1. ホーム
  2. 礼拝説教集
  3. 2005
  4. 2月6日「神の恵みによって成長する教会」

2005.2.6「神の恵みによって成長する教会」

聖書箇所:コリントの信徒への手紙一15章1~11節

8 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。

9 わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。

10 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。


1.私たちの「ルーツ」

①日本→アメリカ→オランダ→スイス

 私たちが集まっている教会の正式名称は「キリスト改革派日本伝道会所属東川口伝道所」と言います。このキリスト改革派日本伝道会という団体はアメリカの北米キリスト改革派教会が日本伝道のために作った宣教団体で、私たちの教会のヤング先生はこの団体に属する宣教師です。おそらく、日本のキリスト教会の多くがアメリカからやってきた宣教師たちによって作られたように私たちの教会もアメリカにあるこのキリスト改革派教会に所属する宣教師と、そしてその宣教師を送り出しているアメリカの教会の信徒の皆さんの祈りと献金によって建てられ、また維持されています。

 私が高校生くらいの頃でしょうかアメリカのドラマで「ルーツ」という物語が流行りました。アメリカに住むアフリカ系移民の主人公が自分の先祖が誰であり、どのようにしてアメリカに渡って来て、今の自分にたどり着くのかを描いた物語でした。自分はいったい何者なのか。その疑問に答えるべく作者は奴隷としてアメリカに売られてきた先祖の物語にまで遡っていくのです。

 私たちの教会がどのような教会なのか…。それを知るために私たちもまた私たちのルーツを知ることが大切になって来るのかもしれません。ヤング宣教師が所属する北米キリスト改革派教会は今では、アメリカとカナダに住む様々な民族によって構成されています。ですからその教会の中にはアフリカ系の人々が集まる教会もあれば、アジア系の人々が集まる教会もあるのです。しかし、もともとこの団体はオランダからアメリカに渡った人々によって作られた教会、オランダ系移民の教会でした。

 実はこのオランダという国で現在でももっとも大きなキリスト教の教派は「改革派教会」と呼ばれるグループです。それではこのオランダの改革派教会はどのようなルーツを持つかと言えば、そこから遡ってスイスの宗教改革者ジャン・カルヴァンという人物に行き着くことができるのです。この教会では毎月第一水曜日の夜に祈祷会を行っています。その祈祷会の時間にもう読み始めて二年くらいたつと思うのですが、このカルヴァンという人が書いた「キリスト教綱要」を学んでいます。つまり、この学びも私たちのルーツ探しの一つと言えるのです。ですからこのカルヴァンについての説明はここでは省きますが、私たちの教会がなぜ「改革派」と呼ばれるかについては少しお話しておきたいと思います。


②宗教改革者の作った教会

 なぜなら、「改革派」という名前から私たちの教会がいつでも新しいことを考え、また古い伝統や習慣をどんどん壊していくような団体として誤解されることがときどきあるからです。私たちの教会に付けられた「改革派」という名称は、簡単に言ってしまえば、ヨーロッパで16世紀に起こった宗教改革運動から生まれた教会であるという意味です。つまり、この改革とは当時のヨーロッパを支配していたカトリック教会に対してその誤りを指摘し、教会を正しい姿に戻そうとした人々の運動を示しているのです。そして、この改革者たちが目指した最も大切なことは教会を聖書に教えに戻すこと、聖書の権威を回復して、キリストの者の信仰生活のよりどころをこの聖書に置くことでした。なぜなら、当時のカトリック教会は長い歴史の中で、聖書に書かれていない人間の作り出した教えを取り入れ、様々な点で信徒たちの信仰に混乱を与えていたからです。

 宗教改革者たちは常にこの聖書によって改革される教会、つまり、聖書に記されている初代教会の人々と同じ聖書の原則に立った教会を作ろうとしました。だから彼らは自分たちの教会を「改革派」教会と呼んだのです。そしてこの同じルーツをもつ改革派教会は今や世界中に存在しています。この教会に牧師を派遣している日本キリスト改革派教会もこの同じルーツを持つ団体です。


2.パウロの告白

①宣教師パウロ

 今日は午後から私たちの教会の昨年一年間の歩みを顧み、今年一年の計画を話し合う会員総会を行います。ですからこの礼拝では今年一年の教会の年間聖句と年間標語についてのお話をしたいと思っています。簡単に言ってこの年間聖句と年間標語は今、申しました改革派教会のルーツにまで至るたいへん重要な内容を語っていると言えるのです。なぜならこの聖句にも標語にも登場する「恵み」という言葉は改革派教会の信徒が最も大切にし、また信じる言葉の一つだからです。この恵みとは私たちの信仰生活のすべてが神様によって成り立つことを語っています。この言葉は私たちが信仰生活のあらゆる分野で無責任になるのではなく、むしろ積極的に神様にそのすべてをゆだねていくことを要求している言葉だと言えます。そしてそのことを理解するためにまずここで語られる使徒パウロの言葉を学んで行きたいと思うのです。

