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  4. 1月8日「創造と摂理」

2023.1.8「創造と摂理」 YouTube

詩編33編4〜11節(旧P.863)

4 主の御言葉は正しく/御業はすべて真実。

5 主は恵みの業と裁きを愛し/地は主の慈しみに満ちている。

6 御言葉によって天は造られ/主の口の息吹によって天の万象は造られた。

7 主は大海の水をせき止め/深淵の水を倉に納められた。

8 全地は主を畏れ/世界に住むものは皆、主におののく。

9 主が仰せになると、そのように成り/主が命じられると、そのように立つ。

10 主は国々の計らいを砕き/諸国の民の企てを挫かれる。

11 主の企てはとこしえに立ち/御心の計らいは代々に続く。

ハイデルベルク信仰問答問26(本文中に引用)


1.説教としての信仰問答

 今年最初の伝道礼拝を皆さんと一緒にささげます。この伝道礼拝では今年も私たち改革派教会の信仰的な遺産と言うべき「ハイデルベルク信仰問答」からキリスト教の重要な教理について学んで行きたいと思います。私たちの教会は今から500年以上も前にヨーロッパで起こった宗教改革の精神を汲むと言う意味で「改革派教会」と言う名前を名乗っています。宗教改革では改革派以外に様々なプロテスタントの教派が生れました。その中でも私たち改革派教会の特徴は「信仰告白」、あるいは「信仰問答」と名付けられる文章を作り続けていると言う点にあります。既に、皆さんとこの礼拝で読み続けた「ウエストミンスター小教理問答」も改革派教会が作った教会の信仰告白を表す文章の一つです。実は世界の改革派教会にはこれ以外にもたくさんの信仰問答、信仰告白が存在しています。その中でも私たちが今、学んでいるハイデルベルク信仰問答は特に世界の多くの教会に親しまれ、読み継がれて来た文章であると言うことができます。

 多くの信仰問答はキリスト教の教理を論理的に説明しようとして作られています。そのようにして聖書が矛盾のない統一した真理を私たちに教えていることを説明しようとしているのです。ですからこの信仰問答は人々が抱くキリスト教に対する様々な誤解を正す役目を果たすことができるのです。この点では私たちが今、学んでいるハイデルベルク信仰問答も同じ役目をもって作られていると言ってよいでしょう。この信仰問答が作られた時代にはカトリック教会とプロテスタント教会の間だけではなく、プロテスタント教会内部でも聖書の理解に対して深刻な対立が生れていました。ハイデルベルク信仰問答はその論争を解決し、一つの信仰で教会を一致させるために作られた文章であると言えるのです。

 しかし、このハイデルベルク信仰問答は他の信仰問答とは少し違う特徴があると言えます。それは直接にこの信仰問答の文章を読んだ読者が聖書の教えから慰めと励ましを受けることができるようにされていると言う点です。私たちはどんなに深淵で完璧な聖書の教えを理解しても、その教えが自分の人生とどのようなかかわりを持つのか分からなければ意味がありません。その点で、この信仰問答は聖書の教える真理を論理的に説明する一方で、この教えが私たちの人生にどのような意味を与えるかを丁寧に説明しようとしているのです。そしてその特徴は今日、私たちが学ぶ問26の文章にもよく表されていると言えます。

 この問26は「「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と唱える時、あなたは何を信じているのですか」と言う問いに答えて次のような言葉を記しています。

 「答 天と地とその中にあるすべてのものを無から創造され、それらを永遠の熟慮と摂理とによって今も保ち支配しておられる、わたしたちの主イエス・キリストの永遠の御父が、御子キリストのゆえに、わたしの神またわたしの父であられる、ということです。

 わたしはこの方により頼んでいますので、この方が体と魂に必要なものすべてをわたしに備えてくださること、また、たとえこの涙の谷間へいかなる災いを下されたとしても、それらをわたしのために益としてくださることを、信じて疑わないのです。

 なぜなら、この方は、全能の神としてそのことがおできになるばかりか、真実な父としてそれを望んでもおられるからです。」

 この信仰問答は私たちの父なる神がどのような方であるかということをここで明確に語っています。その上でその父なる神と私たちとの関係をどのようなものであるかを説明します。そして、この父なる神と私たちとの関係から考えるならば、私たちは自分の人生をどのように受け止め、信じることができるのかということについて教えています。さらにその上で、私たちが今抱いている信仰が確かなものであるという確証まで明らかにしようとするのです。

 デンマークの哲学者であったキルケゴールは当時ヨーロッパの哲学界で有名だったヘーゲルと言う哲学者を評して次のように語ったと言われています。「ヘーゲルは自分のために素晴らしい屋敷を建てた。しかし、彼が実際に住んでいるのはその屋敷の地下にある狭くて、汚れた部屋だ…」。

