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2021.8.29「大バビロンが倒れた」 YouTube

ヨハネの黙示録18章1〜24節

1 その後、わたしは、大きな権威を持っている別の天使が、天から降って来るのを見た。地上はその栄光によって輝いた。

2 天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、/あらゆる汚れた霊の巣窟、/あらゆる汚れた鳥の巣窟、/あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった。

3 すべての国の民は、/怒りを招く彼女のみだらな行いのぶどう酒を飲み、/地上の王たちは、彼女とみだらなことをし、/地上の商人たちは、/彼女の豪勢なぜいたくによって/富を築いたからである。」

4 わたしはまた、天から別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。その罪に加わったり、/その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。

5 彼女の罪は積み重なって天にまで届き、/神はその不義を覚えておられるからである。

6 彼女がしたとおりに、/彼女に仕返しせよ、/彼女の仕業に応じ、倍にして返せ。彼女が注いだ杯に、/その倍も注いでやれ。

7 彼女がおごり高ぶって、/ぜいたくに暮らしていたのと、/同じだけの苦しみと悲しみを、/彼女に与えよ。彼女は心の中でこう言っているからである。『わたしは、女王の座に着いており、/やもめなどではない。決して悲しい目に遭いはしない。』

8 それゆえ、一日のうちに、さまざまの災いが、/死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。また、彼女は火で焼かれる。彼女を裁く神は、/力ある主だからである。」

9 彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しみ、

10 彼女の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた』。

11 また、地の商人たちも彼女のために泣き悲しむ。もはや、彼らの商品を買う者が、ひとりもないからである。

12 その商品は、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、各種の香木、各種の象牙細工、高価な木材、銅、鉄、大理石などの器、

13 肉桂、香料、香、におい油、乳香、ぶどう酒、オリブ油、麦粉、麦、牛、羊、馬、車、奴隷、そして人身などである。

14 おまえの心の喜びであったくだものはなくなり、あらゆるはでな、はなやかな物はおまえから消え去った。それらのものはもはや見られない。

15 これらの品々を売って、彼女から富を得た商人は、彼女の苦しみに恐れをいだいて遠くに立ち、泣き悲しんで言う、

16 『ああ、わざわいだ、麻布と紫布と緋布をまとい、金や宝石や真珠で身を飾っていた大いなる都は、わざわいだ。

17 これほどの富が、一瞬にして無に帰してしまうとは』。また、すべての船長、航海者、水夫、すべて海で働いている人たちは、遠くに立ち、

18 彼女が焼かれる火の煙を見て、叫んで言う、『これほどの大いなる都は、どこにあろう』。

19 彼らは頭にちりをかぶり、泣き悲しんで叫ぶ、『ああ、わざわいだ、この大いなる都は、わざわいだ。そのおごりによって、海に舟を持つすべての人が富を得ていたのに、この都も一瞬にして無に帰してしまった』。

20 天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都について大いに喜べ。神は、あなたがたのために、この都をさばかれたのである」。

21 すると、ひとりの力強い御使が、大きなひきうすのような石を持ちあげ、それを海に投げ込んで言った、「大いなる都バビロンは、このように激しく打ち倒され、そして、全く姿を消してしまう。

22 また、おまえの中では、立琴をひく者、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを吹き鳴らす者の楽の音は全く聞かれず、あらゆる仕事の職人たちも全く姿を消し、また、ひきうすの音も、全く聞かれない。

23 また、おまえの中では、あかりもともされず、花婿、花嫁の声も聞かれない。というのは、おまえの商人たちは地上で勢力を張る者となり、すべての国民はおまえのまじないでだまされ、

24 また、預言者や聖徒の血、さらに、地上で殺されたすべての者の血が、この都で流されたからである」。


1.人間中心主義と神中心主義

①人間の性質に合った生き方とは?