 このコリントの信徒への手紙を書いたパウロは初代教会の熱心な伝道者、宣教師の一人でした。彼は現在のシリアに位置するアンティオケアという町にあった教会から宣教師として任命され、地中海の沿岸を中心に伝道し、各地でキリスト者を生み出し、その人たちが集まって礼拝する教会を建てました。宣教師としてのパウロの任務は各地に教会を建て、その教会をそこに集まるキリスト者が自分たちで維持し、自分たちで礼拝を続けることができるようにすることでした。このパウロの働きは私たちの教会で働いているヤング宣教師と全く同じものです。ヤング宣教師もこの東川口伝道所が東川口に集まる人自身によって運営され維持されることを目指して働かれています。「教会設立」という言葉が年報には記されていますが、この言葉はこの私たちの教会がここに集まる者たちによって運営され、維持されることを指しているのです。


②パウロの自慢?

 この手紙の受取人であるコリント教会はパウロによって生み出され、教会設立をして、歩み出した教会の一つでした。しかし、この手紙を読んでみると当時、コリント教会は様々な問題のために混乱し、大変困難な状況に置かれていたことが分かります。このような困難の中にあったコリント教会はその上で信仰上の深刻な疑問にぶつかっていたようです。その疑問とは「自分たちが信仰生活で払った労苦は本当に報いられるのか」と言うものでした。また、彼らはこの困難の中で自分が持っていた自信を失いかけてもいたように見えます。そのような意味で彼らは自分たちが信仰生活を生き、教会を教会として維持する力がどこから来るのか、その大切な事柄を見失っていました。ですからパウロはこのコリントの教会の人々に語ります。

「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」(15章10節)。

 「わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました」。確かに伝道者パウロの残した業績はキリスト教会の歴史にとって無視することができない大きなものでした。この限りで伝道者パウロの働きと私たちとの働きを同列におくのは問題があるのではなかと思われる方もあるでしょう。しかし、パウロはここで営業マンが自分の業績を誇るために描く、棒グラフのようなことを語っているのではありません。彼は他の使徒や伝道者たちを見下げているのでは決してないのです。むしろパウロの主張の中心はこの小さな聖句の中に三度も登場する「神の恵み」にあるのです。「しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」。パウロはここで言っているのです。「勘違いしてもらっては困ります。これは私ではなく、私を通して働かれる神の御業の結果なのです。神様は私と共にいてくださって驚くべき御業を成し遂げてくださいました」。そうパウロは私たちに語るのです。


3.恵みによって生きる

 このパウロの言葉が自分のなした業績への自慢ではないことはここでの彼の言葉を読めば分かります。そして彼はこの神の恵みのすばらしさを説明するために自分についてこの直前の部分で次のように語っているのです。

「…そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」(15章8節)。

 パウロは自分のことを「月足らずで生まれたようなわたし」と言っています。これは予定日よりも早く、「早産で生まれてしまった未熟児」という意味の言葉です。赤ちゃんはお母さんの体内で育てられ、もう外の世界にでても大丈夫と言えるまでお腹の中で成長してから生まれてきます。未熟児はその成長途中で、まだ不完全のままこの世に送り出されてしまった存在です。つまり人間としての力の欠けた存在であることを意味しています。パウロは自分をその未熟児だと言っているのです。その上で彼は自分が未熟児である理由を次のように続けて説明しています。

「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」(15章9節)。

 パウロは、元々はキリスト教信徒ではなく、むしろキリスト教信徒を迫害することに熱心だったユダヤ教徒でした。しかし、彼はダマスコという町に行く途中の道で復活されたキリストに出会い、その事件をきっかけに人生を180度の転換をとげ、キリスト教徒になり、またすぐにキリストの福音を宣べ伝える伝道者となりました。ですから彼は地上でイエス・キリストから訓練を受けた他の弟子たちとは大きく違っていました。このような意味で彼は十分に訓練を受けていない存在、つまり自分を未熟児だと言ったのです。

