2021.3.7「六つの封印が開かれる」
ヨハネの黙示録6章1〜17節
1 また、わたしが見ていると、小羊が七つの封印の一つを開いた。すると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。
2 そして見ていると、見よ、白い馬が現れ、乗っている者は、弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上に更に勝利を得ようと出て行った。
3 小羊が第二の封印を開いたとき、第二の生き物が「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。
4 すると、火のように赤い別の馬が現れた。その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。また、この者には大きな剣が与えられた。
5 小羊が第三の封印を開いたとき、第三の生き物が「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、黒い馬が現れ、乗っている者は、手に秤を持っていた。
6 わたしは、四つの生き物の間から出る声のようなものが、こう言うのを聞いた。「小麦は一コイニクスで一デナリオン。大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油とぶどう酒とを損なうな。」
7 小羊が第四の封印を開いたとき、「出て来い」と言う第四の生き物の声を、わたしは聞いた。
8 そして見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗っている者の名は「死」といい、これに陰府が従っていた。彼らには、地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死をもって、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威が与えられた。
9 小羊が第五の封印を開いたとき、神の言葉と自分たちがたてた証しのために殺された人々の魂を、わたしは祭壇の下に見た。
10 彼らは大声でこう叫んだ。「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか。」
11 すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた。
12 また、見ていると、小羊が第六の封印を開いた。そのとき、大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、
13 天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようだった。
14 天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。
15 地上の王、高官、千人隊長、富める者、力ある者、また、奴隷も自由な身分の者もことごとく、洞穴や山の岩間に隠れ、
16 山と岩に向かって、「わたしたちの上に覆いかぶさって、玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから、わたしたちをかくまってくれ」と言った。
17 神と小羊の怒りの大いなる日が来たからである。だれがそれに耐えられるであろうか。
1.歴史を動かす神の力
私たちが今、学んでいるヨハネの黙示録はその内容の難解さのゆえに、正しく理解することが困難な書物であると言われています。ですから歴史上ではこの黙示録の解釈を巡って、キリスト教会の中でも様々な事件が起こりました。その中でこの黙示録の解釈を巡る問題で多く現れたのが、黙示録に書かれている文章を独特な方法で解釈して「キリストの再臨が何月何日に起こる」と予言する人々です。そしてその人々の主張によって当時の教会も様々な騒ぎに巻き込まれると言うことが起こったのです。このような人々はキリスト教会の歴史の中で何度も繰り返し現れては消えて行きました。私たちの身近で言えば、今でも日本で活動している「エホバの証人」と言うグループもその部類に入る人々です。もっとも彼らの解釈はこのヨハネの黙示録の内容だけではなく、聖書全体に渡ってキリスト教会の解釈とは違う独特な解釈を主張しています。ですからキリスト教会はこの「エホバの証人」を自分たちの仲間とは認めていないのです。
いずれにしても黙示録の解釈からイエスの再臨、世の終わりの日を計算する人々の目論見は今までの教会の歴史の中ですべて失敗に終わっています。だから私たちは「その日、その時は、だれも知らない」、「あなたがたには分からない」(マタイ24章36、42節)と語られたイエスの言葉に従って、このことについて余計な詮索をすることを止める必要があります。
しかし、このような独特な解釈を黙示録の文章に当てはめて、イエスの再臨や終わりの日がいつ来るのかを知ろうとする人々の読み方に一つの特徴的があると言えるのです。それはこの黙示録の文章をまだ実現していない出来事、これから起こる出来事についての預言の書とだけ読もうとする点です。しかし、黙示録の研究が進む中で分かってきたことはここに書かれている出来事はこのヨハネたちが実際にその時代に体験している出来事を取り扱っているのではないかという結論です。つまりヨハネの黙示録ははるか未来のことを語っているように読めるのですが、実際には今、信仰者が体験している出来事を取り上げて、その出来事を信仰者としてどのように理解すべきかを教えていると言うことができるのです。
