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2024.12.22「うれしい知らせ」 YouTube

聖書箇所:ルカによる福音書2章8~20節(新P.103)

8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。

9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。

11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。

12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。

14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」

15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。

16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。

17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。

18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。

19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。

20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。


1.羊飼いたち

 私の娘がまだ小学生だったころ、福島の磐梯山のふもとで行われた教会の修養会に一緒に連れて行ったことがあります。そのとき、千葉県にある私の母教会の執事が二人のお孫さんを連れて同じように参加されていました。私の娘と同年代の女の子たちでしたので子どもたち同士が親しくなりました。その時、母教会の執事が言うには彼女たちのお母さんは畜産業を営む家に嫁いでいて、家の仕事の関係から子どもたちが夏休みになってもどこかに連れていくことができないのだと言うのです。そこで、彼女たちの祖母である母教会の執事があずかって福島まで連れて来たのだそうです。その話を聞いていて畜産業を営むというのは本当に大変なのだなと思わされました。何しろ飼っている動物には休みがありません。ですから、その動物を世話する人間も365日休むことなく働かなければならいからです。

 今日はクリスマスをお祝いする礼拝になります。そこで私たちはこの礼拝でクリスマスが私たちにとってどのような「うれしい知らせ」であるのかについて聖書から学んでみたいと思うのです。今は世界のあらゆるところでお祝いされるようになったクリスマスです。教会に来られているある方が「日本ではお寺や神社でもクリスマス会をするところがあるらしい…」と驚かれたことを先日聞きました。日本の人口の中で教会に行っているキリスト教徒は一パーセントにも満たないとされている国なのに、クリスマスは今やこの日本でも欠かすことができない年中行事となっています。

 今や世界中の人々が盛大に祝うようになったクリスマスですが、聖書を読むと神の御子イエス・キリストが誕生した本当のクリスマスの出来事を知らされ、それをお祝いできたのはごく限られた人々であったことが分かります。皆さんもご存知のようにそれは東の方の国からやって来た占星術の学者たちであり(マタイ2章1~12節)、また、私たちが今日取り上げようとする野原で夜通し羊の番をしていた羊飼いたちです。

 最初に申しましたように動物を飼う羊飼いたちには羊から離れて休みをとるということはできません。彼らは羊たちを世話し、また羊たちを外敵から守るために見張りをするという生活を毎日続ける、ある意味でそれは過酷な仕事であったと言えます。おまけに、この当時の世界は現代とは違い職業選択の自由と言うものが存在していませんでした。おそらく、彼らは羊飼いの家に生まれて羊飼いとなり、羊飼いとして人生を送るような定めを送っていた人たちだと言えるのです。

 聖書には羊や羊飼いがよく登場します。旧約聖書の詩編では私たち人間を羊にたとえ、神を羊飼いにたとえて語るの歌があるのが有名です(23編)。また新約聖書でもイエスご自身が羊と羊飼いのたとえを使って私たち人間と神との関係を語っているお話があります(ルカ15章1~7節、ヨハネ10章7~18節)。しかし、それだけ重要な羊飼いという職業も、当時の社会ではあまり評価されずに、むしろ蔑まれる存在であったことが分かっています。それは羊飼いたちがその仕事のために信仰者としての義務を十分に果たすことができなかったからです。仕事のために羊から離れることのできない彼らは礼拝に出席することもできませんし、満足にお祈りをすることもできない立場に置かれていました。ですから、羊飼いたちは「信仰者としての義務を果たしていないダメな人たち」と言うレッテルを張られて生きなければなりませんでした。ところが不思議なことに神は、この羊飼いの元に天使たちを遣わして、救い主イエスの誕生を彼らに真っ先に知らせたと言うのです。


2.天使の出現

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。」(8~9節)。

 天使たちが突然現れて、羊飼いたちを驚かせた光景がここに語られています。それは羊飼いたちだけではなく誰もが驚く光景であったとも言えます。聖書はここで羊飼いたちが単に驚くだけではなく「非常に恐れた」、つまり命の危機を感じるような恐れに襲われたと言っています。それはどうしてなのでしょうか。

