていたのです。「もしかしたらこれを書いた人は自分の失敗を思い出して、この聖句を戒めとして書いたのだろうか…」。そんな想像を交えながらその色紙を眺めたのです。おそらく、この色紙を書いた人だけではなく、このヤコブの言葉はたくさんの人々の経験にも合致するような知恵に満ちた言葉だと言えます。

 そしてこの箇所だけではなく、ヤコブの手紙全体には私たちの信仰生活に対するさまざまなアドバイスがたくさん記されています。しかし、これを読む際に私たちが一番忘れてはいけない点はここに記されたアドバイスが家の柱にかけられたカレンダーに記されるような一般的な教訓の言葉ではないということです。実はヤコブの手紙の言葉は誰にでも役に立つ教訓集ではありません。むしろここに登場する言葉はキリストの救いに与ったものたちへの言葉であり、その信仰生活にとって最も大切な知恵が語られていると言ってよいのです。キリストは私たちのために十字架にかかり、私たちのために復活され、私たちに新しい命を与えてくださいました。その新しい命の祝福に私たちは今、この地上で豊かに与ることができるのです。ヤコブの語る知恵は実はこのキリストが私たちのために準備してくださった祝福をどのように現実の生活に適用できるかを教えていると言ってよいのです。つまり、ヤコブの教える知恵はキリストを信じる者にしか役に立たないものなのです。


2.上からの知恵

①神が準備された設計図と材料

 最近、テレビでは今まで住んでいた狭くて使い勝手の悪かった家を改造したり、立て替えて、住みよい家にすることをテーマにした番組が放送されています。番組の中ではそこに登場する建築のプロたちの手によって、以前とはまったく違ったすばらしい家が作り出されていきます。私たちに対する神様の救いもこのような建築家の作業によく似たところがあるといえます。私たちは今まで暗く、希望のない人生を送ってきました。私たちはそれが自分の人生にとって当たり前のことだと諦めて生きてきたのです。しかし、神様は私たちの人生を今、キリストの救いという出来事を通して作り直そうとしてくださっているのです。そのために神様は私たちの人生の新しい設計図を作り、キリストによって揺るぐことのない土台を作ってくださりました。その上で神様は私たちが自分の人生を建てあげるために最上の材料を準備してくださっているのです。

 ところがどうでしょうか、せっかくそのようなすばらしい設計図と材料が神様によって準備されているのに、キリストの救いの土台の上に安物の、本当だったら使いものにならない材料をどこからか持って来て、自分の思いつきのままにみすぼらしい家をたてようとする過ちを犯す人がいるのです。ヤコブはこの手紙の中でそれらの過ちに目にとめているのです。「あなたたちは自分の信仰生活が不便で、住み心地が悪いと言っているが、本当にあなたは神様の設計図に従って、神様の準備した材料を使ってその信仰生活を作っているのか」。そう私たちに尋ねているのです。そして私たちにもう一度神様の準備されたすばらしい信仰生活の設計図を示し、その材料がどのようなものなのかを私たちに教えているのです。


②どんな材料を用いているのか

 さて、私たちが神様の準備された豊かな信仰生活に与るために重要な第一の点は、私たちが神様の準備してくださった材料を自分の人生のために使っているかどうかというところにあります。名工と呼ばれる人はその材料を厳しく吟味します。その良し悪しを判断できることが「名工」が「名工」と呼ばれ由縁だと言ってよいでしょう。

 ヤコブは今日の箇所の直前でこの材料を二つの物に分けています。一つは「上からの知恵」、つまり神様から与えられる知恵です。そしてもうひとつはそうでない知恵、ヤコブはこの知恵を「地上のもの、悪魔からでたものだ」(15節)呼んで区別しているのです。その上で今日の箇所では「ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです」と語り、上からの知恵では以外に頼る信仰生活にはこのような症状が現れると教えているのです。「ねたみ」や「利己心」とはほかの言葉で言えば「党派心」と表現されていいものです。自分に近い人、またそのグループに属する人だけを愛して、それ以外の人々に無関心であったり、激しく憎悪を抱くことを言っています。また、「混乱」は原文では「安定のない生き方」という言葉で表現されているとおり、何かがあるとすぐ揺れ動いてしまうような不確かな生き方をあらわしているのです。

 これに対して「上からの知恵」によって生かされる人の特徴は「何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません」と教えられているのです。最近では完成した家が欠陥のないものであるかどうかを判定するプロもいるそうです。このヤコブの言葉は私たちの信仰生活が正しいものであるかどうかを判定する基準であるとも言えるのです。もしこれらの言葉に照らし合わせて何らかの欠陥を私たちが自分の信仰生活に見出すなら、神の準備してくださった「上からの知恵」を求め、それによって信仰生活の改築工事をする必要があるのです。


