1. ホーム
  2. 礼拝説教集
  3. 2024
  4. 1月14日「天にのぼられたキリスト」

2024.1.14「天にのぼられたキリスト」 YouTube

使徒言行録1章6~11節

6 さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。

7 イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。

8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

9 こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。

10 イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、

11 言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」


ハイデルベルク信仰問答書

問46 あなたは「天にのぼり」をどのように理解しますか。

答 キリストが弟子たちの目の前で地上から天に上げられ、生きている者と死んだ者とを裁くために再び来られる時まで、わたしたちのためにそこにいてくださる、ということです。

問47 それでは、キリストは、約束なさったとおり、世の終わりまでわたしたちと共におられる、というわけではないのですか。

答 キリストは、まことの人間でありまことの神であられます。この方は、その人間としての御性質においては、今は地上におられませんが、その神性、威厳、恩恵、霊においては、片時もわたしたちから離れてはおられないのです。

問48 しかし、人間性が神性のある所どこにでもある、というわけではないのならば、キリストの二つの性質は互いに分離しているのではありませんか。

答 決してそうではありません。なぜなら、神性は捉えることができず、どこにでも臨在するのですから、確かにそれが取った人間性の外にもあれば同時に人間性の内にもあって、絶えず人間性と人格的に結合しているのです。


1.キリストはどこにおられるのか

①天に昇られたイエス・キリスト

 私たちはこの伝道礼拝で世界の改革派教会が受け継いできた信仰的遺産とも言えるハイデルベルク信仰問答を続けて学んで来ました。現在、私たちが学んでいるのは信仰問答の第二部にあたる「人間の救いについて」と言う部分です。ここまで信仰問答を読んできた皆さんはすでにお気づきだと思いますが、この第二部の内容はキリスト教会に古くから伝わる「使徒信条」と言うやはりこれもキリスト教信仰の内容を記した文章を解説する形で進められています。この使徒信条は私たちの改革派教会に限らず、世界のほとんどの教会が大切にしている信仰の文章です。

 私たちは前回までキリストが「三日目に死人のうちからよみがえる」と言う使徒信条の部分、つまりキリストの復活について学んできたのです。私たちの信仰にとってもっとも大切な真理はこのキリストの復活であると言うことができます。それは私たちが毎日曜日にささげている礼拝がキリストの復活された日曜日から始まり、現在まで続いていることにも表わされています。私たちにとってイエス・キリストは今から二千年前にこの地上に存在して死んで行った過去の人物ではありません。十字架にかけられて死なれたイエス・キリストはそれから三日目の日曜日の朝に甦られたのです。そしてこの方は今も生きて私たちと共におられると言うことがキリスト教信仰の核心とも言える真理なのです。

 それではキリストが今も生きて私たちと共におられると言うならば、そのキリストは今、どのような形で私たちと共にいてくださるのでしょうか。そのことに対する答えたとして語られているのが今日の学びで取り上げられるキリストが天に昇られたと言う出来事、つまり「キリストの昇天」ということなのです。


②今、天におられるイエス・キリスト

 信仰問答はまずこのキリストの昇天の出来事について次のように説明しています。「キリストが弟子たちの目の前で地上から天に上げられ、生きている者と死んだ者とを裁くために再び来られる時まで、わたしたちのためにそこにいてくださる、ということです。」

 ここに記されている内容は新約聖書のルカによる福音書(24章50~53節)、そして同じルカが記した使徒言行録(1章8~11節)に記録されています。このハイデルベルク信仰問答は特に使徒言行録の記事を背景にして書かれていると考えることができます。なぜなら、使徒言行録はキリストの昇天の出来事について次のように私たちに証言しているからです。

「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」」

 甦られたイエスは弟子たちの前で天に昇って行きました。ところがその時に天使が現れてイエスは再びこの地上に戻って来てくださると預言したのです。このように甦られたキリストは今、天におられ、やがて最後の日が訪れる際に、つまり終末の時に私たちの救いを完成されるために天からこの地上に再び戻って来てくださるということが約束されているのです。ですから甦られたキリストは再び死んでしまった訳ではなく、今も生きて天におられると言うことが分かるのです。


2.聖書が語る「天」とはどこにあるのか?

