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2020.12.20「三つの贈り物」

マタイによる福音書2章1〜12節

1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、

2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。

4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。

5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。

6 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。

8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。

9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。

10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。

11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。


1.この物語が書かれた目的

 クリスマスおめでとうございます。このクリスマスの時期に教会でよく読まれる聖書の箇所はいくつかあります。その中の一つが今日、皆さんと読んでいるこのマタイによる福音書2章に記さえた物語ではないでしょうか。私たちがこの礼拝で使っている新共同訳聖書を作った人たちはこの物語に「占星術の学者たちが訪れる」と言う題名の小見出しをつけています。教会に通っておられる多くの人はこの題名を見ただけでラクダに乗って旅をする、三人の博士たちの姿を脳裏に連想される方もおられるはずです。毎年クリスマスを迎えるたびに読まれる物語をもうすでに暗記していると言う方もおられるかも知れません。

 しかし、ここで私たちはこの聖書の物語に対する誤解をまず正す必要があります。なぜなら、この物語はクリスマスを祝う人々のために書かれたものではないからです。ご存知のようにキリスト教会でこのクリスマスと言うお祭りが祝われるようになったのは、教会が誕生してからだいぶたった後のことです。教会史の本を調べてみると遅くとも4世紀半ばくらいにはクリスマスが教会で祝われるようになったと説明されています。つまり、私たちが今日読もうとしている物語は教会でクリスマスをお祝いされる前から伝えられていたもので、クリスマスのために書かれた訳ではないのです。

 それではこの物語は何のためにこの福音書に記録されているのでしょうか。それは私たちにイエス・キリストとはどのようなお方なのかを教えるためです。このお方によって私たちの人生にそしてこの世界にどんな素晴らしい出来事が起こったのかを伝えるためです。それを私たちに知らせるためにこの物語は福音書の記者によってここに取り上げられているのです。すでにこの物語を記した福音書の著者は十字架にかかって死なれた後、三日目に復活されたイエスと言う方の存在を知っています。そのあと、天に昇り、そこから聖霊を送ってキリスト教会を導いてくださる方、そこに集う私たち一人一人の存在を導いてくださるイエス・キリストを知っていたのです。ですから、この物語を読む私たちも私たちを救い、私たちを導いてくださっているイエス・キリストとはどのような方なのか、その方によって私たちの人生はどのように祝福されているのかをここから学び取っていくことが必要だと言えるのです。


2.東の国の博士

①占星術の学者たち

 さて、この物語に登場する占星術の学者たちについて、彼らが何者なのかと言うことは詳しく聖書には説明されていません。彼らはどこの国の人なのかと言うことも分かりません。そもそもこの学者たちの数は何人だったかについてもよく分かっていないのです。彼らは普通と三人と教会の人々は考えて来ましたが、それはこの学者たちから幼子イエスにささげた贈り物の数が三つだったからであって、これもあくまで後代の人々が考えた推測に過ぎないのです。

 はっきり分かっていることは彼らが約束の民とされるユダヤ人とは全く縁もゆかりもない人々であったと言うことです。つまり、彼らはユダヤ人たちが普段から軽蔑し、「神から見捨てられている人々」と考えていた「異邦人」に属する人々だったのです。

 もう一つ意外なことは、彼らの職業が「占星術の学者」と呼ばれているところです。聖書を記している原語では彼らは「マギ」と言う呼び名で呼ばれています。これは英語の「マジック」の語源となったと言われる言葉です。つまり、彼らを「学者」と言うよりは「魔術師」と呼んだ方がよい存在だったのですえ。現代社会ではこのような人々は詐欺師のような人々に分類されてしまうかも知れません。しかし当時の社会では彼らの存在はかなり重要であったと考えられています。

 日本でも映画やドラマで平安時代に活躍した安部清明(あべのせいめい)と言う人物が取り上げられます。彼の行っていた陰陽道はやはらい天文学の知識を駆使したもので、この占星術の学者たちと同じような仕事をしていました。この安部清明が当時の大和朝廷に重んじられていたように、占星術の学者たちもその母国では王様や政府のために働く重要な任務と地位を持っていた人たちだと考えられています。

 ところが聖書ではこのような魔術を行う人々、占い師のような人々は、すべて神の御心に反する存在として禁じられています(申命記18:10〜11)。ですからユダヤ人たちは魔術師や占い師を神ではなく、悪霊に仕えている者たちと考えていたのです。しかし、この物語ではユダヤ人たちから「神に見捨てられた異邦人」、また「悪魔に仕える魔術師」と考えられていた人たちが重要な人物となって登場しているのです。


