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2022.3.27「父のもとに帰った息子」 YouTube

ルカによる福音書15章11~24節

11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。

12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。

13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。

14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。

15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。

16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。

17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。

18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。

19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』

20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。

21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』

22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。

23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。

24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。


1.グレート・テキスト

 今日は主イエスが語られたたとえ話の中でもたいへんに有名で、多くの人から「放蕩息子のたとえ」と呼ばれているお話を学びます。日本で明治から昭和のちょうど太平洋戦争前まで活動したキリスト者で山室軍平と言う人物がいます。彼は救世軍と言うキリスト教の教派に属する伝道者でしたが、特に一般の民衆のためにキリスト教の福音を分かりやすく語った説教者として有名です。彼が記した「平民の福音」と言う著作も有名でたくさんの人々に読まれました。その山室が語った「放蕩息子」についての説教が残されています。かつて生前の山室からこの説教を聞くことが出来た人は皆、「山室軍平の放蕩息子はよかった」と評したと言われています。私もなぜ、これほどまでに山室の放蕩息子ついての説教が有名になったのか知りたくて、実際にこの山室の語った説教の記録を今回読んでみました。

 この山室の説教は文章にするとかなり長文です。昔の牧師たちの語る説教は一時間を超えることが多かったと聞いていますから、このくらいの長さの説教もそれほどめずらしくなかったのでしょう。しかし、山室の説教を読み始めた私はその文章を退屈せずに一気に読むことが出来ました。なぜなら、この説教は非常に分かりやすい言葉で語られているという特徴がまずあるからです。さらに興味深いのはこの文章の全体の流れのリズムがとてもよく、読者は抵抗なく読み進めることができると言う点です。おそらく、この文章は実際に山室が語った説教を文字に起こしたものかもしれません。山室は放蕩息子の物語をたいへんにリズムよく、まるで日本の話芸の一つである講談を語るように語っています。「おや、こんな言葉は聖書には書いてあったかな?」と言うようなセリフがこの説教の中にはいくつも出て来ます。山室はこのお話に独自の脚色をつけて、面白可笑しく語っているのです。これは私が学んで来た改革派の説教スタイルとはたいへんに違うものですが、福音を分かりやすく民衆に伝える賜物を持った彼から現代の私たちはいろいろと学ぶ必要があることも感じました。

 この山室のお話では最初に、あるアメリカの有名な伝道者のお話が引用されています。あるときこの伝道者が罪を犯した囚人たちが収容されている刑務所に聖書のお話をするために招かれました。そのときこの伝道者を迎えた刑務所の職員が彼にこう語ったと言うのです。「先生が聖書のどこからでも、またどんなお話をされるにしても、それは先生の自由です。すべてお任せします。ただ一つだけあの「放蕩息子」のお話だけはご勘弁願いたいのです。なぜなら、ここにお話にやって来る牧師は皆次から次へと同じように「放蕩息子」の話をして帰って行くからです。おかげで私たちは今日までに24回も続けて「放蕩息子」のお話を聞き続けています。」

 おそらく、これほど多くの説教者によって取り上げられる聖書箇所はないほどに、「放蕩息子」のお話はたくさんの説教者によって語られてきました。説教学のことばではこういう聖書箇所をグレート・テキストと呼ぶことがあります。ここに集まっている皆さんも、このお話の内容をよく知っておらえるかも知れません。私たちは今、受難節を迎え、私たちの心を十字架のイエスに向けるために「悔い改め」が必要であることを学び続けています。それではこの放蕩息子のお話は受難節の「悔い改め」というテーマとどのように結びついているのでしょうか。私たちはそのことについて少し考えてみたいと思います。


2.ファリサイ派や律法学者たちの不満

 私の神学校時代の説教演習での思い出です。神学生の中でも比較的にお話の上手だったある学生がこの「放蕩息子」の聖書箇所を取り上げて力の籠った伝道説教を語りました。聞いている私たちも非常に感動したのですが、そのとき教授の一人がその神学生に「このお話の主人公は弟の方ではない」と言い出したことを思い出します。このイエスのお話は結構長い文章なので特に、前半部の放蕩を尽くした挙句に父のもとに帰って行った弟息子の方のお話を取り上げて語る場合が多いのようです。しかし、実はそういうやり方はイエスがこのお話で語ろうとした目的からは少しずれていると考えてよいのです。

 このルカによる福音書の15章はイエスによって語られた三つのたとえ話が語られています。そしてその三つのお話は皆、同じ時に同じ対象に、同じ目的を持って語られていることが最初の1節から3節のところを読むと分かるのです。まず、この話は「ファリサイ派の人々や律法学者たち」と言う当時のユダヤの宗教指導者たちに向けてイエスが語られていることが分かります。聖書を読むと彼らは度々、主イエスに対立して、様々な文句をつけていたことが分かります。さらに無実のイエスを十字架に掛けて殺す計画を実行したのも彼らであったと言えます。この時、彼らはイエスが「徴税人や罪人」と呼ばれる人々と仲良くし、彼らと食事まで一緒にしていることが気に入らず、不平をイエスに向かって言い出したのです。