 先日、フレンドシップアワーをしていて、テキストに使っているリビングライフ誌の文章中に「人本主義」と言う聞き慣れない言葉が書かれていることに気づきました。この言葉を念のためにインターネットで調べてみると「ヒューマニズム」と言う日本語の訳語で紹介されていました。リビングライフ誌ではこの「人本主義」を信仰に反する人間の生き方として紹介していたのですが、何かそれを「ヒューマニズム」と訳すだけでは説明不足のような感じがしてなりませんでした。

 おそらく、このリビングライフ誌がここで言おうとしていたのは「人間中心主義」と訳した方がよいものだと思います。なぜなら、この「人間中心主義」の対局にあるものが、聖書が私たちに教える「神中心主義」の生き方、つまり信仰者の人生観だからです。改革派教会の信仰を言い表しているウエストミンスター小教理問答書の第一問はこの神中心主義の人生観を簡潔な言葉で言い表しています。「問:人のおもな目的は、何ですか。」「答:人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。」と言うものです。

 人の行動や生き方はその人の関心がいつもどこに置かれいるのか、またどこに向けられているかで決まって来ます。聖書は私たちの人生にとって大切なのは私たちの関心の中心をいつも、神に置くこと、また神のために生きる「神中心主義」の人生を送ることだと教えます。これに反して「人間中心主義」はその関心の中心は常に自分自身に向けら得ています。また、いつでも自分の心を満足させるために自分の人生を使おうとするのです。

 私たちは自分の心の赴くままに生きることこそ自分を幸せにする秘訣と考えている傾向がありますが、実はそうではないと聖書は教えているのです。なぜなら、神はもともと人間を神中心主義の生き方をするように創造してくださったからです。つまり神中心主義の対局なある人間中心主義の生き方は本来の人間の性質に合っていないのです。だから人が人間中心主義的な生き方を送ろうとすればどこかで矛盾が生まれ、その人生に悲惨な結果を招くことになるのです。


②人間中心主義の末路

 私たちはヨハネの黙示録から続けてローマの滅亡の預言について学んでいます。今日、私たちが読んでいる18章の記事も、先週の礼拝で読んだ17章に続いてローマの滅亡について語っています。神はヨハネに幻を通してこの書物に記されたような預言を明らかにされました。しかし、ヨハネが生きていた時代のローマはここに記されているような姿など少しも感じることのできないような隆盛を極めていました。ですから、自分たちの住む世界にどんなことが起こったとしても、このローマの都は決して揺るぐことはないと当時の人々は信じていたのです。

 18章ではこのローマの滅亡に関係して、その滅亡を体験した人々の嘆きが語られています。ここで嘆いている人はローマの力が永遠であり、この力に頼ることこそ自分たちにとって最善の方法であると考えていた人たちでした。彼らはローマに対する絶対的な信頼を持っていたからこそ、そのローマの滅亡を体験したとき、嘆き悲しみ、生きる望みさえ失って行ったのです。

 ここに登場する人々は神のために生きることを忘れて、「人間中心主義」こそ自分たちに与えられた最善の生き方だと考えた人たちです。しかし、彼らのその人生観はローマの滅亡とともに崩れて行ったということがここに記されています。


2.悪魔の支配とそこから逃れる方法

①あなたも神のようになれる

 今日の箇所では大きな権威を持った別の天使が現れて「倒れた。大バビロンが倒れた」(2節)と叫ぶところから始まっています。この大バビロンとは神に背を向けた人々によって築かれた都ローマを表しています。「人間が自分の思い通りに生きて何が悪いのか…?」。そう考える人もいるはずです。しかし、聖書はこの人間中心主義の生き方が私たちの世界に入って来るようになった原因を創世記の物語の中で詳しく紹介しています。そこには最初に神によって造られた人間を誘惑するために近づいて来た悪魔の姿が記されています。創世記ではこの蛇の姿を借りた悪魔が次のように人間に語り掛け、誘惑しています。蛇はこの時、神の命令を守ろうとする人間に対してこう語ったのです。

「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」(創3章5節)

 蛇は人間に対して「あなたも神のようになれる」と語りかけています。そうすれば人間が神に代わって自分とこの世界の主人となることができると教えたのです。このように「人間中心主義」の根拠は人間が作り出したものではありません。それは悪魔から出たものであることを聖書は教えているのです。つまり、人間中心主義の生き方の行き着く先はは人間を悪魔の支配下に従わせることなのです。だからこそ聖書は繁栄したローマの都は悪魔と彼の仲間たちが集まる「巣窟」のようなところだと非難しているのです。