②福音の招きに答える

 彼らはその職業のために天体の状況を毎日注意深く観察していました。だからこそ、彼らは夜空に輝く特別な星の存在を誰よりも早く発見することができました。そしてその星を通して「ユダヤ人の王が誕生した」と言う出来事を知ることができたのです。おそらく、ここまでであれば彼らの行動はふつうの占い師と同じものだと言えるはずです。なぜなら、占い師は自分たちの占いを通して第三者に様々なアドバスをしますが、それ以上その人の人生に関わることはしないはずだからです。自分が占いで得た知識を人々に提供することが彼らに与えられた任務だからです。しかし、この占星術の学者たちは違いました。彼らはこの出来事を知ると、そのままにしておくことはできずに、はるか遠いユダヤの国を目指して、この王を礼拝するために旅立ったのです。彼らは自分たちが知った知識だけで満足するのではなく、進んでその出来事の中に自分も加わろうとしたことが分かります。彼らはこの星が自分たちを招いていることを知り、その招きに答えようとしたのです。

 誰でも聖書を読めばキリストの福音を知ることができます。聖書の言葉を通して神は私たちが知るべきことを教えてくださっているからです。しかし、福音を知るだけでは私たちの人生を変えることはできません。なぜなら、キリストの福音は私たちにも進んでその福音に加わるようにと一人一人を招いていてくださっているからです。占星術の学者が旅立つ決心をしたように、私たちも聖書の言葉を信じ、その言葉に従って生きる新しい歩みを始めることが大切なのです。


3.知識をだけでは何も変わらない

①メシアを殺そうとしたヘロデ

 この物語の中にはこの占星術の学者たちと対照的な姿勢をとった人々が登場しています。なぜなら、彼らもある意味でイエスについて正しい知識を知らされていたからです。しかし、その反応は全く占星術の学者たちとは違ったものとなってしまったのです。

 まず、登場するのは当時のユダヤの王であったヘロデと言う人物です。しかし、ヘロデ自身はユダヤ人ではなくエドム人であったと言われています。彼は当時、ユダヤを実効支配していたローマ帝国の後ろ盾を得て「ユダヤの王」と言う地位を手に入れたのです。戦前に日本がラストエンペラーと呼ばれる清の皇帝溥儀を満州国の皇帝に即位させたように、ヘロデはローマ帝国が利用するために立てた偽りの王にすぎませんでした。しかし、ヘロデ自身は自らが手に入れた王としての地位を奪われてはならないと考えました。すでにヘロデはその王位を守るために何人もの人の命を奪っていたという前科がありました。その王にとって新たに伝えられた「ユダヤ人の王の誕生」の知らせは彼に不安を抱かせるものとなったのです(3節)。彼はその不安を解消するために、「ユダヤ人の王」として生まれた方を探し出し、自分にとって邪魔でしかないその存在をこの世から抹殺してしまおうとしたのです。

 興味深いのはヘロデが新しい王の誕生の地を祭司長や律法学者たちに尋ねたときに「メシアはどこで生まれることになっているのか」とはっきりと言っているところです。彼は新しく生まれたユダヤ人の王を「メシア」と呼んでいます。この点においてヘロデは占星術の学者たちよりもイエスについての正しい知識を持っていたことが分かります。なぜなら、彼はこの王こそユダヤ人たちが長い間、その出現を待ち望んでいたメシアであることを理解していたからです。彼は占星術の学者たちの言葉を通して、これは間違いなくメシアが誕生した知らせだという確信を持ったのです。

 しかし、彼の反応は占星術の学者たちと全く違いました。なぜなら、彼はメシア誕生の知らせを自分の人生にとってむしろマイナスだと考えたからです。「この知らせを受け入れれば、このメシアが現れたら自分の人生はだめになってしまう」と彼は考えたのです。だから何とかして彼はメシアを抹殺しようと考えました。

 聖書の教える福音よりも、自分の価値観や人生観を優先して、福音を受け入れない人物の代表者としてヘロデはここで登場していると言えます。しかし、彼の計画は完全に失敗を遂げます。なぜなら、神がその救いの計画を実現させるために御子イエスとその一家を守られたからです。つまり結果的にはヘロデの不安は全く解決されなかったのです。


②傍観者のままだった祭司長や律法学者たち

 このメシア誕生と言う知らせを知らされながらも、占星術の学者たちのように行動できなかった人々はまだ他にもいます。それは祭司長や律法学者たちです。彼らはこのとき「ユダヤ人の王」誕生の知らせを聞いて不安を抱いたエルサレムの人々すべてを代表するような存在です(3節)。

