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2020.8.16「人を造り上げるのに役立つ言葉」

エフェソの信徒への手紙4章25〜32節(新P.357)

25 だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。

26 怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。

27 悪魔にすきを与えてはなりません。

28 盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。

29 悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。

30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。

31 無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。

32 互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。


1.人生の目的と教会の使命

①人生の目的にふさわしい生活

 今日も皆さんと共にパウロの記したエフェソの信徒への手紙を学びます。今まで学んだようにパウロはこの手紙の中で天地万物が造られる前から立てられた神の計画について語っています。私たちのそれぞれの人生はこの神の計画の内に含まれていると言うのです。ですから、私たちに一人一人の人生の上にも神の確かな計画があります。だから私たちの人生には最初から神が与えてくださった目的があると言えるのです。目的のない人生ほど、空しいものはありません。なぜなら人は目的のない人生に耐えることができないからです。

 ロシアでは昔、囚人を苦しめる過酷な拷問がありました。毎日、囚人に井戸から水をくませて、その水を何もない地面に撒かせるものです。何もない地面にいくら水を撒いても何の意味もありません。囚人は毎日毎日この意味のない行為を繰り返して行うように強制されるのです。すると、多くの囚人はこの無意味な行為に耐えることができなくなって頭がおかしくなってしまうと言うのです。

 ところが畑で作物を育てる仕事をしている農民は毎日、井戸から水を汲んでそれを自分の畑に撒く行為を繰り返しています。しかし、彼らは決して頭がおかしくなることはありません。同じ水を汲み、それを撒く行為を繰り返したとしても農民の行為には目的があるからです。農民はむしろ喜んで毎日、井戸から水を汲み、それを自分の畑に撒き続けます。そうすればやがて必ず作物が豊かに実り、それを取り入れる日がやって来ることを知っているからです。

 この地上の生涯を生きることも決してたやすいことではありません。私たちは毎日の人生で様々な障害にぶつかって、苦しむことがあります。それでも私たちがその人生を投げ出すことをしないのは、私たちの人生にはちゃんとした目的があることを知っているからです。神の計画に従って生きれば私たちの人生もやがて豊かな実りのときがやって来ることを確信することができるからです。

 このように福音によって自分の人生の目的を知ることができた私たちは、それ以前、その目的を知らなかったときとは違った生き方をすることできるはずです。なぜなら私たちは神の計画に喜んで自分の人生を献げることができるようになるからです。パウロはこのような意味で、私たちが神の計画にふさわしく生きる方法をここから具体的に教えようとしています。


②教会と私たちの人生の目的

 この神の計画と私たちの人生の目的との関係を理解するために私たちが忘れてはならないことがあります。それは神が私たちをキリストの身体である教会に集め、私たち一人一人の人生をこの教会を通して用いようとしてくださると言うことです。神はご自身の計画を実現させるためにこの地上にキリストの教会を立て下さったのです。そしてその教会に私たちに一人一人を集めてくださいました。ですから、キリストに救われた私たちの新しい人生の生き方を考える際にこの教会を抜きにして考えることはできません。もし、私たちがこの教会の存在を忘れて、一人だけで勝手に信仰生活を送ろうとすれば、その信仰生活は単なる自己満足のためのものになってしまいます。これでは神が私たちの人生を通して実現されようとする本当の実りを私たちが受けることが難しくなってしまうのです。

 今日の部分ではパウロは特に「言葉」と言う問題を中心に取り上げています。なぜなら、神の計画を妨害しようとする悪魔は、私たちの人間関係の中で交わされる「言葉」を使って、キリストの教会の一致を損なわせようとするからです。それでは私たちは日々の教会生活の中で教会に集まる兄弟姉妹たちとどのような「言葉」を語って行くべきなのでしょうか。


2.真実を語る

「だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです」(25節)。

 パウロはここでキリストの教会が一致して行くために、私たちに「偽りの言葉を捨てて、真実を語りなさい」と勧めています。「教会だからこそ、私たちは互いに自分の考えている本音を語るべきだ…」。そんな言葉を口癖のように言っていたある方がおられました。ただ、その方としばらく付き合ってみて、その方のお話を聞いていると、その方が誰よりも他人を気にして自分の正直な気持ちを言えないことに気づきました。自分の本音をうまく表現できない人がすることは「誰それさんがこう言っていました」と誰か自分以外の第三者の名前を利用して自分の本音を語ろうとすることです。しかし、よくよく聞いてみると、そう思っているのはその人自身で、そこで名前が上がっている第三者ではないのです。むしろその人は自分の本音を語るのが怖くて、誰か第三者の名前を利用しているのです。ですからそんな回りくどい話を聞くと、こちらも混乱してしまうのです。私たちの人間関係では本音を語れない人と、その本音を受け入れることができない人がいて、人間関係をより複雑なものとしているようです。実際に教会の中でもこのような問題が後を絶たないのです。

