2021.3.21「刻印を押されたイスラエルの子ら」
ヨハネの黙示録7章1〜17節
1 この後、わたしは大地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていた。
2 わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、
3 こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」
4 わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。
5 ユダ族の中から一万二千人が刻印を押され、/ルベン族の中から一万二千人、/ガド族の中から一万二千人、
6 アシェル族の中から一万二千人、/ナフタリ族の中から一万二千人、/マナセ族の中から一万二千人、
7 シメオン族の中から一万二千人、/レビ族の中から一万二千人、/イサカル族の中から一万二千人、
8 ゼブルン族の中から一万二千人、/ヨセフ族の中から一万二千人、/ベニヤミン族の中から一万二千人が/刻印を押された。
9 この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、
10 大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、/小羊とのものである。」
11 また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、
12 こう言った。「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、/誉れ、力、威力が、/世々限りなくわたしたちの神にありますように、/アーメン。」
13 すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」
14 そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。
15 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、/昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、/この者たちの上に幕屋を張る。
16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、/太陽も、どのような暑さも、/彼らを襲うことはない。
17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、/命の水の泉へ導き、/神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。」
1.災いとキリスト者
私たちはこの前のヨハネの黙示録の学びで神の右の手に乗せられていた七つの封印で閉じられていた巻物が子羊なるイエスによって開かれた出来事を学びました。その七つの封印の一つずつが解かれていくたびに主なる神の裁きがこの地上に下されていきます。その中でも第六の封印が解かれると天変地異と呼ばれるような驚くべき変化がこの地上に起こり、神に背を向け、そしてむしろキリストを信じる者たちを迫害したこの世の権力者たちの上に神の厳しい裁きが下されます。彼らはそこで生きているよりも、むしろ死んだ方がましだと、自分の死を願い出る姿が6章の最後の部分に描写されているところを学んだのです。この順番から言えば次に七番目の封印が解かれるはずですが、黙示録はその出来事を次の8章で取り上げています。そしてこの7章では神とその御子イエス・キリストを賛美する大群衆の姿を紹介しているのです。ここに登場する人々は明らかにこの地上でキリストを信じて生きた人々であることが分かります。つまりこの世の権力者たちの厳しい迫害にもかかわらず命がけで信仰を守った人々がこの章では神を賛美し、神を礼拝する者たちとして登場しているのです。そのような意味で、七つの封印の内、既に解かれた六つの封印によって巻き起こった出来事の中で、キリストを信じて生きた者はどのようになったのかと言うことをこの章で取り上げ説明していると考えることができます。
黙示録は神の厳しい裁きとして戦争、飢饉、伝染病、そして自然災害が起こることを語っています。しかし、これらの災害はこの地球上ですでに繰り返して起こっていると考えることができます。そしてキリストを信じている者はそのような災害や苦難からすべて免れることができるとは聖書は教えていないのです。しかしその一方で、聖書はキリストを信じる者とそうでない者は神によって全く違った取り扱いをされていることを教えているのです。それではキリストを信じて生きた者たちはどうなるのか、神はそのことを教えるためにヨハネに新たな幻を示してくださったと言うことができます。
2.四隅を守る天使
①古代人の世界観