 ここで一つの多くの人が抱いている大きな誤解について皆さんと考えて見たいと思います。先ほどの使徒言行録はキリストの昇天について弟子たちの見ている前で天に昇られ、やがて「雲に覆われて彼らの目から見えなくなった」と報告しています。つまり、この表現から考えれば甦られたキリストは空高く昇って行って、その空にある雲に隠れて見えなくなってしまったと言うことになります。そしてこの表現から多くの人が聖書の語る「天」とは空の上にあるものだと考えるようになったのです。現代の科学で言えば、「天」は空の上の宇宙空間のどこかに存在すると言うことになります。

 以前にもご紹介しましたが、ソ連の無神論者の宇宙飛行士がロケットに乗って大気圏を超えて宇宙空間に到達したときに、勝ち誇ったかのように「宇宙のどこにも神は存在していなかった」と語ったと言われています。余計ですが、同じように宇宙空間に到達したアメリカのアポロ計画に参加した飛行士はその同じ宇宙の光景を見て感動して「確かにこの宇宙を造られた神はおられる」と確信したと言われています。これとは全く正反対の感想をソ連の宇宙飛行士は語ったと言うのです。

 なぜ、彼はこんなことを語ったのでしょうか。これは彼が聖書の語る「天」を宇宙空間のどこかにあると考えてしまったからです。しかし、聖書の語る「天」とは空の上に存在すると言う意味を持っていません。なぜなら聖書で「天」とは神がおられる場所を指す特別な言葉として用いられているからです。つまり、キリストが天に昇られたと言う出来事は、キリストが神のおられる場所に行かれたと言うことを意味しているのです。そのような意味でキリストは私たちの肉眼の目では見ることができませんが、今も神のおられる場所である「天」におられると言うことを聖書は私たちに語っているのです。


3.イエス・キリストは私たちと共におられる

①キリストの二性一人格

 「なるほど、キリストは今も天におられる、だから私たちの 目には見えなくても今もそこで生きておられると聖書は言って いるのか」と言う結論に私たちを導いた上で信仰問答は新たに 次のような問いを語っています。

「それでは、キリストは、約束なさったとおり、世の終わりまでわたしたちと共におられる、というわけではないのですか」(問47)。

 確かにイエス・キリストは聖書の中で「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28章20節)と約束してくださっています。ですから、聖書が言うようにキリストが今、天におられると言うことは、地上に生きている私たちと一緒にはおられないと言うことになるのではないかと信仰問答は疑問を投げかけるのです。そして信仰問答はこの疑問に対して甦られたイエス・キリスト、そして今も天におられるイエスは「片時もわたしたちから離れてはおられないのです」と教えています。それではこのイエス・キリストはどのような形で今、私たちと共におられるのでしょうか。

 ここでキリストは「まことの人間でありまことの神であられる」(問47)と言う言葉が記されています。神学の用語ではこれは「キリストの二性一人格」と言う言葉で呼ばれる教えです。ご存知のように聖書が語る真の神は特定の空間に拘束されるような方ではありません。つまり、神はどこにでもおられることができるのです。イエス・キリストはこの神と言う性格と同時に、特定の空間に拘束される私たち人間と同じ性格を兼ね合わせて持っておられる方であると言うのがキリスト教会が信じる「キリストの二性一人格」の教えです。これはキリスト教の神学者たちが長い教会の歴史の中で論じて来たものです。そしてなぜこの教えが大切かと言えば、キリストが神であると共に私たちと同じ人間であることが私たちの救いを成立させる最も大切な条件だと信じられて来たからです。ですから、この真理はキリスト教会から「異端」と呼ばれる人たちを除いて、私たちのプロテスタント教会も、またカトリック教会も東方正教会の人も皆信じている教えなのです。


②私たちとイエス・キリストを結ぶ確かな絆

 問題はこのキリストの「人間性」の部分です。はたしてこの人間性の部分はキリストの昇天の後、その神としての性格とどのような関係にあるのか(キリストの属性交流)と言う理解ではキリスト教会内部で考え方が微妙に異なっていて、いまだに一致していないのです。ですからこのハイデルベルク信仰問答は改革派の立場からこの真理を解き明かそうとしています。そして答えは人間としてのキリストは今、この地上から離れて天におられると説明しているのです。

