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2004.1.4「神から与えられた恵み」

聖書箇所:エフェソの信徒への手紙3章1~6節

1 こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは……。

2 あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。

3 初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。

4 あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。

5 この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。

6 すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。


1.本当に信頼できるの…?

 私たちの住むこの東川口の町並みも年々、大きな変貌を遂げています。私が10年以上前にこの東川口に引っ越して来たときにまず最初にしたことは自分の預金口座を作るということでした。当時、東川口には信用金庫などの金融機関は別として「銀行」と名前がつくところは駅前にある「A地方銀行」しかありませんでした。ですから私もそこに口座を作ることにしたのです。ところが数年たってその「A銀」がつぶれてしまうという出来事が起こりました。当時、A銀に口座を作っていた人たちは先行きが不安だと言って、近くの「B銀行」に預金口座を移したものでした。ところがどうでしょうか、今度はその「B銀行」、今は「C銀行」と言う名前になっていますが、その銀行も経営破たんによって半ば国有化されるという出来事が起こってしまったのです。このような意味では私たちの住む東川口の町は現在の金融不安の影響をまともに受けてしまったといえます。

 ところで私は先日、ある広告の文章を見てとても不思議な気持ちを感じたことがありました。それは国有化された「C銀行」の広告に書かれていた「あなたのマネープランを私たちにお任せください」という文章でした。銀行の広告の文章として当然のような言葉なのでしょうが、私はこの文章を見て「自分たちの銀行の経営もうまくいかなかったのに、どうして大切な預金を任してよいといえるのだろうか」と思ってしまったのです。もちろん「C銀行」も今は経営が改善されてきており、そのような意味で私たちのお金を任せてもいい銀行になっているのかもしれません。しかしながら、私たちの心にはあの事件を境に依然として不安が残されています。考えてみればそれは今の日本のすべての金融機関にあてはまることなのかもしれないのですが。


2.神の計画に従ったパウロ

①牢獄にあるパウロについての不安

 今日、私たちが学ぶエフェソの信徒への手紙の箇所の少し後のところには次のような言葉が記されています。

「だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです」(3章13節)。

 ここにはパウロがエフェソの信徒たちへこの手紙を送らざるを得なかった原因の一部が記されています。パウロはこの手紙を獄中の中からエフェソの教会の人々に書き送っています。つまりパウロは現在、捕らわれの身で自由を大幅に奪われ、ある意味で「明日、自分がどなってしまうかも分からない」と言うような危機的状況に置かれていたのです。実はこのパウロの身の上に起こった出来事がエフェソの教会の人々に大きな不安を投げかけていたと考えられるのです。なぜなら、彼らはこのパウロによって福音を知らされ、イエス・キリストを信ずる者となった人たちだからです。つまり彼らにとってパウロは自分たちの信仰の大切な指導者でもあり、ある意味では「産み親」とでも言える存在だったのです。その指導者が今、獄中で危機的な状態に置かれています。そこでエフェソの教会の人々に起こったのは指導者パウロに対する不信と、彼が自分たちに伝えた福音についての疑いでした。「自分のこともどうすることもできないような人物が伝えた教えに本当に私たちを救う力があるといえるのだろうか」。そんな疑いが彼らの脳裏に浮かんできたのです。その上、彼らの周りにはパウロの語る福音と異なる教えを伝える人々が現れ、彼らを悩ませてもいたのです。そこでパウロはそのようなエフェソの人々の不安をなくし、彼らが頼らなければならない確かな信仰の確信はどこにあるかを今日の箇所は教えているのです。


②神の計画のゆえに獄中にあるパウロ

 パウロがここでまず語るのは、「自分たちは頼りにならない人間の立てた計画に従って行動しているのではなく、確かで揺るぎのない神様の計画に従って行動し、また生きている」という点でした。

「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは……」(1節)。

 パウロはそもそも自分がどのような成り行きでこのように獄中に繋がれる状況になったのかをここで説明しています。もともと、パウロはキリスト教会を迫害する過激なユダヤ教徒の一人でした。彼は世界のどこまでも追いかけて行って、一人の残らずキリスト教徒を根絶やしにする計画を立て、それを実行に移そうとしたのです。ところが彼はその計画の途中で、復活された主イエスに出会い、その出会いから人生の方向を180度変えられてしまいます。彼のこの後の人生はイエス・キリストを通して表された神様の計画に従って世界のすべての人々に福音を伝えるものになったのです。

 このパウロの行動によってキリストの福音はパレスチナ地方から広く地中海沿岸の諸国へと伝えられていきました。その結果、最初は一部のユダヤ人で構成されたキリスト教会の群れに、たくさんの「異邦人」と呼ばれる外国人が加えられていったのです。ところがこのような働きをするパウロに大きな壁というべき問題が立ちはだかりました。それは元々、まことの神を信じ、従ってきたと考えるパウロの同胞ユダヤ人たちとの対立でした。そもそも彼らユダヤ人たちの価値観では自分たちは神様に選ばれた特別な民であり、そのほかの外国人は穢れていて、神にはふさわしくない人々だと考えられていたのです。ところがパウロはこの外国人である異邦人も神様に選ばれている人々だと主張したのですから、このユダヤ人たちの価値観と真正面から衝突することになったのです。このためにパウロはやがてユダヤ人たちの陰謀によって訴えられ、獄中の人となってしまったのです。パウロはここでこれらの出来事の本当の原因をエフェソの教会の人々に理解するようにと求めているのです。自分が獄中に繋がれるようになったのは異邦人である外国人にキリストの福音を伝えたためであり、しかも、それは自分が神様の計画に従うことによって起こったということを理解してほしいと語るのです。