 先日、中東のシリアで長い間続いていた独裁政権が倒されたというニュースが世界中に届けられました。半世紀以上続いたというシリアの独裁政権は支配者に反対する人々を容赦なく弾圧し、その人々の命を奪い、また監獄に送っていたと言われています。私がニュースを見て驚いたのは、反体制派の兵士たちが人々が捕らえれている刑務所を占拠して、そこに捕らわれている人々を解放したときの映像です。この映像を見ると鉄格子のなかにたくさんの女性が捕らえていて、中には小さな子供までいたのです。そこでさらに印象的だったのは反体制派の兵士が牢獄の中に捕らわれている人たちに「怖がらなくてよい。外に出て来なさい」と何度も呼び掛けるシーンです。おそらく牢獄に閉じ込められていた人々は目の前で今何が起こっているのかも分からず。突然、見慣れない兵士たちがやって来たので恐怖に捕らわれて、牢獄の外から出ようとしなかったのだと思います。牢獄の中に捕らわれた人々は長い間、暗い部屋に閉じ込められて、いつ自分の命が奪われるかも知れないと言う不安と恐怖に支配されて生きてきたはずです。そこに突然、彼らが予想もしなかった出来事が起こったのです。

「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(10~11節)。

 この時羊飼いたちが天使から聞かされた言葉も、彼らに喜びを伝える解放の言葉でした。なぜなら、聖書によれば私たち人間は長い間に渡って罪に支配され、その罪の報いである死の恐怖に怯えながら生きている者たちだからです。ですからこのときに天使たちが伝えた救い主、つまりメシアの誕生の知らせは私たちをその罪の支配から解放し、死の恐怖から解き放つ喜びの知らせでもあったのです。そう考えるとこの時に羊飼いたちが聞いた天使の言葉は、ある意味で監獄を解放するためにやって来た兵士たちの語った言葉によく似ていると言えるのです。「怖がることはない。外に出て来なさい。あなたたちはもう自由だ」。羊飼いたちはそのようなうれしい知らせを天使から聞いたのです。


3.信じるとは

①飼い葉桶の乳飲み子

「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(12節)

 天使は羊飼いたちがちゃんと救い主としてお生まれになられた主イエスに出会うことができるように詳しい案内をしています。マタイによる福音書によれば東の方の国から訪れた占星術の学者たちは最初、ヘロデ王が住むエルサレムの宮殿を訪れています。それは彼らが「新しい王」が生まれたことを不思議な夜空の星を通して知らされていたからです。「王様が生まれるなら王のいる宮殿に行く」と考えるのは当然だからです。

 現代では新しく誕生した赤ちゃんは保護された病院の新生児ベッドに寝かされます。当時のユダヤにはそのようなベッドはありませんでしたが、少なくともきれいで、温かい部屋に寝かされるはずです。しかし、このときお生まれになったイエスは、飼い葉桶の中、つまり、家畜たちが飼われている部屋の中に寝かされているのです。これは当時の人にも予想もつかない場所であったに違いありません。だから天使たちは羊飼いたちが間違わないようにと「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」とわざわざその目印まで伝えたのです。


②天使と聖書の言葉

 現代の私たちが天使の出現を経験することはまずないと思います。それはこれが非科学的な出来事だと言う訳で言っているのではありません。今の私たちには神からのメッセージが十分に示されている聖書が与えられているからです。だから天使の言葉は私たちには必要ないのです。私たちは聖書の言葉を通して、救い主イエスと出会うことができるのです。そして、この際に大切なのは聖書が伝えるメッセージを自分の人生に関わる大切なこととして私たちが受け止めることです。天使たちからのメッセージを聞いた羊飼いたちは、この後、ベツレヘムの家畜小屋にいるイエスに会いに行こうとします。それは彼らが天使たちの伝えたメッセージを自分たちの人生に関わる大切なことだと受け取ったからです。

