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2023.5.14「キリスト」 YouTube

ヘブライ人への手紙9章11〜14節(新P.411)

11 けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、

12 雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。

13 なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、

14 まして、永遠の"霊"によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか


ハイデルベルク信仰問答

問31 なぜこの方は「キリスト」すなわち「油注がれた者」と呼ばれるのですか。

答 なぜなら、この方は父なる神から次のように任職され、聖霊によって油注がれたからです。すなわち、わたしたちの最高の預言者また教師として、わたしたちの贖いに関する神の隠された熟慮と御意志とを、余すところなくわたしたちに啓示し、わたしたちの唯一の大祭司として、御自分の体による唯一の犠牲によってわたしたちを贖い、御父の御前でわたしたちのために絶えず執り成し、わたしたちの永遠の王として、御自分の言葉と霊とによってわたしたちを治め、獲得なさった贖いのもとにわたしたちを守り保ってくださるのです。


1.油注がれた者

①イエスはキリスト

 聖書やキリスト教についてあまり知識を持っていない人は「イエス・キリスト」と言う言葉を聞いたとき、それがそのまま一人の人間の名前と考えてしまっているかも知れません。私も高校生くらいまでは「イエス」が名前で、「キリスト」が苗字だと言う風に勘違いしていました。確かに「イエス」はヘブライ語では「ヨシュア」と言って、当時のユダヤ人によくつけられていた名前でした。しかし、「キリスト」の方は名前ではありません。「キリスト」とは日本語で言えば「救い主」を表す言葉です。つまり聖書が「イエス・キリスト」と言う場合は「イエス」は「救い主」と言っていることになります。

 この「キリスト」と言うのはギリシャ語の言葉ですが、元々の言葉はやはりヘブライ語で「メシア」と言う言葉の翻訳です。弟子のペトロはある時「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16章16節)とイエスに向かって語っていますが、これは「あなたこそ聖書に約束されている救い主だと私は信じます」というペトロの信仰を表明する言葉となっているのです。実はイエスが生きていた時代もそうですが、「自分はキリスト」だと主張する人たちは他にもたくさんいたようです。これは現代でも同じです。「自分はキリストだ」と主張する人は今でも絶えず現れては消えて行きます。聖書が「イエス・キリスト」と呼ぶ場合には、イエスだけが真の救い主で他に私たちを救うことのできる方は存在しないと言っていることになります。

 ところで聖書が言うようにイエスがキリスト、つまり私たちの救い主だとしたら彼は私たちを救うためにどのようなことをされるのでしょうか。ハイデルベルク信仰問答の問31は主イエスが私たちの救い主として何をしてくださるのかと言うことについてこの「キリスト」と言う言葉を使って私たちに説明しています。


②預言者、祭司、王

 まず、この「キリスト」あるいはヘブライ語の「メシア」と言う言葉の本来の意味は「油注がれた者」と言うものだと信仰問答は解説しています。油と言うとサラダ油とかごま油を私たちは想像しがちですが、この油は「香油」、つまり香水のようなもので、古代のイスラエルでは誰かを特別な職務に付けるときにその人の頭に「香油」を注いで任命式を行うと言うことをしていました。先日、テレビでイギリス国王の戴冠式の模様が放映されていましたが、この油はこの戴冠式の王冠と同じような意味を持っていると考えてもいいでしょう 古代のイスラエルでは神によって特別な職務に選ばれた人たちにこの「油注ぎ」がなされました。つまり「油注がれた者」とは神によって特別な職務に選ばれた者と言う意味を持っているのです。信仰問答はこの油注ぎがそれまで預言者、あるいは祭司、そして王という職務を遂行する者たちの上になされていたことを踏まえて、イエスが「油注がれた者」としてこの預言者、祭司、王の職務を遂行し、その働きによって私たちを救いに導いてくださると説明しているのです。

 ただそう言われても私たちの生きる現代社会では預言者や祭司、王と言う存在は珍しく、それらの人々がいったい何をしているのかも私たちにはよく分かりません。ですから、私たちはこの点についてもやはり聖書の中から預言者や祭司、王が何をするために選ばれているのかを知る必要があると言えるのです。


