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  4. 6月6日「天での戦いに敗れたサタン」

2021.6.6「天での戦いに敗れたサタン」 YouTube

ヨハネの黙示録12章1〜12節

1 また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。

2 女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。

3 また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。

4 竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。

5 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。

6 女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。

7 さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、

8 勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。

9 この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。

10 わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、/昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、/投げ落とされたからである。

11 兄弟たちは、小羊の血と/自分たちの証しの言葉とで、/彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。

12 このゆえに、もろもろの天と、/その中に住む者たちよ、喜べ。地と海とは不幸である。悪魔は怒りに燃えて、/お前たちのところへ降って行った。残された時が少ないのを知ったからである」


1.何故、信じた者が苦しむのか

 最近、改革派教会が発行している聖書日課「リジョイス」誌ではしばらく旧約聖書のヨブ記の内容が取り上げられています。ヨブ記は聖書の中でも人々の理解を拒む難解な書物と言うことで有名です。その点では私たちが今、学んでいるヨハネの黙示録も難解であると言うことでは共通点を持っています。確かにヨブ記の内容は難しいのですが、それでもこの書物は多くの人の関心を集めるような不思議な魅力を持っています。神を信じ、信頼して生きて来たヨブに突然、厳しい災いが襲いかかります。この黙示録の学びの中でも分かりますが、普通このような災いは神を信じないで、罪を犯し続ける罪人に対する神の審判と考えられることが多いはずです。しかし、そのような観点からではヨブが受けた苦難の理由は説明がつかないのです。なぜなら、ヨブには神の厳しい裁きを受けなければならない理由は何一つ見つけられないからです。むしろ、神に対して熱心な信仰を持って生きるヨブには当然のように神の守りと祝福が与えられるべき人物なのです。ですからヨブの受けた苦難はどんな人間にも正しい報いを与えてくださるはずの神の御業としては理解を超えた出来事であると言ってよいのかも知れません。「どうして信仰者が苦しみに出会うのか」。ヨブはその答えを求めて神に叫び続けたのです。

 どうして神に守られ、神からの祝福を受けていいはずの信仰者が厳しい苦難に出会うのかと言うこの質問は、私たちが今、学んでいるこのヨハネの黙示録を読んでいる読者たちの抱いた疑問でもあったようです。彼らは様々な宗教が存在し、その上にローマ皇帝をも神として崇めるようとするような異教社会の中で、イエス・キリストを信じ、受け容れてその教会の一員に加わりました。自分以外に周りには誰もキリスト教信仰を持っていない環境の中で、信仰を持ち続けることの困難さはこの日本の社会で生きる私たちもよく分かることでしょう。このような社会の中でキリスト教信仰を持って生きることは決して簡単なことではありません。しかし、そのような困難の中でも信仰を持ち続け、神を礼拝し、祈り続けている者たちに、さらに厳しい試練が繰り返し与えられたとしたら、それはどうしてなのでしょうか。

 ヨハネの黙示録の読者たちは当時、ローマ帝国の厳しい迫害を受けていました。実際にこの迫害の中でも信仰を捨てることなく守り続けて殺されて行った殉教者たちも生まれした。ですからヨブが自分の受ける苦難の理由を尋ね求めたように、この黙示録の読者たちも自分たちの受ける苦難の理由を知りたいと考えたはずです。そして黙示録はこの試練の本当の意味を神から見せられた幻を通して読者たちに示そうとしたのです。


2.身ごもった女

①キリスト教会を表す象徴的存在

 今日の箇所の幻の中に現れるしるしには二人の登場人物が現れます。そしてこの登場人物は極めて対照的な存在であると言うことができます。まず最初に現れるのが「一人の女」です。

「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。2 女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。」(1〜2節)。

 黙示録は神の啓示の内容を私たちの目で見えるかたち、つまり視覚を通して示そうとしています。ところがこの黙示録の映像を私たちが実際に再現しようとするととても難しいことが分かります。この女性はまず太陽を着物のようにまとっています。そして彼女は月を足台にして、つまり月の上に立っていると言うのです。さらに彼女の頭上には十二の星が輝く冠がかぶせられています。これらの表現からこの女性は太陽や月や星を従えるような力を持つ存在であることがわかります。その上でこの女性の特徴は「身ごもっていて」、出産を間近に控えて陣痛の痛みで苦しんでいたと言うところにあります。