 情報社会の現代、私たちの耳には世界で起こる出来事がすぐに届きます。しかし、だからと言って私たちがそのニュースを聞いても何かをするということはあまりないかも知れません。それはそのニュースが自分の生活には直接には関係しないと判断しているからです。しかし、「ガソリン価格が上がる」と言ったニュースを聞けば、そのような人もすぐにガソリンスタンドに向かうかも知れません。それはそのニュースが直接に自分の生活に関わることだと受け取ったからです。

 聖書の読み方は様々です。そして聖書を読む人が必ずしも救い主イエスと出会い、その方を信じるということでもありません。その理由は、聖書が語る神のメッセージを自分の人生に関わる出来事して読まないからです。しかし、もし私たちが聖書のメッセージを自分の人生を変え、また世界を変えるものとして受け取るなら、私たちは必ず聖書が示す救い主に出会うことができるようになるはずです。だから私たちはこのクリスマスに、天使のメッセージを聞いた羊飼いたちから学び、自分たちの聖書の読み方を改める必要があるのです。


4.ベツレヘムに出発した羊飼い

「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」(15節)。

 最初にも語ったように羊飼いがどこかに出かけることは決して簡単なことではありません。彼らには24時間面倒を見なければならない羊たちをどうするのかという問題があるからです。この時、羊飼いたちは自分たちの飼っていた羊をどうしたのでしょうか。誰か他の人に預けたのでしょうか…。それとも羊たちも一緒にベツレヘムに連れて行ったのか…。聖書はそのことを詳しくは語っていません。しかし、どちらにして彼らがベツレヘムに行くためには、かなりの犠牲を払わなければならないことが分かるのです。そのような犠牲を恐れて、彼らがいつも通りの羊飼いとしての生活をし続けるのか…。それとも天使たちから聞いたメッセージを確かめにベツレヘムに向かうのか…。羊飼いたちには人生の重大な決断とも呼べることがこの時、求められていました。

 イエス・キリストを救い主として信じ、生きる信仰生活にもこのような重大な決断が求められています。そのとき、私たちが今まで通りの慣れ親しんだ生活に留まるのか…。それとも聖書が示す、新たな人生に向って歩み出すのか…。そのような決断が求められるのです。

 先々週、私は鳩ケ谷で行われた幼稚園のクリスマス会のご奉仕を終えて車で帰る途中、道を間違えてしまい慌てました。私はそのとき行けば行くほど東川口から遠ざかるような気がして不安な気持ちになりました。実は私は昨年もまたその前の年も帰り道で道に迷うと言うことがありました。心理学によれば人はたとえそれが誤りであっても、いつでも慣れた方を選ぶという習性があると教えています。ですから私はその学説の通りの過ちを今年も繰り返したのです。

 帰り道に迷うくらいならまだよいのですが、それが人生の決断となればそうではありません。私たちは天使たちの「怖がらなくていい。外に出て来なさい。あなたたちは自由だ」と言う呼びかけの声を聖書の言葉を通して聞いているのです。大切なのはその言葉を信じて、私たちが人生の決断をすることです。私たちが慣れ親しんだ罪と死の支配の世界から一歩歩み出して、救い主イエス・キリストを信じて歩み出すことを、クリスマスの出来事は求めているのです。ですから私たちはそのような意味でクリスマスの知らせを私たちにとって「うれしい知らせ」と受け取り、イエス・キリストを信じる新しい人生を始めて行きたいと願うのです。

聖書を読んで考えて見ましょう

1.羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていたとき、彼らはどのような体験をしましたか(8~9節)。

2.羊飼いの前に現れた天使たちは彼らにどんな言葉を伝えましたか(10~12節)。

3.この後、天使たちに天の軍勢が加わってどんなことが起こりましたか(13~14節)。

4.羊飼いたちは天使たちが離れ去った後、どのような決断をしましたか(15~16節)。

5.幼子に出会った羊飼いはそこで何をしましたか(17~20節)。

2024.12.22「うれしい知らせ」