2.預言者として

 まず「預言者」です。私たち日本人は「ヨゲンシャ」と言う言葉を聞くとたいていは「予言者」と「あらかじめ」と言う漢字の言葉で表記される存在を考えがちです。その代表的な人物がかつて日本でも話題になった「ノストラダムス」かも知れません。「予言者」はまだ来ない将来の出来事をあらかじめ知り、それを人々に教える人物と考えられています。聖書に登場する「預言者」たちも同じように将来の出来事を「予言」することもありますが、彼らにそれができたのは神から「そのことを民に語るように」と命じられていたからです。ですから、聖書の「ヨゲンシャ」は「預言者」と言う「あずかる」と言う漢字を使って表現されています。それは彼らが神から言葉を預かって、それを人々に語ると言う使命を果たすために選ばれた人たちだったからです。

 主イエスは救い主としてこの「預言者」としての働きによって私たちを救いに導いてくださる方だとハイデルベルク信仰問答は教えています。ある古代の有名な神学者は「神は天地を創造される前に何をされていたのか」と言う質問をした人に、「神はそんな愚かな質問をする者のために天地を創造されるまえに地獄を造られたいた」と言ったと伝えられています。もちろん、これはその神学者の考えたジョークであるわけです。

 キリストは預言者として私たちの持っている好奇心を満たすために働かれる訳ではありません。信仰問答は「わたしたちの贖いに関する神の隠された熟慮と御意志とを、余すところなくわたしたちに啓示し」と預言者としての主イエスの働きを説明しています。

 最近「聖書を読んで見ると自分が神様の御心にふさわしくない存在だと言うことがよく分かった」と悲しそうな顔をして私にお話をしてくださった人がいました。たしかに私たちは皆、神の御心に反して生きている「罪人」でしかありません。しかし、預言者であるキリストはその「罪人」である私たちを救おうとする神の隠された計画を私たちのために明らかにしてくださるのです。主イエスは神の言葉を私たちに正しく伝えるために預言者として遣わされた方だからです。ある人は聖書を道徳の手本として読む人がいます。また、現代の科学を否定するために聖書の言葉を読もうとする人がいます。しかし、聖書が私たちに伝えたいことは、罪人である私たちを救う神の計画、またその神の計画を通して示された神の愛であると言うことできます。だから私たちが聖書を正しく読むために、この真の預言者であるイエス・キリストを通してその言葉に心を傾ける必要があるのです。


3.祭司として

 また、主イエスは私たちのために「祭司」の務めなし、その働きを通して私たちの救いを実現してくださる方です。この「祭司」という存在も現代社会に生きる私たちには縁遠い存在かも知れません。しかし、主イエスが活躍された時代のイスラエルでは祭司はとても重要な働きを担う大切な存在でした。祭司は普段はエルサレムの神殿で働いていていました。そして特にこの神殿では祭司たちによって動物犠牲がささげられていました。先日、テレビ番組を見ていましたらエジプトのカイロの町の道で生きた羊たちが何頭もつながれている場面が紹介されていました。レポーターが「この羊は何か、食べるのか」と質問をすると、エジプト人は「神様にささげるものだ」と説明していました。イスラム教が何のためにこの羊を神にささげるのかは私にはよくわからないのですが。聖書の時代のイスラエルでは特に人が犯した罪を贖う手段として羊のような動物犠牲が神殿でささげられていたのです。人はこの羊の命と引き換えに神から赦しを受けることができると考えられていたのです。

 新約聖書に登場する有名な預言者の一人洗礼者ヨハネはイエスを指してい「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネ1章29節)と語りました。この言葉の通り、主イエスは私たちのための祭司としてご自分の体を私たちの罪を贖う供え物としてささげられたのです。私たちが神の赦しを受け、神を礼拝することができるのは、私たちが何か神に喜ばれることをなすことができたからではありません。私たちの主イエスが祭司としてご自分の体を神に喜ばれる捧げものとしてくださったことによって、私たちの罪は許され、私たちが神を礼拝することができるようにしてくださったのです。

 信仰問答はこの祭司であるイエスが今も私たちのために「執り成し」を続けていると語っています。つまり、私たちはキリストに救われた今も、続けてこの祭司であるイエスに「執り成して」いただかなければならない存在なのです。先ほど語った人のように私たちは「自分がことごとく神の戒めに従うことができない罪人である」ことを信仰生活の中で味わうことがあります。しかし、そのようなときこそ私たちは私たちの罪のために今も神に執り成しをしてくださる祭司である主イエスの働きを覚える必要があります。そして私たちの救いの確信は私たちのために命をささげられた主イエスにあることを覚える必要があるのです。