②彼女から逃げ去れ

 そして黙示録は「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。その罪に加わったり、/その災いに巻き込まれたりしないようにせよ」(4節)と言う天から語り掛ける神の声を記しています。先ほども触れましたようにヨハネの生きた時代のローマの都は地中海一帯を支配するローマ帝国の都として隆盛を極めていました。ですから、人は何よりもこのローマに頼って生きることが最善の方法だと考えることができたのです。その時代に、このローマの都から離れて生きるということは常識に反した考えであると言ってよいのかも知れません。いつの時代にも神の言葉に従おうとする者はその時代を生きている多く人から見れば「気がおかしくなった人たち」と見なされたのです。それは山の頂上で大きな箱舟を作った旧約聖書の登場人物ノアと同じです。ノアの時代に生きた人々は彼を「異常者」としてしか考えませんでした。しかし、神の言葉に従うノアこそ最も正しい判断をすることができた人物であったことを聖書は明らかにしているのです。

 ここで語られる「彼女から離れ去れ」と言う言葉は物理的にローマの支配から逃れて別の地に移住すると言う意味ではないと思います。そうではなく人間を中心とした生き方から離れて、神を中心とする生き方、つまり聖書のみ言葉に従って、救い主イエスに従う信仰生活を送ることを奨めているのです。なぜなら、そのように生きることこそが「その災いに巻き込まれないように」する唯一の方法だと言えるからです。


3.神を離れた人間は必ず失敗する

 ところで何度も言いますがローマはなぜこのような神の厳しい裁きを受けて、滅びることになったのでしょうか。それはローマの人々が神に背を向け、自らを神とする偶像崇拝に陥ったこと、そしてその偶像崇拝に加わることをしなかったキリスト者とその教会を徹底的に迫害し、多くの人々の命を奪い苦しめたからです。

 ただ、ここでローマがなぜそのような深刻な状態に陥ってしまったのかと言うことについて私たちはここでもう一度考えて見たいと思います。なぜなら、多くの人々はローマがなぜ神から厳しい裁きを受けることになったかについて、「彼らが神の言いつけ通りにうまくやらなかったから、神はその失敗を取り上げて厳しく裁いているのだ」と考えているからです。

 たとえば私たちは子供のときから親や先生に叱られるとき、「なぜ言いつけ通りにしなかったのか…」と怒られたことがよくあったはずです。この言葉の背景には「言いつけ通りにしていれば、こんな失敗を犯すことはなかった」と言う前提があるはずです。しかし、神と私たちに人間との関係を考えるとき、人間の抱える問題はもっと深刻であることが分かります。

 なぜなら、人間は神の助けがなければ、どんなに正しいことを教えられていたとしても、またそれを知っていたとしても、それを行うことはできず、いつでも失敗に終わってしまうような存在であると言えるからです。教会に来て、聖書を読んで「これは素晴らしい教えだ。この教えの通りに生きてみよう」と決心する人がいます。そして聖書の言葉に感動して信仰生活に足を踏み入れるのですが、結局そのような人はすぐに自分が「聖書の言葉通りに生きることができない」と言うことに気づき、頭を抱えることになります。なぜなら、人間は神の助けなしには正しいことは何もできない存在だからです。つまり、人間はいつでも神の助けを必要としていると言うことが聖書の教える真理だと言えるのです。

 人間中心主義の誤りはここにあります。本当であれば神の助けを必要としているのに、その助けを求めることなく、自分の力でそれをなんとか行おうとします。その結果、人間は失敗を繰り返し、ついにはその問題は取り返しのつかないほど深刻になってしまうのです。

 かつて、19世紀以前の科学者たちは「人類は科学の発展によって人間の抱えるすべての問題を解決することができるようになる」と考えていたようです。しかし、今、私たちの世界を揺るがす問題のすべては人間の科学が作り出したものであると考えてもよいような現実があります。どんなに優れた科学もそれを作り出した人間に問題がある限り、人類に対する本当の解決策を提示することができないのです。