 しかし、ここで誤解してはならないことは、パウロはここで「本音を言いなさい」と私たちに勧めているのではなくて、「真実を語りなさい」と教えていると言う点です。なぜなら、私たちが普段抱いている「本音」と言いものはそれがそのまま「真実」であるとは言えないからです。自分が勝手に抱いた「思い込み」のような「本音」をいくら語っても、教会の一致を生み出すことはできません。むしろ、誤った「本音」は人々の間に混乱を産む原因になる場合が多いのです。

 パウロはこの後、「悪い言葉を一切口にしてはなりません」(29節)とも語っています。宗教改革者ルターが翻訳したドイツ語訳の聖書ではここで「悪い言葉」と語られているギリシャ語が「腐った」言葉と訳されているそうです。ルターはここで戒められている「言葉」が人や組織を腐らしてしま意味を持った言葉と解釈しているのです。だから腐った言葉を語るのではなく、むしろ人を生かすことのできる言葉を語れ、それがここで言う「真実」の言葉だと教えているのです。つまり、真実な言葉と言う場合に大切になって来るのは私たちが勝手に抱く本音ではなく、人を生かすことのできる「言葉」だと言えるのです。それでは私たちはどのようにしたら相手を生かす「真実」の言葉を語ることできるのでしょうか。


3.怒りの意味

①怒りの感情で相手をコントロールする

 パウロは真実を語る生き方について具体的に次のような指示を私たちに送っています。

「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません」(26〜27節)。

 私たちが抱く怒りから出る言葉は決して相手を生かす言葉とはなり得ません。むしろ、その怒りによって、私たちは正しい判断を誤って罪を犯す可能性があるのです。それは結果的には悪魔が付け入るスキを与えてしまうことになるとパウロは教えています。

 「あなたのために怒っているのよ…」。よくそんなことを口にしながら怒っている人を目にします。心からその相手のことを心配して、その人を教育するために怒っているのだと説明しているのでしょうか。しかし、教えることが上手な人は決して怒ることはしないと言います。相手に正しいことを教えるために「怒り」は必要不可欠な条件ではありません。むしろ、こちらが正しく教育できていないからこそ、「怒り」と言うフラストレーションを抱くことが多いのです。正しく自分の気持ちを伝えることが出来ない人ほど、「怒り」と言う感情を利用して相手を動かそうとするのです。しかし、この方法は決して良い方法ではありません。結果的には双方に不快な気持だけを残すことになりかねないからです。


②キリストを見つめる

 パウロはここで特に「怒り」の感情を持ち続けてはならないと言っています。ユダヤでは「日が暮れる」と新しい一日が始まります。つまり、今日の怒りを明日に持ち越してはならないとパウロは教えていることになります。

 「あの人が私にこんなことをしたから…」。自分の人生に起こった不幸の責任を誰かのせいにして、その人に対してずっと怒りを抱き続ける人がいます。たとえその相手が死んでしまっても、その相手がどこか自分の知らないところに行ってしまっても、ずっとその人への怒りを抱いたまま生きようとするのです。パウロはここではっきりとそのような生き方には意味がないと語っています。むしろ、怒りを抱き続けることはその人自身の人生のためにもよくないと教えているのです。なせなら、悪魔がそれに付け込んでその人の人生を支配しようとするからです。

 神が私たちのために救い主を送ってくださったのは、私たちがこの悪魔の支配から解放されて自由に生きることができるようにさせるためです。ですから怒り続けることは、この自由を放棄して、再び悪魔の支配に自分の人生をゆだねることにつながるのです。

 「あの人のために自分は不幸なのだ…」。こう考えることは思い込みと言うよりは、信仰に近いと言っていいかもしれません。なぜなら、「あの人が自分の思った通りにしてくれていたから、自分は幸せになっていた」と言うことになるからです。その人の心の中には「あの人」が全能の神と同じように自分を幸せにできる力を持っていると言う信仰があるからこそ、それをしてくれなかった相手への怒りは決して消えることがないのです。

 私たちはここでもう一度、私たちの人生を支配してくださり、私たちの人生を祝福に導く方が私たちの主であることを思い出す必要があります。私たちの心を癒し、私たちの人生を本当に自由にしてくださる方はイエス・キリストしかおられないからです。だから私たちは怒りの感情の対象となっている相手に向けられていた私たちの心の目を、このキリストに向け直す必要があるのです。


