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2022.12.25「言葉が人間となられた」 YouTube

ヨハネによる福音書1章1〜18節(新P.163)

1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

2 この言は、初めに神と共にあった。

3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。

7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。

8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。

9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。

11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。

12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

15 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」

16 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。

17 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。

18 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。


1. クリスマスの歴史

 クリスマスおめでとうございます。現代では世界中の様々な国でこのクリスマスをお祝いするようになりました。それはキリスト教国ではない日本でも例外ではありません。この日本でもクリスマスを知らない人は珍しいと言えるほどになりました。

 ところで、今日の礼拝では最初に、このクリスマスの歴史について少し皆さんに紹介したいと思います。今から二千年前にキリスト教が誕生した当初、当時地中海一帯を支配する巨大な力を持ったローマ帝国はキリスト教徒を厳しく迫害していました。その理由は当時のローマ帝国がローマ皇帝を神と崇めるようにとすべての支配地域の住民に命じていたからです。ところが真の神だけを礼拝するキリスト教徒はこの命令に従おうとはしませんでした。ですからキリスト教徒は国家の秩序を脅かす存在としてローマ帝国から厳しい迫害を受けていたのです。

 ところがキリスト教はこのようなローマ帝国の厳しい迫害の中でも驚くべき成長を遂げていきます。当時の人はこのキリスト教の成長について「まるで伝染病のように、驚くべき速さで広がっている」と語ったと言われています。やがて、支配者であるローマ帝国はキリスト教を迫害するよりも、むしろそれを利用することに方針を転換して行きます。それが紀元313年に公布された「キリスト教寛容令」(ミラノ勅令)というローマ皇帝から下された命令です。このときからキリスト教会は歴史の表舞台に登場することになって行きます。

 そこでキリスト教会が最初にしたことはすべての教会のリーダーを集めて、会議をし、教会を一つにまとめてようとしたのです(第一ニカイア会議)。そしてこの最初の教会の会議の中で話し合われた議題の中には、「キリストの誕生をいつお祝いするのがふさわしいのか」というものもありました。実はイエス・キリストの誕生の次第を伝える聖書の中にもキリストが誕生した日がいつなのかと言う記載はどこにも記されていないません。そのため当初、クリスマスの日付はそれぞれの教会でばらばらに定められ、祝われていたのです。この教会会議の内容を知らせる資料によればキリストの誕生をお祝いする日付として考えられた日には10以上の違った候補が存在していたことが分かっています。そしてこの日付の中でも12月25日がクリスマスとして祝われるようになったのはこの後、4世紀の末の出来事であったと考えられています。

 それではたくさん存在したクリスマスの日付の中でなぜ12月25日だけがクリスマスの日と決められて行ったのでしょうか。それはこの日がローマの暦で「冬至」にあたる日だからです。冬至は一年のカレンダーの中で昼と夜のバランスが逆転するときです。この冬至を境にして昼の時間が長くなり、逆に夜の時間が身近くなって行くのです。そこでクリスマスが祝われる前のローマではこの日に太陽を祝う祭りが守られていました。そして当時の人はこの太陽の祭をクリスマス、つまりイエス・キリストの誕生をお祝いする日として守り続けるようになったのです。

 それではなぜ、この12月25日がキリストの誕生をお祝いする日としてふさわしいと言えるのでしょうか。それはこの日に生まれたイエス・キリストが暗闇を照らす光のような方として聖書の中で証言されているからです。このキリストが世に来られることによって、暗闇に支配された世界、そしてそこに住む人々の人生に真の光がもたらされたのです。ですからクリスマスはこの光であるイエス・キリストの誕生をお祝いする日であると言えるのです。