 ヘロデはメシアがどこで生まれるかと言う問いに答えさせるために真っ先に彼らを自分に近くに呼び寄せて、尋ねました。なぜなら彼らは聖書の専門家であったからです。聖書の知識においては彼らほど長けている人はいませんでした。だから、彼らはたちどころにしてヘロデの問いに「ユダヤのベツレヘムです」と答えることができたのです。しかし、どんなに聖書を毎日読んでいて、その知識を知らされていても、彼らはその聖書が知らせる福音の祝福にあずかることができませんでした。なぜなら、彼らも福音の招きに答えようとはしなかったからです。

 先日も教会月報で書いたのですが、私の求道時代に私の聖書の学び方を変える出来事がありました。それは一人の牧師から「あなたにとって、この聖書の教えはどのような意味があるのか」と改めて問われたからです。どんなに聖書の知識を身につけても、それでは私たちに人生に何の変化も起こることはありません。大切なのはその聖書の言葉を自分の人生に一つ一つ適応させていくことです。聖書の言葉を神が今の自分に語って下さった言葉として聞き、その言葉に従っていく信仰生活を歩むことが大切なのです。そして占星術の学者たちはそれができたからこそ、遠いユダヤの国に旅立つことができのたです。


4.ささげられた三つの贈り物

 最後にこの占星術の学者たちが幼子にささげた贈り物を通してイエス・キリストが私たちにとって何者であり、私たちにどのような恵みを与えてくださったのかについて考えて見ましょう。

 第一の贈り物は「黄金」です。この黄金は当時、王の用いる道具として使われました。つまり、黄金はこの幼子こそ真の「王」であることを表すしるしなのです。古代においてこの王の存在は大変に重要でした。なぜなら正しい王が即位すれば国民の生活は平和と繁栄を得ます。しかし、その反対に悪い王が即位すれば国民の生活は途端に最悪なものとなってしまうからです。黄金はイエスが私たちの人生に平和と繁栄をもたらすために来てくださった真の王であることを示しているのです。

 それでは真の王であるイエスはこの平和と繁栄をどのようにして実現されるのでしょうか。聖書は私たちの人生が悲惨なものとなった原因を私たちと神との関係に問題が生じてしまったからだと教えています。ですからその関係を元通りにならなければ、どんなに私たちが努力して生きたとしても、本当の祝福と繁栄を得ることができないのです。「乳香」は当時神殿で働いた祭司たちが礼拝のために用いた道具とされています。祭司は神と人の間を仲立ちして、その関係を修復するために働く人々でした。その祭司の役割を救い主イエスは果たしてくださるのです。「乳香」は壊れていた私たち人間と神との関係を元通りにして、私たち人間を神が創造してくださったときと同じ状態に戻してくださる真の祭司こそ、イエス・キリストであることを示すものなのです。

 第三番目の「没薬」は幼子の誕生には最も似つかわしくないものであるかも知れません。なぜなら、「没薬」は死の苦しみにある人の痛みを和らげる麻酔の材料として用いられるものだったからです。また、手の施しようがなく死んでしまった人の葬りのために使われる道具としても使われました。つまりこの「没薬」こそ、十字架の苦しみを受けて、死んで葬られるイエス・キリストの御業を象徴するものだと言えるのです。イエスはご自身の命によって私たちの罪を解決してくださり、私たち人間と神との間にあった障害物を取り去ってくださった方なのです。

 マタイの福音書はこのイエスの名前を「インマヌエル」、「神は我々とともにおられる」(1章23節)と紹介しています。クリスマスの日にベツレヘムで誕生した幼子はこの祝福を実現するために、救い主としてこの地上に生まれてくださったのです。そして占星術の学者たちはこの幼子に会いに行き、礼拝をささげることで、その恵みにあずかることができました。私たちも、このクリスマスの祝福を傍観者として眺めるだけではなく、進んでその祝福にあずかるためにも聖書の言葉に聞き、その言葉に従って行くことで信仰の旅路をこれからも歩んで行きたいと思います。

聖書を読んで考えて見ましょう

1.イエスはどのような時代に生まれましたか。そのときエルサレムにどのような人がやって来ましたか(1節)。

2.彼らは何のためにこのエルサレムにやってきたと言っていますか(2節)。

3.この知らせを聞いたヘロデ王やエルサレムの人々はどのようになりましたか。彼らはどうしてそうなってしまったのでしょうか(3節)。

4.ヘロデ王がメシアの誕生の地を尋ねたとき祭司長や律法学者たちは何と答えましたか(4〜6節)。

5.ヘロデは占星術の学者を招いて何と言いましたか。彼らにこう尋ねて、ヘロデはいったい何をしようとしていのたでしょうか(7〜8節)。

6.占星術の学者たちは幼子を拝み、どのような贈り物をささげましたか(11節)。

7.彼らがヘロデの元に戻らないで、そのまま自分たちの国に帰って行ったのはなぜですか(12節)。

2020.12.20「三つの贈り物」