 ですから彼は伝道者としての自分の才能に自信を持っていて、それを誇ったのではありませんでした。彼はむしろキリストに出会う以前に自分が持っていた様々な自信についてほかの手紙の中で「それらのものを塵あくたとみなしています」(フィリピ3章8節)とまで言っています。ですから、伝道者パウロにとって大切だったのは自分の才能や力ではなかったのです。むしろ、彼は欠けの多い自分を補って余りある力を与える神の恵みに自分の希望をおいていたのです。ですからパウロはこのような自分の例を説明しながら、コリントの教会の人々にもこの神の恵みに目を注ぎ、その恵みの力に希望を持って生きなさいと勧めているのです。


4.今、神の恵みを見いだす

①無意味ではない

 さて、コリントの教会の人々は「自分たちの苦難は報われるのか」という深刻な疑問を持っていたと先ほどお話しました。それは具体的にはキリストが再臨されることを待って一生懸命に信仰生活に励んできたのに、その再臨を待たずにこの世を去ってしまった信仰者の信仰生活は意味があったのかどうかという疑問でした。パウロはこのような人々の疑問に答えるためにこの15章で「復活について」の希望を語っています。つまりイエスの再臨のときに、先に死んだ者も墓から甦り、キリストの再臨にあずかることができるという祝福を彼らに教えて、自分たちの信仰生活は決して無意味に終わることはないと語ったのです(20~23節)。このような意味でコリントの教会の人々が抱いている心配は無用のものだと言えるのです。しかし、パウロは先ほどの言葉の中で困難の中に立たされるコリントの教会の人々に神の恵みはその復活のときを待たなくても今でもすぐに分かり、励ましてくれることを教えているのです。なぜなら、この困難の中でも私たちがキリストを信じて生きることができることこそが、私たちと共に神様がいてくださる証拠であって、その恵みを日々私たちが受けていることを示しているからです。

「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」。

 パウロの伝道者としての歩みは決して平坦なものではありません。ここで悩んでいるコリントの教会の人々とも比べることができないような苦難を担い続けたのが彼の生涯でした(コリント第二11章16~33節参照)。しかし、パウロがその困難な生涯の中で自分に与えられた使命を成し遂げることができたのは、いつも自分と共にあった神の恵みを忘れることがなかったことにあると言えます。いや、むしろパウロはその困難の中にこそ隠されている豊かな神の恵みを見つけることができた、そこから慰めを受けたのです。ふつうの人なら、「こんなことに何の意味があるのか」と投げ出してしまう状況の中でもパウロは「ここにこんなすばらしいことがある。こんな恵みが隠されている」と言える信仰生活を送ることができたのです。


②神の恵みに目を向ける

 落語にこんな小話があるといいます。一人の婦人が一年中、涙を流して毎日を送っています。天気になれば涙を流し、雨になっても涙を流しているのです。不思議に思った一人の人がこの婦人にその涙の理由を尋ねてみました。「お前さんはなんで、毎日泣いているんだい」。するとこの婦人が答えたるには彼女には二人の息子がいて、それぞれ商売をして生活しています。一人は傘屋を営み、一人は下駄屋をしているのだそうです。そして婦人はこう語るのです。「天気になると、これじゃ傘が一本も売れないだろう。傘屋の息子は困っているに違いない」と悲しくなります。そして「雨になると人はあまり外を出歩かなくなるから下駄の底が減らない、結局、これでは下駄屋の息子の商売が上手くいかないと思うと悲しくてなる」と言うのです。そこでこの話を聞いていた人がこう答えました。「お前さん。いいことを教えてあげるよ。今度から天気の日には下駄屋の息子のことを思い出してごらん。そして雨になったら傘屋の息子のことを思い出すんだよ」。するとどうでしょう。この婦人はそれから天気になれば下駄屋の息子の家は繁盛しているに違いないと喜び、雨になれば傘屋の息子は忙しくなるぞと思うようになって、涙ではなく笑顔の絶えない婦人に変わったというのです。

 私たちもこの心の方向転換をすべきではないでしょうか。困難のときにはそれを成し遂げることができる神様の恵みを覚え。祝福のときにはその祝福を与えてくださった神の恵みを褒め称えるのです。そして、このパウロのコリント教会へのアドバイスはこの東川口に教会設立をしようと願っている私たちを励まし、力づける秘訣でもあるのです。


…………… 祈り ……………

 天の父なる神様

 私たちのためにいつも恵みを与え、私たちを導いてくださるあなたのみ業に心から感謝いたします。私たちの心の目をあなたのいつも開いてくださり、あなたの恵みに感謝し、あなたの働きをこの地上で実現することができる者たちとしてください。

 主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。


2005.2.6「神の恵みによって成長する教会」