2.「言」であるキリスト

①ヨハネによる福音書の伝えるクリスマス物語

 イエス・キリストは暗闇を照らために来られた光であることを今日私たちが読んだヨハネによる福音書も冒頭で伝えています。実はこのヨハネによる福音書の中には羊飼いや東の国からやって来た博士たち、そしてマリアとヨセフの夫婦の姿は語られていません。しかし、ヨハネはその代わりに、このクリスマスの出来事が私たちにとってどのように大切な意味を持っているのかをこの福音書の中で説明しているのです。それがこのヨハネによる福音書の冒頭に綴られている文章の内容です。ここに書かれている内容は聖書をあまり読んだことのない人には少し分かりにくい表現になっているかも知れません。そのような人にお勧めしたいのはこの冒頭の箇所で「言」とか、「光」と書かれている場所に来たら、そのままその言葉を「イエス・キリスト」と言う名前に置き換えて読んで見る方法です。

「初めにイエス・キリストがあった。イエス・キリストは神と共にあった。イエス・キリストは神であった。このイエス・キリストは、初めに神と共にあった。万物はイエス・キリストによって成った。成ったもので、イエス・キリストによらずに成ったものは何一つなかった。イエス・キリストの内に命があった。命は人間を照らす光であるイエス・キリストであった。この光であるイエス・キリストは暗闇の中で輝いている。暗闇は光であるイエス・キリストを理解しなかった」(1〜3節)

 どうでしょうか。こう読んで見るとイエス・キリストがどのような方であり、また私たちのために何をしに来てくださった方であるかが分かって来るのではないでしょうか。そこで、ここからはこのイエス・キリストが「言」と言う単語で呼ばれていることを考えながら、私たちが今日祝っているクリスマスの出来事について学んでみたいと思うのです。


②神と人間とのコミュニケーションの回復

 まず、「言」と言うものは私たちの意志を伝えるために大切な手段であると考えることができます。私たち日本人は「お互いに配慮し合う」、「思いやり」という文化を大切に守って来ました。この文化の中で重んじられるのは「言」を使わなくても相手の言いたいことを先回りして読み取り、それにふさわしく対応してあげることです。しかし、このような文化を持つ日本人が国際社会の中に出ようとすると大きな障害に出会うことになります。「日本人の語る言葉は、心の中で考えていることとは違う」。そんなことを外国から日本にやって来た人たちから聞くことがあります。なぜなら、彼らは心に思っていることを正しく言葉で伝えることがコミュニケーションにとって一番大切だと考えているからです。日本と言う同じ文化の元で育った仲間同士なら、「言」を使わなくてもコミュニケーションを交わすことができるかも知れません。しかし、私たちも違った文化の中で育った人たちとの関係を作るためには「言」と言う手段を用いることが必要となるのです。

 天地万物を創造され、全知全能である神は私たち人間と全く違った存在です。だから私たち人間には神がどのような方で、何をされているのかをそのままでは知ることができないのです。しかし、その神は私たち人間とコミュニケーションを取るためにこの「言」であるイエス・キリストを私たちの元に遣わしてくださったのです。だからヨハネもこのことを次のように説明しています。

「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(18節)。

 神は私たちの目で見ることができる方ではありません。しかし、その神がイエス・キリストを私たちのところに遣わすことで、私たちは見えない神を知り、信じることができるようにさせてくださったのです。そしてこれこそがクリスマスの日に私たちに神から与えられた祝福であると言えるのです。なぜなら、イエス・キリストによって神と私たち人間とのコミュニケーションが可能となったからです。


3.「言」による神の創造

 ところで旧約聖書の創世記を読んだことのある方は、このヨハネによる福音書の冒頭の内容が創世記の最初の言葉ととても似ていることに気づかれていると思います。

「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった」。(1〜3節)

 この宇宙も世界も何もないところから神によって創造されました。私たちが何かを作ろうとするなら、必ず材料が必要となります。しかし、神の創造はそうではありません。創世記は神が「光あれ」と命じると、光が存在するようになったとここで説明しています。この宇宙も世界も神の言葉によって何もないところから造り出されたのです。そしてこの内容と同じことがヨハネの書いた文章の中にも登場します。

「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」(3節)。

 イエス・キリストは何も無いところから宇宙万物を造り出した神の「言」です。そしてその「言」がクリスマスの日に神の元から私たちの世界にやって来られたのです。それは天地万物を創造された神の業を完成に導くためです。キリストの誕生は天地万物を造られた神の御業の総仕上げを行うためのものであると言えるのです。

