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2020.5.24「聖霊と神の計画」

エフェソの信徒への手紙1章3〜14節(新P.352)

3 私たちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。

4 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。

5 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。

6 神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。

7 わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。

8 神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、

9 秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。

10 こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。

11 キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。

12 それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。

13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。

14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。


1.三位一体の神と私たちの救い

 今日もパウロが記したエフェソの信徒への手紙から学びます。このところ同じ聖書箇所を取り上げてこの礼拝でお話をしています。そこで今日はこの聖書の箇所から私たちの救いのために働かれる聖霊なる神の御業について学びます。そしてさらにこの聖霊なる神が私たちに与えてくださる信仰の意味についても考えて見たいのです。

 実はこの同じ聖書箇所を私は今日で三回に渡って皆さんにお話をしています。なぜ、そのようなことをしているかと言えば、この聖書箇所には私たちの救いのために働かれる神の大切な御業が詳しく語られているからです。パウロはここで私たちの救いが父なる神の立てられた計画に基づいて実現したことを教えています。私たちの父なる神は天地万物を創造される前から私たち一人一人を愛してくださり、私たちが救いにあずかることができるように選んで下さいました。私たちの救いはこの確かな神の計画に基づくものであると言うことを私たちにはまず学んだのです。

 それではこの父なる神の立てられた素晴らしい計画はどのように私たちの住むこの世界に実現したのでしょうか。聖書はそこで働かれた方こそ私たちの救い主イエスであると教えています。父なる神はご自身の立てた計画をこの地上に実現させるために、ご自身の御子であるイエスをこの地上に遣わしてくださったのです。人間の業はどんなに完璧に見えても、どこかに欠けやもろさがあります。しかし、神の御子であるイエス・キリストは私たち人間と違って、完璧な御業をこの地上で実現されたのです。それがイエスの十字架の死であり、また復活の出来事です。私たちはこのイエス・キリストのなしてくださった御業によって罪と死から解放され、完全な救いを受けることができるようにされたのです。これが二回目に取り上げたお話です。

 そして今日のお話では聖霊なる神という方の働きを考えて見たいと思います。なぜなら、この聖霊なる神はイエス・キリストがこの地上で実現された救いの御業がもたらした恵みを、私たち一人一人の人生に、私たちの信仰生活の上に与えて、私たちの救いの完成の日まで導いてくださる方だからです。

 キリスト教会は昔から、自分たちの信じる神を「三位一体」の神と告白して来ました。父なる神、そして子なる神であるイエス・キリスト、さらに聖霊なる神はそれぞれ、自分の意思を持ち、働きを行われる存在です。しかし、この父と子と聖霊は神としてはお一人の神であるというのがこの「三位一体」と言う言葉の伝えようとする意味です。実はこの三位一体の神の働きがこのエフェソの信徒への手紙で冒頭の部分でパウロによって語られているのです。父なる神が救いの計画を立て、その計画に基づいて天地万物を造られました。さらにその父なる神は私たちを救うためにイエス・キリストをこの地上に遣わしてくださったのです。そしてこのイエス・キリストは私たちを救うために父なる神の計画に従ってこの地上で行動され、父なる神の救いの計画を現実のものとしてくださったのです。その上で、私たちが今日取り上げる聖霊なる神の働きが加わります。このようにして父と子と聖霊なる神、「三位一体」の神は私たちの救うためにお一人の神として完璧で素晴らしい御業を実現してくださったのです。ですから、この「三位一体」の神を認めなければ、私たちの救いは不完全なものになってしまいます。私たちキリスト教会がこの「三位一体」の神を認めない「異端」と呼ばれる人々に厳しく対処する理由は、この「三位一体」の神の教えの中に私たちの救いの根拠が置かれているからなのです。


2.福音を私たちに伝える聖霊の働き

①時間と空間を超えた聖霊の働き

 それでは今日私たちが取り上げている聖霊なる神はどのような働きを私たちの信仰生活の中で行って下さるのでしょうか。最近出された緊急事態宣言の中で私たちの教会も礼拝に出席できる方が少なくなりました。その代わり礼拝に出席できない方々がご自宅からインターネットを通してこの礼拝に参加すると言うケースが多くなりました。目覚ましいインターネット技術の発達によってこのような新しい礼拝のスタイルが実現している訳です。このインターネットを使って家にいながら、別の場所で行われている教会の礼拝に参加することができるようになりました。私たちはこれも神が私たちに与えてくださったものだと考え、この方法を進んで用いています。