現代を生きえる私たちは地球が丸い球体でできていることを当然のように知っています。しかし自然科学の発展によって地球が丸い球体でできているということが分かったのは歴史的には聖書の時代からずいぶん後のことであると言えます。マゼランが地球一周の航海に成功したのは1500年代ですから時代区分では長い中世が終わって近世が始まるころとされています。つまり、この聖書が書かれて時代の人々は地球が球体ではなく、平らな平面でできていると信じていて、その四方には端があると考えていたのです。ですから「大地の四隅に立つ天使」はこの当時の人々が持っていた世界観をそのまま表現していると言えるのです。
確かに実際の地球は球体で出来ていて四隅などはそこにはありません。ですからこの記述を科学的に考えてしまうと可笑しなものになってしまいます。しかし、その一方でやはりこの物語は私たちに真実を示していると言うこともできるのです。この四隅に立つ天使は大地を守る重要な役目を持っていると説明されています(1節)。また同時に彼らは大地と海を損なう力を授かっているとも言われています(2節)。私たちも知っているように大自然は時々その牙を表します。東日本大震災で起こった津波があれほどの力をもってやってくることを予想できた人はほとんどいませんでした。しかし、実際に大自然は私たちが予想もつかない力を持っているのです。そしてその大自然の力を治めてそれを守ってくださっているのが神であることを黙示録の記事は私たちに教えているのです。私たちは毎日当たり前のように考えるこの大自然の働きを神が統治されていることを聖書は古代人の表現を通して正しく私たちに教えているのです。
②神による救いの歴史
さらに神がこの大自然の驚異から私たちを守ってくださる目的について、ここに登場するもう一人の天使はこう語っています。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」(3節)。ここで言われる刻印とは、主人が自分の持ち物にそれが自分のものであると言うことが分かるように付ける印です。つまり、この刻印は神がご自分の民としてくださるために選んだ人々に付けられる印であると言うことができます。神はご自身の民とされ者たちに天から聖霊を送り、その人に信仰を与えてくださいます。つまり、世界の歴史はこの神を信じて救いにあずかる者たちに天使が刻印を押すために続けられていると聖書は教えているのです。
私たち人間の目から見れば世界の歴史は混とんとしていて、どこに向かっているのか分からないように思えるかも知れません。しかし、今もなお神はご自分の僕たちの額に刻印をおすためにこの世界の歴史を進めておられるのです。聖書は世界の歴史は神の救いが完全に実現するときに向かって進んでいると教えています。そしてそのことが実現するまで、神は天使に命じて大自然が地球や人類を完全に滅ぼすことのないように守ってくださっているのです。
3.十四万四千人とは誰か
さてこの黙示録の内容の中でもたくさんの人の関心を集め、大きな議論が生まれる原因を作っているのは次に登場する刻印を押された僕の数が十四万四千人だと言う言葉です。現在の川口市の人口が約30万人ですから、この数はちょうど川口市の人口の半分ぐらいの数だと言うことがわかります。もし実際に神に救われて額に刻印を押される人の数が「十四万四千人」であるとすると、救われる人の数は本当にごくわずかとなってしまうことが分かります。キリスト教会の二千年の歴史、いえそれ以前の旧約聖書の時代に神を信じて生きた人々は数え切ることができないほど多く存在したはずです。「十四万四千人」と言う数を、そのまま救われる人の数と考えると今まで神を信じて生きていた人々のほとんどが救われていないと言うことになってしまう可能性があります。
キリスト教会の伝統的な解釈ではこの数は救われる人が何人かと言うことを表しているものではないと考えられています。なぜなら、この数自身に聖書が教えようとする真理が隠されていると言えるからです。今までの黙示録の学びでも、この書物にはいくつかの数字が繰り返し登場しているのが分かります。それは「12」とか「7」と言った数字です。実は聖書ではこれらの数は「完全数」と言って、そこで取り上げられているものの「完全さ」を表す表現として用いられているのです。
十四万四千人は12を二乗してその数をさらに十倍するとこの数になります。つまり、神の救いの業が完全の上に完全であり、さらにその数を10倍するほどに完全であることを表す数字がこの「十四万四千人」と考えることができるのです。神は神を信じて生きる者、キリストを救い主として信じた私たちを決して見捨てることはありません。必ず私たちに一人一人の額に刻印を押すように、私たちを神の民の中に入れてくださるのです。ですからこの十四万四千人と言う数はこの民の中に私たちも含まれていることを教えるものだと言えるのです
4.天の礼拝
①小羊の血によって白くされた者たち
そしてこの十四万四千人の意味をはっきりと示すのが次に登場する神を賛美して集まる大群衆の登場です。ヨハネは自分が幻の中で目撃したこの大群衆について次のように語っています。
「この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、/小羊とのものである。」(9〜10節)