 ここで「徴税人や罪人」と呼ばれている人はファリサイ派の人々がたいせつにしていた律法に従った生活を行わない人々であったと考えることができます。特に徴税人はユダヤ人でありながら当時のユダヤの支配者であったローマ帝国の手先になって、ユダヤの民衆から高額な税金を巻き上げていました。そしてそのおこぼれにあずかって彼らは自らの富を得ていたのです。彼らもまたファリサイ派の人々から見たら民族を裏切ると言う許しがたい罪を犯している人々と考えられていました。また、「食事を一緒にする」と言う行為は当時のユダヤ人の習慣では、そこに集まる人々が皆、同じ神の救いにあずかっていることを目に見える形で表す行為であったと考えられていました。つまり、ここに集められた人々は主イエスから「あなたがたは確かに神様から救われています」と言う太鼓判を押された人たちだったと言えます。だからこそファリサイ派の人々はこのことを見逃すことのできなかったのです。なぜなら、「徴税人や罪人は皆、人間として失格者の烙印を神から押されている」と彼らは考えていたからです。そこでイエスはこのファリサイ派の人々に神が「徴税人や罪人」と呼ばれている人をどのように思っているのか。イエスにこのとき文句をつけるファリサイ派の人々がどのような勘違いをしているのかをこのたとえ話を使って教えようとされたのです。つまり、このことを考えるとこのたとえ話の中の放蕩息子はイエスの元に集まった「徴税人や罪人」を表し、放蕩息子が帰って来て喜ぶ父親の心を理解できずに文句をつけた兄はファリサイ派の人々を表していると考えることができます。ですから、このときのイエスのお話の意図を考えると、この文句をつけた兄の姿を語ることで、イエスに文句をつけたファリサイ派の人々の過ちを明らかにしようとしたと言うことの方が正しいのです。


3.自分を見つけ出した放蕩息子

①似たもの兄弟

 兄弟と言うものは不思議な存在かも知れません。同じ親の元で生まれ、また育てられても全く違う性格の持つ兄弟も多いということをよく聞きます。もっとも兄弟の内で後から生まれて来た方は、先に生まれた上の兄弟の姿を見て育ちますから、当然かもしれません。年下の弟が上の兄と全く同じことをしていたら、勝負になりません。ですから、下の弟は上の兄とは違った行動を身に着けていくことになります。しかし、このことをよく考えてみると兄弟の性格は同じコインの裏表のようであるとも言えます。だから結局の元をたどれば血を分けた兄弟は同じような性格を持っていると言うこともできるのです。実はこの物語に出て来る兄弟にもそのような特徴が見受けられるのです。

 弟息子は父の元を一日でも離れたと願っていました。そしてそのために父親の財産から自分がもらえる分を欲しくて仕方がなかったのです。この弟にとって大切なものは父親の持つ財産であって、「むしろ父親の存在は自分には邪魔者」と考えていたことが分かります。しかし、この物語が進んで行く中で分かってくることは、この息子にとって本当に必要だったものは財産ではなく、この父親の存在自身だったのです。つまり、この弟息子が生きるために必要だったのは父親の財産ではなく、自分を愛し続けてくれる父親の存在でした。この点で、この弟息子は父親を少しも理解していなかったことが分かります。

 また、この弟息子が自分の財産を使い果たして、無一文になって戻って来た時に大喜びしてその息子を父親が迎えると、「こんなことは許せない」と怒りに燃えた兄はどうだったのでしょうか。彼はこれまで自分の父親の下でずっと暮らすことできていたのに、その本当の大切さを理解していません。むしろ兄は「自分は父親にこき使われている」としか考えていません。つまりこの兄息子も父親の存在が本当に自分にとって大切であることを知らないのです。だからこの点で二人の兄弟は全く同じ過ちを犯していたことが分かるのです。


②我に返った放蕩息子

 さてこの弟息子が後になって、自分の犯した過ちを悟ることになった原因はどこにあったのでしょうか。まず、彼は父親からもらった財産をすべて金に換え、遠い国に旅立ちます。そしてそこで自分の大切な財産を使い果たしてしまい無一文になってしまいます。つまり、彼の過ちの最大の原因は彼の人生設計が間違っていたことにあったと言えます。

 さらに彼の人生を襲ったのが「その地方一帯に起こった飢饉」です。私たちが自分のためにどんなに細かな人生設計を立てたとしても、突然に起こる自然災害には無力です。その結果、せっかく自分の人生のために築き上げて来たものが一瞬にして水の泡と消えると言うことも起こるのです。

 また、この人生の危機に対して弟息子が頼ろうとした人も結局、彼に豚の世話をさせるだけで、彼の飢えを満たすことはできませんでした。私たちは放蕩息子を豚飼いに雇った人を「ひどい人間だ」と思うかもしれません。しかし、実際にはその人物もひどい飢饉の被害者であったと言えます。だから彼は放蕩息子を自分の家に迎えて家畜の世話をさせるのがやっとできる援助だったのかも知れません。つまり、人はこのような危機に立たされたとき、自分を守ることに精一杯になり、他人を助ける余裕がないのです。