 このような意味でローマの犯した失敗は神から離れた人間が行きつく当然の結果であったと考えることができます。そのような意味で、現代を生きる私たちもこのローマが犯した失敗から全く無縁であるとは言えません。なぜなら、どんなに現代の科学が発達していたとしても、神を離れた人間はローマと同じような結果に至らざるを得ないからです。


4.古代教会の歴史とパウロの生涯が示すもの

 この18章ではローマの都の滅亡を体験した地上の王たちが嘆き(9〜10節)、また商人たちが(11〜17節)、そして船乗りたちも嘆いた姿(17〜19節)が順に紹介されています。彼らはローマの都に依存し、この都と利害を共にしていた人々でした。ですからローマの都の滅亡とともに、彼らもまた希望を失わざるを得なかったのです。

 コロナウイルスの問題が生まれる前に、私は水曜日の夜に行っていた教会の勉強会で神学校の吉田隆先生が記した「キリスト教の“はじまり”」と言う本を使って古代教会史を学ぶ計画をしていました。残念ながらコロナウイルスによる集会の自粛によってこの学びは現在でも中断されたままになっています。

 古代教会史はこのローマの時代のキリスト教会の歩みを紹介する学びです。この時代、キリスト教会はローマ社会の中で驚異的な発展を遂げ、やがてはそのローマ帝国の国教にまでなっていきます。吉田先生はこのような教会の発展の理由についていくつかの原因をこの本の中で取り上げて紹介しています。その中で興味深いのはキリスト教会の発展がローマ帝国の存在と深く関係していたと言う点です。たとえば、吉田先生は教会成長に関する「政治的な要因」としてローマによって実現した平和な社会をその理由の一つにあげています。多数の支配者たちが争い合う地域を伝道者が自由に行動して、福音を伝えることは困難です。福音伝道はそこが平和な社会であればそれが可能となるのです。ですからローマの支配はキリスト教の成長のために役に立っていたのです。

 また、ローマはその征服地を治めるために広大な交通網をも作り出していました。キリスト教徒はこのローマの作り出した交通網使って各地を移動し、福音を伝えることができたのです。

 さらに、文化的な要因として吉田先生があげられることは人々が互いの意思を伝えるために用いた言語の問題です。アメリカ人宣教師が日本にやって来て一番苦しむのは難解な日本語の構造を理解することです。しかし、当時のローマの支配地のほとんどではそこに住む人々の言語とは別に公用語としてギリシャ語の普及が進んでいました。ですから伝道者は現地の言葉を習得しなくても、ギリシャ語を使って福音を各地に宣べ伝えることができたのです。

 また使徒言行録に登場する伝道者パウロはローマの市民権を持ち、ギリシャ語の会話も自由に行うことができました。つまり、パウロはローマの作り出した文化を十分に用いて神のために福音を伝えることができたのです。

 このローマの作り出した財産を自分たちだけのために用いようとした人々はローマの滅亡を嘆き悲しむことになりました。しかし、そのすべてを神のために用いようとした人たちによってキリスト教会はこの時代に大きな発展を遂げて行ったのです。

 私たちは様々な深刻な問題を抱える中で「時代が悪い」と言うような考えを抱くことがあります。しかし、どのような時代であっても私たちが神のために生きることを決心し、その神に助けを求めていくならば、私たちを取り巻く現実が私たちのために有利に働いていくことを古代教会の歴史もパウロの生涯も私たちに教えているのです。

聖書を読んで考えて見ましょう

1.大きな権威を持った天使は「大バビロン」と呼ばれるローマの都が倒れた原因をどのように語っていますか(1〜3節、23〜24節)。

2.このとき天から聞こえた別の声はどのような警告を語りましたか(4節)。

3.地上の王や商人、そして海で働いている者たちはどうして「大バビロン」が苦しむ姿のを見て泣き悲しむことになったのですか(9〜19節)。

2021.8.29「大バビロンが倒れた」