今日の箇所では神の右の手にあった巻物の封印を解く資格持った子羊であるイエス・キリストが現れて、その封印を実際に解いていく過程が記されています。そして、この6章では第一の封印から始まって第六の封印までの内容が記されています。実はここで封印が解かれるたびにヨハネに明らかにされた出来事は、ヨハネ自身やこの黙示録の当時の読者たちが体験し、よく知っていた現実の出来事だったと考えることもできるのです。
2.第一から第六の封印
神の右の手に置かれた巻物の封印が解かれるたびにヨハネは様々な不思議な光景を目撃することになります。特に第一から第四の封印が解かれる度に現れるのは、それぞれ違う色をした馬とその馬に乗った人物たちです。
まず第一の封印が解かれると、「白い馬が現れ、乗っている者は、弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上に更に勝利を得ようと出て行った」(2節)と記されています。
この章の解釈で最も見解が分かれるのがこの最初に登場する「白い馬に乗っている者」は誰かという問題です。教会の伝統的な解釈ではこの白い馬に乗っている方は真の勝利者であるイエス・キリストご自身であると考えられて来ました。つまり、この解釈によればこれから登場するすべてのものを先導する形で主イエスが最初に現れたと考えることができます。これはすべての歴史の出来事が子羊なるイエスの御業によって実現しているということを読者に悟らせるためであるとも考えられるのです。
しかし他の解釈では、この白い馬もこの後に登場するものたちと同じように、地上に起こる災いを語っているのではなかと考えられています。歴史を調べると当時、パルティア人たちが「馬と弓を使って」ローマ帝国の支配を脅かすと言う出来事が起こっていました。ですから白い馬に乗る者はこのパルティア人たちを表していると考える人もいるのです。
また、第二の封印が解かれると「火のように赤い別の馬が現れた。その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。また、この者には大きな剣が与えられた」と記されています。
この赤い馬とその馬に乗る者は、繰り返される戦争の悲劇を語っていると言われています。私たちの住む世界で全く戦争が起こらなかったという時代はほぼないと言われています。いつでもどこかで戦争は繰り返し発生しているのです。それはヨハネの住む時代も例外ではありませんでした。
さらに第三の封印が解かれると「黒い馬が現れ、乗っている者は、手に秤を持っていた」と記されています。この馬に乗った人物はその手に秤を持っていて、実際に「小麦は一コイニクスで一デナリオン。大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油とぶどう酒とを損なうな」と言う何か不思議な呪文のような言葉を語るのをヨハネは聞いたと記しています。この言葉は実際に秤によって計量された小麦や大麦の価格が語られていると言われています。ある解説によればここで語られている価格は普段の何倍にもなるものだと言われています。そしてそれはおそらく、この時代に飢饉が起こって穀物の価格が暴騰したためだろうと考えられているのです。つまり、この黒い馬とそれに乗る者は、当時の人々を苦しめた厳しい飢饉とそれによって起こった飢餓生活を語っていると言うのです。
次に第四の封印が解かれると「青白い馬が現れ、乗っている者の名は「死」といい、これに陰府が従っていた」と語られています。この青白い馬は死人の色、つまり「死」そのものを表していて、先に記された戦争や飢饉によって地上の四分の一の人の命が奪われることが語られていると考えることができます。さらに黙示録の解釈者たちはこの「白い馬」自身にも当時、流行した疫病の災いが込められていると説明しています。歴史家たちの解釈によればローマ帝国の滅亡の原因の中にはたびたびローマの領土内で発生した疫病によるパンデミックがあったと言われているからです。
このようにここに記されている四つの災いはヨハネや黙示録の読者たちが実際に体験していた、戦争であり飢餓であり、また疫病の災いであったのではないかと考えることができるのです。当然、これらの災いの被害者たちの中にはキリストを信じて生きている教会の人々も含まれていました。黙示録はこのような災いからキリスト者だけは例外的に救われるというような都合のよい教えを語っていません。災いはキリスト信じる人にもまたそうでない人にも公平にふりかかります。それではこれらの災いはキリストを信じて生きる者たちにとってどのような意味があると言うのでしょうか。その答えを黙示録は読者に教えようとしていると言うのです。そしてその答えとは地上に起こるすべての出来事が神とその子羊であるキリストによって起こる、公平な裁きであると言う点です。
3.殉教者たちの叫び
巻物の封印は続いて解かれて行きます。そしてここで興味深いのは次の第五の封印が解かれることによってヨハネに示された殉教者たちの魂とその彼らの叫びです。なぜなら殉教者たちはこのように叫んでいるからです。
「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか。」(10節)。
