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2022.4.10「なぜこんな世界になったのか」 YouTube

ローマの信徒への手紙5章12〜14節

12 このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。

13 律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。

14 しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。


ハイデルベルク信仰問答書

問6 それでは、神は人をそのように悪い邪悪なものに創造なさったのですか。

答 いいえ。むしろ神は人をよいものに、また御自身のかたちに似せて、すなわち、まことの義と聖とのうちに創造なさいました。それは、人が自らの造り主なる神をただしく知り、心から愛し、永遠の幸いのうちに神と共に生き、そうして神をほめ歌い賛美するためでした。

問7 それでは、人のこのような堕落した性質は何に由来するのですか。

答 わたしたちの始祖アダムとエバの、楽園における堕落と不従順からです。それで、わたしたちの本性はこのように毒され、わたしたちは皆罪のうちにはらまれて、生まれてくるのです。

問8 それでは、どのような善に対しても全く無能であらゆる悪に傾いているというほどに、わたしたちは堕落しているのですか。

答 そうです。わたしたちが神の御霊によって再生されない限りは。


1.人間の悲惨の原因は

 まだ私が幼かった頃、テレビのアニメ番組で『鉄人28号』と言う番組が放送されていました。当時の子どもたちにはとても人気のあった番組で、私は今でもその番組の主題歌を覚えています。その主題歌の中にこんな部分があります。

「あるときは正義の味方。あるときは悪魔の手先。イイも、悪いもリモコン次第。鉄人、鉄人どこへ行く」。

 どんなに精巧に作られていても鉄人はロボットでしかありませんから、そのロボットのリモコンを使う人間の指示通りにしか鉄人は動くことがでません。主人公の正太郎君が使うと鉄人は正義の味方になりますが、ひとたびリモコンが悪人の手に渡れば鉄人は悪魔の手先として働くことになるのです。そこにこの鉄人28号の最大の弱点があると言ってよいでしょう…。

 私たちは今、改革派教会の作り出した信仰的な遺産と呼ばれる「ハイデルベルク信仰問答」を学び始めています。そして前回の個所で私たちはすべての人間が「神と自分の隣人を憎む方へと生まれつき心が傾いている」(問5)と言うことを学んだのです。どうして人間はそのような存在になってしまったのでしょうか…。そもそも聖書は私たちに人間は神によって造られた被造物であると教えているはずです。それなのになぜ人間はこんなに悲惨な状態に陥ってしまったのでしょうか。私たちが悲惨なのは私たちを操るリモコンを悪魔が握っているからでしょうか。それともこの悲惨の原因はどこか別のところにあるのでしょうか。この信仰問答は聖書の中から人間がこんな悲惨な状態になってしまった原因の答えを導き出して、私たちに教えようとしています。


2.神の作品としての人間

 人間の悲惨の原因はどこにあるのでしょうか。もしかしたら、それは私たち人間を創造してくださった神に原因があるのではないか…。この疑問についてハイデルベルク信仰問答は問6で次のような説明をしています。

「むしろ神は人をよいものに、また御自身のかたちに似せて、すなわち、まことの義と聖とのうちに創造なさいました。」

 まず、神は私たち人間を「よいもの」としてお造りになられたとここでは語られています。旧約聖書の創世記には神が天地万物を6日間で創造された物語が記されています。その最後の6日目の終わりに「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である」(1章31節)と言う言葉があります。ここでも神が創造されたものは「極めて良かった」と表現されているのです。このように神の創造の御業には不完全なものは何一つありません。完全で調和のとれた世界が神によって創造され、人間はその創造の御業を完成させるために神によって造られた最高傑作の作品だったと聖書は教えているのです。

 ここで聖書が人間の創造を語る際に大変興味深いのは「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(1章27節)と語っている点です。この信仰問答でもそのことを「御自身のかたちに似せて」と言う言葉で表現しています。実はこの点が私たち人間と他の神が造られた被造物とを分ける大切な特徴であると言えるのです。つまり、人間がすばらしさは「神のかたち似せて」創造されたところにあると言えるのです。

 それでは「人間が神のかたちに似せて造られた」と言うことはいったいどのようなことを表しているのでしょうか。よく西洋の宗教画を見ると神が長くて白いひげをはやした老人の姿で描かれているのを見ることがあります。これらの絵画に描かれているように神は私たち人間と似た姿を持っておられるのでしょうか。実はこの「神のかたち」とは人の見た目のような外面的な姿を指して、それが似ていると言っているのではありません。信仰問答はこの「神のかたち」について続けて「まことの義と聖とのうちに創造」されたと言っています。ここに語られる「義」とか「聖」と言う言葉はもともと神の御性質を表す言葉として使われるものです。つまり、「神のかたち」とはこの神の御性質が人間にも分け与えられていると言うことを表しているのです。