4.王として

①ヘロデ王を恐れたエルサレムの人々

 先日、戴冠式の風景が放映されたイギリス王室では「国民に親しまれる王室を目指す」と言う試みがなされていると聞いています。言葉を換えれば、今の王室は国民にあまり親しまれていないと言うことを表しているのでしょうか。近代国家のように「国民主権」の原則に立つなら、王には「いるかいないかわからない」、そんな存在の在り方が求められるのかも知れません。しかし、聖書が書かれた時代の「王」はそのような存在ではありませんでした。有名なところではこんなお話が聖書の中には登場します。それはユダヤの国に新しい王が誕生したという報せを知った占星術の学者たちが、その新しい王に会うためにエルサレムの町を訪れた時の話です。その占星術の学者たちから新しい王の誕生のニュースを知らされた当時のユダヤの王ヘロデは「不安を抱いた」と記されています(マタイ2章3節)。しかし聖書はこの後、ヘロデだけではなく「エルサレムの人々も皆、同様であった」と語っているのです。なぜ、ヘロデだけではなく、エルサレムの人々が不安を抱いたのでしょうか。これはこの知らせを聞いたヘロデが何か大変なことをしでかして自分たちの生活を脅かすことになるかもしれないと心配したからです。実際にこのヘロデの命令によってベツレヘム近郊で生まれた「二歳以下の男の子」が虐殺されると言う事件が起こっています(同2章16節)。このように聖書の中では実際に王の命令一つで多くの国民の命が奪われると言うことが起こっているのです。


②真の王は何をされるのか

 しかし、本当の王は国民の命を奪うために選ばれるのではありません。むしろ、本当の王は国家の安寧秩序を守り、国民の命を育むという大切な使命を遂行するために選ばれているのです。信仰問答は主イエスが私たちを守り育むために王として働き、私たちの救いを実現してくださると教えているのです。

 興味深いのはこの王が私たちを導かれる方法です。なぜなら、この地上の王たちは軍隊や警察と言う武力を使って強制的に国民を自分に従わせるということをするからです。しかし、真の王である主イエスはそれとはまったく違った方法で私たちを導かれるのです。信仰問答はそのことを「御自分の言葉と霊とによってわたしたちを治め」ると説明しています。主イエスは私たちに聖書の言葉を与えてくださいます。そして天から私たちに一人一人に聖霊を遣わされることで、私たちが喜んでこの聖書の言葉に従って生きることができるようにしてくださる方なのです。

 また、信仰問答はこの主イエスが王として私たちをどこに導いてくださるかについて次のような説明をしています。「獲得なさった贖いのもとにわたしたちを守り保ってくださるのです」。

 「イエス・キリストの救いは素晴らしい、自分もその方を信じてみたい」と私たちが考えるとき、私たちの心に浮かぶのは「自分はそのイエス・キリストを信じ続けることができるのだろうか」という疑問です。私が洗礼を受けてクリスチャンになったときは、私の友人たちが「また、櫻井は変なことをし始めた。今度はどのくらい続くやら…」と言っていたことを思い出します。しかし信仰生活は「自分は一生、神様を信じることができる」と言う自信があるから始めるものではありません。たとえ、明日の自分がどうなっているのかわからなくても、その私たちを明日もそして、私たちの救いが完成するために最後まで導いてくださる真の「王」である主イエスがいるから、私たちは洗礼を受ける決心が与えられ、信仰生活を始めることができるのです。

 主イエスの語られた有名な言葉で「明日のことまで思い悩むな」(マタイ6章34節)と言うものがあります。これは明日も私たちの生活が私たちの都合のいいように進んで行くと言うことを教えている言葉ではありません。明日、たとえ私たちの生涯にどんなことが起こっても、私たちに与えられた救いは消してなくならないことを教えているのです。なぜなら、私たちの主イエス・キリストが私たちの生涯を導いてくださり、必ず神の計画通りに、私たちを救ってくださるからです。

 このように聖書は主イエスこそがキリスト、神から「油注がれた者」と教えています。そして私たちを救うことのできるお方はこのイエスお一人しかおられないと語っているのです。

聖書を読んで考えて見ましょう

1.私たちが救い主を呼ぶときに使う言葉、ギリシャ語でキリスト、ヘブライ語でメシアと言う言葉は本来どのような意味を持っていますか。

2.この「油注がれた者」とは旧約聖書の時代には、神によって特別な使命を遂行するために選ばれたどのような人を意味する言葉でしたか。

3.主イエスは真の「預言者」として、私たちの救いのためにどのようなことをしてくださる方ですか。

4.その方は真の「祭司」として、私たちの救いのためにどのようなことをしてくださいましたか。

5.また、その方は真の「王」として私たちの救いのためにどのようなことをしてくださいますか。

2023.5.14「キリスト」