地上に起こる厳しい災いは神と子羊が行われる裁きのために起こっていると黙示録は教えています。そしてその裁きが地上に下されることを一番に望んでいるのは地上における信仰の戦いの中で命を失い、殉教者となった人々であったことがここに表されているのです。殉教者たちはここで「わたしたちの血の復讐をなさらないのですか」と語っています。それではなぜ彼らはこれほどまでに「血の復讐」と言うある意味で穏やかではない裁きを神に叫び求めているのでしょうか。それは彼ら自身の名誉やプライを守り、回復させるためのものではありませんでした。彼らはむしろ神の御名が汚されたままでいることを許すことができなかったのです。なぜなら、彼らを殉教に追いやったこの世の権力者たちは「神を信じても何の役にも立たない。神などいない」と言う主張を証明するために彼らの命を奪って行ったからです。殉教者たちは自分が命を懸けて信じて来た神の御名が汚されること、この世の権力者たちによってその名が否定されることを決して我慢することができないのです。だから彼らは神が自ら、その力を表して公平な裁きを神の御名を汚し続けている人々に下してくださることを待ち望んだのです。
神は彼らの叫びに答えて彼らに白い衣を与えられます(11節)。これは救い主イエスの贖いの御業によって獲得された義の衣です。信仰者に与えられるこの義の衣は、神の厳しい裁きの中でも、その人の無実を証明する大切な徴となります。そして神は続けてこう彼らに語ります。
「また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つように」(11節)。
ここでは神の計画の中にある殉教者の数がまだ満たされていないと語られています。これからも地上で命をかけてキリストの福音を証しする人々の活動が続けられなければならないと言うのです。なぜなら、彼らの活動を通して、キリストを信じて白い衣を着ることのできる人々が増やされるためです。キリストの十字架の救いにあずかるために選ばれた人の数がまだ満ちていなからこそ、その人々を集められるためにまだ地上には悔い改めの時間が残されていると言われているのです。
4.歴史は繰り返される
次に第六の封印が解かれることで起こるのは「天変地異」と言われるような恐るべき出来事です。なぜなら人々が決して変わることがないと信じている自然の事物や法則が崩壊するような出来事がここで起こっているからです。そしてこの出来事に耐えることのできない地上の権力者たち、それはかつてキリストを信じる人々を殉教の死に追い込み、神の御名を汚した人々の末路が語られています。彼らはこの災いの中で山と岩に向かって「わたしたちの上に覆いかぶさって、玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから、わたしたちをかくまってくれ」(16節)と願っています。この願いはむしろ神の厳しい裁きを受けるくらいなら「死んだ方がましである」と言う、自分たちの死を願う彼らの気持ちが示されています。
ここに語られているような宇宙的な天変地異は起こってはいませんが、紀元79年に発生したヴェスヴィオス火山による古代都市ポンペイの崩壊の出来事はこの黙示録の著者ヨハネもよく知っていたと考えられています。火山の爆発によって起こった火砕流によって一瞬の内にそこに住む人々の命が奪われると言う出来事が実際に起こっていたのです。
ヨハネの黙示録は一見、無秩序に起こっているかのように思われるこれらの出来事を前にして、この歴史の推進者である主イエスに信頼して生きることを読者たちに教えています。そしてこのような出来事の中でキリスト者たちには殉教者たちの数が満ちるその日まで、この地上においてキリストの福音を宣べ伝える使命を果たすことが求められていることを教えているのです。
無教会の有名なキリスト教伝道者であり、さらにはかつて東大の学長を務めた矢内原忠雄が残した黙示録の説教の中で、この説教を聞く人々に「ここに書かれているような出来事を日本人も今体験している」と語っているところがあります。矢内原がこの聖書をお話ししたのは終戦直後のことであったと言うことがその文章を読むと分かります。当時の日本は第二次世界大戦によって起こった悲劇の中でたくさんの人命が失われていました。また戦後には食料危機や、伝染病の蔓延も起こっていました。矢内原はこれらの出来事を通して、神の厳粛な御業が現わされたことを教えています。その上で、私たちにできることは悔い改めて神に立ち返ることであると語ったのです。
このようにヨハネの黙示録の内容に真摯に向き合うことで、私たちは自分たちが今体験している出来事の中に歴史の推進者である神とその子羊なるキリストの御業を確認することができるようにされます。そしてその方に信頼して、忠実に自分たちに与えられ使命を果たすことで今のときを生きることを教えられるのです。
聖書を読んで考えて見ましょう
1.子羊が七つの封印の一つを開くと、そこにどのようなものが現れたことをヨハネは語っていますか(1〜2節)。
2.第二の封印が開かれたときに現れたものは何でしたか。そのものにはどのような力が与えられていましたか(3〜4節)。
3.第三の封印が開かれたときに現れたものは何でしたか。彼は何を手に何を持っていましたか。また何を語りましたか(5〜7節)。
4.第四の封印が開かれたときに現れた者は何でしたか。彼にはどのような権威が与えられていました(8節)。
5.ヨハネが殉教者たちの魂が祭壇の下にあるのを見た時、彼らは神に向かって何と叫んでいましたか。(9〜11節)
6.第六の封印が開かれるとこの世界にどのようなことが起こりましたか。このとき地上の権力者たちはどのような叫びをあげましたか。(12〜17節)