3.平和を乱す者たち

①平和のうちに平和を蒔くもの

 「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです」(18節)。ここで言う「義」とは「神が求められる正義」という意味を持っています。神様は私たちの信仰生活を通して、キリストの救いの計画を実現しようとされています。その神様の設計図どおりのものが私たちの人生に現れることを望んでおられるのです。そのときに大切なのは神様が作られた設計図に従って私たちの人生を建て上げていくことです。自分勝手な設計図を持ってきて、それを実現しようとしてもそれは神様の望まれるものではありませんし、そして結果的には私たちの人生にも害を与えるものになってしまいます。

 しかし、ヤコブが指導する教会の中ではこのような過ちを犯す人がいたのです。彼らは自分が描いた設計図をこれが「神様の描いた設計図」だと言い張って教会に混乱を与えていました。そのような人々の活動で教会の「平和」は大きく乱されていたのです。だから、ヤコブは「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです」と彼らの行動を強く戒めているのです。


②殺人事件

 この点に関してヤコブは4章の最初でさらに踏み込んで説明しています。ここには争いや戦いが「人を殺す」という行動にまで拡大されて解釈されています。教会で「人殺し」が行われるなど想像もつかないことですが、この論理の背後には初代教会の人たちにも関係深いユダヤ教の一派の考え方があると言われているのです。それは「熱心党」と呼ばれるグループのことです。十二使徒の中にもこのグループの出身者がいたことを皆さんはご存知だと思います。彼らは当時、ユダヤを支配していたローマ帝国に激しく抵抗した人たちでした。同じユダヤ教でもファリサイ派やサドカイ派の人々のようにローマ帝国と妥協することは決してありませんでした。彼らは武力をもってローマに抵抗し、ユダヤの独立を勝ち取ろうとしたのです。特に彼らの攻撃の対象はローマの権力を後ろ盾にして私欲を貪っているユダヤ人の役人、商人など金持ちに向けられていました。彼らはそのような人々を襲い、殺害して、彼らの財産を分捕り品として奪い取ったのです。しかし、彼らの活動は最初「ローマに抵抗して、ユダヤの独立を勝ち取る」という理想から出発したものでしたが、やがて人々を襲って金品を巻き上げる強盗と同じにようになってしまったのです。ヤコブはこの手紙の中でたくさんの人々が知っていた熱心党の失敗を例にあげていると考えることができるのです。どうしてそうなってしまうのか。結局は彼らの計画が「自分の欲望」を実現するためのものであって、神様の望んでおられる計画をまったく無視しているからだとヤコブは説明しているのです。その上で、読者たちに同じ失敗を犯したら取り返しがつかないことになると教えているのです。


4.上からの知恵をいただくための鍵

 だいぶ以前に東京で孤独な老人が火災のために亡くなった事件が新聞に報道されました。近所の人からは身寄りがなく、つつましい生活をしていた老人のように思われていました。ところが火災現場から見つかったのはその生活とはつりあわないほどのたくさんの有価証券と現金だったのです。たぶんその老人は自分のために一生懸命になってそれらの財産を作り、守ってきたのでしょう。しかし、実際には彼の財産は彼の生活のために使われないまま焼け跡の中に残されていたのです。

 神様は私たちの人生を新しくするために上から豊かな知恵を与えようとしておられるのです。私たちの人生のためにそんなすばらしいものが準備されているのに、それとはまったく違った「地上のもの、悪魔からでたもの」で私たちが自分の人生を建てあげようとするならそれは愚かなことになってしまいます。だから、ヤコブは「神様からの知恵を願い求めなさい」(1章5節)と最初からこの手紙の読者に勧めているのです。

 しかし、私たちがこの神様の上からの知恵を受けるためにはひとつ忘れてはいけない条件があるのです。それがこの箇所の最後に教えられていることです。「自分の願望の実現のために、あるいは自分の欲望が満足するため」に求めるのでは私たちはそれを受け取ることができません。しかし、私たちが神様が望まれる「義の実」が実現するためにその知恵を望むなら、神様はそれを豊かに与えてくださるのです。言葉を変えていえば神様の救いが実現し、神様の栄光が現れることを願いながらこの知恵を願い求めるのです。そうすれば神様は私たちのために準備してくださっている豊かな知恵をみ言葉と聖霊を通して豊かに私たちに与えてくださるのです。そしてこの知恵を用いて私たちが自分の人生を神様の設計図に従って、キリストの土台の上に建てていくなら、私たちの信仰生活は本当に豊かなものになっていくことをヤコブはここで教えているのです。


2003.9.21「平和を実現する人」