③神が私たちに与えてくださった力

「盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。」(28節)

 「当時は泥棒が教会のメンバーになっていたのだろうか」と言う疑問がこの聖書の言葉を読む私たちに生まれます。この点に関して聖書の解説者たちも様々な意見を述べています。しかし、ここのところで大切なのは私たちには自分の生活を営なむ力だけではなく、教会の兄弟姉妹を助ける力も与えられていると言うことです。神がそのために不足なく私たちに恵みを与えてくださるからです。教会の献金の原理はここに置かれています。たとえ収入が途絶えて献金ができなくなっても、それでも神は私たちに一人一人に自分だけではなく、教会の兄弟姉妹を助けるための力を与えられているのです。だから私たちはこの神の力を信じてことによって、教会の兄弟姉妹と共に生きることができるのです。


4.人を立て上げる言葉

「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」(29節)

 私たちは教会の一致のために「腐った」言葉ではなく、その人を作り上げるのに役に立つ言葉を語る必要があるとパウロは教えます。今日の箇所の最初の言葉に戻れば、人を生かす真実の言葉を語るようにと勧めているのです。

 「あの人は聖書の理解はおかしい。明らかに間違って考えている」。そう言いながら相手の問題を厳しく指摘する人がいます。その上で相手は間違っていて、自分の考えは正しいと主張するのです。しかしその言葉がいくら聖書の真理に基づくものであっても、それだけでは人を造り上げることはできません。どんなに正しい言葉が語られていても、その「誤り」指摘された相手は心を閉ざしてしまうからです。これでは本当の意味で真理を相手に伝えたとはできません。

 私たちが本当に相手に言葉を伝えたいなら、まずその人の言葉をよく聞くことが大切です。一見、誤りや偏見に満ちているような言葉の中にも、その人の本音が隠されている場合があるからです。そしてよくよく私たちが相手の話を聞いてみると分かる真理があります。それは誰もが自分を受け入れてくれる相手を願い求めていることです。すべての人は自分がここにいることを認めてほしいと願って生きています。ところがそれが分からないから、その人は何度も確かめるように同じような言葉をこちらに向けて語り続けて来るのです。

 聖書が語る「真理」とはキリストによって明らかにされた福音と言ってよいでしょう。聖書にはこのキリストの元に罪人や徴税人と呼ばれる人が集まったと言う物語が記されています。彼らは決して神について正しい知識を持っていた人ではありません。誰からも尊敬できるような人生を送っていた人でもありません。しかし、だからこそ彼らはキリストの元に集まりました。「本当に自分は生きていて良いのだろうか」。「ここにいて良いのだろうか」。そんな疑問を抱きながらキリストの元にやって来て、その言葉に耳を傾けようとしたのです。キリストはそのような人々にその人たちを造り上げる言葉を語りました。それが神の福音です。キリストの十字架によって私たちの罪はすべて許されていることを…。だから、私たちはこのキリストによってここにいて良い者となったのです。神は私たち一人一人が生きることを望まれています。私たちは生きていてよいのです。

 私たちはこの福音を既にキリストから聞いた者として、その福音を他の人に伝える使命を与えられています。キリストの福音こそが人を造り上げることのできる唯一の言葉だからです。そのことを覚えて、私たちも聖書から人を生かす言葉を語り続けたと思います。


…………… 祈祷 ……………

 天の父なる神様

 私たちに福音を示し、私たちが一番聞きたかった言葉を教えて下さりありがとうございます。私たちも人を造り上げることに役立つ言葉を語るために、福音の真理を受け入れ、それを喜んで語る人に語るものとしてください。自分の期待から人を見たり、それに適わないからと言って怒る過ちから守られるように聖霊を遣わして私たちを導いてください。あなたによってこの教会に集められた私たちがふさわしい言葉を語り合うことで、愛の交わりを続けることができるようにしてください。

 主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

聖書を読んで考えて見ましょう

1.どうして私たちは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語ることが大切なのでしょうか(25節)。

2.パウロは私たちが怒り続けることにどんな危険性があると言っていますか(26節)。

3.あなたは「人を造り上げるのに役立つ言葉」とはどのような言葉だと思いますか(29節)。

4.聖霊は私たちのどのような姿を見て、悲しまれると思いますか。その聖霊は私たちがどのように行動することを望んでいますか(30〜31節)。

2020.8.16「人を造り上げるのに役立つ言葉」