 私たちの信仰生活にとってもっとも大切なこととは今までそれぞれが思い思いの自分の立てた人生の計画に従って生きてきたことを止めて、こんどは神様の立てられた計画に従い生きていくということです。パウロは確かに獄中にありました。しかし、その出来事はこの信頼すべき神様の計画に従って起こった出来事なのです。ですからそのことで福音に対して疑いを抱いたり、自分たちの信仰生活について心配することは少しもないのだとエフェソの教会の人々にパウロはここで教えているのです。


3.神の計画の主人公は誰

①神の秘められた計画(ミステリオン)とは何か

 皆さんの中には私と同じように「ミステリー」小説やドラマが好きな人がおられると思います。テレビで水谷豊や片平なぎさが登場して、犯人を追い詰めていくストーリをわくわくしながらご覧になられる方が私の他にもおられるのではないでしょうか。ドラマや小説の主人公たちによって隠された真相が少しずつ明らかになっていく、それがミステリーの醍醐味でもあり、魅力でもあると言えるでしょう。実は今日の聖書の箇所にはこの英語のミステリーの語源とも言えるギリシャ語の言葉が登場しています。

「初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました」(3節)。

 ここに登場する「秘められた計画」と言う言葉がギリシャ語では「ミステリオン」という言葉で表されているのです。ここにも隠されている真実があります。もちろんここには殺人事件の真犯人が隠されているのではありません。そうではなく、神様がこの世界を造られる前から持っておられた計画が隠されていると言うのです。そしてこの秘められた計画が今や私たちに明らかになったとパウロは語っているのです。この計画は聖書に登場するさまざまな人々、預言者や使徒たちによって少しずつ明らかにされてきました。彼らは聖霊の働きかけを受けてこの神様の計画を知らされ、人々に語ったのです。しかし、私たちにとってすばらしいことはこの隠されていた計画のすべてが、今、イエス・キリストを通して完全に明るみに出され、私たちがはっきりと確信することができるようになったと言うことです。そしてパウロはこのイエス・キリストが究明したミステリーをすべての人々に告げ知らせる勤めを神様から受け、ここでその真実を大胆に語っているのです。


②秘められた計画の主人公とされていた私たち

 皆さんも昨年の年末には自分の家や部屋を大掃除されたと思います。あれは多分、お正月にお年始のために訪れる来客を快くもてなすために生み出された昔からの習慣なのでしょう。お掃除のうまい人は大胆に「いらない」と思ったものを捨てることができる人ではないでしょうか。その反対に掃除の苦手な人は、「これもあれもひょっとしたら使うかもしれない」と一生使う機会のないものを部屋に溜め込んでしまい、身動きがとれない状態になってしまいます。しかし、自分のことを弁護するわけではありませんが、お掃除が得意な人もたまに間違って、必要なものまで捨ててしまうことがあるのではないでしょうか。

 実はユダヤ人たちの考えでは「異邦人」と呼ばれる外国人たちは神様の国に必要のないもの、つまり、やがて神様がこの世界を大掃除されるときにまっさきに捨てられて、焼却炉で燃やされてしまう者たちと考えていたのです。ところがパウロはイエス・キリストによって明らかにされた神様の計画によると、実はそうではなかったと語るのです。

「すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです」(6節)。

 ここには神様の計画のシナリオではユダヤ人たちだけが救われるのではなく、異邦人である外国人もその救いに与ることができるという驚くべき内容が記されていると教えられているのです。ここに記されていることはユダヤ人の側から見れば「異邦人」である私たちにとって驚くべきことであるとともに、もっとも大切な真理が語らえています。これは言葉を変えいえば、いままでドラマの脇役のように取り扱われていた人たちが実はその主人公とされていたのだということになるのです。つまり神様の計画の中にあって私たちはその他大勢のエキストラではなく、その主人公として大切に扱われていると言うことなのです。


③神の計画に従い、信頼する生き方

 テレビのミステリードラマでは一言も台詞を語ることなく、殺されてしまう役を演じる人がいます。そればかりか、遺影の写真の中にしか登場しない人もいるのです。ドラマの中でスポットライトがあてられるのはわずかな登場人物でしかありません。しかし、パウロが語るように神様の秘められた計画の中では私たちすべての者たちがその主人公として取り扱われているのです。今日の福音書の朗読箇所で登場する東の国から来た占星術の学者たちもそのような意味を私たちに知らせてくれる代表的な人物たちです。いままで、神様から忘れられた人たちのように取り扱われていた外国の人々が救い主に出会い、その恵みを受けることができからです。

 もちろん、私たちもまた自分の人生のために計画を立てることは大切であると考えます。しかし、もっと大切なことは私たちを主人公として取り扱っておられる神様の計画を私たちが理解し、その計画に従う人生の設計を立てることではないでしょうか。もし、私たちがこの神様の計画に従って私たちそれぞれの人生設計を立てていくならそれは揺るぎのないものとなるはずだからです。

 新しい一年を始めるにあたり私たちはもう一度、私たちのために立てられた神様の計画に目を向け、その計画に従って私たちの人生の歩みを考えて行きたいと思います。そして、そのためにもまず、私たちが主人公として取り扱われている神様の秘められた計画を聖書の御言葉を通して学んで行きたいと考えるのです。


2004.1.4「神から与えられた恵み」