 このインターネットによって遠くに離れている者同士が、同じ体験を共有することができるようになっています。実は聖霊の働きはこのインターネットの働きに少し似ているところあります。なぜなら聖霊も私たちのいる場所が違っていても、イエス・キリストから与えられ恵みを体験できるようにしてくださる方だからです。さらに聖霊の働きは場所だけではなく、時間を超えるという特徴を持っています。つまり、この聖霊の働きによって私たちは二千年前に起こったイエス・キリストによる出来事を、時間を超えて同じように自分たちの信仰生活で体験することができるからです。この聖霊の働きによって私たちは現在の日本で二千年前にイエスに従って生きた人々と同じようにイエスの御業を体験することができるようにされるのです。


②福音を聞かせるために働く聖霊

 パウロはこの聖霊の働きについて福音を私たちに知らせること、さらにその福音を信じることができるようにすること、その上で私たちがこの福音を信じて毎日の信仰生活を送り、最後の日には完全な救いの中に入れてくださるという点で重要な働きを担っておられる方だと教えています。

「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。」(13節)

 ここでパウロはエフェソの信徒たちが今、真の神を信じる信仰生活を送ることができるようになったことについて、順序立ててその経緯を説明しています。今から二千年前に真の神を知ることができる聖書を知っていたのはユダヤ人と言う特別な民族の中で生活する人だけでした。ところがキリストが出現することによってこの福音はユダヤ人以外の異邦人にも伝えられるようになったのです。なぜなら、キリストの弟子である使徒たちがこの福音を世界の人々に宣べ伝えるために熱心に働いたからです。使徒言行録は福音がユダヤ人と言う民族の枠を越えて全世界に広がって行こうとする歴史的過程を取り上げています。そしてこの使徒言行録を読むと使徒たちの働きは聖霊の働きによって導かれたこと、この聖霊の働きによって福音が世界各地に伝えられたこととが記されているのです。

 キリスト教の二千年の歴史の中でこの弟子たちの活動を受け継いでいった信仰者たちがさらに福音を全世界に広めました。その結果、私たちはこの日本の地で福音を聞くことができるようにされたのです。これも歴史を超えて今も働かれる聖霊の働きの結果であると言うことができます。この聖霊はさらに父なる神の計画に基づいて、救いに選ばれている私たちのもとに福音を伝えました。私たちが聖書を知り、キリスト教信仰について知ることができるようなったきっかけは様々です。きっとそこにはいろいろな人との出会いが私たちの人生にもあったはずです。この聖書の文章によれば、それもまた聖霊の働きであると言うことができるのです。


3.信仰を与えてくださる聖霊の働き

 今、世界は新型コロナウイルス感染の危機の中に置かれています。有効な治療手段が見つからない新たな病のゆえにたくさんの人が不安を感じています。最近でもテレビを通して世界のどこかで埋葬が追い付かないほどにたくさんの死者が出ていると言うニュースを見ると、私たちも恐怖を覚る他ありません。このように今私たちは「どうしてよいのか」も分からないような状況の中に生きています。この中で私たちが一日も早く待ち望んでいるものは、病にかかった人たちを治療するための新薬の完成であり、またこの病を事前に防止するために用いられるワクチンの完成です。これこそが現代人がもっとも待ち望んでいるニュースであると言えます。「福音」とは苦しむ者が待ち望んでいるよい知らせのことを意味しています。だから、新薬やワクチンの完成は現代人が待ち望む「福音」と呼んでもよいのかも知れません。

 ところがここに大きな問題が生じます。ウイルスは目に見えませんが、その働きがどんなに私たち人間の生活に深刻な問題を引き起こしているのかはすぐに分かります。しかし、聖書が取り上げる魂の病はそうではないのです。人を苦しめ深刻な問題を引き起こしている魂の病は自覚症状がありません。人間はこの病のゆえに自分の死が目前に迫っているのに、そのことさえ分からなまま、日常の生活に没頭して生きているのです。

 聖霊はこのような人間に働きかけて、自分が深刻な問題の中に生きていること、しかも自分が死の危機の前に立たされていることを自覚させるようにさせるのです。するとどうなるでしょうか。この聖霊によってこの病の自覚を得た私たちは、聖書が私たちに伝えるニュースを私たちにとっても最も大切な知らせを告げる「福音」であることを確信することができるのです。聖書は確かに素晴らしい書物です。今では世界の各地でも様々な言語に翻訳されて読まれ、たくさんの人々がその言葉を知るようになりました。しかし、それらの人が必ずしも皆聖書の言葉を正しく理解できているかは別の問題です。むしろ聖書が伝えるニュースを「福音」として受け止めることができる人はごく少数の人に限られるのです。それはどうしてでしょうか。福音を受け入れる人には聖霊が働かれるから、それができるのです。

