2005.12.25「飼い葉桶の乳飲み子」
聖書箇所:ルカによる福音書2章1~14節
1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
1.本当の平和をもたらす王は
①人口調査の命令
クリスマス、つまり救い主イエスの誕生の出来は旧約聖書に預言されてきたものでした。ルカはこの旧約聖書の預言を成就してくださった神の大いなるみ業をこの箇所で褒め称えています。なぜならイエスの母マリアは元々ナザレの村の住民でしたから、このままではあの有名な旧約聖書のミカ書に預言された「救い主はかつてのユダヤの王ダビデの出身地であるベツレヘムで生まれる」という預言の言葉とずれが生じてしまいます。イスラエルの北方にあるガリラヤ地方のナザレの村とエルサレムの南に位置するガリラヤでは聖書地図で皆さんがご覧になられても相当な距離があることが分かります。しかし、神は当時の地中海世界に巨大な権力を誇示していたローマ皇帝をも動かして、この預言を成就させようとしたと言うことがこのルカの記事から明らかにされるのです。
「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った」(1~4節)。
このルカの記述について聖書学者の間にはいくつかの論争があります。しかし、確かにローマ皇帝アウグストゥスはローマ帝国内に何度か人口調査を命じている記録が発見されていますし、その人口調査のために多くの人びとが先祖の町に行って登録をしたという事実も当時の記録によって確認されています。
救い主はベツレヘムの小さな家畜小屋で誕生したのですが。この誕生のために神の大いなるみ業が当時の権力者をも動かしたことが明らかにされているのです。
②人びとの考える救い主
ここに登場する皇帝アウグストゥスは元々、オクタヴィアヌスと呼ばれた人物です。彼はローマの元老院に押されて初代のローマ皇帝に任じられました。アウグストゥスはそれまでのローマが支配地をどんどん拡大していく膨張政策を取っていたのに対して、一転してローマを防衛政策に転じさせた人物として有名です。彼はそのために初めて常備軍を設立し、ローマの支配地の安定を図りました。そこで彼の行った新しい政策の結果、長く続いていた戦乱が止み、ローマの支配地には平和が訪れたのです。
たぶんそのような彼の働きによってでしょうか。当時の小アジアの人びとはこのアウグストゥスを「救い主」と呼んで誉めた讃え、彼の誕生日も「福音」と呼んだと言うのです。福音記者ルカはこのアウグストゥスの名をここに記すことで、神がこのクリスマスに使わされた真の救い主イエスとその福音がどのようにこのアウグストゥスと違うのかを示そうとしたと考えられます。
アウグストゥスがローマを安定させ、その領地内に平和をもたらしたとしても、それはその地に問題がなくなった訳ではありませんでした。その問題は常備軍の巨大な力によって一時的に押さえ込まれているだけだったのです。実際に当時のユダヤの人びとはこのローマの支配によって苦しめられていました。国の独立は奪われていましたし、有名なヘロデ王は「王」と言ってもこのローマ帝国によって立てられた傀儡政権のようなもので、彼の地位はこのローマからいつでも奪われてしまう可能性がありした。ユダヤの市民たちもローマが植民地の人びとに課す重い税の問題で苦しんでいました。そこでユダヤの人びとはこのローマの巨大な権力から自分たちを解放して、ユダヤの独立を勝ち取ってくれる救い主を待ち望んでいたのです。しかし神が遣わされた救い主はそのユダヤの人びとの願いとも異なるものでした。
③人となられた真の救い主
「身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(5~7節)。
ローマの常備軍の力によってすべての問題を封じ込めた皇帝アウグストゥスとは違い、またその巨大な権力に立ち向かう新たな力を持った救い主を待ち望んだユダヤの人びとの願いとも異なり、真の救い主はこの日、ベツレヘムの小さな家畜小屋で誕生しました。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とルカは説明しています。真の救い主は人間の期待や願望に沿ったものではありませんでしたから、彼を受け入れる場所はどこにもなかったのです。しかし、この救い主は私たちに本当の平和をもたらすために遣わされました。彼は私たちの問題を力に寄って封じ込める王ではありません。私たちの問題の根本にある神様との平和を回復するために彼はこの地上に来られたのです。
インドネシアで宣教師をしておられた入船先生はよくこう言っていました。「インドネシアのイスラム教の人びとにとって天地万物を造られた唯一の神と言うことは容易に理解できるが、その神が人間となられてこの地上に来られたということを理解するのは大変困難である。なぜなら、創造主である神とその被造物である人間とは隔絶とした違いがあり、人間が神になることはもちろんのこと、神が人間になられることも彼らには考えられない」と。しかし、クリスマスの奇跡はこの神が人間となれたとところにあるのです。なぜならイエスは私たち人間を救うためにこの地上に来られたからです。私たちに代わってその罪を贖い、私たちができなかった完全なる神への従順を行うために彼はこの地上に来られたのです。そのためにイエスは私たちと同じ人間とならなければなりませんでした。ですからイエスは私たちに真の平和をもたらすために来られた真の救い主と呼べるのです。