 この女性が一体誰を表すのかが昔から教会では論議の対象となって来ました。おそらくこの女性が誰かとい問いに答えるヒントは、彼女が身ごもっていた子どもは誰かと言うことから考える必要があると思います。黙示録はこの子どもについて「女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた」(5節)と語っています。この黙示録の言葉から考えるとこの女性が生んだ子どもは天の神のもとに引き上げられて、その王座についたイエス・キリストであることが分かります。そこで一つの解釈ではこの女性はイエスの母であるマリアを表すと言う見解があります。ただ、この女性は子どもを産んだ後もその敵からの激しい攻撃を受け続けています。このことからこの女性はキリスト教会自身を表す存在と考える説が生まれした。そしておそらくこちらの解釈の方が正しいとキリスト教会では考えられて来たのです。つまり、この女性に関する記述の内容は、キリスト教会とその教会に集った信徒たちを表していて、彼らが何ゆえにこの地上で厳しい迫害にさらされているのかを説明する内容になっていると言うのです。


②教会から生まれたキリスト

 ただ、そう考えると少し難しくなるのはこの教会とキリストとの関係です。私たちはキリストこそが教会を立てた方、つまり教会を生み出した方だと考えています。しかし、この黙示録の表現ではキリストが教会から生まれたものとなっているのです。この疑問を解くカギは、黙示録が教会をどのようなものと考えているかというところにあります。普通、私たちは教会をキリストが十二人の弟子を選んで、その弟子たちを通して伝道がなされ、その弟子たちの働きによって作られたものと考えます。しかし、黙示録が語る教会はそれよりももっと深い歴史を持っています。つまり、教会とは旧約と新約時代に渡って、キリストを救い主と信じて生きて来た信仰者の群れを語っていると言えるからです。確かに、旧約時代の信徒たちはキリストに出会うことはありませんでしたが、彼らに与えられた神の約束を通して、彼らもキリストを信じる者とされていたのです。そのような意味で、イエス・キリストは神の約束を信じるイスラエルの民から生まれました。つまり、キリストも神の約束を信じて生きた人々の集まる教会から生まれたものと言ってよいのです。黙示録はこのようにして教会を栄光に輝く存在として私たちに教え、キリストを生み、またそのキリストによって守られている存在が教会だと教えているのです。


3.巨大な竜

 さて黙示録はこの女性と対照的なもう一つしるしが天に現れたことを私たちに教えています。

「また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。」(3〜4節)。

 この竜が一体何者を表すのかは女が産もうとする子どもを食べようとするところから、明らかに教会とキリストに敵対する存在であることは分かります。そして黙示録はこの竜の存在をはっきりと「この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者」(9節)と説明しています。

 つまり、この竜は「悪魔」、「サタン」を象徴していると言うのです。かつてこの悪魔は人類の祖先であったアダムとエバの前に「蛇」の姿を借りて現れ、彼らを誘惑しました(創世記3章)。この黙示録の表現でも分かるように悪魔は暗い地獄のようなところから生まれて来た存在ではありません。悪魔は元々神に造られた被造物で、かつて天で神に仕える天使であったことが分かります。そして教会に対する厳しい迫害の源は、キリストとその教会を一飲みにして、神の救いの御業を破壊しようとするこの悪魔の仕業であることが語られているのです。ローマ帝国の迫害の元凶は、彼らを巧みに支配し、自らの願望を実現しようとする悪魔の業であることが明らかにされています。


4.天における戦い

 この黙示録が記された時代、地上ではキリスト教会に対するローマ帝国の厳しい迫害が続いていました。黙示録によればこの迫害は女とその女が生んだ子どもを滅ぼしてしまおうとする悪魔たちの働きの結果なのです。つまり、教会は今この悪魔との戦いの中に置かれているのです。しかし、その戦いを理解する上で、黙示録はもう一つ天で起こった戦いを語り、その戦いの結果を黙示録の読者たちに教えようとしています。

「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。」(7〜9節)。

 天で「ミカエルとその使いたち」と竜つまり悪魔との間に戦いが起こります。ミカエルは聖書の中に登場する数多い天使の中でも特別に名前が付けられている存在です。ですから昔からミカエルは大天使、無数の天使を率いるリーダーと考えられていました。天使は神の意志に従って行動する存在ですから、この戦いの本当のリーダーは神、そしてキリストであることが分かります。この黙示録の記述によれば竜は既にこの天での戦いで敗北した結果、地上に投げ落とされてきたのです。そして地上に落とされた竜は今度は男の子を産んだ女、つまりこの地上に存在するキリスト教会に狙いを定めとて攻撃を開始したのです。