 しかし、この放蕩息子は何もかも失ってしまうような人生の危機に立たされることで、はじめて「我に返った」(17節)と言われています。この部分を英語の聖書は「自分自身を見つけだした」と訳しているそうです。彼はこの時、初めて「自分の人生に必要なものはこの世の財産ではなく。父親の存在だった」と言うことを理解したのです。つまり、自分自身と父親とは切り離すことのできない大切な関係で結ばれていたことを知ったのです。

 私たちがこの受難節に求められている「悔い改め」とは、私たちと神との切り離すことできない関係に気づき、その関係に戻ることを意味しています。なぜなら、私たちが生きるために必要なのは私たちと神との関係だからです。私たちは今、「自分の人生で何が一番大切だ」と考えているでしょうか。ここで私たちはもう一度、自分の人生を顧みて、私たちと神との関係の大切さを確認することできるようにしたいのです。


4.常識をわきまえない父親

 さて、ここで「我に返った」放蕩息子は次に自分にとって一番大切な父の元に帰ろうと決心します。彼はそのとき、父に再会できたときにどのように自分の過ちを謝罪したらよいのだろうかと考え、わざわざそのセリフをここで予行演習しています。

「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」(9〜10節)。

 これはある意味でとても筋の通った謝罪の言葉であると言えます。なぜなら、大切な父親との関係を清算して、無きものにしてしまったのは彼自身の責任です。いまさら、父親に向かって「元通りに息子として迎えてください」とは都合がよすぎて言うことはできないはずです。だから彼は「雇い人の一人にしてください」と願っています。もしかしたら、彼は雇い人として働くことで、改心した自分の姿を父親に示して、その上で正式に赦してもらおうと思ったのかもしれません。

 ところがこの放蕩息子を受け入れた父親はこの最後の言葉を息子に語らせませんでした。むしろこの父親は息子によい服を着せ、指輪をはめさせ、履物をはかせようとしています。これは彼が今でも変わらずに自分の息子であると言うことを公にあらわす行為であったと言えるのです。つまり、父親は筋の通った息子の謝罪方法を全く無視して、ほとんど無条件で彼を許して受け入れてしまうのです。だからこそ、もう一人の息子はこの父親の行為に腹を立ててしまいます。兄息子も父親が放蕩の果てに帰って来た息子を最初は雇い人の一人として受け入れた上で、改心した彼の生活ぶりを確かめて時間をかけて自分の息子として迎え入れたとしたら納得していたかも知れません。つまり、兄が父親に対して怒りを抱いたのはその父親が人間社会を維持するために必要な常識を無視して、筋の通らないやり方で弟息子を許してしまったことに原因があるのです。

 そしてこの兄の怒りこそが、イエスに向けられたファリサイ派の人々の怒りであったと考えることができます。つまり、徴税人や罪人を受け入れたイエスの行為は常識としても筋が通らないことだと彼らは考えたのです。「もしこんなことを許されたら、自分たちの共同体は大変なことになる」と彼らには思えたのです。しかし、ここにこそイエスが私たちに伝えたかった神の愛の性質が明らかに示されています。父親は弟息子が自分に対してどんなにひどい仕打ちをしたとしても、その息子を愛することを止めませんでした。だから、彼は帰って来た息子を無条件で許し、受け入れたのです。そしておそらくこの父親は自分に怒りを向ける兄息子に対しても同じようにしたはずです。父親は兄息子の方も同じように受け入れようとしたはずだからです。

 私たちを愛する神は無条件で私たちを許し、私たちを受け入れて下さる方なのです。神は私たちが自分の元に帰ってくることだけを求めています。それ以外の条件は何も私たちに求めていないのです。この点で私たちに求められている「悔い改め」はとてもシンプルなものであることが分かります。なぜなら私たちが私たちの心を神に向けるとき、神の方が私たちに近づいてくださり、私たちを喜んで受け入れてくださるからです。

聖書を読んで考えて見ましょう

1.この放蕩息子のたとえ話は、イエスによっていつ、だれに、どのような目的で語られたことが分かりますか(1〜3節)。

2.父親がまだ生きているにも関わらず「自分がもらえる財産を分けてほしい」と願った弟息子の態度から、彼が自分の父親についてどう考えていたことが分かりますか(12節)。

3.この弟息子はどうして「我に返る」ことができたのでしょうか(17節)。

4.この弟息子を迎え入れた父親の態度から、彼が自分の息子に対してどのような思いを抱いてきたことが分かりますか(20〜24節)。

5.どうして兄息子は自分の父親に対して怒りを抱いたのでしょうか(28〜30節)。この物語を通して、あなたは神についてどのようなことを学ぶことができますか。

2022.3.27「父のもとに帰った息子」