 日曜日にわざわざ教会の礼拝に出かけて、あるいはインターネットをつないで聖書のお話を聞こうとする皆さんの姿を、この世の多くの人は理解することができません。それより、テレビで映画を見た方が得だと思う人もいます。もっと自分の生活に役に立つことをすべきだと考える人は多いはずです。しかし、私たちは礼拝に集って、聖書の言葉に耳を傾けることが私たちの人生にとって一番大切なことだと考えています。そう思っているから私たちは今ここにいるのです。実はこれは当たり前のことではありません。私たちがそう考えることができるのは、私たちに実際に聖霊が働いてくださっているからなのです。


4.信仰によって何が証明されるのか

①信じる、信じないかはあなた次第ではない

 福音を聞くことだけではありません。このパウロの言葉は私たちが実際にイエス・キリストを信じることができることも、聖霊の働きによるものだと教えています。あるテレビの番組で「信じる、信じないかは、あなた次第です」と言う決め台詞が頻繁に使われていました。信じるか、信じないかはそれを聞いた人の意志に関わっていると言う意味です。確かにこの番組で紹介さえるものは都市伝説のようにあまり信用できないものなので、こんな決め台詞を語るだけでよいのかも知れません。しかし、聖書が伝える福音はそのような都市伝説とは違います。福音は私たちを死から救い出し、真の命を与えるものなのです。しかも、聖書はその福音を信じることも、私たちの側の単なる決断ではなく、聖霊なる神の働きかけによるものだと言っているのです。聖霊は私たちの心に働きかけて、福音に耳を傾けさせ、さらにはその福音を受け入れて私たちが神を信じることができるようにしてくださるのです。私たちに聖霊なる神の働きかけによって信仰が与えられることは、神が私たちの人生に起こしてくださる「奇跡」と言ってよいものです。つまり私たちは聖霊の働きによって奇跡を体験して、神を信じる者とされているのです。

 「信じる、信じないかは、あなた次第です」。もし、わたしたち人間の決断によって信仰が生まれるとするならば、私たち取って信仰ほど曖昧なものはないと思います。なぜなら、その信仰の土台となる人間の決断ほど、あやふやで頼りにならないものはないからです。昨日は信じることができたが、今日はそうではなくなった…、それが私たちの信仰の正体であったなら、私たちの信仰は絶えず風前の灯火であると言えます。しかし、聖書は私たちの信仰をそのようには説明していないのです。父なる神が私たちを愛して、選んでくださったから、その私たちのために救い主イエスが十字架にかかってくださったから、そしてそのすべてを信じることができるように聖霊が働いてくださったからこそ、私たちは今、信じる者とされているのです。


②聖霊の証印を受ける

 だからパウロは神を信じる私たちには「約束された聖霊で証印を押されたのです」と語っています。この人は天地万物が創造される前から神に愛され、選ばれた人であって、この人を救うためにイエス・キリストがこの地上に来てくださったと言うことが分かるように聖霊が目印をつけてくださっていると言うことです。信仰こそは聖霊の証印であり、神に選ばれ、救われた者が持つことのできる目印なのです。

 お店やインターネットで電化製品を買うと説明書と一緒に保証書と言うのがついて来ます。この保証書には必ずその商品を売った販売店のハンコが押されていないと有効ではないという説明も書かれています。聖霊は私たちに信仰を与えることによって、救いの保証書にハンコを教えてくださっているのです。だから、私たちの人生にたとえどんなトラブルが起こったとしても、この保証書の発行者である神は私たちの人生に責任を持ってくださるのです。神は私たちの人生を導いて、必ず神が備えてくださった救いの世界、その御国を受け継ぐようにしてくださるのです。だから、私たちはこの三位一体の神の救いの御業に感謝して、神の栄光をたたえる者とされるのです。


…………… 祈祷 ……………

 天の父なる神様

 私たちに聖霊を遣わして、救い主イエスを信じて生きる信仰を与えてくださり感謝いたします。聖霊なる神の働きによって、私たちは福音を知り、その福音を自分のため者ものとして受け入れ、信じて生きることができようにされました。一見、不確かで偶然の繰り返しに見えるような私たちの人生にも神の確かな計画があることを教えてくださり心から感謝します。どうか私たちが私たちの上に働き続けてくださる聖霊に信頼して、イエス・キリストの弟子の一人として信仰生活を続けて送ることが出来るように助けてください。

 主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

聖書を読んで考えて見ましょう

1.エフェソの信徒への手紙1章3〜14節を読んでみましょう。私たちを救うために三位一体の神はどのように働かれていますか。父、子、聖霊なる神の働きをそれぞれ整理して説明してください。

2.どうして真理の言葉である福音を受け入れて、それを信じることが聖霊に「証印」を押されたことになるのでしょうか(13節)。

3.自分の救いが自分の決断であると考える者は、それができた自分を自慢するかもしれません。しかし、私たちの救いが三位一体の神の御業によるものだと信じる人は、どのようなことをするとパウロはここで語っていますか(14節)。

2020.5.24「聖霊と神の計画」