2.意外な神の招き
①合格発表の知らせに驚く
年が明ければ受験のシーズンがやって来ます。もう既に推薦枠の試験は始まっているとも聞いています。私も30年以上前の自分の高校受験の時のことを思い出しました。私は当時、自分のレベルではあまり合格の可能せいがないと思われた県立高校を無理して受験しました。ほとんど受かる可能性がないと自分でも思っていました。ですから合格発表前に滑り止めで合格していた高校に入学金や授業料を納めて、私立高校に入学するつもりでいたのです。合格発表の日、私の母は「自分の名前がないのをわざわざ見に行くのは恥ずかしいので、家にいたほうがよい」と私に勧めました。私も「それもそうだ」と思いながら、一人で家に残っていました。当時、県立高校の合格者の名前はローカル放送のラジオでも全員読まれることを知っていましたらから私はその放送を家で聞いていたのです。自分の受験した高校の番になり、自分の受験番号になったときにアナウンサーは確かに「269番 櫻井良一」と私の名前を読み上げたのです。そのとき私がどんなにびっくりして、そして喜んだかは今でも鮮明に覚えています。あわてて家の外に飛び出ると、ちょうど同級生が道の向こうから歩いて来るのに出くわしました。実は彼も一緒に同じ学校を受験して、合格発表を見て帰って来たところだったのです。私はラジオだけでは信じられず、彼にも「本当に自分の名前が合格発表の名簿にあったか」と尋ねて、「本当だ」と言われて、あわててその後、合格証書をもらいに学校に行ったのです。
②羊飼いを招いた神の
「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた」(8~9節)。
クリスマスの日に救い主誕生の知らせを天使から聞かされた羊飼いは、天使の出現の前に「非常に恐れた」と記されています。おそらく彼らはこの知らせを聞いたときに、恐れと驚きを感じてのだと思います。当時の羊飼いは貧しく、昼夜を問わない厳しい仕事をしていました。そのため当時のユダヤ人たちが神様への義務と信じていた、律法を守ることができませんでした。ですから羊飼いたちは到底、神様のテストに「合格」することができ者たちだと人びとに考えられていたのです。そしてそのことは彼ら自身も深く自覚していたのだと思います。どんなことが起こっても自分たちの名前は神様の発表される合格者のリストに載っていないと彼らは信じていたのです。
その彼らが天使たちを通して救い主誕生の知らせを聞いたということは、彼らがその救い主誕生の出来事に招かれたと言う証拠でした。彼ら天使たちから自分の名前が呼ばれていることを知ったのです。ですから自分たちの名前が神様の準備された合格者のリストに載っていることを示された羊飼いは喜びながら救い主の元へと向かったのです。
自分は神様から見捨てられている、自分と神様とは何の関係もない無価値な人間だ、そのような思いに支配される人でさえも、救い主イエス・キリストを通して示された救いの出来事の対象者の中に含まれている知らせるためにこの羊飼いたちはここに登場していると言えるのです。
3.神の言葉を信じて従う者
「天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」」(10~12節)。
せっかく、ラジオで自分の合格発表の知らせを聞いても、それを信じなければ私はその高校に入学することができなかったでしょう。私はその合格の知らせを信じて合格証書をもらいに行き、早急にその学校への入学手続きを取る必要がありました。同じように天使から自分たちの合格を知らされた羊飼いたちは、それを信じて、歩み出す必要がありました。
イエス・キリストの提供する神様との平和を私たちが受けるために私たちもまず、聖書の言葉を信じ、その言葉に従う必要があるのです。しかし間違ってはいけないのは私たちは神様の試験に合格するためにその言葉に従うのではありません。むしろ自分が既にこの試験に合格したという言葉を信じて、神の言葉に従うのです。ここを間違えてしまうと私たちはいつまでも自分が救われたと言う確信を得ることができません。
この地上の試験では不正と判断されるかもしれませんが。神様は確かに私たちの書いた答案用紙と、イエス・キリストが書いた答案用紙の名前を書き換えられたのです。ですから私たちの合格の根拠はこのイエスの作られた完璧な答案用紙にあるのです。だからこそ、私たちはこの信仰生活の中で自分が何をしているかというところに目を向けることではなく、救い主イエスが私たちのために何をしてくださったかにいつも目を向けておく必要があるのです。そうすれば救い主イエスに出会って喜びに満たされた羊飼いたちと同じように、私たちもまた自分の信仰生活の中で救いの喜びを体験することができるのです。
…………… 祈り ……………
天の父なる神様。
私たちのために御子をこの地上にお遣わしくださったことに感謝致します。私たちに代わって罪を償い、神への従順のテストを果たすためにイエスは私たちと同じ人間となってくださいました。私たちはこの真の救い主によって神様との平和を得ることができることを感謝いたします。この祝福を再び心に刻み、確信を持ってあなたに従っていくことができるように聖霊を遣わして私たちを導いてください。
主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。