 それではこの神の御性質にあずかって造られた人間は、具体的に何ができると言うのでしょうか。信仰問答はそのことについて「人が自らの造り主なる神をただしく知り、心から愛し、永遠の幸いのうちに神と共に生き、そうして神をほめ歌い賛美するため」に与えられていると教えるのです。つまり、人間が持っている「神のかたち」とは私たち人間が神を知り、愛し、賛美し、共に生きることができるために神から与えられたものだと考えることができます。だから人間にはこの「神のかたち」が与えられているからアダムやエバは楽園で神と共に生きることができたと言えるのです。言葉を換えればこの「神のかたち」とは私たち人間が神のパートナーとして生きるために与えられた特別な賜物だと言うことができます。


3.アダムの犯した失敗

①壊れてしまった「神のかたち」

 それではそんなに「よいもの」として、また「神のかたちに似せて」創造されたはずの人間が今はなぜ、「神を憎み、また人を憎む」ような悲惨な存在になってしまっているのでしょうか。これについても信仰問答は旧約聖書の創世記に記されている人間の堕落の物語にその根拠を求めていることが分かります。

 かつて神と共に楽園で生きていいた私たちに人間の祖先アダムとエバはそこで何不自由なく暮らすことができていました。しかし、そこで彼らが起こしてしまった失敗によって人間は全く違った存在に変わってしまいます。信仰問答はこのことを「堕落と不従順から」と言う言葉で表現しています。人間は「従順」つまり神に従うことによって神からのすべての祝福を受けることができした。そしてその最高の祝福こそが「永遠の命」と言えます。しかし、人間は自らの起こした失敗、神への不従順によってその祝福のすべてを失ってしまったと言うのです。

 信仰問答はその上で私たちの人間の「本性はこのように毒され」たと説明しています。これはこの人間の堕落によって、人間に与えられていた「神のかたち」という本性が傷ついてしまい、正しく機能しなくなってしまったことを言い表しています。つまり、これによって、私たち人間は神を正しく知ることも、愛することも、賛美することもできなくなってしまったのです。そしてこの時に変わったしまた人間の性質は、最初の人間アダムとエバだけではなく、その子孫であるすべての人間に影響を与えているのです。だからすべての人間は今、悲惨な状況に置かれていると信仰問答は説明するのです。


②人類の二人の代表者アダムとイエス

 「どうして、アダムの犯した失敗の責任を私たちも引き受けなければならないのか。それは不公平ではないか」。そんな疑問を抱く人もいるかも知れません。しかし聖書はそのような人の抱く疑問に答えることはしていません。なぜなら、このような疑問を抱く人々の心の中には「自分であれば、アダムのような失敗をしない」と言う自分自身に対する大きな誤解が含まれているからです。聖書は人間が神によって完全なものとして創造されたと言っています。そしてその完全なはずの人間が「不従順」の罪を犯したのです。つまり、このことはたとえ私たちがその現場にいたとしても、私たちもアダムと同じ失敗を犯すしかなかったと言うことを教えているのです。

 また、私たちがこのアダムのことを考えるときに大切なことがあります。それは聖書がこのアダムを私たち人類の代表として取り扱っていると言うことです。つまり、アダムは私たちの代表として楽園で不従順の罪を犯したということになるのです。だから私たちもアダムが罪を犯したときにそこに一緒にいたと見なされることになります。そして聖書は私たち人間の代表はこのアダムだけではなく、もう一人おられることを私たちに教えています。それは私たちの救い主イエスです。

 聖書は私たちが救い主イエスによって救われることをはっきりと語っています。なぜなら、イエスはこの地上に来られ、その十字架の死に至るまで神に対する「従順」を示してくださったからです。そして、このキリストによって私たちも「永遠の命」の祝福を受けることができるようになったのです。それはどうしてなのでしょう。なぜなら私たちは自分ではなくキリストが示した神への従順によって救われて、永遠の命を受けることができるからです。それはイエス・キリストが私たちの代表者になってくださったからです。今日の聖書朗読のローマの信徒への手紙5章のすぐ後には次のような言葉が続けて語られています。

「そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです」(18〜19節)。

 ここでのパウロの言葉はアダムとイエス・キリストの関係を語っています。ここから分かるように私たちの代表であるアダムによって人類から失われてしまったすべての祝福を、第二の代表として私たちのところに来てくださったイエス・キリストはすべて取り返してくださるのです。つまり、ここでアダムを私たち人間の代表者と認めることは、私たち人類の第二の代表者であるイエス・キリストの救いを理解するためも大切であると言えるのです。


4.御霊による私たち人間の再生

 信仰問答はこのようにして、私たち人間が「神と隣人を憎むように心が傾いている」と言う悲惨な状態になった原因を私たちに教えています。神は私たち人間を「良いもの」として創造してくださったのですから、この問題の責任は神に求めることはできません。むしろ、私たちは私たちを「良いもの」として創造してくださった神に感謝する必要があると言えます。そして信仰問答は人間の悲惨の責任は私たちの先祖アダムの犯した罪にあると語るのです。そして、このアダムは私たち人間の代表者でもある訳ですから、彼が犯した罪は私の罪であって、私もその責任を共同で負う必要があるのです。だから信仰問答は問8で再び私たち人間が「どのような善に対しても全く無能であらゆる悪に傾いているというほどに、わたしたちは堕落している」と確認して語っているのです。しかし、この問答はそれだけで終わっているのではなく私たちにとってさらにもっと大切なことを記しています。それが「わたしたちが神の御霊によって再生されない限りは」と言う言葉です。つまり、聖霊は私たちのもっている「神のかたち」を回復し、私たち人間を神が造ってくださった元の状態に戻すことが出来る方だと教えるのです。

 以前にも何度かお話しましたが。こんなお話があります。昔、一人の旅人が田舎に立つ一軒の農場を訪ねました。その旅人は農場の主人に「自分は旅の途中の者です。今晩、泊るところが無くて困っています。私が雨風から逃れるためにこの農場の納屋の片隅でも一晩だけお借りしたいのですが…」と願い出ます。農場主は「家の納屋には使わなくなったがらくたがたくさん置かれているけれども、自由にそれをどけて寝る場所を作ってください」と快く旅人の申し出を引き受けたのです。

 次の朝、農場主はどこからともなく聞こえてくるバイオリンの美しい響きに目を覚まされます。農場主が不思議に思って調べて見ると、その美しい音色は昨夜、旅人を泊めた自分の家の納屋から聞こえてくることが分かりました。確かに、農場主が納屋に足を踏み入れると昨晩の旅人がバイオリンを演奏している姿を目に入りました。その時、農場主は旅人が演奏している古ぼけたバイオリンに気づきます。それは何年も前に壊れてしまって使い物にならなくなって納屋の奥にしまい込まれていたはずの自分のバイオリンだったのです。

 旅人は驚いている農場主に「朝からお騒がせしてしまいすみません。実は昨晩、私は自分の寝床を作るためにここにあった荷物をどけていたとき、このバイオリンを見つけたのです。そしてこのバイオリンを見つけて私はとても懐かしくなりました。これは私がはるか昔に作ったものだったからです。壊れていたので、一晩かけて修理して見て、元の音色がでるようになったことを今確かめていたのです」。

 壊れて音が出なくなったバイオリンでもその作者が修理すれば元通りの美しい音色を奏でることができます。それと同じように、「神のすがた」が壊れてしまった私たち人間もその作者である神の御手によって元通りになることできるのです。「神の御霊による再生」とはこの神の御業を私たちに教えています。

 ですからイエス・キリストの救いの御業は私たちに永遠の命の祝福を与えるだけではなく、私たち自身を神が創造された素晴らしい状態に戻すことができるのです。そのためにイエスは今も天から私たちに聖霊を送ってくださって、私たちの人生に関わって、私たちが持っていた「神のかたち」を回復させてくださるのです。

聖書を読んで考えて見ましょう

1.神によって造られた人間はどのようなものであったと信仰問答は私たちに教えていますか。そのことをあなたも創世記1章の物語を読んで確かめてみましょう。

2.そのように素晴らしい存在として神によって創造された人間が、どうして悲惨なものとなってしまったのでしょうか。創世記3章に記されている最初の人間の堕落物語はあなたにどのようなことを教えいますか。

3.私たち人間は壊れてしまった「神のかたち」を回復させるためには何が必要であると信仰問答は語っていますか。

2022.4.10「なぜこんな世界になったのか」