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2021.6.13「兄弟が和合して共にいる」

詩編133編1〜3節

1 見よ、兄弟達が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。

2 かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り、衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り

3 ヘルモンにおく露のようにシオンの山々に滴り落ちる。シオンで主は布告された。祝福と、とこしえの命を。


 イエス•キリストの十字架の恵みによって、東川口教会の兄弟姉妹とともに礼拝をささげることが喜びであり感謝です。今日は詩編133篇を通して兄弟姉妹が共に預かることの恵みと祝福について考えてみたいと思います。

 この詩編は、イスラエル人が都エルサレムに上るとき歌う賛歌です。エルサレムに上るときの賛歌は、詩編120-134篇まで続いています。この詩編で意味のある重要な言葉がいくつかあります。

 まず、「都上り」という言葉です。クリスチャンは天の御国へ出掛ける旅人です。そこには苦しみと艱難があるのです。しかし、信仰者は巡礼の旅路において、神を信じ、祈り求め、神こそがより頼むお方であることを覚えるのです。

 次は、詩人は、「シオン」「エルサレム」「主の家」「お住まい」という言葉をよく使っています。これらの言葉が意味することは、主ご自身が臨む聖なる場所、安息の場所、平和の場所であるということです。そして主にあるクリスチャンが集まる場所を示しています。すなわち、祝福の元となる言葉です。

 それから、「目を上げる」と言う言葉です。特に、詩編121篇で、「目をあげる」とありますが、これは全存在をかけ主を仰ぎ、主を待ち望むということを意味します。「私の助けはどこからくるのか、私の助けは、天と地を造られた主から来る。」とあります。そして、「昼も、日が打つことがなく、夜も、月が打つこともない」とあります。

 これは艱難があっても、神だけを第一にし巡礼の旅を続けるということです。すなわち、主だけを信頼し、主を第一にして歩むことを言っています。もちろん、神を第一にして歩むことで失われたり、損なわれるものがあるのでしょう。でも、神の国と神の義を第一に求めることを言うのです。それが「信仰」、すなわち、「目をあげる」ということです。

 特に、今朝学ぼうとしていることは、神が命じられた「祝福」です。それは兄弟が一致するところに与えられる祝福、すなわち、家庭、共同体など、兄弟姉妹が共に座っているところに与えてくださる神の祝福なのです。ここには、「結び会う」「和合する」という言葉が語られています。

 新約時代においてこの御言葉が示すのは、キリスト勝利によって与えられる神の祝福です。今日もイエスさまが与えてくださる恵みを覚えましょう。

 兄弟が共にいるところに臨む一番目の祝福は、


1.一番の善い、美しい人となることです。

 クリスチャンが座っている場所はこの祝福です。イスラエル人は年に三度エルサレムに上ります。そこで神を礼拝し、御言葉による恵みをいただき、共に讚美を歌います。イスラエル民族が持つ喜び、一番の美しい姿がみられるのです。

 新約時代にはイエス•キリストに結ばれ、連合し、同居することがどれほど素晴らしい恵みなのかが語られるのです。

 今朝、私たちが共に礼拝をささげているこの場にも言えると思います。イエスさまは私たちを兄弟姉妹と呼んでおられます。主を信じるものは皆、主を頭とし繋がっています。だから、私たちは主にある兄弟姉妹なのです。

 クリスチャン同士間の連合は、一番の良いこと、善の連合であり、美しいことです。

1節、「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」

 この御言葉は、イエスさまに結ばれているものはすべて、キリストにあって一つであることを意味しています。私たちはキリストと共に十字架に死に、キリストと共によみがえられたのです。


2.兄弟が和合して共にいるところには、魂が恵まれ、すべてに恵まれ、平和になる祝福が与えられるのです。

2節、「それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。」

 この御言葉は、大祭司に油を注ぐ話です。(出29章) これは聖なる者となる区別のを意味します。油を多く注ぐと、それが足の衣まで滴るようになります。その意味は、クリスチャンが御霊なる聖霊に満たされることを示しています。つまり、神が共におられることを示します。

 この御言葉が意味することは、聖霊に満たされ、聖霊による連合のことを言います。これは聖霊によって、新生されることなのです。コリント二5:17「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなった。」のです。キリストにある一人一人の新生、そして彼らの与えられる大きな祝福を語っています。


3. 天国の祝福です。

3節、「それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」

 ヘルモンの霧とは、レバノン山脈の2700メートルの高い山より流れてくる水と霧を示しています。これは命の元となることを意味しています。すなわち、神から与えられるシオンからの命、永遠の命のことです。クリスチャンは御国における神の隠されている祝福を受けるのです。

 神様はこの世に生きている私たちに限りない上からの恵みと祝福を毎日与えてくださるのです。「霧」とは、神の不思議な恵みのこと、受ける者だけに示される祝福のことです。神様は、ヤコブに「神がおまえに天の露と地の肥沃、豊かな穀物と新しいぶどう酒をお与えになる」と祝福を約束してくださいました(創世記27:28-29)


結論

 神はイエス•キリストにあって共に和合しているところに祝福を与えられました。今日私たちが、共に礼拝をささげたということは、とても大きな意味を持つのです。クリスチャン同士がイエス•キリストにあって共に礼拝をささげることは主に喜ばれ、主の福音に仕えることです。

 これから私たちは共に福音に仕えていくべきです。神の国は義と平和と聖霊による喜びです。(ローマ人への手紙4:17)

 連合して共にキリストの愛をのべ伝え、主の祝福を祈りましょう。


2021.6.13「兄弟が和合して共にいる」説教:馬栄烈牧師