 ヘーゲルがどんなにその著書の中で世界の構造や秩序を論理的な言葉で説明できても、肝心の自分の問題を解決する答えを自分の哲学から得ることができていないとキルケゴールはこの言葉で批判したのです。

 私たちは聖書の真理を学ぶときも、同じような間違いを犯す可能性があります。私たちは聖書の真理を知的な満足を得るために読むのではありません。私たちの抱える人生の問題に対する答えを見出し、神から慰めを受けて、生きる力を得るために聖書を読むのです。そのような意味で、このハイデルベルク信仰問答は聖書の教える真理こそが私たちの人生の問題を解決し、また生きる力を与えることができると言うことを私たちに教えているのです。


2.父なる神の創造と摂理

①父なる神の力

 宗教改革者のマルチン・ルターは長い間、自分の考えていた「父なる神」についての誤解のために、「自分は救われている」と言う確信を得ることができないで苦しみ続けました。ルターが父なる神について誤解するきっかけになったのは、神を「父」と呼ぶときに、その神の印象を自分の実際の父親の印象と重ねてしまった点にあったと言われています。ルターの父親は頑固な上に、癇癪持ちで子供だったルターはその父親を恐れながら成長しました。このような印象で父なる神を考えたルターは真の神をいつも恐怖し続けることになったのです。そしてルターがこのような誤った神についての印象から解放されたのは、彼が成人して修道士となりそこで聖書を直接に研究するようになってからだと言うのです。

 私たちはこのような誤解を神に対して抱いていないでしょうか。特に私たちの知っている日本人の神々は気まぐれで、自分に気に入らないことがあればすぐに怒り出すような印象があります。そのような考えを植え付けられている私たちは神を「小さくて、弱い存在」としていつの間にか考えてしまいがちなのです。しかし、聖書の教える神はそのような方ではありません。「天と地とその中にあるすべてのものを無から創造され、それらを永遠の熟慮と摂理とによって今も保ち支配しておられる」方こそ聖書が教える真の神、父なる神の真の姿だとこの信仰問答は教えているです。

 私たちはこの天地万物を造られた神の力を忘れてしまって、真の神を何もできない小さな神にしてしまっていないでしょうか。昔、賀川豊彦と言う有名な牧師がアメリカを訪問した時のお話です。賀川が案内されて有名なナイアガラの滝を見学していたとき、同行していたアメリカ人の一人が「どうです。すばらしい景色でしょう!」と賀川に尋ねました。すると賀川はそのアメリカ人に「これは私の父が造ったものです」と言って驚かせたと言うのです。私たちの信じる神は、天地万物を造られたまた、いまもそのすべてを治めておられる方であることを私たちはいつも自分の信仰生活の中で覚える必要があります。


②熟慮と摂理

 しかし、どんなに素晴らしい力でもあってもその力が無秩序なものであったら、それは私たちを助ける力になるのではなく、苦しめるものとなってしまいます。私たちの住む地球では温暖化などの問題によって、自然のサイクルが破壊されて様々な場所で大きな被害が起きています。大自然の巨大な力には私たち人間の力は太刀打ちできないのです。しかし、信仰問答は天地万物を造られそれを今も治めておられる父なる神の力は決して「無秩序」なものではないと教えています。私たちはこの信仰問答が「永遠の熟慮と摂理」と言う言葉を使って父なる神の力を説明していることに注目すべきです。神は思い付きで世界を創造されたのではありません。また世界を創造された後は「自分の責任ではない」とこの世界から手を引いてしまう方でもありません。神は御自分でよく考え、完全で過ちのない計画に基づき、この世界を造り、また今も治めて、その完成まで導いてくださっているのです。

 そのような意味で聖書は「偶然」と言うことを認めていません。すべての出来事は神の許しがなければこの世界にも、また私たちの人生にも起こらないからです。旧約聖書のヨブ記の主人公は自分の人生に次々に起こる災いの中で苦しみ続けました。しかし、聖書はこの出来事のすべてがヨブを愛する神の御心によって起こされていたことを語っています。


3.私たちの父である神

 しかし、世界で起こる出来事が、また私たちの人生に起こる出来事が何のために起こっているのかが私たち自身には分からないとしたらどうでしょうか。すべての出来事が私たちの知らないところで既に決められていると考え、私たちの人生も生まれたときから死ぬまでその計画に従って導かれているとしても、その計画の目的が私たちと無関係なものであるとしたら、私たちには意味がありません。。このような考えは私たちに生きる力を与えるのではなく、「どんなにがんばってもだめ」とすべてを諦めることしかできなくさせるだけです。しかしこの考え方は聖書の教える「摂理」と全く違います。もし、すべてを治めてくださる神の考えが私たち自身と全く無関係だとしたら、それは「運命論」の神を信じていると言うことになります。しかし、聖書の教える父なる神は決して私たちと無関係にこの世を導かれる方ではあません。信仰問答はこの父なる神と私たちとの関係を次のような言葉で明確に説明しています。