 しかし、ここで改めて考える必要があるのは「わたしたちと共にいる」と言われるイエス・キリストの語られた約束の言葉が示す内容です。ふさわしいかどうかわかりませんが、これは人間関係を考えて見ても同じようなことを考えることができるかも知れません。なぜなら、私たちの体験する人間関係でもいつも一緒に同じ場所にいても、お互い何も干渉しない、関心を示さないと言う関係が存在するからです。その一方で、物理的には遠くに離れた場所で生活していてもいつもその心が結ばれていると言う人間関係も存在するのです。改革派教会はこのキリストと私たちとの関係を後者のようなものとして理解したと考えてよいかも知れません。

 確かに、キリストは天におられます。しかし、その天におられるキリストと地上に住む私たちとの関係は固い絆で結ばれていて、その関係は変わることがないと言えるのです。そしてこのキリストと私たちの関係を固く結びつける絆となる方こそ、聖書が教える「聖霊なる神」の役割だと言えるのです。イエスの生涯をその福音書に記したルカはイエスの昇天をその最後に語り、そして次にイエス・キリストの昇天からキリスト教会の歩みを記録した「使徒言行録」を記しています。しかし、ルカはこの二つの書物でやはり、イエス・キリストの御業を続けて語っていると考えることができるのです。なぜなら、かつてこの地上で弟子たちと共に歩まれたイエス・キリストは天に昇られた後、その弟子たちに聖霊を送って、彼らと共に続けて生きてくださったことがこの使徒言行録には記されているからです。このような意味で、天に昇られたキリストは今、私たちにご自身の霊である聖霊を送って、私たちとの絆を保ち、私たちと共にいてくださると言う約束を実現してくださっていると言うことできるのです。


4.キリストの人間性

 聖書を読むとイエスと共に生活した弟子たちが、当初はイエスの御業、特にその十字架の出来事を十分に理解することができないばかりか、誤解までしていたことが語られています。しかし、その弟子たちもイエスが天に昇られた後に彼らの上に約束の聖霊が訪れた時から大きく変わっていきます。このような意味で聖霊はキリストと私たちとの関係を確かなものとして結びつけるために働いてくださる方だと言えます。

 そして最後に覚えたいのは天におられるキリストがかつて地上の生涯を歩まれたイエスと同じ方であり、その人間としての性格は全く変わっていないと信仰問答が語っているところです。なぜならヘブライ人の手紙はこのキリストについて次のような言葉を語っているからです。

「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」(4章15節)。

 聖書を読んで不思議なのは神の独り子であるイエス・キリストがたくさんの驚くべき奇跡を行われているのに、その力を御自分のためには一切使われなかったと言う点です。そしてヘブライ人の手紙はその秘密を私たちにここで教えています。イエス・キリストはすべての点で私たちと同じ存在となられるために、神の力を一切ご自分のために使うことがなかったのです。私たちの弱さを理解し、また私たちと同じように厳し試練を体験されるためにそうされたのです。そしてそのすべては私たちを助けるためだと聖書は語っているのです。

 苦労知らずの人に自分が体験している苦労話を必死に語ったとしても、その苦労を理解してもらうことは困難かも知れません。しかし今、天におられるイエス・キリストはそのような方ではありません。ご自身も弱さを負って、厳しい試練を体験された方だからです。だから何も遠慮せずに自分の弱さを語り、自分の苦労を訴えることができる方こそがイエス・キリストだとヘブライ人への手紙はここで教えているのです。

 たしかにキリストは今、天におられます。しかし、そのキリストはかつて地上で共に生きた弟子たちとの関係とは比べることのできないほど親密な関係を私たちに聖霊を遣わすことで持ってくださっているのです。しかも、この方は神であられると共に、私たちと同じ人間性を今も持っていてくださり、私たちの弱さをすべて理解してくださった上で、私たちを導き、世の終わりの日には私たちに会うために、私たちの元に再び戻って来て下さる方だと信仰問答は私たちに教えているのです。

聖書を読んで考えて見ましょう

1.まずハイデルベルク信仰問答の本文をあなたも読んで見ましょう。三日目に甦られたキリストは今どこにおられますか。信仰問答はキリストがそこにおられるのは誰のためだと教えていますか(問46)。

2.キリストは天に昇られる前に弟子たちにどのような約束されましたか(マタイ28章20節)。この約束はどのように実現されていると信仰問答は教えていますか(問47)。

3.天におられるキリストが神であると同時に、私たちと同じ人間性を今もなお持っておられるということが私たちにとって大切な理由はなぜでしょうか(参照:ヘブライ4章15節)。

2024.1.14「天にのぼられたキリスト」