 「世界はこれからどこに向かっているのか…」。多くの人が世界は破滅に向かっていると言うメッセージを聞いて不安を抱いています。なぜなら、目の前に起こる出来事のすべては世界が良い方に向かっているとは思えないようなことばかりだからです。しかし、クリスマスの出来事は私たちに対して世界は完成に向かって歩んでいることを教えているのです。だからイエス・キリストを信じる者は、混乱に満ちた世界の現実の中でも滅亡ではなく、完成と言う確かな希望を抱いて生きることができるようになるのです。


4.キリストを信じて生きる

①主が私たちの光となってくださる

 相変わらず混乱に満ちた世界の現実が私たちの周りで続いています。それだけではありません。それは私たちが自分の人生に目を向けても同じように感じるかもしれません。私たちの中には「自分の思った通りに、順調に人生は進んでいる」。幸いにしてそのように感じてこの一年を終える人もおられるかも知れません。しかし、その一方で「自分の人生はこれからどうなってしまうのか」と言う不安を抱き続けている方もたくさんおられるはずです。

 クリスマスの祝福は暗闇を照らす光のようなものであることを最初に述べました。私たちが今どんなに暗闇の中に生きているとしても、その暗闇を照らしてくださるイエス・キリストがクリスマスの日にやって来てくださったのです。旧約聖書の時代に活躍したミカという預言者はイエス・キリストが誕生するはるか以前にその方がベツレヘムという小さな村で生まれることを伝えました(ミカ5章1節)。そのミカ書の中に次のような言葉が記されています。

「わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても/主こそわが光」(ミカ7章8節)。

 私たちの人生に厳しい現実が襲いかかり、すべての希望を失って倒れるようなことが起こってもミカはその私たちも再び立ち上がることができるようになると言っています。なぜなら暗闇に閉ざされたような私たちの人生にイエス・キリストがやって来てくださるからです。そして私たちをその光で照らし、私たちの人生に希望を与えてくださるのです。


②クリスマスの祝福を受け取るために

 それでは私たちがこのイエス・キリストの誕生を通して実現したクリスマスの祝福にあずかるためにどうすればよいのでしょうか。ヨハネはこのことについて次のような言葉を語っています。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。

 大切なことは私たちがイエス・キリストを信じることです。どんなに素晴らしい真理を知っていても、それだけでは意味がありません。キリスト教は「悟り」を促す宗教ではありません。悟りを促す宗教は真理を悟ることで、その人が持っている自分の考えを変え、生き方を変えさせようとします。聖書の神は私たちに真理を悟ることだけを求めているのではありません。私たちにその真理を信じて生きることを求めておられるのです。なぜなら、私たちの人生を変えるのは私たちの力ではなく、神の力によるものだからです。私たちが自分の考えを変え、行動を変えても、それだけでは私たちの人生が変わることはありません。なぜなら、私たち自身の力では自分の人生を変えることはできないからです。私たちの人生を変える力を持つのは無からすべての物を作り出した私たちの主イエス・キリストだけです。だから、クリスマスの祝福を知らされた者は、その祝福を受けるために、イエス・キリストを信じて生きる決心をする必要があります。そしてこのキリストは今、暗闇のような人生に生きる者にも決して消えることのない確かな希望を与えて、私たちの人生を完成へと導いてくださる方なのです。

聖書を読んで考えて見ましょう

1.ヨハネによる福音書はその冒頭でイエス・キリストをどのような言葉で私たちに紹介していますか(1〜5節)。

2.このヨハネの文章と旧約聖書の創世記1章の言葉を読み比べてみましょう。あなたは「言」であるイエス・キリストについてどのようなことを知ることができますか。

3.クリスマスの日に神が御子イエス・キリストをこの地上に遣わさえれたことで、私たちにどのような祝福が与えられましたか。また、私たちがその祝福にあずかるためには何が大切だと聖書は教えていますか(ヨハネ3章16節)。

2022.12.25「言葉が人間となられた」