「わたしたちの主イエス・キリストの永遠の御父が、御子キリストのゆえに、わたしの神またわたしの父であられる、ということです。」

 父なる神の本当の子どもはその「独り子」であるわたしたち主イエス・キリストお一人しかおられません。そして聖書を読めば主イエス・キリストと父なる神がどんなに素晴らしい愛の関係で結ばれていたのかをよく知ることができます。父なる神はこの主イエス・キリストを私たちのためにこの地上に送ってくださり、救いの御業を実現してくださいました。そしてこの主イエスの御業によって今や私たちも父なる神の「子」として取り扱っていただけるようにされているのです。イエス・キリストが父なる神の「実子」であるとしたら、私たちは主イエス・キリストのとりなしによって父なる神の「養子」とされた者たちだと言えます。確かに「実子」と「養子」は全く違った存在であるかも知れません。イエス・キリストは神であり、私たちはその神が造られた被造物でしかないからです。しかし、その私たちも父なる神の「養子」になることにより、私たちはイエス・キリストと同じ権利をこの父から受け継ぐことができるようにされたのです。だから私たちも父なる神を親しく自分の「父」と呼ぶことができますし、父なる神もその私たちを主イエス・キリストと同じように愛してくださるのです。


4.すべてを益としてくださる神

 それでは主イエス・キリストによって父なる神の子とされた私たちの人生にはどのような変化が起きるのでしょうか。いえ、そもそも父なる神は主イエス・キリストによって子としてくださった私たちの人生をどのように導かれるのでしょうか。そのことについてハイデルベルク信仰問答は次のように私たちに説明しています。

「わたしはこの方により頼んでいますので、この方が体と魂に必要なものすべてをわたしに備えてくださること、また、たとえこの涙の谷間へいかなる災いを下されたとしても、それらをわたしのために益としてくださることを、信じて疑わないのです。」

 私はこのハイデルベルク信仰問答を書いた著者は優れた神学者であるとともに、教会に集まるたくさんの人々の魂を導いた優秀な牧師であったと想像しています。教会の牧師はたくさんの人々の人生と共に歩むように召されています。ときには深刻な問題に出会い、苦しんでいる人に牧師はどんな言葉をかけてよいのか分からなくなるときがあります。人間が考える言葉が無力であるような、深刻な問題が私たちの人生には起こるからです。この信仰問答には「たとえこの涙の谷間へ」と言う言葉が記されています。この言葉は前後関係から推測すれば、私たちの人生について語っていることがわかります。私たちの人生を「涙の谷間」と表現したこの信仰問答の著者は、どんなにたくさん人が苦しむ姿を目の当たりにしたのだろうかと思ってしまうのです。そして人間の慰めの言葉など全く通用しない問題の中で苦しむ人に向かって、この著者は聖書が語る真理を示そうとするのです。

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ロマ8章28節)。

 もし、この言葉が人間の考え出した、何の根拠もない口先の言葉ならば、私たちのこの「涙の谷間」に慰めと励ましを見出すことは決して出来ません。しかし、この言葉は神が私たちのために与えてくださった言葉、つまり神の約束の言葉なのです。だからこそ、ハイデルベルク信仰問答は次のような言葉を続けて語るのです。

「なぜなら、この方は、全能の神としてそのことがおできになるばかりか、真実な父としてそれを望んでもおられるからです。」

 私たちの信じる神は天地万物を造られ、今もそれを保つ父なる神です。そしてその神は主イエス・キリストの御業によって、私たちをご自分の「子」としてくださいました。その父なる神は私たちにご自分の子としてのすべての権利を与えてくださったのです。だから私たちも私たちの人生に起こる出来事、また世界に起こるできごとを「子である私のために神がしてくださっている」と信じることができるようにされているとこの信仰問答の言葉は教えているのです。

聖書を読んで考えて見ましょう

1.あなたは「我は天地の造り主、全能の神を信じる」と言う言葉についてハイデルベルク信仰問答が説明している答えを読んでどのような感想を持ちますか。

2.それでは聖書が教える創造と摂理の教理はあなたの信仰生活とどのような関係を持っていると思いますか。

3.私たちが「父なる神」を自分の父と呼び、信頼することができる理由な何だとハイデルベルク信仰問答は教えていますか。

4.信仰問答が言うように「この涙の谷間」のような私たちの人生に届く慰めと励ましの言葉を私たちはどこで見出すことができるでしょうか。

2023.1.8「創造と摂理」