5.地上の戦い

①イエス・キリストの力を知っている悪魔たち

 私たちがこの天上の戦いを覚える必要があるのは、すでに悪魔はキリストの指示に従ったミカエルら天使たちとの戦いに敗北している存在であること知るためです。その結果悪魔たちは天から追放され、この地上で今度は教会に対してその魔の手を伸ばしたのです。しかし、彼らがこれほどまでに悪あがきを繰り返すのは彼らが「残されたときが少ないことを知っているからだ」(12節)と言うのです。つまり、悪魔たちには全く余裕がないのです。しかし、教会はそうではありません。なぜなら、教会の主はすでに悪魔に天上の戦いで勝利したイエス・キリストだからです。福音書の中に登場する悪霊たちはイエス・キリストが自分たちのところに近付こうとすると「近寄らないでくれ」と恐怖の悲鳴を上げました。なぜなら、イエス・キリストの力をよく知っているのは悪魔や悪霊たちだからです。彼らは天で起こった戦いを通して、イエス・キリストの力を徹底的に味わっているからです。ですから、迫害の中にある教会に対しても、黙示録はこのイエス・キリストの勝利を思い起こして、信頼して生き続けるようにと促しているのです。


②告発する者に勝利するためには

 今日の部分で大変興味深い表現は悪魔が「我々の兄弟を告発する者、昼も夜も我々の神の前で彼らを告発する者」(10節)と紹介されていることです。最初に紹介したヨブ記でも悪魔が登場して、神にヨブのことについて訴えています。「ヨブはあなたが思っているような、敬虔な人間ではないと」。まさに神に対して悪魔はヨブを告発したのです。この表現から悪魔の役割は私たちの欠点や罪を一つ一つ取り上げて、神にそれを告発し、私たちが神にふさわしくない存在であることを証明しようとしていることが分かります。日本の裁判制度で言えば悪魔は天の法廷で検察官の役割を果たしているのです。日本の検察官が取り扱う裁判の有罪率は99.9パーセントと言われます。おそらく、悪魔は日本検察官よりも優秀であると思います。しかし、この検察官の訴えにも関わらず勝利し、無罪を勝ち取った人たちがいます。黙示録はその人々について次のように語ります。

「兄弟たちは、小羊の血と/自分たちの証しの言葉とで、/彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった」(11節)。

 彼らの勝利の秘訣は「子羊の血」つまりイエス・キリストと「証しの言葉」である福音を信じて生きたことです。なぜなら、キリストは私たちの罪をすべて背負って十字架につけられ、私たちを神の法廷で無罪としてくださったからです。  宗教改革者のマルチン・ルターは自分が悪魔の試みを日常的に受けていたことを語っています。ルターの脳裏には絶えず彼自身を責め続ける声が聞こえていました。その声はルターの犯した罪をそして失敗を並べ上げて「お前は救いようのない罪人だ。誰もお前を救い出すことはできない」と訴えて、彼を絶望の淵に落とし込もうとしたのです。しかし、ルターはその声に迷わずこう答えたと言います。「わたしの救い主イエスはお前の知らない私の罪をもすべて知っておられる。そしてその罪のすべてを私のために十字架で贖ってくださった」。

 告発者である悪魔は巧妙に私たちの心に入り込み、私たちの持つ救いの確信を揺るがそうとします。しかし、私たちの救い主イエスはすでにこの悪魔に勝利してくださっているのです。このように私たちの信仰の戦いを支え導くものは、キリストの勝利であることをこの黙示録は私たちに教えているのです。

聖書を読んで考えて見ましょう

1.ヨハネは天にどのようなしるしが現れるのを目撃しましたか。二つのしるしはそれぞれ何を表していると考えられますか(1〜4節)。

2.女はどのような子を産みましたか(5節)。

3.このとき天でどのような戦いが起こりましたか。この戦いの結果、竜とその使いたちはどうなりましたか(7〜9節)。

4.このときヨハネが天で聞いた大声の中で地上に投げ落とされた悪魔やサタンは何をする者たちであると語られていますか(10節)。

5.この悪魔やサタンに打ち勝った兄弟たちの勝利の原因は何だと言われていますか(11節)。

6.この戦いの結果、地上に投げ落とされた悪魔たちは、自分たちについて何を知りましたか(12節)

2021.6.6「天での戦いに敗れたサタン」