ここには長い歴史の中で、額に刻印を押された人々が一堂に集まっている姿が描写されています。この少し前にイスラエルの十二部族の名前が記されて、その数を合計した数が十四万四千人と紹介されていました(5〜8節)。実はこの十二部族の数え方は少し変だと言われています。それはなぜかと言えば、ヤコブの12人の兄弟の一人であるダンとその血を引き継ぐ部族の名前が省かれているからです。そしてその代わりにヨセフの息子マナセとその部族の名前が挙げられています。ここからこの部族は旧約聖書に登場するイスラエルの十二部族のことを語っているのではないことが分かります。ですからここに記されている人々はイエス・キリストを救い主と信じて新たに集められた人々を指していると考えることができるのです。
そしてその部族の一員とされた人々がこの礼拝に登場する無数の人々であったと言えるのです。なぜなら「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである」と言われているからです。この小羊の流した真っ赤な血によって「白く」された人々という表現は聖書が教える独特な描写です。この子羊の血はイエス・キリストが十字架の上で流された真っ赤な血を意味しています。かつてイスラエルの民がエジプトから脱出しようとしたときに、神はエジプト全土にいる初子の命を奪うという災いをそこで下されました。そのとき、神の指示に従って子羊を犠牲として屠り、その血を家の門柱に塗ったイスラエルの人々だけはその災いから免れることができたと旧約聖書は伝えています(出エジプト12章)。この物語の犠牲の子羊と門柱に塗られたその血はイエスの十字架の犠牲と、そこで流された血の意味を示すものと考えられて来ました。ヨハネはここで神の厳しい裁きの中で確かにキリストを信じて生きた者がキリストの流した血によって守られていることを教えているのです。
②終末の出来事を先取りする私たちの礼拝
先日の教師会で草加松原教会の川杉先生が改革派教会で新たに作られた礼拝式文の内容についての説明をしてくださいました。川杉先生はこの式文を実際に作った担当者の一人です。その中で、私たちが献げる礼拝は「終末を先取りするものだ」と言う表現が使われていました。イエスは終末の日がいつ訪れるかを知る者は誰もいないと聖書の中で何度も語られています。ですからこの終末のことを考えると恐怖で眠れないと言う人もいるのかも知れません。しかし、私たちキリストを信じる者は終末の出来事を既にこの地上で体験することができているのです。それが今、私たちがここで献げている礼拝です。黙示録はこの地上での信仰の戦いを終えた人々が神を賛美し、礼拝する姿を私たちに教えています。確かにこの終末の日に実現する礼拝は、私たちの今献げている礼拝と規模において大きく違っているのかもしれません。しかし、私たちの今、献げている礼拝はヨハネの見た黙示を通して示された礼拝を再現するものなのです。だから私たちはこの礼拝を通して黙示録が示す終末こそ私たちの確かな希望であることを信じ、告白するのです。
そして私たちはさらにこの終末の礼拝に参加している者たちに語られている神の約束を、私たち自身の上に必ず実現する約束であると信じつつ、この礼拝を献げることができるのです。黙示録はその約束を次のように語っています。
「それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、/昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、/この者たちの上に幕屋を張る。彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、/太陽も、どのような暑さも、/彼らを襲うことはない。玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、/命の水の泉へ導き、/神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。」(15〜17節)
小羊であるキリストが私たちを命の水の泉に導き、私たちの目から涙をことごとくぬぐわれる日を待ち望みつつ、私たちはこれからも終末の日に向かって神への礼拝を続けていきたいと思います。
聖書を読んで考えて見ましょう
1.ヨハネは幻の中で大地の四隅に立っている天使が何をしているのを見ましたか(1節)。また彼らにはどのような力が与えていたと説明していますか(2節)。
2.太陽の出る方角から登って来たもう一人の天使は、何を持っていましたか。その他の天使は四人の天使にどのような命令を語りましたか(2〜3節)。また、ここでこの天使によって額に刻印を押された人の数は何人だと言われていますか(4節)。
3.ヨハネがこの後に見た大群衆はどのような人で、そこで何をしていましたか(9〜10節)。
4.長老の一人はこの幻を見ているヨハネに何と質問をしましたか(13節)。その長老はこの大群衆がどのような人であるとヨハネに説明しましたか(14節)。
5.黙示録は天の神殿で礼拝している人々には神がどのような祝福を与えられたと言っていますか(15〜17節)。